ブログトップ

小坂正則の個人ブログ

カテゴリ:小坂農園 薪ストーブ物語( 195 )

幸せな老後とは何か

65歳を前にして第二の人生を真剣に考える
小坂正則

d0174710_16044533.jpg

d0174710_16093500.jpg

私はこのブログに個人的なことはほとんど書かないのですが、今日は私の極私的なことを書こうと思っています。よく「定年後の人生設計」のことを書いている書物がいろいろありますが、来月65歳になる私は、なぜかその手の書物を手当たり次第に読んでいます。普通の人は定年退職した前後に読むのでしょうが、私は定年退職ではありません。会社を辞めたのは57歳の2011年3月に早期退職で、その後、そのままNPOの専従でこれまで7年間働いて来たので、定年という実感がないまま現在まで来たのです。ところが、65歳間近になって、年金通知が来たり、市の無料パス通知をもらったりして、近ごろ「老後」や「第二の人生」などについて真剣に考えるようになったのです。

とは言っても、私は今でも現役で働いていますので、「仕事がなくて退屈」ということもないのですが、その分だけ「何も考えないまま老いて行く」ことに恐怖心が芽生えたのです。普通の方は定年退職したときに、これからの人生をどう生きるかを考えるのでしょうが、私はこれまで、自動延長のような形で、自営業を始めたので、会社を辞めた実感がないまま今日まで過ごしてきました。
ところが、日本人の男性の平均寿命が81歳くらいで健康寿命が75歳くらいだと言われているのですから、私に取って「残りの人生」で活き活き生きていられる人生が僅か10年しか残っていないのです。この残りの人生をどう生きるべきかは大変な命題だと、ある日ふと気づいたのです。

私に取って幸せな人生とは

日本人の悪い癖で、何でも「ハウツーもの」で探してしまう癖が私にもあります。だから書物に頼ってしまうのですが、書物を読む前から私にも分かっています。「人の幸せは人それぞれなんだから、自分自身の幸せは誰からも教えてはもらえない。自分自身に問いかけて、自分が本当にやりたいことをやることが一番の幸せなんだ」と。でも、「じゃあ私は何をやりたいんだ」と問いかけても、その答えが自分には簡単には見つからないし、「これが今の私の幸せだ」と思っていても、実はこれも「誰かから刷り込まれた偽物の幸せなんじゃないか」と疑ってしまうのです。「本当はもっと別なものが私の幸せなんじゃないか」と不安になってくるのです。
だから、やはり先人たちが考えたり悩んだりしてきたことも少しは役立つかもしれないと思って、これまで「私の幸せ探し」の旅をしてきたような気がするのです。
結局は、自分の幸せとは、今は分からなくて後から「あの時が私の一番の幸せだったんだろうなあ」と気づくことなのかもしれません。ただ、私にも1つだけ言えることがあります。それは311の大震災を経験して感じたことですし、この夏の西日本大水害に遭った方々の惨状からも感じたことですが、「昨日のように今日があり、今日のように明日があることが一番の幸せなんだ」ということは肌感覚で感じていることではあります。

「幸せな老後とは何か」人生100年時代の生き方大研究

私は普段あまり週刊誌は買わないのですが、週刊ポスト(6月15日号)だけは買いました。実に中身の濃い「老後研究」がぎっしき詰まっていたからです。サブテーマは「65歳時点の勝ち組、負け組」とありました。「幸せな老後とは何か」を考えることがテーマだそうでした。
要約すると、最初に「金で買える幸せの絶対量」とありました。老後の不安の第一は生活資金でしょうが、お金で買える幸せには限界があるというのです。三菱総研の調査で2000万円~3000万円の金融資産を持つ人の幸せ度が64%なのに対して、老後の資金としては心許ない200万~500万円の方の幸せ度が60%あったそうなのです。200万円未満の方でも半数が幸せと回答したそうです。
筒井義郎大阪大名誉教授によると〈老後の生活にお金が必要なことは間違いないが、それだけでは「幸せ」だとは言えない。とすればカネ以外の何が「幸せな老後」を左右するのか。筒井教授は「現在の存在感」がキーワード〉という。
「もちろん老後資金は大切ですが、定年を迎えた男性の場合、今の社会の中で存在感を感じられるかどうかが重要です。…多くの資産がある人でも定年後にやりがいがなければ幸福度は下がり、資産が少なくとも、生き甲斐を持ってれば“自分は幸せだ”と感じられます」「生活水準が上がれば幸福度は上がりますがそれは一時的なもので、なれてしまえば元に戻ってしまう。それに対し、友人とのお喋りや趣味に没頭するといった精神的な充実感の方が幸福度は上がったまま長時間続きます。定年後どうすれば精神的な満足感を得られるかが幸福度を上げるカギかもしれません」

