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小坂正則の個人ブログ

『風をつかまえた少年』を、私は涙なしには読めなかった

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本屋で偶然出会った著書

私は12月4日、友人らとの忘年会に参加するために街へ出かけた。忘年会の始まるまで時間があったので、本屋に立ち寄って暇を潰すことにした。私は街に出るとたいてい、数冊の本を購入する。そのほとんどが自然エネルギー関連の図書で、仕事のための書籍だ。たまに、坂本龍馬関係の書籍などがあったら必ず購入する。「風をつかまえた少年」は目立つ黄色の装丁と表向きに書棚に置いてあったので、「きっとよく売れているのだろうな」とは思って手に取った。主人公のウイリアム君はマラウイというアフリカ中部の小さな国の少年で農業を営む父親と母と姉妹2人の4人家族だ。2001年から2年続きの早魃により多くの国民が飢えに苦しんだという。そん中で主人公のウイリアム君は食べるものもない生活を過ごす中で、中学校の授業料を払えず、学校にも行けない生活を送っていた。ウイリアム君はNPOが行っている図書館に通って独学で物理など様々なものを学んでいった。

ないものは作り出せばいい

ウイリアム君の自宅には電気は来ていない。それもそのはずで、マラウイでは国民の2%にしか電気は引かれていないのだ。そんなマラウイで、彼は自分で風車を建てて、電気を作り出したのだ。農機具などの廃品の中から風車の部品を漁った。ウイリアム君はおかしくなったと周辺の人びとはささやきあっていた。
そして彼の友人の協力もあって、とうとう手作りの風車が回り、豆電球が輝いた。そして彼はバッテリーに蓄電していつでも電気を使うことが出来るようになった。その話題は彼の街だけではなく周辺の人びとへ伝わり彼の風車を人びとは見学に来るようになった。そしてウイリアム君が作った風車の話題が新聞に載り、ラジオの取材を受け、2007年にアフリカ中の科学者や発明家や起業家国際会議TEDグローバルに招聘されスピーチするチャンスを得た。その会議の話題は世界中に報道され、彼の「ないものは自分で作り出せばいい」という発想や行動がアフリカの貧困から脱却する真の解決策なのではないかと思われたのだ。

彼の行動や想像力が私達の社会を変える

その後、彼は中学校に復学できて高校にも行き、2010年の9月からはアメリカの大学に通っているという。彼のこのような輝かしい一種の“アメリカンドリーム”に私は涙を流しながら、この著書を読み進んだ。この本の素晴らしさは、それだけではないだろう。それは私も含めて「私達も諦めずに挑戦し続ければ、夢や希望も実現できる可能性がある」という事実だ。そんな当たり前のことを気づかせてくれるウイリアム君の「挑戦し続ける力」に感動して、私はこの著書を読み終えた。こんな素晴らしい本をぜひ若い皆さんにも読んでもらいたいと思った。
# by nonukes | 2010-12-25 22:30 | 自然エネルギー | Comments(0)

龍馬暗殺の黒幕は西郷隆盛か

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2010.11.22
小坂 正則

NHKの「龍馬伝」ブームが続いている。来週には大河ドラマ『龍馬伝』は終わるので龍馬ブームも下火になるかもしれないが、龍馬に縁のあ観光地はどこも大勢の人で賑わっているらしい。そんな龍馬ファンの一番の謎が「龍馬を殺したのは誰か」だ。新撰組の近藤勇や土方歳三などは明治新政府に徹底的に取り調べられたが、彼らは龍馬を暗殺したとは自白しなかった。近藤勇は斬首されるのだから、新撰組が暗殺したのなら近藤勇は本当のことを言うだろう。幕府側勢力が坂本龍馬を殺したという歴史認識は一番考えられそうなストーリーだが、実は一番あり得ないストーリーなのだ。何よりもこの時期、平和理に大政奉還させようとした坂本龍馬は幕府側の支持者だったからだ。自らの支持者、それも唯一最大の支持者を殺すような者はいない。
 また、今日の坂本龍馬伝説は明治政府の薩摩・長州やその後の軍部にとって都合のいい歴史に歪曲されて作られた部分が多いということを前提にして見る必要があるだろう。数ヶ月前「龍馬暗殺の真相」というテレビ番組が民放であったが、そこでも「真犯人は西郷隆盛という説もある」と解説があった。今回、私は榊原英資著書の『龍馬伝説の虚実』という著書を大いに参考にさせてもらった。

