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小坂正則の個人ブログ

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大分県民は地裁決定などに屈しない!勝つまでたたかい続ける

福岡高裁へ「即時抗告」で佐藤重憲裁判長の決定を覆そう!!
小坂正則
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大分地裁は伊方原発運転差し止め仮処分を却下

一昨年7月に私を含む大分県内の4名が大分地裁に申し立てた「伊方原発運転差止仮処分」が9月28日、佐藤重憲裁判長によって却下されました。決定文には「原子力新規制基準の内容に不合理な点はない。原子力規制委員会の運転開始の判断にも不合理な点はない。審査課程に看過しがたい過誤や欠落がないことが認められる。よって各争点に関して不合理な点がないことから結論として、本件申し立ての人格権に基づく請求権は疎明を欠き、理由がないとして、これをいずれも却下する」とありました。いわゆる全面敗訴です。「一点の曇りもなく四国電力が正しい」という決定文でした。
実際の決定理由書は326ページにも及ぶ長文です。河合弁護士によると「ゴミ箱にそのまま捨てるような読むに値しない内容」だそです。(この決定の批判は弁護団声明に書いています。また「伊方原発をとめる大分裁判の会」のホームページに全文を掲載していますので興味のある方は見てください)

9月28日に即時抗告を行いました

決定が出た後、2週間以内に福岡高裁に抗告しなければ、この決定を認めることになります。当方の弁護団によって、申し立て期間最終日の10月12日に「即時抗告」の申立書を大分地裁に提出しました。「即時抗告書」では佐藤重憲裁判長判断の矛盾や誤りを指摘し、それを今度は福岡高裁で議論することになります。佐藤裁判長の決定文への批判を徳田靖之弁護士を中心に54ページの素晴らしい「即時抗告書」を書き上げてくれました。(この即時抗告文書もホームページで見ることができます)
以下は私が「即時抗告文」を読んだ感想です。

佐藤重憲裁判長の判断は間違っている
佐藤裁判長は「申し立て人らの生命、身体および健康という重大な権利が侵害される具体的な危険がある場合は原発の運転を差し止めることができる」とした上で、その具体的な判断基準について「原発は、現在の科学技術水準では、常に何らかの事故発生等の危険が残存することを前提にして、どの程度の危険なら避けなければならないかが問題となる」といいます。「この点についてはあくまでも法的な観点から生命や健康という原告の重大な権利が侵害されるのかを考えると、我が国の社会がどの程度の危険であれば受け入れるべきなのかという観点は、すなわち『社会通念』を基準として判断すべきである」というのです。何で突然『社会通念』が出てくるのだろうか?つまり「私たちが受け入れるべき受忍限度は『社会通念』によって決まる」というのです。だったら何も法律などいらなくなる。そして「では『社会通念』とはなにかと言えば、それは民主的な政治過程の下で作られた立法政策を拠り所にするしかない」と言います。「したがって、福島原発事故以後に学識経験者や専門家らの最新の知見で作られた『新規制基準』こそが我が国の原発に関する安全の『社会通念』を体現しているものと考える」と、いうのです。「そこで原子力規制委員会の審査を経て適合性が確認された当該原発の危険性は『社会通念上無視しうる』程度まで管理され、客観的に見て、安全性に欠けるところはなく、具体的な危険性はない」と断言するのです。
 また、「最新の科学的、専門技術的知見を踏まえて『合理的予測』を超える水準での安全性を求めることは、我が国の『社会通念』にはなっていないし、事故の発生を限りなくゼロにしなければならないというような『社会通念』も存在しない」といいます。
 この裁判で私たちが主張したことは『新規制基準』に問題があるということです。それは「合理的安全基準」は「経済合理性」でしかなく、基準が甘すぎるということです。2点目は、「四国電力は、その甘い新規制基準すら満たしていない」ということです。

人格権を社会通念で制限してはならない

この『社会通念』について今回の「即時抗告書」では2つの視点で批判しています。1つは私たちが「伊方原発運転差し止め仮処分」を求めた根拠は憲法13条「全ての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。私たちはこの「人格権」の行使を求めたものです。
2001年5月に熊本地裁で確定した、ハンセン病隔離政策の違憲性が問われた「らい予防法違憲国賠訴訟」で、「国の隔離政策は人格権という基本的人権を著しく侵害するものであり、誤った社会認識(偏見)によりハンセン病患者が差別的扱いを受けた」と認定しています。
このことから、人格権という基本的人権の侵害の有無、その可能性の程度を判断するに当たっては、『社会通念』なる基準を用いることが、憲法13条の趣旨に照らして、許されないことを意味しているのです。その根幹は「社会を構成する多数者の意志や価値判断によって、少数者の人格権が侵害されるようなことがあってはならない」という憲法原則です。また、「社会通念」などはハンセン病隔離政策が典型的な例ですが、国策やマスコミなどの誘導で作り上げられる可能性があるのです。
裁判所は「原発再稼働」を認めるのは社会通念だというのですが、マスコミの調査では国民の6割以上が再稼働に反対で、2割しか再稼働を支持していません。再稼働反対が国民の「社会通念」です。

人格権は国民だけにあり、電力会社にはありません
だから社会通念で原発は止められる

「即時抗告書」の中に、「社会通念で原発を動かすのは人格権の侵害だ」と書いていて、一方で「原発再稼働反対が国民の社会通念」と書いているのですが、それに対して記者会見で記者から「社会通念で原発を動かすのは人格権の侵害だといい、片方で国民の社会通念は原発再稼働反対だと言うのは矛盾しないのですか」という質問がありました。
これはまったく矛盾しないのです。なぜなら原発事故が起これば国民の生存権や人格権を侵害する怖れがありますが、「社会通念」で原発を止めても電力会社には人格権はありませんし、私企業は利益追求が目的なのですから、その代替手段はいくらでもあるから利益追求権を脅かすことにはならないのです。原発を止めても他の方法で発電すればいいだけです。ですから裁判所が「社会通念」で原発を動かすことはおかしいのですが、国民が「社会通念」や多数決で原発を止めるというのことは何ら矛盾しません。原発を止めたからといって、電力会社の社員の人格権を脅かすことなどまったくないからです。