「肩書き」よりも新しい「役割」

現職時の肩書きのあるサラリーマンは定年後現職の時に比べて精彩がない方がいますが、それは肩書きだけに生きてきて、いまだにその肩書きを引きずって生きているのでしょう。私の知り合いに、とある国立病院の事務長だった方がいました。その方が「元」○○病院事務長という名刺を持ち歩いていました。肩書きをいまだにすがって生きていたのです。
次にどう生きるかというテーマに「正社員よりもパート」という小見出しで、東洋大久米功一准教授によると、男性は女性よりも働くことに幸福度を感じやすく、それは年齢と共に高まる。60代前半よりも後半、70代になっても幸福度は高まる。…高齢者は評価基準が一緒なら正社員よりパートタイムの方が幸せというデータがある。中でも週15時間未満の労働時間が最も幸福が高くなる…」
G氏の話「たとえ無償の仕事であっても幸福度を得られる。ボランティアの仕事をしていて、人と話すことでぼけ防止になるし、ずっと先まで約束しているので病気にもなれません。家でのんびり寝ている暇もなく、おかげで定年後ますます健康になりました」
過去の経歴にこだわるのではなく、「コンビニで働いてます」や「ボランティアしてます」といった“現在進行形の肩書き”を持つ人が老後も前向きになれるのです。
精神科医の神谷美恵子氏の著書『生きがいについて』の中に〈人間が最も生き甲斐を感じるのは、自分がしたいと思うことと義務が一致した時だと思われる〉ここでの「義務」は「役割」に近い。有償か無償かは問わず、自分の意思を持ち、社会から求められる役割りを果たすことが老後の幸せにつながると言えよう。

「カネよりも友」ふらっと飲みに行ける友人があなたには何人いますか?

その前に「家族の役割」というテーマもあったのですが、私には余り関係なかったので省きます。要は夫婦の間には適当な距離があった方がいいということでした。男は定年後「濡れ落ち葉」のように妻につきまとって、一日中家にいてごろごろしていると、妻に見捨てられてしまうので、自立しなさいという話しでした。私は自立しているので省略です。
そして次は友人のあり方です。長い人生において、時として家族よりも頼りになるのが友人である。だからといって、老後の友人は多いほどいいわけではない。…むしろ友人が3~5人という男性が「幸せな人」の54%を占める。友人は“広く薄く”より“近くに数人”の方が幸せになりやすいのです。
友人という「財産」は金融資産より大きな意味を持ち得る。「シニア調査では『幸せでない人』で友人と余暇を楽しむ人は、資産の大小にかかわらず2割弱しかいません。逆に資産500万円未満」でも『幸せな人』は、3割が友人と余暇を楽しんでいます。お金があって友人がいない人より、お金がなくても友人がいる人の方が幸福度が増すのです」
「納得して死ぬ」には「存在感」「生きがい」「役割」「家族」「友人」「若い世代との交流」など定年後の人生を幸せにするキーワードは数多くある。作家の曾野綾子氏はとありますが、私は曾野綾子が思想的に大嫌いなのですが、まあ、週刊ポストの話しですから書き抜きましょう。著書『納得して死ぬという人間の務めについて』で、〈1つ屋根の下にある生命の今夜を、私のできる範囲で幸福にすることが、私が「納得して死ぬ」ために自分に課した、目下の務めなのである〉
どんな些細なことでもいいので自らに課した“責任”を背負って生き切ることが、定年後の人生にハリを与え、納得して死ぬことにつながる。もしかしたらそれは“死”という人生最後の局面で“勝つ”ための秘訣になるのかもしれない。
最後に同窓会を利用しようとあり、「いい顔」をしている人は「お金」の話しなどはほとんど出てこない。もうひとつ「いい顔」の人は「若い人と接している」ことが多い、とありました。(ここまで週刊ポスト要約)

さて私はどう生きるか?