明治維新を進める倒幕勢力の抗争

薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(後の木戸孝允)は一貫して坂本龍馬の唱える「大政奉還」は非現実的だとして反対した。彼らは江戸幕府を武力で鎮圧して徹底的に叩き潰して薩摩と長州による独裁政権を目指したからだ。これに対して坂本龍馬を初めとする土佐藩主山内容堂や後藤象二郎などは幕府勢力をも取り込んだ共和国政府を目指したのだ。
この案には幕府の重職を担っていた勝海舟も通じていた。勝海舟や山内容堂などの口添えで坂本龍馬は殺害される1867年11月15日以前に徳川将軍、慶善の側近である永井尚志と何度も会っていた。徳川幕府は坂本龍馬を通じて徳川家の温存に一縷の望みを託していたのだ。このような時期に徳川側が坂本龍馬を暗殺する一切の動機はない。
坂本龍馬の「大政奉還」の動きを一番うっとうしく思っていたのは正に西郷隆盛と桂小五郎らだった。それにこの時期には薩摩藩主の穏健派の小松帯刀は実質的に失脚しており、西郷らの暴走を止める者は薩摩藩にはいなかった。
坂本龍馬を亡くした大政奉還派はその後大きく勢力を後退させて、薩摩・長州の思うがままに明治政府が作られて行く。坂本龍馬の描いた政治は江戸幕府の延長線に象徴天皇のままに人民による共和国政治だったが、実際は天皇を政治の全面に出して富国強兵政治を強引に推し進めた結果、天皇の元での軍事独裁政治が1945年の敗戦まで続くことになった。薩摩・長州による独裁政治形態が日清戦争から日露戦争へと続き日中戦争へと突き進んでいったというのは言い過ぎだろうか。
歴史に「もし」はタブーだが、もし、坂本龍馬が暗殺されなかったら明治政府は軍部の暴走を防ぐ手段を取ることができたかもしれない。彼はアメリカ合衆国などの議会政治を模索していたからだ。そう考えると坂本龍馬を亡くしたことは日本にとっても大きな歴史的な損失だった。

坂本龍馬を暗殺した者の正体は

明治政府の取り調べにより京都見廻組の佐々木只三郎以下7名が坂本龍馬を暗殺したと今井信郎が供述しているが、彼以外の6名は既に全員が死亡していた。今井は見張り役だったということで取り調べの後に自由の身になっている。維新派にとっては憎き坂本龍馬暗殺者グループの生き残りへの罪が実に軽すぎる。また、供述が事実と違う点が多いといわれている。ではなぜ明治新政府は真犯人をでっち上げなければならなかったのか。それはほかに犯人がいたからだ。
中東のことわざで、このようなものがある「それによって一番利益を得る者が真犯人に一番近い」と。つまり、坂本龍馬暗殺で一番利益を得る者は西郷隆盛であり、桂小五郎だ。特に西郷隆盛は江戸や京都でテロを仕組んできた人物だ。桂小五郎は龍馬を暗殺した真相を後で知ったかもしれなしが決して口には出せなかったのだろう。坂本と桂は若い頃からの友人だったことなどを考えれば、彼が暗殺を主導することは考えにくい。西郷隆盛が暗殺を仕組んだのかどうかは現在では何の証拠もないが、見廻り組をそそのかしたり、坂本龍馬の居場所を故意に流したりして暗殺を誘導することは可能だった。歴史というものは皮肉なもので、天下を取った西郷隆盛は反乱軍の首謀者となり官軍に結果的には殺されてしまう。

坂本龍馬は商売人で英雄ではない

それにしても坂本龍馬の存在は日本の近代史にとって大きな影響を与えたか、与えることができる可能性があったのかもしれない。しかし、坂本龍馬の思想は勝海舟などの欧米の見聞からできた耳学問で、「船中八策」も原型があったという。彼は思想家でもなければ英雄でもない。
彼はテロには一切手を染めていないことなどからも西郷隆盛などとは違うし、藩の制約がない脱藩浪士だったから、坂本龍馬は自由人の商人的な発想で、ケンカをしても互いの利益のためには常に妥協して折り合うという民主主義と平和主義の話し合いの世界観を体験的に心得ていたのだろう。坂本龍馬の素晴らしさは、どこにでもいる市井の市民が主人公として認められる世界を目指していたことだ。そんな坂本龍馬だから私はますます彼に惚れ込んでしまうのだが。
# by nonukes | 2010-11-23 12:10 | その他 | Comments(0)

