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小坂正則の個人ブログ

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私たちも自戒の念を込めて性犯罪の根絶を実現しなければならない



広河隆一氏による性暴力を決して許してはならない
小坂正則

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広河隆一氏
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山口敬之

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伊藤詩織さん

私たちも決して他人事ではない

広河隆一氏による性暴力被害を訴える女性たちの声が12月26日発売の週刊文春に載りました。このニュースを26日にネットで知った私は、びっくり仰天しました。「まさかあの広河隆一氏が性暴力の加害者として訴えられた」とは、最初は信じられませんでした。ただ、その後、本屋で週刊文春を読んだり、新聞報道などを見ると、これは女性への「セクハラ」などの次元を越えている「性暴力」の刑事事件に値するような犯罪行為だと確信しました。ちょうど伊藤詩織さんが昨年10月24日に元TBSニューヨーク支局長「山口敬之」による性暴力を告発記者会見した事件と全く同じような事件を広河隆一氏が行っていたという事実に対して、以下の理由から「私はこの事件に対して沈黙することはできない」と思ったのです。それには3つの理由があります。山口敬之の事件は「山口敬之に逮捕状が出ているにもかかわらず安倍政権が逮捕を中止させた」という新たな事件性から言えば、山口敬之の「性犯罪」を越えて「安倍政権による違法な権力行使」というより大きな政治問題へと発展したのですが、山口敬之と広河隆一は同罪の「性暴力犯罪」です。私はこれまで山口敬之を強く批判してきた者としては、同じ性犯罪者に対して「黙認する」ことはできません。2つ目に2016年11月27日、大分市、28日臼杵市と私が主催者当人や、お世話をして広河隆一氏の映画上映と講演に交流会などの責任者だったという事実があるからです。私たちが企画した映画と講演会には大分県内から多くの市民が参加してくれました。そして皆さん映画にも、氏の話にも感動してくれましたし、氏の書籍をたくさん購入してくれました。また、広河隆一氏はチェルノブイリ原発事故の取材や拭く須磨原発事故の取材に、子どもたちの甲状腺がん対策として「ヨウ素剤」配布運動などの中心人物として関わってきたことがあり、私たちが行っている反原発運動に対して深い関係があるからです。
ですから、今回の事件を他人事として、逃げるのではなく、我がごととして向き合い、このような事件を二度と起こさないためには私たちがどう立ち向かうべきなのかを内部でも十分議論することが必要だと思います。そして性暴力やセクハラを許さない社会や反原発運動の中にもそのような文化を作っていかなければならないと思います。

自戒の念を込めて総括すべきことは実に多いい

私は2011年4月20日から1ヵ月間、九電本店前にテントを張って座り込みました。そして九州中は元より、東京など全国からもこの座り込みに参加してくれる仲間や支援者がたくさんいました。その後、私と一緒に座り込んだ福岡のAさんと私の2人は5月20日で座り込みをやめました。その間にいろんなことがありました。女性に関する問題もありました。飲酒の是非で座り込みの仲間と激論が持ち上がりました。私は「飲酒禁止」を訴えて、「それが通らないなら私は座り込みを直ちにやめる」と主張しました。でも結局、私の案は認められませんでした。それもあって、私は1ヵ月で座り込みをやめました。ただ、現在九電前で座り込みを行って居る方々とは全く無関係だということだけはお伝えしておきます。現在は夜はテントを畳んで帰りますから飲酒などはあり得ません。私が座り込んでいた1ヵ月の間に起きた女性問題に対しても結局、私や私の周辺の仲間たちはうやむやにして逃げたのです。それと同じようなことが今回も起きたのでしょうか。「男女の色恋に他人は立ち入るべきではない」という雰囲気が私たち男性の中にあって、女性の人権を踏み躙ってきたのだろうと思います。ですからこのような事件はいつどこで起きてもおかしくないことであり、私たち男は常に「一歩間違えば、第二第三の広河隆一に自分もなり得る」ということを自覚して行動しなければならないのだと思います。これは特に自分への自戒の念です。

だからと言って氏の実績を全否定はできない

彼は今後、社会運動やフォト・ジャーナリストとして仕事を行うことはないでしょう。しかし、彼はHPに曖昧な謝罪を行うだけで逃げることなど決して許されません。記者会見を開いて、事件の全貌を語り、被害女性に対して謝罪し、なにがしかの慰謝料や損害賠償を行うできです。そのような謝罪によって、この事件に対して一定の区切りをつけることができる被害女性もいるかもしれないからです。
最後にこれだけは言いたいのですが、彼がこれまでに撮った写真や報道が全てウソだったと言うことはできません。しいて言えば彼は男なら誰にでも多かれ少なかれ持っている「性的衝動」を押さえきれなくなり、性犯罪に進んだのでしょう。私たちのような無名の男なら女性は寄っては来ないし、ちやほやされませんが、彼には常に氏を慕う女性が集まってきたために、ついつい衝動にかれれて「性犯罪」を犯したのだと思います。
もちろんだからといって「許される」ことではありませんが、氏のこれまでの仕事を全否定するべきではないと私は思いますし、反原発運動を一緒にやって来た、その実績は少なくとも一定の評価はされるべきだと、私は考えています。
これからも私は、自分のできる限りの力で、反原発運動などを続けて行く決意ですが、そんな中で性犯罪もセクハラも行わないように自分を戒めて行きたいと思っています。そして性犯罪もセクハラもない社会を周りの女性たちと一緒に作って行きたいと思っています。




by nonukes | 2018-12-30 22:29 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