私にも背負っている「役割」やヤギやニワトリという生き物への「務め」もあります。仲間や友人も少しはいます。心許ない家族も一応あります。それでも「不安」や「安らぎや幸福に満ちあふれ感」を感じることはあまりありません。孤独を感じることは生きている以上仕方のないことなのだと諦めてもいます。ですから回答の出ない答案用紙に取り組んでいるような不安を感じながら、これからも少しでもいいので「満たされた感」を感じられるような心の「充実感」を求めて残された人生という時間を羅針盤のない航海のように生き続けるしかないのでしょう。




by nonukes | 2018-07-22 16:06 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

NHKは安倍首相パリ豪華バカンス中止を「総理の英断」と褒め称える

「僕ちゃんパリに行きたいよう」をネットで批判されて中止したのが真実
小坂正則
d0174710_21465544.jpg

歴史的集中豪雨の5日20時から始まった「赤坂自民亭」の大宴会

d0174710_23102993.jpg
二日酔いで記者の囲みに答える安倍晋三


一日も早い行方不明者捜索と被災者支援を

先週西日本を襲った集中豪雨の生々し被害の状況は時が経つにつれて、ますます甚大な被害へと拡大しています。今朝の朝日新聞によれば昨日10日現在、死者159人(心肺停止1人含む)、行方不明者72人で、200人以上の方々が亡くなられている可能性があるのです。50年や100年に一度と言われる大規模な集中豪雨による豪雨災害が毎年のように全国至る所で起こっているのです。避難所に避難した人は広島県や岡山県を中心に1万人に及ぶそうです。これから猛暑が続きますので、暑さ対策や水分補給に気をつけてもらいたいですね。そんな困難な状況の被災者を尻目に、安倍首相は豪華な宴会を繰り広げていたのです。

官邸が動き出すまでの「空白の66時間」

気象庁が緊急会見を開いた5日14時に気象庁は「観測史上例のない大雨が降る」と発表してから、政府が非常災害対策本部を設置するまでの66時間もかかっているのです。
5日20時から衆議院宿舎で安倍首相はじめ自民党の幹部と新人にいる「大宴会」が開催されていました。西日本各地の被災地ではすでに大雨は降り始めていたにも関わらず。つまり、この時点で官邸は「歴史的大雨被害」を全く想定していなかったのです。以下は66時間にわたって何もしなかった官邸の実態です。(KITERAより引用)

「…今回の安倍首相の対応はどうだったか。6日午後には福岡県、佐賀県、長崎県、広島県、岡山県、鳥取県、京都府、兵庫県に大雨特別警報が出され、気象庁も「重大な危険が差し迫った異常事態」と警戒を呼びかけたが、安倍首相は会見を開くこともなかった。
さらに、翌日7日朝には岡山県倉敷市真備町の冠水をはじめ、多くの地域で大勢の人びとが救助を待っている現状が伝えられ、事態の深刻さは誰の目にもあきらかなものとなった。だが、安倍首相はそれでも非常災害対策本部の設置をおこなわず、15分間だけの関係閣僚会議を開くと、やはり記者会見をおこなうこともなく、さっさと官邸をあとにして渋谷の私邸に戻っていったのだ。」
「大雨特別警報が出ても、安倍首相は何一つ国民に「呼びかけ」をすることはなく、政府としての態度を示す非常災害対策本部の設置さえしなかった。気象庁の緊急会見から約66時間、大雨特別警報の発令から約38時間ものあいだ、安倍首相は「緊急事態」であることを示さなかった」(LITERAより)
やっと官邸が動き出したのが66時間が過ぎた7月8日午前になって「非常災害対策本部」を立ち上げて、安倍首相は『先手先手で被災地の支援に当たってほしい』と原稿棒読みの空疎な言葉に心は全く籠もっていませんでした。実際に66時間もの間何もしなかったのです。もし、5日の夜か6日の朝に、テレビで国民に向かって「緊急事態です。大雨の予想される地域に皆さんは直ちに避難してください」と呼びかけていたら被害は少なかったことでしょう。北朝鮮のミサイル発射にはNHKにJアラートを発信させて、ミサイルが日本列島を通過した後にもかかわらず、意味もなく地下鉄や新幹線をとめて、「国民の生命を守る」とうそぶく総理大臣が、実際に多くの国民の生命の危機の集中豪雨が襲ってくる天気予報にもかかわらず、能天気に9月の総裁再選に向けて仲間の議員と酒を呑んでいたのです。

