広瀬孝裁判長「憲法で保障された表現の自由が侵害された」原告全面勝訴
小坂正則
3月25日札幌地裁で全面勝訴を告げる原告団と弁護団のみなさん
記者会見を行う原告の2人
右傾化社会の中、土俵際で立憲主義の判決が出た
3年前の参院選で、札幌市で演説中の安倍晋三首相(当時)に1言か2言の「安倍やめろ」「増税反対」というヤジを飛ばした男女が、北海道警の警察官に強制的に排除されたことは「表現の自由を侵害された」として損害賠償を求めて札幌地裁で争われていた裁判で、3月25日、札幌地裁(広瀬孝裁判長)は「原告らの表現の自由などが違法に侵害された」として、北海道に慰謝料など計男性に33万円女性に55万円を支払うように命じました。女性が20万円多いのは婦人警官が1時間余りも執拗に付きまとった行為がが移動・行動の自由などの侵害にあたると認めたためです。
この判決に原告の男性(34)は「こちらの主張を100%認めてくれた」。原告の女性(26)は「いまの社会で見えない制限がかけられている表現の自由について、これでもかっていうくらい認めてくれた」と喜んだと、朝日新聞は伝えています。
私たち現政権に批判的な有権者に120%の勝利だ
この判決について、広瀬孝裁判長は「政治に関する表現の自由は、民主主義社会において『特に重要』とした上で、ヤジは『公共的な表現行為』だとして、「憲法の保障された表現の自由が侵害された」としたのです。また、目を引くのが警察の排除を「表現行為の内容が街頭演説の場にそぐわいと判断し、表現行為そのものを制限した」と、認定したのです。つまり、国家権力によって、「この表現は良くてこの表現は悪い」と恣意的に決めつける権利は警察にはなないのであり、表現の自由は国民の固有の権利だから国家権力が介入することは許されないというのです。
一般的にヤジを発する人に対して、周囲の人は「迷惑行為」だとか、「うるさいから静かにしろ」と言って道徳に反する行為だと批判されることが多いのですが、この判決で裁判長が認めた「ヤジは表現の自由だ」として「憲法上認められる」としたのです。ただし、公職選挙法では候補者などの演説が聞こえないほどの大きな声でヤジを飛ばすことや、演説に対する妨害行為は「公職選挙法違反」や「警察官職務執行法」によって違法行為となります。また、今回の裁判で争われたのはことの画期的な意味として専修大学の内藤光博教授は「多数派の表現の自由は、憲法が保障しなくても認められることが多いだろう。しかし表現の自由というのは、少数者の意見表明を保障することが最大の目的だ。それを封じ込めた排除に、判決が待ったをかけたといえる」と話しているのです。
また、同教授は「東京・秋葉原で演説中だった安倍晋三首相(当時)が、政権批判の声を上げた市民らに『こんな人たちに負けるわけにはいかない』と発言したように、近年は政権批判を封じ込める傾向にあった。その中で判決は言論の自由の重要性を再評価した。規制へ歯止めをかけ、少数者の市民運動の力になるだろう」と語っています。
国家権力はいつでも国民の自由を奪おうとする
新人の警察官は警察学校で「人を見れば泥棒と思え」と教えられるそうです。私が若いころ、三里塚空港建設反対集会などに参加するときに、よく警官から職務質問されて「カバンの中を見せろとか、どこに行くのか」と嫌がらせを受けたものです。警察は犯罪の防止と、社会の平安や治安維持を目的として、大勢の人が集まる場所では人々の行動を規制することがあります。多くの人が集まり、少数の過激な行動を取る者が騒ぐと群衆心理が働いて、若者などは暴徒化することがあるからでしょう。だから警察は過剰な警備をよく行います。今回の札幌道警の事件は安倍首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言し、東京都議会選挙に自民党が負けたことで、官邸が警察官僚に「ヤジを取り締まれ」と指示した可能が高いのです。そして同じ日の別の場所でも「老後の生活費2000万円貯金できません」というプラカードを掲げようとした女性に警官が両手を上げて見えないように妨害したそうです。この日は明らかに札幌道警は違法な過剰警備をに行っていました。
国民の自由や権利は国家と闘い続けなければ守ることはできない
私たちの「権利」は日本国憲法の条文にあるだけでは無力です。国民の自由や権利を神棚や床の間に飾っていたところで、私たちの自由や権利は守られません。権利は行使しなければ有名無実なのです。よく、「日本は自由に国だ」とか言う人がいますが、私たちの「基本的人権」や「表現の自由」など国民の権利は、国家権力の圧力に屈しないギリギリのたたかいをたたかっている人たちによって守まれているのです。もし、今回の勇気ある2人の若者が「札幌ヤジ裁判」を起さなかったら、このような素晴らしい判決が出ることもなかったのですし、首相へのヤジは暴力的に排除される続けたでしょう。そして私たち国民の「自由」や「基本的人権」も警察の拡大解釈によって次々と奪われ続けていたことでしょう。お二人と彼らを支えた弁護団の3年間の長いたたかいと、膨大な時間を費やして闘った結果が、私たち国民の側に大きく「表現も自由」の権利を引き戻してくれたのです。