明仁天皇「誕生日会見」は国民へ平和憲法擁護のメッセージ

明仁天皇の「これからも沖縄の人びとにこころを寄せていく」発言は辺野古基地建設批判
小坂正則

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明仁天皇85歳の誕生日会見

今日12月23日は明仁天皇の誕生日で最後の誕生日会見が先日行われて、昨日マスコミに公表されました。明仁天皇は来年の4月30日に退位することが決まっていますが、来年の退位時には会見をしないことが決まっているそうですから、直接国民へ表明するのはこれが最後となるようです。
その会見で何を語るのか注目を集めていましたが、会見では「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。」と語り、安倍政権による辺野古基地の埋め立て工事など沖縄県民の民意を無視した政権の傲慢なやり方を暗に批判したのでしょう。
また、「我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。」と語り、日本は戦後、戦争によって直接的に人を殺すことも殺されることもなく、平成の時代を終えようとしている中で、それを継続していくには、戦争の加害と被害の記憶を継承するのみならず、戦後生まれの人びとに「歴史を正しく伝えていく」ことが必要だと言い、あえて「正しく」という言葉を付け加えることで、正しく伝えようとしない「戦前の軍国主義を美化するような」歴史修正主義の動きを戒めているのです。それは安倍首相の慰安婦問題や南京事件など戦時中の国家犯罪を打ち消そうとする動きや、歴史教育に対する介入動きなど、安倍政権の動きがあることにも批判を込めて「正しく伝えていくことが大切」と国民に諭したのでしょう。

「明治150年」は日本から海外へ移住した人へのいたわり

「今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。」と明仁天皇は語っています。安倍が開催に固執して天皇は参加を拒否した「明治150年を祝う」行事への批判の意味も込められているのかもしれません。
そして当時の貧しい日本人は海外へ移民として移り住んできました。そんな人びとは移住先の国で助けを受けたことを例にとり、いま安倍政権が行おうとしている移民政策は「安い労働力」としてしか外国人労働者を見ないことに対する異議を唱えているのではないでしょうか。「…そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。」と語り、「外国人労働者を社会の一員として温かく迎え入れるべきだ」として自民党の「移民政策」を批判しているのです。

明仁氏は「左翼天皇」などではなく「日本国憲法」を遵守する立憲天皇

明仁天皇をネトウヨなどは「左翼天皇」といういうな批判をしていいます。安倍首相お抱えの日本会議と統一協会の平川祐弘・東京大学名誉教授は「ご自分で定義された天皇の役割、拡大された役割を絶対的条件にして、それを果たせないから退位したいというのは、ちょっとおかしいのではないか」と天皇を批判を行い、生前退位を昨年までは阻止しようとしていたのです。天皇は女系天皇制の導入や生前退位を法的に導入することを強く求めていました。しかし、安倍政権は女系天皇制も生前退位の法整備も受け入れず、2016年78月に天皇が生前退位の表明をNHKを使って行ったことで、多くの国民が生前退位を支持するの声を受けて、安倍は嫌々「一度限りの退位」を認めざるを得なかったのです。
安倍や日本会議などのネトウヨなどは日本国憲法を改悪して、憲法9条の戦争放棄などの平和憲法を骨抜きにして、戦前のような天皇元首化をめざしているのです。
天皇の最後の会見で、明仁天皇が言いたかったことは、多くの国民が「日本国憲法」が作られた歴史的な経緯を正しく学び、そして、それを実行してほしいと言っているのです。また、平成天皇の時代が終わっても末永く戦後が続くように努力するように、私たちに呼びかけたのだと私には思えました。その姿勢こそが立憲主義に基づいた日本国憲法第一条の言うところの象徴天皇の責務なのです。安倍のように憲法99で謳われている「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」を守る気の一切ない、憲法違反の安倍総理大臣を一刻も早く総理の席から引きずり降ろすことを国民に求めているのだと、私は思います。








(司会者)
天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。

(天皇陛下)
この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。
新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

天皇の望ましい在り方を求める日々

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。
しかし、その後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

戦後の道のり

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。
終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。
それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。
昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。
そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

平成に起きた災害

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。
ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

障害を抱える人に

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。
障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

海外と日本

今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。
そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。
日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。
また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。




by nonukes | 2018-12-23 23:08 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

ヤギのララという家族を突然失った悲しみ



大きな動物ほど感情移入が大きくて、悲しさもひとしおです
小坂正則
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ララの火葬の模様です
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在りし日の仲良く食事を取るヤギとニワトリ
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若かりし頃のララ
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搾乳に挑戦するも乳を全く出してくれないララ
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風来坊の雄ニワトリ
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真ん中右がトサカのないメスのニワトリ

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我が農園と事務所などの全景

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すっかり日が沈んでも火は燃えていました

昨日の小雨の降る中、ララ(10~11歳の老雌ヤギ)を軒先から小屋へ移動させるために首輪を引っ張って連れて行こうとしたら、イヤイヤを繰り返してどういても動こうとしなかったのです。でも途中で雨に濡れるから、私は根気強く説得して小屋までもう少しのところで、とうとう膝まずいてしまいました。そこで初めて異変に気づいたのです。「これはタダことではないな」と。一ヵ月くらい前から随分食欲が落ちて、甘える声で啼くこともほとんどなくなり、好物のカラスウリのカズラもちょっとしか食べないし、主食のヌカもほとんど食べません。「死期が近づいているんじゃないか」とはうっすらと感じてはいたのですが、小屋にたどり着く前に、とうとう息を引き取ってしまいました。
これまではニワトリや子ヤギなどが死んでもそのまま草をかけてやると、翌日にはすっかり消えていました。さすがに大きな老ヤギをこのまま野獣の餌にするのもかわいそうだし、埋めてやってもどうせ野犬などが掘り起こして持って行ってしまうので、昨日は雨に打たれないように覆ってやって、今日は昼から火葬の準備に取りかかりました。今朝死体を覗いたら顔を小動物らしき動物がかじったような後がありましたので、このまま食べられるのも動物の世界では当たり前のことなのでしょうが、何かいたたまれない感情が湧いてきて火葬を決意したのです。
これまでニワトリや鯉など小動物が亡くなると悲しくはなりますが、そんなにかわいがっていたわけでもないので、「死んでしまったか」ぐらいでしたが、さすがに10年以上一緒に暮らしていて、わがままで手を焼いた彼女だけに、いざ別れが来ると寂しさが沸き起こってきました。ヤギは犬のように尻尾を振って感情を表す動物です。それに寂しがり屋なのです。だから飼い主の心を掴むのかもしれません。さて、来年は彼女なしで寂しいお正月を迎えることになるでしょう。