天皇は「国民の安否を気遣い」、安倍晋三は「パリ旅行を気遣う」

5日の夜NHKはワールドカップの準々決勝かなにかを流していました。NHKは官邸に忖度して、わざと集中豪雨の報道は控えてのかどうかは分かりませんが、官邸は「集中豪雨で甚大な被害が出ないように」と願って、「なんとかしてご主人様パリ・バカンスを成功させなければならない」と画策していたのです。結局、外遊中止を発表したのは9日夕方で、「首相は「災害対応に全力を挙げる。人命第一、できることは何でもするという姿勢で対応していく」と述べた」と時事通信は伝えています。
しかし、人命第一を考えるなら、6日にでも7日にでも決断できたはずです。それが9日の出発直前まで延ばした理由はネット上で「安倍首相が国民を見捨ててパリ旅行」という批判が炎上したことから、「このままパリに行くことは無理」と、旅行を中止したのです。
それに比べて天皇の素早い行動を以下のように時事通信は伝えています。
「陛下、静岡訪問取りやめ=大雨被害受け-宮内庁」宮内庁は7日、西日本を中心とした大雨被害を受け、天皇、皇后両陛下が9~10日に予定していた静岡県への私的旅行を取りやめられると発表した。8日夜、サントリーホール(東京都港区)でのコンサート鑑賞も取りやめる。同庁によると、両陛下は皇居・御所で、テレビなどで状況を見守り、広範囲にわたり甚大な被害が発生していることを大変案じているという。(2018/07/07-16:28)
天皇は安倍がパリ旅行の中止を決める2日も前に決断しています。しかし、安倍首相が「外遊中止」の報道をNHKは首相の「英断」のような表現で伝えています。多くのマスコミもNHKと同じように安倍を賛美するような報道ぶりでした。ほとんどのマスコミは天皇と比べたり、ギリギリまでパリに行こうとした実態は伝えていません。

安倍外交、実は大金ばらまきの大名旅行

安倍首相は2012年12月の第2次政権発足から昨年5月までに外遊は41回で約88億円の“出張費”を使ったそうです。延べで92カ国と地域を訪問して、費やした日数が204日です。国会を休んで外遊していたのです。なぜ外遊したいかというと、日本に居るとモリカケ疑惑を追及されるので、海外に居ると誰からも追求されないので気楽なのだそうです。これまでの5年間で安倍首相がばらまいた金は、円借款やODAなど種類はいろいろありますが、総計50兆円とも言われています。これだけの金をばらまいて世界旅行をやれば、受け入れ国は最大のおもてなしで受け入れてくるでしょうから、今回もぜひパリの夜景を楽しみたかったのでしょう。
それだけではありません。トランプ交渉に行くときは帰りに何千億円もの中古武器を買わされて帰ります。米国からの武器購入額は、2008~12年度の5年間で計約3647億円だったが、安倍政権が予算編成した13~17年度は、計約1兆6244億円と約4.5倍にはね上がった。ステルス戦闘機F35、垂直離着陸輸送機オスプレイ、弾道ミサイル防衛対応のイージスシステム(イージス艦搭載)など高額装備品の導入が増えたためだ。トランプ氏が「世界最高の戦闘機」と言及したF35は計42機の購入が決まっており、陸上配備型の新型ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」の導入も決定済みだ。

支持率さえ下がらなければ何をやっても許されると思っている安倍政権

北のミサイルを日本列島から落とすという理由でイージス・アショアは一基1千億円を2基配備予定で2000億円です。水陸両用の被災救援車「レッドサラマンダー」という車を2千億円あれば全市町村に1台ずつ配備することができたのです。安倍首相は国民の生命や財産を守ることには本当に無頓着です。
10日、西日本の災害現場では行方不明者の捜索が行われる中、安倍首相は行方不明者の捜索などよりもカジノ法案の審議を優先させました。それに対して立憲民主党など野党は「国会再開よりも被災者支援を優先せよ」と要請しましたが、カジノ法案と参院議員定数6増案を今国会で強行採決する予定です。
このような強引な国会運営や集中豪雨の捜索などを無視して、自分の再選やカジノ法案などを優先して行う我がもの顔で国会や国政を乗っ取り、日本国憲法を骨抜きにして安倍独裁政権を樹立しようと企んでいるのです。そのような好き勝手に行う安倍官邸の原動力は国民の政権支持率です。
d0174710_23531631.jpg
明仁天皇の旅行自粛は反安倍表明か