ただ全てのヤジの自由が認められたわけではありません。右翼がよくやる街宣車で共産党や立憲野党の選挙カーの選挙演説を妨害するような「公職選挙法」で禁止されている大音響で演説者の声が聞こえないような大音量のヤジは憲法でも保障されてはいません。今回の安倍首相への批判の声はたった一人で声を出しただけの若者の叫びだったのですから、それを排除するなど社会通念上過剰警備のことは札幌警察署でもよくわかっていたはずです。
国民の基本的人権を奪う自民党の憲法改悪を阻止しよう
このような素晴らしい裁判長がいたから、私たちの自由や権利はギリギリの土俵際で守ることができました。しかし、この判決の基礎となる「日本国憲法」が瀕死の重傷です。憲法9条を改悪しようとする安倍晋三元首相の自民党から維新や国民民主党など憲法改正派が国会議員の2/3以上いるのです。そんな改憲派が今どのような改正案を出してきているのかを監視する必要があります。
現行憲法13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、「公共の福祉」に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。それが自民党改憲案では「公共の福祉」のそこだけが「公益及び公の秩序」と置き換わっているのです。それでは「公共の福祉」と「公益・公の秩序」とでは、どこがどう違うのでしょうか。これは大違いなのです。
私たちにとっては「公共の福祉」と言われてもピンときませんよね。これは「他人の人権侵害をしない範囲」と思えばいいでしょう。私の自由は他人の人権やプライバシーの侵害などを行わない範囲で自由が認められているのです。しかし自民党の「公益及び公の秩序」は全く別物です。
「公益」は国の利益です。「公の秩序」とは国家の安全のためです。つまり、このような改憲案ができてしまえば、「一国のトップである首相が演説をしているのにヤジを飛ばすとは何事か。そんな不遜な人間は日本国にとって不心得者であるから奴の自由など与える必要はない」と警察官によって逮捕されるでしょう。国益や秩序という国家権力の恣意的な運用ができる概念ではどうでも変えられるのです。自民党の改憲案が通れば日本人のこれまであった自由は奪われてしまい、結局は中国やロシアのような独裁国家になり下がってしまうでしょう。今回の「表現の自由」が守られたのは日本国憲法が国家を縛る法律だからです。日本国憲法だけが国家を縛る国民と国家との約束事なのです。ところが自民党の危険法案はことごとく国民を縛る法律に変えようとしているのです。
ロシアや中国はなぜデモや政権批判すれば逮捕されるのか
ロシアでも中国でも憲法には「表現の自由」や「基本的人権」などが認められているでしょう。しかし、一番違うのが「国家反逆罪」や「国家転覆罪」という国家権力が恣意的に理由付けて逮捕される曖昧な法律があるから、独裁者が「お前は反国家的は発言をした」と言えば逮捕できるのです。憲法にいくら自由や人権が謳われていたとしても、それを否定する「国家反逆罪」などがあればすべてを打ち消すことができるのです。自民党の「緊急事態条項」の新設案がありますが、これはドイツのワイマール憲法にもあったもので、それを悪用してナチス・ヒットラーが共産党など野党を国会から排除して次々と与党だけで法律を通して独裁国家を作り上げたのです。しかし、独裁国家はいつかは自滅するでしょう。民主主義が最高の統治機能であるかはわかりませんが、人間には内面の自由は持って生まれた普遍的な権利だと私は思います。
私たちは日本国憲法という、世界に自慢できる憲法があるのです。米国の進駐軍が日本に押し付けた憲法であったとしても、自民党の安倍晋三など反知性主義者の唱える、大日本帝国憲法のような復古主義憲法に、現行憲法を書き換えを許してはなりません。
私たちは何としても世界に誇れる日本国憲法を守りましょう。
判決要旨
街頭演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした男女2人を排除した北海道警の行為が表現の自由を侵害したなどとして、道に賠償を命じた25日の札幌地裁判決の要旨は次の通り。
【原告らを排除した道警の行為は違法か】
警察官らは、街頭演説中に「安倍辞めろ」「増税反対」などと声を上げた原告らの肩や腕をつかみ、演説場所から移動させるなどした。
警察官職務執行法は、警察官は人の生命もしくは身体に危険を及ぼすおそれがあり、特に急を要する場合には、必要な限度で危害を受けるおそれのある者を引き留めたり避難させたりできると定める。