最高裁は「万が一にも事故を起こしてはならない」と判断

佐藤裁判長は「規制庁が作った『新規制基準』は想定される自然災害の規模を『合理的に予想される規模』で十分だ」と、もう1つ裁判所の『社会通念』があります。
日本の原発裁判で唯一最高裁の判決が出ています。1992年10月29日「伊方原発裁判」で最高裁は「原発の運転は技術能力を欠くとき、また原子炉施設の安全性が確保されないときは、周辺住民の生命、身体に重大な危険を及ぼし、周辺環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こす恐れがあるときにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするために安全性のために十分な審査をしなければならない」という判断が出ています。 この中で「万が一にも事故は起こってはならない」という判断をどのように考えるかです。しかも、この判断は2011年3.11前の保安院や電力会社が「安全神話」の虜になっていた時点に出た判断なのです。 当時の裁判所は「専門家の高度な判断であれば事故などは起こるはずはない」という「安全神話」に裁判所までが取り込まれていたのです。その時代でも「万が一にも事故は起こってはならない」という厳しい「安全性」を最高裁は求めていたのです。それでも福島原発事故は起こったのですから、これまで裁判所が安全だと言って原発の運転を認めてきた裁判所にも大きな責任があるはずです。だから、311以後の日本では、「技術的に最高レベルの安全対策」を電力会社に求めなければならないのです。最高裁の判断に従えば「合理的に想定される災害」ではなく「最大規模の自然災害」に備えなければならないという「安全対策」を裁判所は電力会社にも規制庁にも求めなければならないのです。

「合理的に想定される規模の災害」とは何か

佐藤裁判長は「想定すべき自然災害の規模を『合理的に予測される規模』で足りる」と決定文には書いています。しかし、松田式や三宅式などの「基準地震動」の計算式は、これまで日本列島で起きた直近の地震のデータを下にして導き出した耐震基準計算式なのですが、それが自分たちに都合のいい地震だけを入れて都合の悪い大きな地震などは排除して計算式を作っているのです。ですから、その耐震設計基準は予測される最大の地震などでは決してなく、単なる地震の平均値のようなものなのです。
佐藤裁判長がいう「合理的予測」の「合理的」とは「コストがそんなにかからない範囲で行った安全対策で十分だ」という意味なのです。しかし、この2年間に日本列島を襲った地震は、決して松田式でも三宅式でも計算できないほどの巨大地震でした。震度7や震度6強の地震が数々襲ってきているのです。16年の熊本大分地震や鳥取地震に今年になって大阪地震や北海道北部地震などみな直下型でなおかつ活断層がないと言われている場所で巨大な地震が起きているのです。
忖度の好きな佐藤裁判長が最高裁判決に従うのであれば「最高レベルの安全対策」を求めなければならず、「合理的予測の範囲の安全対策」では不十分であり、最高裁判決に反するのです。
以下は2014年の福井地裁樋口裁判長の判決で述べた運転差し止めの根拠となった理由です。樋口裁判長は「2005年から2011年まで僅か6年間で原発の基準地震動を超える地震が5回も原発を襲った」といいます。このように耐震設計を超える地震が頻繁に起こるようでは日本の原発の耐震対策は「万が一にも事故を起こしてはならない安全対策」を求める最高裁判決レベルの安全性は確保されていないので運転差し止め判決を出したのです。

原発の基準地震動を超えた地震
①2005年8月16日 宮城沖地震 女川原発
②2007年3月25日 能登半島地震 志賀原発
③2007年7月16日 新潟県中越沖地震 柏崎刈羽原発
④2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 福島第一原発
⑤2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 女川原発

ハウスメーカーにできて電力会社はできない

「万が一にも事故が起こらないための安全対策」とはどのような対策をいうのでしょうか。「想定される最大規模への対策」と「事故リスクゼロ」は大違いです。前者は「現在の科学技術の範囲で取れる最大の安全対策」で、後者は「絶対的安全」です。
日本のハウスメーカーは、想定される最大規模の「地震対策」にちゃんと対応しているのです。市販のハウスメーカーの住宅は2000ガルにも堪えて、伊方原発は650ガルにしか堪えないのです。伊方原発の「基準地震動」は650ガルです。 阪神大震災でもミサワもセキスイも倒れなかったのですが、95年時でも住宅メーカは1000ガル超えの耐震設計でした。現在では2000ガル耐震は当たり前で、これまで日本で最大地震動の三陸地震4022ガルにも実験上では堪えたそうです。(家が堪えたとしても中の人間が無事かどうかは別ですが)
しかし、伊方原発は建設当初の基準地震動は473ガルでした。阪神大震災以後国による見直しから570ガルまで引き上げられて、今回の規制基準の見直しで650ガルまで引き上げられたのですが、実はこの数字はコンピューターによるシュミレーションでしかありません。実は何も原子炉の中の補強工事などしてはいないのです。ですから皆さんの住宅よりもお粗末な作りかもしれないのです。そんなもので、放射能が充ち満ちた危険極まりない原子力を使って電気を作っているのですから私たちは「直ちに止めろ」と要求したのです。