それは米国大統領のトランプと同じです。フェイクニュースを垂れ流して、政権を維持する大統領や総理を1日も早く一掃するためには、ファクト=真実を国民に知らせることが何よりも必要です。官邸の今井尚哉秘書官の指示の下、NHKの政権賛美放送に電通によるネット世論操作を暴き出し、アベノミクスのウソに瞞されている若者や市民を覚醒させるたたかいがいまこそ必要なのです。いま最もまともなニュースを流しているメディアはネットのLITERAや日刊ゲンダイや東京新聞です。ネット上で繰り広げられている反安倍メディアと野党と立憲主義と日本国憲法を守ろうとする市民との全面的な共闘が必要です。
国民生活を優先する政治を実現させるためにも、現憲法を支持し立憲主義政治を守ろうとするオール日本の市民共闘を実現させよう。
最後に安倍の暴走に一番こころを痛めていつのは明仁天皇だということも忘れるべきではありません。明仁天皇は政治的な行為はできませんが、今回の旅行自粛は反安倍表明なのかもしれません。
正義は我らの側にありです。

d0174710_23122764.jpg


by nonukes | 2018-07-11 23:12 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

各種補助金は政権を支持しない団体や個人には給付すべきではないのか

櫻井よしこ・杉田水脈の「反日学者に科研費やるな」は学問の自由を否定する独裁主義者
小坂正則

d0174710_18312115.jpg
田中優さん



d0174710_18334375.jpg
鎌仲ひとみ監督

d0174710_18343223.jpg




是枝監督作品の『万引き家族』が第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したことは大きな話題となりましたが、この映画製作に文化振興財団の補助金2000万円をもらって作った作品だそうです。それに対して、文科相が是枝監督を祝福したいと打診したところ、是枝監督は以下の通りネット上にアップしたそうです。
〈映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています〉とも綴り、映画が公権力から一定の距離を置くことの重要性を確認したうえで、政府などからの顕彰の類は固辞していると明かしたそうなのです。
その書き込みにネトウヨ連中が「是枝生意気だ、そんなヤツに政府は補助金やるべきでない」と言うような声がネット上に炎上しました。

山口二朗法政大学教授への「科研費批判」

是枝監督の補助金批判と時を同じく、法政大学の山口二朗教授に交付された「科研費が多すぎる」や「反日学者に科研費やるな」というネトウヨの批判が炎上していました。彼らの主張を簡単に言えば「お国から金もらって政府批判するのはおかしい」ということのようなのです。
しかし、一見まともなように思う方もいるかもしれません。一般的な科学技術研究などなら、そんなに政治的な差別や選別を受けないかもしれませんが、政治経済や国が積極的に進めるエネルギー政策などは政権に批判的な学者や組織が補助金を一切もらえず、御用学者しか国から補助金などがもらえかったら、それは結局偏った方向に国の政策が進んで行き、この国の将来に大きな過ちを犯す可能性が出てくるのです。