火葬しながら気まぐれでわがままなヤギのこれまでを思い出しています

彼女は非常にわがままで、好物の葉っぱをいっぱいやっても、途中で食べなくなります。彼女たちヤギは少しずつ食べる性質をDNAに植え付けられているそうです。羊は草を手当たり次第食べ尽くすそうですが、ヤギは野生のDNAが羊よりも残っているのでしょうか。好物の草でも全部食べ尽くしません。それに葛などは葉は食べも主幹というか葛の本体は食べません。だってそこを食べたら、葉が育たなくて次に食べられないことを学習しているのだろうと思います。それに好物の葉も同じ幹の葉を全部食べるのではありません。私は、「そんなに移動しなくて腰を据えて食べろよ」とよく諭していましたが、彼らは「少しずつ草や木を移動しながら食べることで草や木にダメージを与えることを避けている」のではないかと感心したのものです。
そんなちょっと心が塞いでいるわたしです。まあ、いつかは誰でも死を迎えるのですから、致し方ないことです。それに植物にも意志があるといわれるのですから、ヤギにもちゃんと意志も感情も十分備わっているのですから、私は彼女をどれだけ幸せに生きることを支えられたかは全く自信はありませんが、きっと許してくれるだろうと勝手に思っています。昨夜は1人で寂しく彼女の通夜をやりました。ちょっと酒を呑みすぎてしまいました。第三のビール500ミリを2本も飲んで酔ってしまいました。ご冥福をお祈りしますララさま。

自由で気まぐれな動物の方が愛情が湧きます

話は変わりますが、私の農園にはヤギとニワトリが7羽と鯉が1匹いました。それが一番大きなヤギがいなくなったので、今いるのはニワトリが最大の動物となりました。このニワトリには名前は付けていませんが、ニワトリ小屋に雄が1羽でメスが5羽です。なぜニワトリに名前を付けてはならないかというと、そこには大きな理由があるのです。
私にニワトリを飼っている先輩からくれぐれも名前は付けるなとご指導を受けたからです。その理由は簡単です。「名前を付けたら絶対に自分の手では殺せなくなる」からだそうです。ちなみに私は名前を付けていませんが自分の手では殺すことができません。昔他人が飼っているニワトリは平気で殺していましたが。
ですから、我が家では次々に高齢ニワトリは寿命で死んで行きます。だいたい4、5年で亡くなるようです。メスの中に1羽変なニワトリがいます。トサカがないのです。もともとチャボと名古屋コーチン系のニワトリを掛け合わせた子どもなのですが、その中に変なメスがいるのです。なぜ変かというと、卵を産みません。ニワトリのLGBTと私は思っています。卵を産まないのは生殖機能がないからでしょうから、LGBTではなく、生殖機能がないメスということだけなのでしょうが、彼女は雄からもいじめられて、メスからもいじめられています。つまり、いじめられっ子なのです。そんな彼女も元気よくみんなと暮らしていますので、まあこのままでいいかとも思っています。しかし、彼女たちは冬は5羽もいるのに、正確に言うと卵を産むメスは4羽ですが、春や秋には1日に平均1個か2個で、冬になると2日に1個くらいになるのです。卵はあまり産んでくれません。ですから餌代がかさんでしまうので、ヌカを主食にしています。
そしてもう1羽の茶系の雄ニワトリは小屋には入りたがりません。なぜなら小屋に入ったら親分の雄にいじめられるからです。完全に外飼ニワトリになっています。このニワトリと死んだララは仲良くて一緒に餌を食べていたのです。彼にはヤギが死んだことなど分からないでしょうが。朝など私の後をついてきます。これまではヤギへ餌を持って行くと私の後をついてきて餌をもらおうとしていました。これも私の家族なのですが、近ごろは私が寝ている2階のベランダにヤツは寝ているようで、ベランダが糞だらけです。しかも夜中の4時ころから大声で鳴き叫びます。これが一番の迷惑行為なのですが。
そんな彼が2週間ほど前に突然見当たらなくなったのです。私はてっきりテンかイタチにやられたのだろうと、少し寂しくなっていました。そして2、3日後にニワトリ小屋へ餌を持って行くと、チャッカリ隅っこに彼はいたのです。夕方にたまに草を食べさせるためにニワトリを放してやるのです。そして日が暮れたら彼らは小屋に帰ってくるので、夜には扉を閉めるのです。その日はたまたま彼は小屋に帰っていたのでしょう。私は「何だお前は小屋にいたのか。心配して損したぞ」と怒ってやりました。今日も元気に私の家の周りを走り回っています。 いまでは孵卵器(卵からヒナを孵す機械)が壊れてしまったので我が家で生まれるニワトリはいませんが、またニワトリを買ってくるか、ララが死んで落ち込んではいますが、これに懲りずにヤギをどなたからか分けてもらおうかとも考えています。できれば馬を飼いたいのですが。
さっき6時過ぎに火の後始末を行おうとたき火の場所に行ってみたのですが、まだ燃えていましたし、残骸も残っていました。
こんなこと言ったらララ様に失礼になるのかもしれませんが、香ばしい肉の焼ける臭いがしていました。おいしそうだなあ~?南無阿弥陀仏。

by nonukes | 2018-12-17 16:51 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

植物は互いにコミュニケーションを取っている

植物には知性や感情があるのか
小坂正則

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著者のペーター・ヴォールレーベン氏

木と話ができる?