東電は15メートルを超える津波を予測
でも金のために対策は取らなかった

東京電力の福島原発事故の責任を問う刑事裁判が10月16日からいよいい被告人質問に入りました。その中で、国が出した「地震予測長期評価」の結果によって計算されたプレート型地震による津波の高さから東電社内で「15.7メートルの津波が来る」という計算結果を東電経営陣は「経済合理性」から「無視し得る合理的な基準」として津波対策を取らなかったのです。もし、あの時東電が15メートルを超える防潮堤を作らなかったとしても、ジーゼル発電機のある1階の部屋の扉の防水対策だけでもやってたなら、発電機が水没することはなく、全電源喪失は免れたでしょう。防潮堤の建設は何年もかかり、数百億円の費用がかかるでしょうが、防水ドアなら数日でできて、費用は1千万円もかからなかったことでしょう。だから、より安全性を求めるという意識が最も重要なのです。大分の裁判所にも、そんな想像力はありませんよね。想定される最大規模の災害への最低の対策さえ取らなかったのですから。
「即時抗告書」では、それ以外の佐藤裁判長批判はあるのですが、紙面の都合から最大の争点であるこの2つだけにして終わります。


私案「これからどうたたかうのか」

これまで伊方原発を巡る裁判は4県で行われています。松山地裁と広島地裁で負けて広島高裁では勝って、9ヵ月間止められたのですから、次は高松高裁で勝つか山口地裁岩国支部で勝てばいいのです。このように勝って原発が止まったり、また負けて動いたりを当面は続けることでしょう。その間に巨大地震が伊方原発を襲ってこないことを祈るしかありません。
そして、河合弘之弁護士が9月28日に話していました「新たな仮処分」ということもこれから議論する必要があると考えます。それは「高度な技術論争を要する裁判はもうやめて、誰でも分かるような中学生でも理解可能なやり方で『技術論争』に陥らずに本質的な論点に絞って争う必要がある」と河合弁護士は語っていました。そのような新たな切り口で仮処分を考える必要もあるかもしれません。大分の控訴審では、そんな視点で徳田弁護士を中心に展開するのだと思います。
このようにして裁判を続けることで、原発が動いたり止まったりすれば経費はかさみ続けて、発電コストは跳ね上がり、必ず電力会社にはボディーブローのようにジワジワと「原発裁判」という薬が効いてくることでしょう。それが「司法リスク」という意味です。第二の福島事故が起きる前に「原発は司法リスクが高くてやってられない」と電力会社の経営者が気づいて原発を諦めさせるのです。
もう1つが原発の敵である「新電力」の会社のシェアが伸びて電力会社のシェアが減ることが大切です。消費者のニーズや迷惑にも何ら答えず、親方日の丸の殿様商売を繰り広げる悪徳電力会社は市場から退場してもらいしかないのです。これが資本主義の厳然たるルールです。
私たちは、裁判所の中と外で、「原発事故の危険性」と「原発の不合理性」や「新電力への乗り換え」などを多くの国民に訴えて、1日も早く日本中の原発を止めるたたかいをこれからも今以上に広げていくことが、裁判に勝つためにも必要なことだと思います。

原発と政治は切っても切り離せない関係

福島原発事故のすぐ後の2011年4月4日から5月28日までドイツのメルケル首相は「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を開催して、2025年までに「原発全廃」を決めました。ドイツでは「この倫理委員会」のメンバーを科学者はもちろんですが、宗教者や政治家や哲学者などが参加して「脱原発」を決めたのです。
日本の裁判所で脱原発を実現させるというのは無理でしょう。ですが、樋口裁判長や山本裁判長のような良心的な方々が現実にいたのですから、裁判所の中でも哲学・倫理論争をこれから繰り広げていけば必ず良心的な裁判官へ私たちの思いは届き、「原発運転差止裁判」で勝つことは可能でしょう。科学技術論争ではなく、誰でも分かる憲法議論の裁判を全国で起こせば、マスコミも取り上げてくれると思います。そしてその記事やニュースを見た国民の中に、「やはり原発再稼働はよくない」という民意をどんどん増やして行き、来年の参院選で安倍政権を窮地に追い込むのです。安倍政権が自滅したら、自民党の石破茂氏でも岸田文雄氏でも河野太郎氏でも次の政権は脱原発を掲げる可能性はあり得ます。

世界はすでに脱原発と再エネ社会だ

世界ではすでに再エネの時代が来ているのですが、資本主義国家では日本だけが「原発ムラ」のしがらみの傀儡安倍政権では脱原発は実現できません。ですから次の政権が「原発ムラ」と決別できれば、新たな成長戦略の再エネや電気自動車などへ大きくシフトできるだろうと私は考えているのです。
日本でも原発論争は「原発をいつ止めるか」でしかありません。安倍政権でも、これ以上原発を増やすとは言えないのですから。「今後20年動かし続けるか、直ちに止めるか」の論争なのです。
以上が私の脱原発裁判の戦略です。どうか全国の心ある皆さん、私たちと一緒に「原発倫理裁判」を起こしましょう!新電力にまだ乗り替えていない方は今すぐ乗り換えましょう。そして脱原発の議員を1議席でも増やすために選挙に行きましょう。



by nonukes | 2018-10-17 18:12 | 原発再稼働は許さない | Comments(2)

全米1の人気歌手は政治的発言を行い、なぜ日本では政治的発言ができないのか?