反原発の私は国から補助金をもらって自然エネルギーを進めて来た

私は2001年に自然エネルギーのNPOを立ち上げて、2004年から太陽光発電を公共施設に設置する市民事業などをやってきました。補助事業は実績主義ですから最初はなかなか補助金をもらえませんでした。しかし、一回でも補助金事業の実績ができたら、次は毎年もらうことができるものです。そんな制度を利用して、太陽光発電を公共施設に設置したり、反原発の学者や研究者を国や自治体の補助金を利用して講演会などをいろいろ実施したものです。もちろんいい加減な企画はやっていませんし、報告書も作って、成果も出しています。私は大阪の市民グループに呼ばれて、再エネ事業の話しをしたことがあります。そこで、私は「国からお金をもらって再エネ事業や反原発の講演会を皆さんやりましょう」と言ったら、講演会の参加者にびっくりされました。
「反原発運動のような国の政策を批判する活動へ、本当に国が講演会の費用を出してくれるのか?」と聞かれたことがありました。補助金をもらう我々の側も、「政権に批判的な学者の講演に国が金を出してくれるわけはない」という予断と偏見を持っているのです。
いつかこんなことがありました。大分の田の浦ビーチで秋の土曜日に毎年企画する「今日はゆっくりecoがいい」という無農薬野菜や手作りの商品を中心のフリーマーケットと再エネの展示や再エネワークショップに講演会も入れたイベントやっているのですが、2010年に田中優さんと鎌仲ひとみ監督を呼んで、講演してもらったのですが、NEDOという経産省の下部組織の半額補助をもらった企画でした。その時NEDOの職員が急きょ東京から現地視察することになって、当日若いNEDOの職員が抜き打ち査察で会場に来たのです。
私は名刺交換して、会場を案内したのですが、彼は椅子の数やテントの数など一通り確認してから、「小坂代表は忙しいでしょうから私は適当に会場を回りますからもう同伴してもらわなくていいですよ」と言ってどこかに消えていきました。
私は「何かこれは補助対象にはなりません」と言われて補助金削減されるのではないかと不安だったのですが、当人がそういうのについて回るのも「やましいことでもあるのか」と逆にあらぬことを勘ぐられてもいやなので、私は本部席に帰りました。そして1時間も過ぎたころ、田中優さんの講演をNEDOの職員が一番前で聞いていたのです。
それを見た私は「なにか彼から言われるかなあ」と少し心配したのですが、講演が終わった後に職員は田中優さんと談笑しているのでした。
そして、NEDOの職員は「もう帰ります」と私に挨拶に来たのですが、その彼が言うのに「これまでいろんな団体がNEDOの再エネ普及補助事業で講演をやってきましたが、今日の田中優さんの話しは実にすばらしかったですすし、こんな中身の濃い話しを聞けたのは初めてです。それに多くの市民が再エネについて学ぶようなイベントも実にすばらしい企画だったと上司には報告します」と言って帰って行きました。これまで私は田中優さんや飯田哲也さんや鎌仲ひとみさんなに反原発の学者などたくさん国の補助金で講演会を開催しました。ただ現在は補助金は一切もらっていません。そう言えばこれが補助金をもらって開催するイベントの最後でした。翌年の3.11以後は国もイベントへも補助金など全てやめてしまったのです。現在は細々と自己資金でやってます。要は中身がしっかりしていて、反原発であっても、再エネ普及に貢献するようなNPOの事業には正々堂々と国から補助金をもらうことはできるし、彼らも何ら偏見を持ってはいません。国の補助金は国民の税金ですから企画がよかったら誰でももらえるのは当然のことなのです。それこそが民主主義国家の行うべき補助事業なのです。

政権批判者に研究費が出ないのは独裁国家

戦前の日本は、政権に不都合な研究には予算どころか徹底的に弾圧されました。だから、軍部の暴走を防ぐことができなかったのです。経済的に中国やアジアを占領するよりも平和外交で国際強調主義に徹していたら、米国との戦争もしなかったかもしれません。いま安倍政権とそれを取り巻く日本会議などの文化人と言われる櫻井よしこやネトウヨ連中の「反日学者」批判は「学問の自由」や主義主張の自由をも脅かす、北朝鮮の軍事独裁政権と同じようなことを言っているのです。もちろん国民の税金は有効に使わなければなりません。限られた予算は、その中身を精査して、より効果のある研究や将来のためになる長期的な視点で、直近の成果主義にとらわれることなく、公正な基準で公平に審査された結果、その補助金は使われるべきです。
特に私も矛盾を感じたのは、分厚い企画書を作らせて、審査を行うのですが、成果や結果はほとんど求めないのが国の補助金体質です。本当は成果や長期的は報告など結果重視の補助金へと変わるべきだと私は思っていました。
補助金は1円たりともやましいことには使えません。昨今、文科相の官僚が息子を医科大に裏口入学させてもらう見返りに文科相の補助金の不正融資で逮捕されましたが、加計学園が2校も一度に補助金を受けたのは安倍政権による不正があったのではないかと、ネトウヨのみなさんぜひ騒いでください。お願いいたします。
これからも私たちは公正・公平な補助金や科研費の運用を国に求めて、安倍の取り巻きネトウヨに負けずに自由と民主主義をしっかり守り育てましょう。


by nonukes | 2018-07-09 18:47 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

政府が愛国心を強要する国は民主主義国家ではない その2

愛国心の強要は憲法違反か
小坂正則

d0174710_00314990.jpg

前回書きました、私のブログは前川喜平氏の「面従腹背」という著書を読んで、書き上げたものです。これまでに、何度も「道徳教育」について、自分なりに下書きのような文章を書いてはみたのですが、旧教育基本法や新法の違いなど書いていくと長くなり過ぎて、ブログに書くにはそぐわなかったので書きませんでした。それが、この「面従腹背」の前川氏の的確な批判の文章を読んで、私も書こうと思ったのです。
そこで、私は前のブログで「『父母への敬愛』や『郷土や国を愛する心を』を強要することは日本国憲法に反しているのです。」と書きましたが、これは前川氏の意見ではありません。これは私の考えです。前川氏は「憲法に違背(いはい)している」(違背とは命令・規則・約定にそむくこと)と書いています。前川氏は「憲法に違反している」とまでは言っていません。ただ、私は憲法違反と書いたのですから、その論拠をもう少し述べたいと思います。
一般的には「違反」していると言う場合、明らかな法律違反のことを言います。それに対して「違背」や「不当」という言葉で表現するときは、違反までは言えないかもしれないが、その主旨に反するとか、限りなく違法性に近いというときに使う言葉だと思います。