私は薪屋を10年以上やっています。薪屋の薪の原料である材木は基本的には植木屋さんや建設会社などから伐採した材木をもらってくるのですが、私が山に入って切って来ることもあります。そんな私が、「植物も知性や感情がある」ということを知って、植物の生態を今まで何も知らなかったことや考えさえもしなかったことに恥ずかしさを感じずにはいられないのです。
「木と話ができる」というようなことを言う人がいました。それも私の一番身近な場所に。私の親父は14年前に94歳で亡くなったのですが、父は「枇杷(びわ)栽培の神様」のように弟子の方々から慕われていました。そんな父は元気な頃は毎日枇杷畑に入って、木に登ったり畑の下草をかき分けて、根の状態を観察していました。ですから、傍目には「枇杷の木と話をしている」ように見えたのです。果樹の木が元気かどうかは葉っぱを見れば分かると言っていました。葉の艶がよく大きければ元気な証拠です。しかし、元気がなくなっていたら、「根を見ればすぐ分かる」とよく父が話していました。白いヒゲのような根(ひげ根というそうです)が真っ先に弱るそうなのです。
亡くなる前の父は仙人のように木と話をしているようでした。木の気持ちが分かっていたのでしょう。でも、木が話しかけているとは、私には全然想像もつきませんでした。
これが動物となら話は別です。確かに犬と会話をしている飼い主をよく見かけます。飼い主は犬の気持ちが分かるのでしょう。私もヤギを飼っていますが、私はヤギの気持ちはほとんど分かりませんが、ヤギは私の顔色を伺うようにして、私の心を読んでいるようです。

人間の臓器が互いに会話をしているのなら植物だってありえる?

昨年2017年9月30日のNHKスペシャル人体「神秘の巨大ネットワーク」という番組を私は見ました。タモリと山中伸弥京大教授が司会をしている番組です。その番組で「これまで人間の臓器の働きは脳が指令していると考えられていたのが、それが違っていて、臓器自体がそれぞれ関係する臓器とコミュニケーションを取りながら働いていたことが分かった」というのです。人間にそんな働きがあるのなら、これは動物にはもちろんあるはずです。そして地球上の生命誕生の中で、動物よりも先に誕生した「植物にも臓器どうしで会話する機能があってもおかしくはない」はずです。
ただ、そんなことを私は漠然と考えていたのですが、今週の日曜日の深夜のNHK「サイエンスゼロ」の中で、「植物にも会話する物質が発見された」その物質をexosome「エクソソーム」または「エキソソーム」と読むそうなのです。

私は何か運命的なようにこの著書と出会った

そしてたまたま私は先週の火曜日に行きつけの「明林堂」書店で「樹木たちの知られざる生活」という文庫本を買ったのです。なぜかというと、「薪屋のオヤジが木のことを知らないのは恥ずかしいなあ」と思ったからです。「少しくらい樹木のことを勉強しよう」と考えたからです。買ったのは先週の火曜日なのですが、一緒に買った本が堤未果氏の「日本が売られる」という衝撃的な新書です。これを読んでいたので、日曜日の「サイエンスゼロ」を見るまでは「樹木たちの知られざる生活」をサラッと最初の10ページくらいまでしか読んでいなかったのです。そして、NHKのサイエンスゼロを見た後に、何か運命的なことを感じました。火曜日この本を買って日曜日には「読まずにはいられないい」と感じたからです。
本は皆さんぜひ買って読んでほしいので、中身はサラッとしか話しませんが、いきなり「森の樹木はコミュニケーションを取っている」と言います。そして「同じブナの木の根がつながっている」というのです。「以前切り倒された切り株の表皮をナイフで削いでみたら、切り株の幹が生きていた」とも言います。つまり、「近くのブナが切り株に栄養を与えていた証拠だ」というのです。そこでは私は「ちょっと眉唾物だなあ」と感じました。最初の14、5ページまでが日曜日までに読んでいたのです。
そして、日曜日の夜から翌日までに全て読みました。「木に脳はないけど、記憶はある」と言います。なぜなら落葉樹が葉を落とすのは寒くなったからではなく、日照時間が短くなったことで実行するそうです。すると、木は記憶する機能がなければ葉を落とすことを決断できません。「木は数を数えることができる」といいます。「春が来たことは寒さから暖かい日が何日経ったのでこれは本当の春だ」と理解して芽を出すのです。葉は光合成を行いますし、目の機能があるので、太陽の昇り沈みは分かりますが、春には葉はすでに落ちているので、目はありません。しかし、芽が出る時期を決めるのは芽の上に被さった薄い皮が目の役目をするのだろうと言います。ですから木には記憶する機能があるのです。彼はその機能は根に近い幹にあるのではないかと言います。そして木も息をしていますが、その仕事は葉がするのですが、根も息をしているそうです。だから水浸しの鉢の入れていたら植木鉢の植物は枯れるのですね。そのほか菌類とも樹木の根は共生しているそうです。
また植物には感情も知性もあるそうです。