今日はゆっくりecoがいい2010を開催しました

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たくさんの人出で賑わいました

 11月6日の「今日はゆっくりecoがいい2010」は秋の晴天にも恵まれて、たくさんの人出で賑わいました。ボランティアスタッフの方や30店舗の出展者の皆さんに協賛企業のみなさん、大分県、大分市に忘れてはいけないのが独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)さんです。でも一番は全県下から駆けつけてくれた参加者の皆さんです。本当にありがとうございました。主催者としては天気も気になりますが、出展者の食べ物などが残らないかが気がかりでした。何とか売り切れ続出でほっとしています。これに懲りずに来年も実施したいと考えていますので、また参加願います。参加者の総数を把握することは困難ですが、昨年の2倍以上は来ていると思います。10時のオープンからゾクゾクと人の波ができてきて、12時ころにはごった返す程でした。でも参加者が今年は多かった一番の理由は「ヤマハ電動自転車」の景品が当たる抽選会の人気だったような気がします。下の写真は抽選会のテントの前の人たちです。別府に近いせいか、外国人も非常に多かったです。予想参加者は3000人くらいかと思います。昨年が1500人くらいだったようですから昨年の2倍は来ていると思います。

鎌仲ひとみさんと田中優さんの絶妙なコンビでした

シンポジウムはレストハウスの会場で行いました。上の写真がパネラーの皆さんです。別府大学の阿部先生には「別府ウォーターフロントに巨大風車の建設は可能か」というテーマでお話しして頂きました。別府湾大型風車を建てて自然エネルギーを観光の目玉にしようという発想は実に楽しく意義のある計画だと思います。別府の町を風車以外にも様々な温泉を中心に自然エネルギーを利用したまち作りを行えば別府が個性的な素晴らしい世界に誇れる観光地になることでしょう。

大型の中央集中ではなく小型で分散型の緑の点を増やそう

パネラーの皆さんの意見は、中央集中的な原発に象徴される大型の施設ではなく、小型分散型の小さなエネルギーシステムをたくさん作り、緑の点を広げていくことで大きな力にしようという意見だったようです。上から下に広げるのではなく、下から上に広げて行く。それが民主主義の原点だという意見。その象徴的な国がスウェーデンの取り組みのような気がします。鎌仲ひとみさんによるスウェーデンの報告では小さな町の人びとが町の再生を行うのにエネルギーの自立を中心に据えて取り組んだ結果、自然エネルギー100%の自立した町ができたことなどです。電気が自由に選べない社会の方が異常なのです。「ミツバチの羽音と地球の回転」の映画で出てくる男性が「日本はクリーンな電気を選ぶことができないのかい。それはおかしいよ」という話に私は、私の目指す「市民電力会社」を作ることの必然性を確信しました。
# by nonukes | 2010-11-08 14:31 | イベント案内 | Comments(0)

最悪の「原発輸出」にしがみつく民主党・東電・東芝

ベトナムの原発事故の責任は誰が取るのか

 10月31日の朝日新聞に「ベトナムへの原発2基輸出が決まった」という記事が載った。アメリカへの輸出は無理でもベトナムなどアジア周辺国への輸出で東芝は生き残れると考える方もいるかもしれない。しかし、このベトナム輸出契約は大きなリスクが伴った受注なのだ。まず建設費用は全額を日本政府が融資する。しかもベトナムの電力会社の経営が順調に行かなければお融資したお金は返ってこない。そしてもう一つの問題が運転保証だ。韓国もこの受注競争に参加していたが、韓国は60年の保証を提示したと思われる。UAEの受注では4基の建設費が200億ドル(1兆7,000億円)と国際的な相場の30%以上の低価格で、高レベル放射性廃棄物の処分や60年間原発の運転を保証するという無謀な条件で韓国は受注を獲得した。60年間動かすこと自体が無謀なのに、60年間もの長期保証をするというのは狂気の沙汰だ。だって、60年後に建設した企業が存続している保証は全くない。結局政府が全ての責任を取ることになる。日本とベトナムの間で契約した保証期間は定かではないが、もし、長期の保証契約ならば修理費用は全額が日本政府の持ち出しとなって私たちの税金が使われる。そして最大の問題は、この原発がベトナム周辺の国まで及ぶ放射能災害を引き起こしたら、誰がその責任を取るのかという問題だ。東電と東芝に政府の一体となった交渉に成功したと菅首相は得意になっているようだが、新幹線や水道事業とは違って、原発輸出は原発事故による被曝の責任を誰も取れないという問題があるのだ。今回のベトナムへの原発輸出は日ベト両国民への民主党政権による史上最悪の犯罪行為だ。