なぜ愛国心の強要が憲法違反か

日本国憲法の下では国民の義務は3つしかありません。「納税」と「勤労」と「義務教育を受けさせる」義務の3つだけです。しいてあと1つの義務を入れるとしたら、憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」という「憲法を守り,育てる」義務だけです。それに反して、「教育基本法」では「愛国心」が子どもたちの教育で持たせることを国は求めているのですから、明らかにこれは憲法違反だと私は考えるのです。なぜなら、「義務」というものは例外なく誰しもが守らなければならばならない「例外なしの責務」だからです。すると、国民は誰しも愛国心や親を敬うことが義務とされたら、虐待する親を子どもは敬わなければならなくなりますし、「愛国心」のない人間は「反社会的な人間」や「欠陥人間」として社会的な存在価値のない人間として排除されることとなるでしょう。
そのような行為が憲法違反となるのです。内心の自由や思想信条の自由や宗教の自由はこの国に住む全ての人に与えられた権利なのです。外国籍の在住外国人に「愛国心を持て」とあなたは言えますか。余計なお世話と言われますよ。国家や警察権力に弾圧された人やえん罪や無罪の罪で牢獄に繋がれた方が、愛国心を持てますか?愛国心は持つ待たないは「内心の自由」なのです。それを強要することは民主主義国家においては権利の侵害なのだと私は思います。

愛国心とは何か

一言で「愛国心」と言われても、いろんな「愛国心」があるでしょう。よくネトウヨ連中が安倍政権批判をSNSに書き込んだ方々を「反日分子」だとか、言って批判します。戦前の時代では「戦争反対」を訴える人や政府や軍部に批判的な人を「非国民」と言って批判されて特高警察に弾圧されました。しかし、結果として、あれだけの戦争犠牲者を出して国家がボロボロになってしまったことを考えれば、戦争に反対した方々こそ、一番の「愛国者」だったのではなかったでしょうか。いま、安倍政権に批判的な方を「非国民」や「反日」と批判するネトウヨ連中こそが、私に言わせれば「反日分子」であり「非国民」です。この国を誤った方向に陥れようとしているからです。ですから、安倍政権を支持する方の自由は認めるのですが、長い目で見たら、何がこの国のためになるかは誰にも分からないのです。1年先の国益か、10年20年先の国益につながるかは誰にも分からないのです。だからこそ、民主国家では言論の自由や人権が最も大切な国民の権利であり義務なのです。
だから、いろんな考えがあっていいし、あることの方が間違った方向に突き進まなくていいのです。一糸乱れぬ国民全員が「これしかない」と考えることこそ、大きな間違った方向に突き進む危険なことだと私は思うのです。

日本国民の義務は世界の恒久平和のために努力すること

日本国憲法前文は実にすばらしいこの国が生まれ変わろうとした希望の宣言文です。我々は日中戦争と太平洋戦争という過ちを反省して、人類の恒久平和と人類の繁栄のために努力することが国民の義務であり、それを通して、他国から信頼されることによって日本国の平和と繁栄ももたらすことができるのであって、そのような行動を取る国民の努力こそが最大の「愛国心」だと私は考えるのです。


日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

by nonukes | 2018-07-01 00:32 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

政府が愛国心を強要する国は民主主義国家ではない

道徳教育は何をめざしているのか
小坂正則
d0174710_19294527.jpg
前川喜平氏の最新著書「面従腹背」

「今年から小学校で道徳が教科となった」と新聞やマスコミで伝えられる度に、「この国の政府はなぜこれほど堕落するのだろう」と、思わずにはいられません。
自民党は結党以来、米国による押しつけ憲法「改憲」を目標にしてきた政党ですが、この政党は改憲の前に子どもたちの教育の憲法である「教育基本法」を2006年に改正して「国を愛する態度」を教育の目的に据えました。1957年に作られた「教育基本法」は、人びとを戦争に巻き込んだ大きな要因が、「軍国主義教育」にあったと考えて、戦後の日本が二度と誤った道に陥らないためには、子どもたちへの人権教育が必要だと考えて、できたものが「教育基本法」と日本国憲法だったのです。
特に「軍国主義教育」として「修身」や「教育勅語」などの教え方が否定されたことに大きな意味があるのです。「国民は天皇の赤子であり、いざとなったら天皇のために命を捧げなければならない」という国家のために国民がいるのではなく、国民主権国家の考え方がこの国の根本原理なのです。