「樹木たちの知られざる生活」はこう主張

人間は利用するために、生きている動植物を殺す。その事実を美化すべきではない。そうした行いが非難されるべきかどうかは、また別の問題だ。私たち自身が自然の一部であり、ほかの生き物の命を利用しないと命を維持できないようにできているのだ。どの生き物も同じ運命を共有している。
問うべきは、人間が必要以上に森林生態系を自分のために利用していいのか、木々に必要以上の苦しみを与えてしまってもいいのか、ということだろう。家畜と同じで、樹木も生態を尊重して育てた場合だけ、その木材の利用は正当化される。要するに樹木には社会的な生活を営み、健全な土壌と気候の中で育ち、自分たちの知恵と知識を次の世代に譲り渡す権利があるのだ。
少なくとも彼らの一部には寿命の権利を全うしてもらおう。さらに林業の全伐採をやめて選択伐採を導入しよう。
また、スイス国の憲法にこんな条文があるそうです。「動物、植物、および生体をあつかうときは、その生き物の尊厳を尊重しなければならない」と。「これを守るなら、道端に咲く花を意味もなく摘むことは許されない」と著者のペーター・ヴォールレーベン氏は言います。森はたまたま無数の生き物に生活空間を提供しているだけの木材工場でもなければ資源庫でもない。事実はその逆だ。適切な条件で育つことができてはじめて、森林の樹木は安全と安心という木材の供給以上の役割を果たしてくれる。
森はこれからも秘密を守りつづけ、散歩にきた私たちの子孫を驚きで満たしてくれるだろう。数え切れないほどたくさんの種類の命がつながって、お互いを助け合っている。これこをが森林という生態系の特徴だ。私たちが守るべき謎と奇跡がある。葉でできた屋根の下では、今日もたくさんのドラマと感動の物語が繰り広げられている。森林は、私たちのすぐそばにある最後の自然だ。
ある日、本当に樹木の言葉が解明され、たくさんの信じられない物語が聞けるかもしれない。その日がくるまで、森に足を踏み入れて想像の翼を羽ばたかせようではないか。(ここまで全て引用)

知らなければよかったような気が?

この書籍を読んで、私は大変困ったことになりました。こんな真実を知ってしまった私はこれからは木を切る時には必ず木に許しを得なければなりません。そして切る前に樹木の霊を鎮めるための儀式を行ってから木を切らせてもらわなければならなくなりました。それにむやみやたらに木を切ることはできないのですから。そう言えば、昔の木こりは木を切る前に命をいただくための儀式を行っていました。それは木の命をいただきますという許しを請うことと伐採作業中に怪我をしないようにということも合わせて祈るようでした。そんな儀式は昔の人の迷信などから行われていたのではなかったのです。昔の人びとの方が現代人よりも、この世の真実を知っていたのでしょう。森羅万象に神が宿るということがどれだけ真実であるかを65歳という、いい歳になって初めて分かったのですからお恥ずかし次第です。
私の薪屋の薪の大半は植木屋や建設会社の下請け企業が木を切って私のところに持って来るので、すでに私の所には亡骸がくるのですが、それでも私は「いのち」をいただいているということをわきまえて、真っ直ぐに彼らと向かい合わなければならないと思うようになりました。しかし樹木の言葉が分かるようになったら、それはそれで大変だろうなあとは考えますが、ヤギとは話ができたらいいだろうなとは思います。でももう10歳を越えて老女のヤギのララさんはめっきり年寄りになりました。

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5,6年前のまだ若い頃のララさんです。

by nonukes | 2018-12-05 17:09 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

日立も三菱も東芝と同じ、今井尚哉首相秘書官にだまされた?

生き残り策を模索する「原子マフィア」最悪のシナリオ「小型原発」計画
小坂正則

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英国原発建設撤退の決断を迫られる日立の中西会長

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政権も「原発マフィア」も影で操る今井尚哉首相秘書官

日立は英国原発輸出から撤退へ

チェルノブイリ事故以後、「原発の悪夢は今後は消えて行くだろう」と私は思っていました。しかし、そんなことはなく、逆に日本は1986年当時には37機そこそこだった原発が2011年には54機にまで増え続けていました。そして、決して起こることはないと言われて、「原発先進国」と自信を持っていたはずの日本で、2011年311「東電福島原発事故」が起こり、こんどこそ「原発の危険性や非採算性」は決定的に証明されたかと思っていました。しかし、経産省官僚と電力会社と御用学者などによる「鉄のトライアングル」と言われる「原発ムラ」いえ「原発マフィア」と言うべきでしょう。彼らの息の根は未だに止まっていませんでした。よく「死の商人」と言われる人びとがいます。彼らは武器を対立する双方の国に売りつけて戦争をさせることにより、利益を得る人間のことを言うのです。「死神」とも言われますが、奴らには「理性」や「正義」などは微塵もありません。それと全く同じ人間たち「原発マフィア」の連中は「金のためなら人びとの生命などどうなってもかまわない」と考える「死神」と思った方がいいのでしょう。
そんな彼らの動きがこの数日でマスコミによって公表されたのです。
日立の英国子会社「ホライズン・ニュークリア・パワー」社が建設を進めている英国の原発から日立は撤退することをいよいよ決めるのではないかという記事がこの夏頃から各紙に出ていました。英国原発2機の受注を取った日立は35年間、英国に原発の電気を買い取ってもらって、建設費を回収するというシステムです。その買い取り価格が1kwh当たり14円と、英国市場平均価格7円強の約2倍という破格値だったそうなのです。イギリス沖に建設された洋上風力の発電コストが8.8円だというのですから、いかに原発の電力が高いかが分かるでしょう。おまけに建設費用の3兆円の内2兆円は英国政府の低利融資が付くので、残り1兆円を関連会社や銀行団にお願いしたら、どこも乗ってこなかったのだそうです。そして、このホライアンズ社は100%日立の子会社ですが、その会社も買い取ってほしいと英国に頼み込んでいたのです。つまり、事故や赤字になっても日立には、その責任が及ばないようにしたかったのでしょう。しかし、この会社も買い手がつかないままでした。この英国原発の負債が日立の株価低迷の原因だそうです。ですから日立の経営陣が英国原発撤退を決めれば2700億円以上の負債が生まれて、今期の決算が赤字になることを怖れて先送りしていると関係者は指摘しています。まるで東芝の悲劇そのものです。