被告の警察官は、「聴衆から原告男性への怒号が上がるなどしていたため、危害を受けるおそれがあった男性を安全な場所まで避難させたのだ」と主張する。しかし、当時の動画を見ても、男性への「うるさい」などの発言は全く録音されていない。男性が声を上げてから警察官が男性の肩などをつかむまでは10秒程度で、そのわずかな間に小競り合いがあったようにはうかがえない。原告女性を移動させた行為についても、当時の動画を見ても、女性が声を上げた時点で聴衆が騒然とした状況にあるようには見えない。
警察官らによる原告らへの行使は警職法に反する違法なものだと言わざるを得ない。
【道警の行為が原告らの表現の自由を侵害したか】
「安倍辞めろ」「増税反対」などと声を上げていた原告は、いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為である。それに対して警察官は原告の表現の自由を制限したというべきである。表現の自由は無制限に保障されるものではないが、原告の表現行為は差別意識や憎悪を誘発するような違法性のあるものではなく、選挙演説自体を事実上不可能にさせるものでもない。原告らの受けた警官による制限がやむを得ないものであったと解することは困難だ。
【道警の行為が移動・行動の自由などを侵害したか】
そして警察官らは徒歩で移動していた原告女性に対して長時間のつきまといに及び、移動の自由を侵害した。こうした行為は通行人らに女性が不審者であるとの印象を与えるもので、女性の社会的評価を低下させ、名誉権を侵害した行為である。
京都大学の毛利透教授(憲法学)にる判決の特徴
以下は朝日新聞引用
――判決をどう見るか
「当時の現場が危険な状況だったか、という事実関係が争点だった。原告側の主張通り、具体的な危険がなかったと認めた。動画が撮影され、客観的な証拠が残っていることが大きかった」
――広瀬孝裁判長は「原告2人の表現の自由が侵害された」と明言した
「警察官の排除が違法だとしても、憲法判断をせずに賠償を命じることもできた。裁判長は、あえて表現の自由に触れた」
「2人の表現活動が除外されたことに訴訟の本質があり、社会的に重要な問題だと考えたからだろう。2人が被った損害の大きさを示すために表現の自由に触れたとみることもできる。ヤジが『公共的な表現行為』だと明言したことにも意義がある」
――女性については、警察官に長時間つきまとわれ、移動・行動の自由や名誉権、プライバシー権を侵害されたと認めた
「不審者のような印象を通行人に与えたとして名誉権の侵害を認めた点については、かなり踏み込んだ判断といえる。また、訴訟では争点になっていないが、そもそも警察官による2人の排除自体が移動・行動の自由を侵害しているといえるのではないか」
――判決が社会に与える影響は
「危険な状況がないのに排除はできない。そんな当たり前の前提が時の首相の演説の場合に覆される危惧があった。どんな場合でも警察は法に基づいて職務を遂行すべきだと確認できた。市民運動よりも警察官の職務に影響を与える判決だ」
専修大学の内藤光博教授による判決の特徴
――判決をどう評価するか
「憲法学の立場から、極めて高く評価できる判決だ。表現の自由について適切に理解した判決になっている。政治に関する表現の自由は、民主主義社会において『特に重要』とした上で、ヤジを政権批判とみなし、『公共的な表現行為』だと明言した」
――訴訟では、警察官の排除が警察官職務執行法に基づき適法といえるかで議論が終始した
「それにもかかわらず、表現の自由の問題だと明言している。裁判長の問題意識がうかがえる。判決は警察官による排除が適法かどうか、場面ごとに詳細に検討している。社会的に重大な問題だと認識したからだろう」
「訴訟では争点になっていないのに、『念のため検討して』原告2人のヤジが公職選挙法上の自由妨害罪やヘイトスピーチ、犯罪行為の扇動にあたらないと指摘している。これは2人のヤジが公共の福祉に反していないと示すもので、抜かりがない」
――その上で、排除が表現の自由を侵害したと結論づけた
「判決は、政権批判の意見を封じ込めたと推認せざるを得ない、という趣旨のことを述べている。妥当な判断だ」
「多数派の表現の自由は、憲法が保障しなくても認められることが多いだろう。表現の自由というのは、少数者の意見表明を保障することが最大の目的だ。それを封じ込めた排除に、判決が待ったをかけたといえる」
――女性への排除については、警察官が長時間つきまとったことが移動・行動の自由などの侵害にあたると認めた
「ヤジやデモなどの政治的表現は、現場まで移動しなければできない。その意味で移動・行動の自由は表現の自由の基礎をなす。それを制限された女性の損害は、男性より大きいと判断している」
――判決の影響をどう考えるか
「東京・秋葉原で演説中だった安倍晋三首相(当時)が、政権批判の声を上げた市民らに『こんな人たちに負けるわけにはいかない』と発言したように、近年は政権批判を封じ込める傾向にあった。その中で判決は言論の自由の重要性を再評価した。規制へ歯止めをかけ、少数者の市民運動の力になるだろう」(聞き手・平岡春人)