原発終焉の時代が理解できる政治家と経営者に変えなければ

 世界の稼働中の原発450基の内、チェルノブイリ原発事故以前に建設された大半の原発が10年以内に廃炉を迎える。70年からチェルノブイリ事故の86年までに建設された原発は330基あまり。これらの原発が廃炉になれば残りの原発は僅か120基しか残らない。07年では年間に2基しか新規建設は行われていない。韓国や日本政府のなりふり構わぬ無謀な行動はしばらくの間は続くかもしれないが、冷静に考えれば原発は採算の取れない不良資産なのだ。だから米国では原発の再考は幻と終わりつつある。世界では原発ルネサンスどころか原発終焉の時代が到来しているのだ。
自民党は電力会社や東芝の経営者がスポンサーで、民主党は電力会社や東芝の労組が加盟する連合が大スポンサーだ。だから自民党も民主党も原発推進の看板を下ろせない。しかし、私たちはこの国の政治家や経営者を世界標準の行動が取れる『まともな人間』に変えていかなければ世界に取り残される。取り残されるだけならまだいいが、無謀に輸出した原発は将来必ず大事故を引き起こすだろう。
# by nonukes | 2010-10-31 15:06 | 脱原発大分ネットワーク | Comments(14)

薪ストーブ・ペレットストーブの補助金は終了しました

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小坂正則

来年度からは薪ストーブ・ペレットストーブの補助金は打ち切られる予定です

 一昨年から環境省により行われてた補助金「二酸化炭素排出抑制事業費等補助金」の今年度の補助金は予算を使い切ったことにより終了しました。一昨年は薪ストーブには1件で最高20万円が今年度10万円でした。昨年度は3月まで予算があったのですが、今年度は9月締め切りで予算を使い切ったためにこれからの募集はないとのことです。

ねこの目補助金に私たちは振り回されました

 薪ストーブは最近ブームです。九州でも昨年は私たちの補助金窓口を通じて、120件あまり、今年度は100件弱の補助金申請がありました。残念ながら来年度は環境省内部での事業仕分け、つまり内部仕分けにより『廃止』となったそうです。
 なぜ廃止になったのかは今の時点では分かりませんが、担当者の思いつきで細切れの予算を獲得して作った補助金でして、一般的には止めたとしても何の影響のない補助金でしょう。しかし、この補助金に頼って営業を行って来た零細業者にとっては補助金の打ち切りで来年度の事業が急速に冷え切ってしまう可能性があり死活問題です。
 
 
ペレットストーブやペレットボイラーへの補助金の復活を今後は国へ要求します

 昨年から私たちは、薪ストーブクラブ・ペレットストーブの補助金申請を九州で初めて申請した結果、ペレットストーブは10件以上の普及が行われました。薪ストーブは100万円から120万円と高額で、アウトドア-派の趣味の次元だと思いますが、ペレットストーブは次世代エネルギーの普及への貢献度が大きいものです。特にペレット燃料工場の誘致や林地残材の燃料化などの可能性があり、新規雇用への効果も望める事業です。
 しかし、ペレットストーブは設置費用が約60万円も必要です。そこに最高20万円の補助金が下りるというのは大変な効果がありました。その効果とは2つの意味があります。1つは費用が削減されるというものですが、もう一つは国が推薦しているということによる安心効果です。 
 私たちは今後もペレットストーブの普及のために補助金の復活やペレット燃料への補助金などによりCO2削減を行うことを国や県に求めていきたいと考えています。そのほか炭素税や環境税の導入でペレットストーブのランニングコスト=ペレット燃料の灯油に比較して安くするための対策を求めていきます。つまり、ペレット燃料に補助金を出すことや灯油に環境税を掛けて割高にすることによりペレット燃料の割安感を出すことが目的です。
# by nonukes | 2010-10-29 22:24 | 自然エネルギー | Comments(0)