発言できないと自分に言い聞かせて、一歩前に踏み出す勇気がないだけ
小坂正則

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全米1の人気歌手テイラー・スウィフトさんが民主党への投票を呼びかける


私は米国で最も人気者の女性シンガーのテイラー・スウィフトさんを知りませんでした。昨日のニュースで初めて知ったのですが、世界的には大変有名な美人シンガーソングライターだそうです。ツイーターのフォロアーが1億人もいるそうです。
11月6日にはトランプ政権の2年間を評価する上・下員議員の中間選挙がありますが、事前に「有権者登録」をしなければ投票できません。その「有権者登録」は10月9日までに行わなければならないのです。そんな中、彼女は米国時間7日に自身のインスタグラムに以下のような書き込みをしました。
「11月6日に行われる中間選挙について、私はテネシー州で投票するつもりです。これまで私は自分の政治的意見を公にすることに消極的でした。でもこの2年間に私の人生や世界で色々なことが起きました。その結果、今では気持ちが変わりました。これまで私はこの国の人たちすべてが持っている人権のために闘ってくれる候補に投票してきました。これからもそうするつもりです。私はLGBTQの権利のための闘いを信じています。性的指向やジェンダーで人を差別することはどのような形でも間違っていると思います。肌の色に基づく制度的な差別はこの国にまだありますが、恐ろしく病的で、蔓延していると思います。肌の色やジェンダー、どんな人を愛するかに関係なく、すべてのアメリカ人の尊厳のために戦ってくれない人に投票することはできません」と自分の政治信条を表明したのです。
そして彼女のファンたちへ「みんな、自分の州の候補者について学んで、自分の価値観と一番近いのは誰なのかに基づいて投票してください。多くの人にとって、すべての問題について100%意見が一致する候補者や党はないでしょう。でもいずれにしても投票はしなくてはいけません。この2年の間で18歳以上になった、賢くて思慮深くて冷静な人たちは投票で考えを表明する権利があるのです。まず有権者として登録をしてください。テネシーの登録は10月9日までです。ウェブサイトvote.orgに行けば情報はすべて見られます。投票しましょう!」と。
何とその書き込みをした後1日で6.5万人の「有権者登録」があり、今日10月11日のテレ朝「モーニングショ-」では「昨夜までに26万人が「有権者登録」を行った」と話していました。米国の若者20~30代の若者の投票率は20%台なのだそうです。ですから、彼女の呼びかけで多くの若者が「有権者登録」を行い、中間選挙に行くことでしょう。米国のタレントには思想・信条の自由だけではなく表現の自由もあるのです。
2年前の大統領選挙ではレディー・ガガさんも民主党のヒラリー候補の応援演説を行っていました。米国には第一級のタレントでも自由に政治的な発言をすることを認める民主主義が守られているのです。それに比べて、日本のタレントや俳優などには所属事務所の檻に入れられて首輪をはめられた飼い犬ののような息苦しさしかないのです。

なぜ日本のタレントは政治的な発言ができないのか

1年前の12月17日放送のフジテレビ系番組「THE MANZAI」で、沖縄の米軍基地問題などの時事ネタで政府や無関心な国民を痛烈に批判した、政治ネタ漫才を行った「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんもすっかりテレビに出なくなりました。
そんな締め付けの理由は、大手芸能事務所の「バーニング」と「ジャニーズ」がテレビ業界を牛耳っていて、お笑い芸人は「吉本」などが大きな力をもっているので、タレント本人は元より、テレビ局なども「大手芸能事務所」に逆らえないのです。所属芸人も事務所に逆らえば地獄の果てまでいじめられるそうなのです。まるで芸人には自由は元より基本的人権も何もあったもんじゃないのです。芸人は使い捨ての雑巾のようにボロボロになるまで昼夜を問わず働かされて、人気がなくなったらポイと捨てられる運命なのです。
確かにこのような昔の売春宿の主人のような絶対権力を振りかざす非道な世界が続いているのが現状ですが、人のせいにしていたところで何も変わりません。誰も助けてはくれないのです。今回声を上げた米国の人気歌手テイラー・スウィフトさんもプロダクションからは厳しく制限されていたようなのです。ですから彼女も「これまで私は政治的な発言は控えていた」と反省も弁を語っています。米国人タレントの自由はひとり一人が声を上げることで勝ちとったのです。最初から与えられたものなんかじゃないのです。それこそみんな自分に向き合って勇気を出してたたかったのだと思います。
ですから日本の芸能人も声を上げるべきなのです。芸能人の人権を守ってくれる正義の味方などはいくら待っていても誰も助けには来てはくれません。目の前の壁を打ち破る声をみんなで少しずつ出し合って、自由の扉をこじ開けるしかないのです。世界中で広がった女性への性暴力の告発運動「ME TOO」のように。

日本でも声を上げ続ける芸能人はたくさんいる

今は亡き菅原文太さんが4年前2014年11月1日那覇市営奥武山野球場の翁長雄志知事選の応援で「仲井眞さん、玉はまだ1つ残こっとるがよう」と言って現職知事への痛烈な批判演説を行った歴史に残る名演説でした。病身を押して沖縄入りし、心のこもったスピーチをされた菅原文太さんは、それから4週間も経たぬ11月28日、転移性肝がんによる肝不全のために死去したのです。
2009年に亡くなった、和製ロックの神様である忌野清志郎さんは「RCサクセション」や「タイマーズ」で歌った「反原発ソング」は今聞いても鳥肌が立つほど、彼の魂がほとばしるほどのメッセージが込められているのです。だから孤立無援でも「声を上げ続ける人」はいたのです。
まだ居ます。吉永小百合さんは物静かに「反核」や「反原発」などの声を上げ続けています。
サザンオールスターズの桑田佳祐さんは2014年のNHK紅白歌合戦で、「ピースとハイライト」の歌で安倍政権を批判する歌詞とヒットラーを思わせるちょび髭を付けて歌ったことにネトウヨから激しいバッシングを受けて、芸能事務所が反省文を出す騒動になったことがありましたが、「文藝春秋」2018年10月号のインタビューで「六十歳を過ぎたシンガーソングライターとしては、世の中のタブーめいたことを、むしろ積極的に扱っていきたいとも思います。生きていると、「なんでこうなってしまうのか」「これを動かしているのは誰だ?」などと思うことってあるじゃないですか」と元気はつらつなのです。彼らのように声を上げ続けるタレントや芸能人はたくさんいます。