三菱のトルコ原発輸出も断念

12月5日の日経ネットニュースよると「袋小路の国産原発輸出、三菱重などトルコ計画断念 」という見出に「政府や三菱重工業などの官民連合がトルコの原子力発電所の建設計画を断念する。福島第1原発事故を機に安全対策コストが跳ね上がり、官民一体で進めてきた原発輸出は袋小路に入った。新設が見込めない国内は事業縮小が相次ぎ、次世代の原子炉開発も暗礁に乗り上げている。日本の原発事業を支える技術力の維持に黄信号がともる。」(ここまで引用)とあります。
これまでは4機2兆円の見積もりだったのが、安全対策などで一気に4兆円以上となり、トルコ政府が拒否したためだそうです。それだけではありません。この原発建設を主導していた伊藤忠が今年3月にさっさと手を引いて、頼りは日本政府だけになっていたのです。高騰する原発建設コストに三菱重工も撤退しか道は残っていなかったのです。
しかし、これら一連の原発輸出撤退にはもっと大きな影響がでているというのです。
同じく12月5日の日経ネットニュースより
原発を敬遠する動きは次世代の技術開発にも影を落とす。日本がフランスと進める次世代原子炉開発で、仏政府は20年以降、計画を凍結する方針を日本に伝えた。使用済み核燃料を減らす高速炉技術で、自前の高速炉計画を持たない日本にとって大きな打撃となる。
国内の原発新設が見通せないなか、事業の縮小・再編も本格化する。東芝とIHIは、11年に設立した原子力発電所向けの機器を生産する共同出資会社を清算する。東京電力ホールディングス(HD)と中部電力、日立製作所、東芝の4社は廃炉作業や保守管理などで提携協議入りを決め、事業の存続を目指す。
国内外で原発の新設受注を失う日本メーカーにとって、最大の課題は技能伝承による技術力の維持だ。日本電機工業会の資料によると、日本の原子力従事者はピークだった10年の約1万3700人から16年に約3000人減少。このうち技能職は4割減った。今後増える廃炉作業の技術者不足も懸念される。
「米国でも長い間原発の新設がなかったことで、ウエスチングハウスやGEの技術力は大きく低下した。日本も技術力低下は避けられない」。大手重工メーカー幹部はそう危惧する。
日本の原子力産業の裾野は広く、日本原子力産業協会の会員企業だけで400社を超える。関連業界は原子炉メーカーから金属部品、ゼネコンまで幅広い。厳しい経営環境のなかで原子力特有の技術を持つ企業の事業撤退も相次いでおり、サプライチェーンへの影響を不安視する声も強まっている。(ここまで引用)

日仏共同開発計画の「高速増殖炉」フランス凍結

日経新聞でも少し触れられていますが、日本の高速増殖炉「もんじゅ」廃炉が決まって、プルトニウムの行き場がなくなってしまった政府と電力会社はフランスの高速増殖炉開発に日本も参加させてもらって、何とか「プルトニウム」をゴミにだにけはしなくて済んだのです。しかし、日刊ゲンダイ12月2日「仏政府“次世代原子炉”凍結はゴーン・ショックの意趣返しか」とあります。フランスのマクロン大統領は「ゴーン会長逮捕は日産のクーデター」と考えていて、裏には日本政府が糸を引いているとも考えているようなのです。日本政府がフランスを裏切るなら、「安倍政権の一番痛いところを攻めろ」と、日本政府が一番困っている「核燃料政策」の要の「高速増殖炉」でプルトニウムが燃料として使える唯一の手段である「高速増殖炉開発」を取引材料として出してきたのではないかと日刊ゲンダイは言います。もし、日本が日産をルノーから独立させると言えば高速増殖炉撤退をちらつかせて、フランスの言うことを聞けば、「開発は続行」として、何も前には進めなくてもいいのです。「開発中」で安倍政権は「原子力政策の先送り」ができて安心するのです。このようにフランス政府が進める高速増殖炉開発は安倍政権や「原発マフィア」にとっては唯一の頼みの綱なのです。

そこで出てきた「小型原発」開発?

東京新聞2018年12月1日に「地球温暖化対策を名目に、経済産業省が新たな小型原発の開発を進め、2040年ごろまでに実用化を目指す方針を固めた。太陽光や風力などの再生可能エネルギーが世界的に普及している中、経産省は温室効果ガス削減には原発が必要と判断。将来の建設を想定しており、原発の新増設に道を開くことになる。新方針は十一月十四日、経産省内で開かれた非公開の国際会議で、同省資源エネルギー庁の武田伸二郎原子力国際協力推進室長が表明した。本紙は武田室長に取材を申し込んだが、応じていない。出席者らによると、武田室長は地球温暖化防止の枠組み「パリ協定」実現のために、原発を活用する方針を表明。国内の多くの原発が四〇年ごろに寿命を迎えることを受け、「将来も一定の原発比率を維持するには、新原発の建設に向けて今、準備を始める必要がある」と述べた。
開発目的は「再生エネが増えていくので、これをサポート(補完)する必要がある」とした。天候で変わる太陽光などの不安定な出力をならす必要があり、既存の大型原発より出力を調整しやすい小型原発が必要との見解を示した。
また、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムが国内外に大量に蓄積し、核不拡散の観点で各国の懸念が高まっていることから、プルトニウムを大量に燃やす原発が必要としている。東京など大都市圏の需要を満たすには大型の原発も必要とし、従来の軽水炉の改良も目指す。新しい方針は近く正式発表される。」(ここまで引用)とあります。
このようにフランス政府が「高速増殖炉開発」で助けてくれなくなったら、自分たちで何とかして国民をだまし続けるために、「小型原発で再エネを普及させる」と「高速増殖炉がだめでも小型原発でプルトニウムは燃やせる」という新しい2つのウソをでっち上げようとしているのです。

CO2削減や再エネに原発は不要

経産省官僚や電力会社と原発メーカーに御用学者は「何としても自分たちの利権の素である原発だけは残さなければならない」と考えて、あの手この手で国民を欺こうとしています。その司令塔が安倍政権の今井尚哉首相秘書官です。ヤツは次世代小型原発の開発で、出力調整ができやすいことを利用すれば、原発の欠点を取り除けると考えたのでしょう。確かに小型化して、工場で作って、ほとんど完成品に近い状態で、現場まで持って行けたら、建設コストは軽減できると考えたのかもしれません。
しかし、40年前の日本に原発が作られた頃の原発は50万kw前後でしたが今は150万kw以上となったのは大型化することによってスケールメリットが生まれて、コストが安くなったはずなのです。しかし、実際には安全対策のために西欧では150万kw1機が2兆円を超えるまでに高コスト化しています。それをまた40万kwそこそこにして小型化すれば経済面だけでもコストが安くなることはないでしょう。しかも太陽光発電や風力の出力変動を調整するために、わざわざ原発に頼る必要など全くありません。次世代バッテリーは固形リチウムイオン電池です。それを使った電気自動車やバッテリーが全ての工場やビルや各家庭に配備されて屋根にはみんな太陽光発電が乗っていたら、火力発電も原発も不要になるのです。
何が何でも原発を残そうとして国民をだまし続ける安倍政権と今井尚哉首相秘書官を1日も早く引きづり落とすことが何よりも国民のやるべき責務でしょう。「働かせ改革」でもウソのデータを出したかと思えば、今回の「移民政策」でもウソのデータを出した理由が「集計担当者のうっかりミス」と言って「言論の府」でウソをつき続ける政権ってなんなのでしょう。バカでウソつきの首相を選んだ国民はバカでうそつきと世界中から見られませんか?それにしてもフランス国民は「主人公は自分たちだ」という意識が強いのですね。デモ隊の暴力行為は支持しませんが、国民が怒って、全国でデモが起こり、中には救急車を運転する緊急隊員も大勢が救急車で凱旋門の近くに集まっていました。すごいぞフランス国民。
利権にまみれて格差拡大や平和を壊そうとする政権は国民が倒すしかない!


by nonukes | 2018-12-05 14:20 | 原発再稼働は許さない | Comments(0)

日本企業は韓国人元徴用工や、その遺族へ賠償金を支払え

小坂正則

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30日、判決が言い渡される前に韓国最高裁前で集会を開く原告側の支援者ら

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10月30日の大法院判決後、涙を拭う元徴用工の李春植さん(右)


お隣の韓国人と仲良くできなくて日本の平和などあり得ない

私は韓国に友人や知り合いが少しいます。だからこれまで4、5回は韓国へ観光旅行や交流会などに行くことがありました。そこで、私は身振り手振りや通訳の人を通じての会話の中でいつも反省することがあります。それは、私があまりにも朝鮮半島の歴史や戦前の日本政府や日本軍が朝鮮半島で行った蛮行の歴史を知らないということです。韓国の若者は日本人への偏見や差別意識などほとんどなくて、考え方は日本の若者とほとんど変わらないようにみえるのですが、私と同年代の60代の韓国人は、日本の戦争責任と言えば、400年以上前の「秀吉による朝鮮出兵」から話が始まったのにはびっくりした経験があります。20年ほど前に「反原発交流」のための韓国ツアーに参加した時に、日本の戦争責任を追及されることは覚悟していたのですが、まさか400年も前のことを言われるとは思っても見なかったので驚いたことを覚えています。それに私も含めて平々凡々と生きてきた普通の日本人は、日韓併合時代の韓国の歴史や日本軍が韓国で行ったであろう犯罪行為の歴史を全くと言っていいくらい知りません。中国で行われた関東軍の犯罪行為についても同じです。だから見るもの聞くものが初めての経験なのです。これは日本の学校教育で戦前の負の歴史を教えてこなかったからでしょう。でも、私たちは謙虚に誠実に彼らの話を聞いて、そこから少しずつでも韓国の歴史を学ぶことができれば、互いの壁は乗り越えることができると思います。
被害者は何年経っても自分たちの傷を忘れることはないのでしょう。近ごろは「韓国緑の党」との交流で韓国を訪れることが2度ほどあったのですが、彼らは私と同じ「緑の党」の仲間意識があるので、国境も戦争加害国と被害国というわだかまりもほとんど感じませんでした。ですから私が会った韓国の友人や知人はみなやさしい人びとでした。私たちは一番近い両国民は決していがみ合うべきではなく、一番仲良くすべきだと理解しているからだろうと思います。