政治的発言はかっこ悪くない!格好いいことなんだ

日本では「政治的な議論はかっこ悪い」という風潮があります。欧米人は「自分の主義主張がない人間は価値がない」とまで言うかどうかは分かりませんが、「ドイツ人が3人集まれば政治論争が始まる」というほど政治的な論争が好きで、自分の「支持政党」がハッキリしています。
しかし、日本の有権者の6割が「支持政党なし」です。ですから日本の政党の第一党は「支持政党なし」という「見えない政党」なのです。これは国家によって操られた「政治的」な表象なのかもしれません。だから支持政党なしという幽霊が大手を振って歩いているのは欧米では異常なことなのです。
よくこのように言う人がいます。「私は右でもなければ左でもない。中立だ」と。「中立」と言えば一見格好いいように思うかもしれませんが、要は「何も考えていない」人間のことを「中立」というのです。沖縄県民に取って「基地問題」に中立などあり得ないのです。米軍基地の存続を支持するのか、「米軍基地の撤退を願う」のかどちらかしかないのです。
原発問題でも言えます。「私は原発推進派でもないし反対派でもない」という人にたまに出会います。そんな人とちょっと議論したらすぐ分かります。何も原発のことを知らないし考えていない人なのです。推進派はハッキリしています。原発利権があるからか、「原発が必要」という人の教えを信じている方です。
私は左翼か右翼かのような旧来の二項対立を好みません。現在の政治的対立軸は「革新か保守」かの対立ではないのです。私にいわせれば、この間の安倍政権の「集団的自衛権」の問題や「安全保障政策」や「憲法改正」などは保革対立ではなく、ネオナチ(極右)とリベラル保守の対立だと思います。その左側に革新という名のグループが僅かにいるのだと思います。私は「リベラル保守」です。日本の伝統ある文化や鎮守の森を守り、自由な社会や民主的な政治や自由主義市場経済などの制度を守りたいと思っているリベラル保守です。安倍政権はそれをぶち壊して、全体主義恐怖政治を作ろうとしているのです。ですから、現在の社会的な対立は「極右とリベラル保守のたたかい」だと私は考えているのです。

美智子皇后が誕生日談話で安倍政権にカウンター
(KITERAより)

今生天皇が安倍晋三を嫌っていて、「日本国憲法」を誰よりも守りたいと願っていて、ことあるごとに「日本国憲法と平和を守もらなければならない」と発言していますが、美智子様も昨年10月22日の誕生談話で以下のように発言しています。
この1年を振り返るなかで、先日発表されたノーベル賞に「日本も関わる二つの賞の発表がありました」と前置いたうえで、日系イギリス人のカズオ・イシグロの文学賞受賞と並び、平和賞に「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれたことに言及。そして、この受賞を「大きな意義があった」と評価してこう綴ったのだ。
〈平和賞は、核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」が受賞しました。核兵器の問題に関し、日本の立場は複雑ですが、本当に長いながい年月にわたる広島、長崎の被爆者たちの努力により、核兵器の非人道性、ひと度使用された場合の恐るべき結果等にようやく世界の目が向けられたことには大きな意義があったと思います。そして、それと共に、日本の被爆者の心が、決して戦いの連鎖を作る「報復」にではなく、常に将来の平和の希求へと向けられてきたことに、世界の目が注がれることを願っています。〉
周知のように、100カ国超のNGOが参加し、日本からも7団体が加わっている連合組織であるICANは、被爆者の証言を聞く会合を開き、各国政府に直接働きかけるなどして、今年7月の国連核兵器禁止条約の採択に貢献。そのことが評価されてノーベル平和賞を受賞した。
 だが、国連核兵器禁止条約の交渉にすらのぞまず、批准を拒否するという強硬な態度をとってきた安倍首相は、ICANの平和賞受賞には一言もコメントを出していない。(LITERAより引用)https://lite-ra.com/2017/10/post-3533.html
サッカー日本代表選手の本田圭佑さんが7月19日、横浜市にある神奈川朝鮮中高級学校を訪れたそうです。ネトウヨがヘイトスピーチを繰り広げる中で、在日朝鮮学校を訪問して彼らを励ましたそうです。「すべてにおいて簡単なことではないですが、結果から言うと世界を平和にすることではないでしょうか?国益だけを考える政治家は、今後は必要とされなくなっていく時代になると思います」と語っています。本田圭佑は世界のスポーツマンです。


by nonukes | 2018-10-11 23:07 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

大分地裁で伊方原発運転差し止め仮処分が却下されました

これから私たちは佐藤重憲裁判長の決定をどう乗りこえて行くか
小坂正則


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大分地裁での第一ラウンドは敗けました


今日は10月4日ですから、9月28日から6日も過ぎて大分地裁で出た「伊方原発運転差し止め仮処分」棄却の報告です。大変遅くなってしまったのですが、それにはいくつかの理由がありました。第一の理由は、あらかじめこのような決定が出ることは想定していました。それでも私たちが原発再稼働を1つ1つ止めていって「脱原発」を実現させるには「安倍政権を倒さなければどうにもならない」という強い思いが私の中にはあります。だから沖縄県知事選の勝敗が気が気でならなかったのです。沖縄で自民党が負ければ安倍政権を倒すことも可能になると思うからです。でも勝ってよかったです。第二に負け惜しみではないのですが、ただ負けましたという報告では意味がありません。ではどうすれば勝てるのかと、これからの裁判を続ける戦略を練る必要があると思いました。そこでこれからどのようなたたかいかたが必要なのかを考えていたのです。