日本の負の歴史「従軍慰安婦」や「徴用工」問題に正面から向き合うべきだ

日本会議やネトウヨなど一部の人間や右翼評論家と言われる人間は「従軍慰安婦は存在しなかった」などと虚言を言って、戦前の負の歴史をなかったことのように、歴史を改ざんしていますが、1993年に「河野談話」で、「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。」として、「政府は心からのお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と述べていますし、1994年の「村山談話」では「アジアの近隣諸国等の人々に、いまなお癒しがたい傷痕を残しています。私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進路であると考えます。」と語り、「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すことになる」と語っているのです。
3年前の戦後70年の「安倍談話」でも「河野談話」や「村山談話」を踏まえて語ったと説明していますので、「従軍慰安婦がなかった」とは言っていないはずなのですが、心の中では「従軍慰安婦への『強制連行』や『軍の関与』はなかった」と言いたいのだと思います。それに「何度謝罪をすればこの問題は終わるのか」というあからさまな不誠実さが「安倍談話」の文章の端々にほとばしっているのです。
でも、「村山談話」では「我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すことになる」と日本人の決意を述べています。つまり、私たちはこのような負の歴史を後世に語り継ぐ義務があるのです。そして、日本政府も私たち国民も彼らが「もういいですよ」と言って許してくれるまで謝罪を繰り返す必要があるのだと私は思います。

「徴用工問題」解決に政府は横槍を入れるべきではない

10月30日に韓国の韓国大法院(日本の最高裁)で戦前日本の新日鉄で働かされていた韓国人4人が訴えていた損害賠償訴訟で合計4億ウォン(約4千万円)の支払いを命じたソウル高裁判決が確定したというニュースが流れました。そして、11月29日には韓国大法院は三菱重工に動員された韓国人元徴用工5人の遺族と、元朝鮮女子勤労挺身隊員の韓国人女性ら5人が同社を相手に損害賠償を求めた2件の訴訟の上告審で、いずれも賠償支払いを命じた二審判決を支持し三菱側の上告を棄却、同社の敗訴が確定した」と伝えています。
日本政府は「元徴用工の請求権問題は1965年の日韓請求権協定で解決済み」と韓国政府を批判していましたし、翌日のテレビでは全てのワイドショーが「日韓協定で解決済みの問題を韓国政府がぶり返すのはおかしい」という論調でした。確かに韓国の文政権にとっては日本への批判は支持率のアップにつながるということもあるのかもしれませんが、ここは冷静に考えなければならないと私は思います。

「徴用工判決ヒステリーの日本マスコミが触れない事実…安倍政権が新日鉄住金に圧力をかけ“和解”を潰していた!」ITERA2018.11.1によると、
「そもそも、今回の判決内容は、日本の不法な植民地支配に直結した日本企業による強制動員に対し、その反人道的な不法行為を前提とした慰謝料請求権を認めるもの。これまで日韓両政府が徴用工問題について「解決済み」とする根拠とした日韓請求権協定について、個人の請求権は消滅していないとした。」
「そのうえで指摘しておこう。日本のメディアは「請求権協定で個人の請求権も解決済み」と報じているが、実は、これまで日本の外務省もまた、国会で何度も「日韓請求権協定は、個人の請求権そのものを消滅させたものではない」と明言しているのだ。たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会では、当時の柳井俊二・外務省条約局長(のちの外務次官)が“両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した”(日韓請求権協定第二条)の「意味」について、「日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということ」として、「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と答弁している。」というのです。

京都新聞によれば、2013年7月にソウル高裁が新日鉄住金に賠償を命じた直後、韓国内の関連資産の凍結を恐れた同社では、確定判決に従うか、判決前に和解するといった選択肢が議論されていた。ところが〈新日鉄住金の検討状況が報道で明るみに出ると、日本政府では「協定が骨抜きになる」(外務省関係者)と反発が強まった。韓国側との安易な妥協に難色を示した菅義偉官房長官らの主導で、同社は敗訴が確定しても従わない方針にかじを切らざるを得なかった〉(京都新聞31日朝刊)という。
実際、2013年の年末には、元徴用工が日本企業に対して賠償を請求した訴訟について〈日本政府が「和解に応じない」との方針を韓国側に伝えた〉と産経新聞が伝えている(同年12月30日朝刊)。記事では、複数の日韓外交筋が明らかにしたとして、韓国政府側が〈日本企業が原告側に見舞金を支払うことなどで和解し、判決を回避できないかと暗に打診してきた〉としながら、〈日本政府は、韓国最高裁での判決を控え、三菱重工業、新日鉄住金とも協議を重ねており、2企業の敗訴が確定しても賠償金を支払わないよう求めている〉と報じられた。(ここまで引用)
つまり、日本の企業や韓国大法院は和解で何とかこの問題を解決しようと努力してきたにもかかわらず、安倍政権はそれを邪魔し続けてきたのです。これが何よりもの真実なのです。

政府は韓国元徴用工の声に耳を傾けよ

昨日の朝日新聞によると、14歳で動員された元女子勤労挺身隊員の金ソンジュさん(89)は1944年、日本人の教員に「日本に行けば女学校に通えてお金も稼げる」と志願を進められた。だが、行ってみると給料は未払いのまま過酷な労働を強いられた。外出は制限され家族への手紙も検閲された。元徴用工の5人も同年、国民徴用令に基づいて広島市の三菱重工広島機械製作所などに動員された。45年8月の原爆投下で工場は倒壊し、全員被爆する。治療は受けられなかった。故郷に帰った後、被爆が原因とみられる体調不良に苦しんだ。こうした労働実態に日本の裁判所でも「法令などに定めを逸脱した違法行為」(広島高裁)などとされたが、時効や日韓請求権協定を理由に、原告らの請求は退けられた。(ここまで引用)というのです。このように何の罪もなく、だまされて日本に連れてこられて、被爆までした韓国人徴用工の人びとをほったらかしにして何の補償もしないなど道義的にもあり得ないことではないでしょうか。少なくとも「和解」解決で、この問題に謝罪と賠償という形の「村山談話」を誠意ある形で実行することこそが日本政府や日本人に求められているのではないでしょうか。


by nonukes | 2018-12-01 14:25 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(1)