1つの原発を周辺住民が裁判を行い「動いたり止まったりを繰り返す」

2014年の福井地裁の樋口裁判長の判決や15年の樋口決定と16年の大津地裁の山本裁判長のような格調高い判決から、川内原発の地裁決定や福岡高裁宮崎支部決定や広島地裁決定など、政権や電力会社を忖度した「社会通念」というワードを用いて「事故が起こるリスクは無視していい」などという法律を無視する判断が続きました。広島高裁ではたまたま勝ちましたが、今回の広島高裁異議審で負けてしまいました。大分地裁の山本重憲裁判長の決定理由書は「読む価値が全くない」と甫守弁護士は語りました。河合弁護士は「こんなものはゴミ箱行きだ」と話していました。ですから反論する価値もない決定なのですが、負けは負けです。ただ伊方原発訴訟は松山の現地と広島・大分・山口の周辺住民が同時に行っている、日本でも例を見ない裁判です。ですから1カ所で負けても後方に援軍が待っているのです。私は常にこのように話してきました。「私たちの原発裁判は勝ったり負けたりして、伊方原発が動いたり止まったりすればいいのです。そうすれば原発の司法リスクが高まり、電気料金が跳ね上がり、電力会社は原発を動かす動機が薄れてしまうから」と。そして「その間に新電力がシェアを増やして行けば、やがて電力会社は原発を止めるか電力会社自体が倒産する」と。
その意味では、広島高裁で勝って9ヵ月止められたのですから、次は高松高裁で勝つか岩国地裁で勝てばいいのです。この方式をぜひ全国で実現させたいのです。このブログを読んでいただいている皆さんへお願いです。あなたもあなたの近くの原発運転差し止め裁判を起こしませんか。興味のある方は私のブログへ書き込み願います。全国の原発を周辺住民が裁判を起こせば、電力会社は裁判費用だけで数億円以上かかりますし、下手な鉄砲も数打てば当たるものです。それに高度な技術論争を要する裁判はもうやめて、誰でも分かるような中学生でも理解可能なやり方で「技術論争に陥らずに本質的な論点に絞って争う必要がある」と河合弁護士は語っています。そして「もう少し勝率の高い裁判戦術を取る」と河合弘之弁護士は今回の報告集会で話しています。ぜひ下の動画を見て下さい。

技術論争ではなく、科学の限界を裁判で争う

これまでの裁判では電力会社の原発建屋を直下型の地震が襲ってきた場合にどれだけの地震が来るかを予測して、その予測した地震動の揺れに堪えられる安全基準を「基準地震動」として計算して導き出しているのです。しかし、その「基準地震動」は建設当初の数値から311以後大幅に引き上げられているのですが、その引き上げは何らかの安全対策や改修補強をして地震に耐える建屋にしたのではありません。だって原子炉の中は狭くて、補強などできないのです。ですからコンピューターによるシミュレーションで出した「架空の計算」なのです。よく学校や役場などの窓に大きな鉄枠とカスガイが入ったビルを見ますよね。あれは震度7に堪えるように改修工事を行った結果です。何と、原発は普通のビルや積水ハウスやミサワホームなどの住宅に比べて遙かに強度は劣っているのです。
ですから、規制庁が認めた基準地震動が正しいのか、それよりももっと大きな地震が来るという私たちと電力会社の「地震による事故の可能性」を論争する技術論争よりも、そもそも規制庁の新規制基準自体が間違っているのであって、裁判で争う論点が「新規制基準」の数字が正しいのか間違っているのかではなく、人間の科学では自然界の起こす地震は予測ができるかできないかの論争を裁判所で行うというのです。

市販の住宅が2000ガルに堪えて伊方原発は650ガルにしか堪えない?

そんなこと皆さん知りませんよね。ネットで調べればすぐ出てきますが、阪神大震災でもミサワもセキスイも倒れなかったのですが、95年時でも1000ガルを超えていました。今は2000ガルは当たり前で、これまで日本で最大の地震動の三陸地震4022ガルでも堪えられるそうです。(もちろん家が持ったとしても中にいる人間が無事かどうかは別の話です)
しかし、伊方原発は建設当初の基準地震動が473ガルでした。阪神大震災以後保安委による見直しがあり、570ガルまで引き上げられて、今回の規制基準の見直しで650ガルまで引き上げられたのですが、皆さんの住んでいる住宅よりも遙かにお粗末な作りなのです。そんなもので、放射能が充ち満ちた危険極まりない原子力を使って電気を作っているのですから私たちは「直ちに止めろ」と要求したのです。

基準地震動を超える地震が6年で5回も原発を襲った

①2005年8月16日 宮城沖地震 女川原発
②2007年3月25日 能登半島地震 志賀原発 
③2007年7月16日 新潟県中越沖地震 柏崎刈羽原発
④2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 福島第一原発
⑤2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 女川原発

上のように原発の基準地震動を超える地震に見舞われたのですから、いかに基準地震動がいい加減であるかは一目瞭然です。ですからこれからの原発裁判は技術論争ではなく、「科学の限界」論争と人格権論争など倫理を裁判所で展開するのです。
2011年4月4日から5月28日までドイツのメルケル首相が開催して、2025年までに「原発全廃」を決めた「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」のような「科学技術の限界を議論する」ような技術論争ではなく、倫理論争が必要なのです。ドイツでは「この倫理委員会」のメンバーは科学者はもちろんですが、宗教者や政治家や哲学者などが参加して「脱原発」を決めたのです。ですから裁判所で哲学・倫理論争をこれから繰り広げるのです。このような裁判を全国で起こせば、多くのマスコミは取り上げてくれます。そしてその記事やニュースを見た国民の中に、「やはり原発再稼働はよくない」という民意をどんどん増やして、来年の参院選で安倍政権を倒すのです。
以上が私の新たな脱原発裁判の戦略です。どうか全国の心ある皆さん、私たちと一緒に「原発倫理裁判」を起こしましょう!新電力にまだ乗り替えていない方は今すぐ乗り換えましょう。そして脱原発の野党議員を1議席でも増やすために選挙に行きましょう。

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2018-09-28_大分地裁の伊方仮処分決定に関する報告集会・記者会見


伊方原発、差し止め認めず=新基準「合理的」-住民の仮処分申請却下・大分地裁
2018年09月28日 西日本新聞

 四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の安全性に問題があるとして、住民が運転差し止めを求めた仮処分申請で、大分地裁(佐藤重憲裁判長)は28日、「原発の新規制基準には合理性が認められる」として、申し立てを却下した。住民側は決定を不服として、福岡高裁に即時抗告する方針。
 広島高裁が25日、運転差し止めを命じた仮処分決定を取り消しており、四国電は10月27日に3号機を再稼働する予定だ。
 耐震設計の目安になる地震の揺れ(基準地震動)や、阿蘇カルデラ(熊本県)の巨大噴火の可能性が主な争点だった。
 佐藤裁判長は決定で、新規制基準は最新の知見に基づき、地震予知に限界があることを踏まえて策定されており、合理的だと指摘。3号機を審査した原子力規制委員会の委員に強震動の専門家はいなかったものの、「看過し難い誤りはない」と判断した。
 住民側は、南海トラフ地震の想定震源域に立地するにもかかわらず、基準地震動が過小評価されていると訴えた。同裁判長は「四国電の想定に不合理な点はない」として退けた。
 伊方原発から約130キロ離れた阿蘇カルデラについては、マグマの蓄積状況などから、巨大噴火の前兆はないと認定。「同原発の運用期間中に差し迫った危険性はない」と結論付けた。
 愛媛県・佐田岬半島の付け根に位置する伊方原発は、豊後水道を挟んで大分市から約50キロの距離にあり、大分県の住民が2016年、仮処分を申し立てた。 【時事通信社】

伊方原発差し止め却下に住民怒り 「司法は国の言いなりか」 [大分県]
伊方原発の運転差し止めを求めた仮処分申し立てが却下され、「司法は屈した」と書かれた幕を掲げる関係者
四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを求めた申し立てを却下した28日の大分地裁決定。申し立てた住民らは「情けない決定。これまでで最悪だ」と怒りをあらわにした。県民や自治体からは、重大事故への懸念や安全対策の徹底を求める声が上がった。
「司法は屈した」-。28日、伊方原発3号機の再稼働を認める大分地裁の決定を受けた申立人の小坂正則さん(65)=大分市=は、決定を批判する幕を両手に持ち、顔をこわばらせて支援者の前に現れた。
「裁判官は、法律と良心にのっとって判断するべきなのに、国や最高裁の意向を忖度(そんたく)しているのではないか」。小坂さんは「伊方原発をとめる大分裁判の会」(同市)の事務局長を務めている。大分地裁での本訴訟を含め、再稼働反対を求める署名活動などの先頭に立ってきたが住民側の訴えをほとんど認めなかった決定に幻滅を隠せなかった。

決定は、四国電力が「中央構造線断層帯などの地域特性を考慮した上で適切に定めた」とする基準地震動(耐震設計の目安)や原子力規制委員会の新規制基準について、「最新の科学的、技術的知見を踏まえた結果を採用することにしており合理的」と理解を示した。小坂さんは「北海道地震のように、想定外の地震は各地で起きているのに」と憤る。
25日に差し止めを取り消した広島高裁の異議審決定などで「不合理」と指摘された原子力規制委の「火山影響評価ガイド」についても問題とせず、阿蘇カルデラ(熊本県)などの巨大噴火に対するリスクは「原発の危険性が社会通念上無視し得る程度まで管理されている」として四国電の主張をほぼ全面的に認めた。
伊方原発の対岸約50キロにある国東半島でシイタケ栽培を営む中山田さつきさん(64)=杵築市=は「火山に限らず、私は災害で原発に危険性が生じることを受け入れたことは一度もない。なぜここで生きる権利を脅かされなければならないのか」と反発し「裁判官には、誰の社会通念なのか、と問いたい」と批判。弁護団の河合弘之弁護士は「裁判所は、うまく説明できないことを社会通念という言葉を使って逃げている」と指摘した。
仮処分の申し立ては却下されたが、大分地裁では原告514人が差し止めを求め本訴訟で係争中だ。徳田靖之共同代表は「そもそも世論調査などで6割以上の人が原発の再稼働に反対している状況がある。裁判所はその声にどう応えるのか、本訴でその点を問い、今後も戦いたい」と話した。




by nonukes | 2018-10-04 18:51 | 原発再稼働は許さない | Comments(2)

閣僚のほとんどが「日本会議」メンバーの「極右安倍政権」自滅の始まり

安倍政権は閉店前の「在庫一掃バーゲンセール」内閣
小坂正則
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この方が安倍政権の目玉大臣?


10月2日に誕生した第4次安倍政権改造内閣の顔ぶれは、財務省の不祥事の責任を取らない麻生財務相を始め、中心は古株で揃え、唯一の女性閣僚は極右の片山さつき地方創生大臣。そのほかは当選7、8回の大臣順番待ちの各派閥の「在庫一掃バーゲンセール」の議員ばかりという代わり映えのしない、安倍政終焉前の「閉店セール」といった、売れ残り議員ばかりです。そして、そのほとんどが日本会議のメンバーです。大分出身で別府のぼんぼんと言われている岩屋毅衆議院議員は防衛大臣に就任しましたが当然日本会議の会員です。

安倍は「秋の臨時国会では改憲発議をめざす」と発言

安倍首相は2日夕方記者会見で、「自民党がリーダーシップを取って、次の国会で憲法改正案提出を目指していく」と発言しています。また改憲をめぐる自民党内の調整について「(党総裁選で)結果が出た以上は、さらに議論を深め、作業を加速させてほしい」と強調。連立を組む公明党に対しても「丁寧に説明しなければならない」と語っています。「今国会で改憲発議を提出し、来年夏の参院選で国民投票を行いたい」とのようですが、秋の国会で改憲発議から、自民党改憲4案を国会承認させるつもりなのでしょうか。公明党の山口代表は27日記者会見で「自民党とのみ事前に協議して何か案を固めるようなことは考えていない。あくまで国会の衆参両院の憲法審査会の場で進め方について協議していくことが原則だ」と話していますので、今国会で発議とはならないと思いますが、はたして公明党山口代表を信じていいものかどうかは疑問ですが、そこまで公明党が「下駄の刃の雪」だとは思いたくはありませんが…。

第四次安倍政権の閣僚は失言大臣が山ほどいる

片山さつき地方創生大臣は極端な人権無視の方で、「生活保護は生きるか死ぬかのギリギリの時に出すもの」とか、ツイーターで「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」などなど。これから大臣になったのですから、注目されるでしょうから、不規則発言や失言のオンパレードでしょう。
そのほか、2日の会見で新文科大臣となった、柴山昌彦衆院議員が教育勅語の使える部分として「同胞を大切にするとか」などを挙げ、「基本的な記載内容について現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」などと発言しています。「教育勅語は現代風にアレンジすれば使える」のでしょうか?


高橋源一郎訳 現代版教育勅語

教育勅語①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

②「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」
③「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

④「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

⑤「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

⑥「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです

⑦「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

⑧「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」

とまあ、サクっと訳したので、若干間違いあるかもしれませんが、だいたい、いい線いってると思います。自分で読み返して思ったんですが、これ、マジ引くよね……。(ここまで高橋源一郎氏のツイーターから引用)

小坂:注)
臣下(しんか)君主様に仕える家来のこと(人権は天皇からいただいたものという考え)
臣民(しんみん)天皇陛下によって生きる恩恵を授かる 家来・配下としての民衆

教育勅語は軍国主義国家を支えるための洗脳教育プロパガンダ

簡単に言えば「教育とは時の権力者に都合のいいように『民衆が自分たちを支持する』=だますためのプロパガンダ」です。例えば中国では「偉大な共産党」と「習近平国家主席」を称える教科書で子どもたちは「中国が世界一自由な国」だと学ぶことでしょう。イスラム教国家では「イスラム史観」を学ばせるのです。では自由主義国家では何を教えるのでしょうか。まず、「共産主義や社会主義は人びとの自由を奪う危険な思想である」と教えます。そして、「資本主義と民主主義国家こそが社会主義国家や軍事独裁国を超える自由や幸福がある」と教えるのです。だから、日本国に住む私たちには独裁国や社会主義よりも「一定の自由」が与えられているのです。ただもっと平和で生きやすく幸福を感じられる社会があるかもしれませんよね。
戦後民主主義教育が行われたのは戦前の軍国主義教育が日本を日中戦争などの侵略戦争に向かわせたので、米軍などの占領軍GHQは米国風の民主主義を日本人に植え付けるために日本国憲法を作らせて、「教育勅語」を禁止したのです。
ですから、明治政府は皇国史観(日本国は天皇が作った国という歴史観)を強化するため1890(明治23)年に子どもでも暗記できる「皇国史観プロパガンダ」=「教育勅語」を作り公布したのです。
しかし、戦前の「軍国主義」や「皇国史観」が大好きで、民主主義が大嫌いな安倍政権は、日本国憲法や民主主義教育を制限させるために、今回発議をめざす憲法改正や教育勅語の学校教育への浸透を進めようとしているのでしょう。
これまでの自民党政権では戦前の「教育勅語」は現憲法下では違憲であるという考えでしたが、第二次安倍政権の2014年4月8日、参院文教科学委員会で、当時みんなの党所属の参院議員だった和田政宗が教育勅語について質問したのです。(以下はLITERAより引用)

「私は、教育勅語について、学校、教育現場で活用すればとても良い道徳教育になると思いますが、米国占領下の昭和二十三年に国会で排除決議や失効確認決議がなされています。こうした決議は関係なく、副読本や学校現場で活用できると考えますが、その見解でよろしいでしょうか」
 これに対し、当時の文科省・初等中等教育局長は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導を行うことは不適切である」と従来の見解を維持しながらも、それとは矛盾するこんな答弁を続けた。
「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれておりまして、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられるというふうに考えております」
 それ以降、国会では教育勅語について「今日でも通用するような普遍的な内容も含まれている」「内容に着目して適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない」との政府側答弁が踏襲されていき、前述のとおり、昨年3月には「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書が閣議決定されたわけだが、実は、この2014年4月8日の答弁をした初等中等教育長というのは、あの前川喜平・元文科事務次官だった。(ここまで引用)

教育勅語の夫婦仲良くや親孝行などは「天皇のために死ぬ」の序説

「教育勅語」をどうアレンジしたところで「天皇を守るために戦争に行け」という結論への序章でしかなく、結論以外の文言は利用しても憲法違反とはならないが、そんな部分的なものは何の価値もないのであって、結論はどう現代風にアレンジしても結論の本質は変えようとしても変えられないのです。だから「部分的にはいいことも書いている」などと言うのは詭弁に過ぎないのです。だから米国占領下の昭和二十三年に国会で排除決議や失効確認決議がなされて、「教育勅語」は現在の日本国では封印されたのです。
しかし、安倍政権は憲法改正で徐々に日本国憲法の屋台骨の柱に切り傷を入れて、日本国憲法を破壊しようとしているのです。
憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とありますが、この内閣の大半が「日本会議」の議員であり、安倍晋三は総理大臣として憲法99条違反は明らかです。そんな憲法違反の総理や内閣は1日も早く打倒しなくてはなりません。



by nonukes | 2018-10-04 12:40 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)