旧「教育基本法」前文
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

新「教育基本法」前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

第2条5項
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。 

旧教育基本法と新法はほとんど文言は変わってはいないように感じますが、旧法の前文には誤った戦争を行ったこの国が、二度とその過ちを繰り返してはならないという反省と強固な決意を表したものが、「教育基本法」の中に高らかに掲げられています。しかし、2006年に改変された、新法には、その反省が取り除かれて、「教育基本法」の目的として第2条5で、「我が国と郷土を愛すること」をこっそり入れ込んでいます。

国を愛するって悪いことなのか?

「教育基本法」が、国を愛することを目的としたら、何が悪いのでしょうか。
「なぜ国を愛することが悪いの」と思う人もいるでしょう。オリンピックやワールドカップで日本選手が勝つと、多くの国民はうれしくなります。うれしくならない人は少ないでしょう。それに、外国旅行をして日本に帰ってくると、「やはり日本が一番だ」と思ったりします。外国に長く住んでいる方の中には、「外国に住んでみて愛国心が芽生えた」と言う人もいます。南米に移住したブラジル在住日本人の皆さんの多くが、我が祖国をこよなく愛しているという話しも聞きます。
そんな自然に芽生えた自分の国やふるさとを愛する感情を、私は「悪い」とは思いませんが、それを無理矢理に個人に強いるという手法は憲法13条の「個人の尊厳」や憲法19条の「思想信条の自由=内心の自由」に土足で国家が踏み込むことになる危険性があることを指摘しなくてはならないのです。
日本国憲法第十九条で「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とあります。つまり、日本国憲法は国家が国民の自由(言論・表現の自由)に制限を加えられる範囲は公共の福祉に反する場合だけであり、ましてや憲法19条の「思想及び良心の自由」=「内心の自由」に国家は元より何人も立ち入ることはできないのです。内心の自由とは、私が考えたり思うことであり、表現の自由のような行動の伴う行為ではありませんから、宗教や良心や道徳がどんなに人と違う考えを持っていたとしても罰せられることはないのです。ですから、民主主義国家の政府が国民の「内心の自由」に立ち入って「国を愛せ」と要求することはできないのです。独裁国家には「内心の自由」はありませんから、北朝鮮や中国では「国を愛せ」と要求するでしょうが、民主主義国家では、社会保障や自由などの人権を尊重することによって、自然と国民は自分の国を愛するようになるのです。それでも、国を愛さない権利も国民にはあるのです。

道徳教育で国は内心の自由に手を突っ込もうとしている

前川喜平氏の著書「面従腹背」という本が6月30日に発売されました。私は予約していたので、発売前に手に入りました。私が「道徳教育」の問題を指摘するよりも前川喜平氏が、その問題点を書いていますので、私はそこから引用させていただきます。
P159立憲主義の下、国が教育課程の基準として設定できる道徳的価値は、憲法が立脚する「個人の尊厳」という根本的な価値及びその上に立てられた「基本的人権の尊重を重んじ」「日本国憲法に則り」という言葉は、2006年改正の教育基本法にも残っている。ところが学習指導要領が設定した「自由」「平等」「平和」などの憲法的な価値の扱いがきわめて小さい。一方「家族」「学校」「郷土」「国」とい集団への帰属意識や、「節度」「礼儀」「規則」「公共の精神」などの規範が並べられている。……これらの多くは憲法からは導きさせない価値であり、さらには「父母、祖母への敬愛」「国を愛する心」など、個人の尊厳という憲法的価値に違背する疑いのあるものも含まれている。人間の内面的価値への限度を超えた国家介入であると考えざるを得ない。
P164『私たちの道徳』(小学5、6年生)の中の一節、「郷土や国を愛する心を」にはこう書いている。「この国を背負って立つのはわたしたち。わたしたちの住むふるさとには、我が国の伝統や文化が脈々と受けつがれている。それらを守り育てる使命がわたしたちにはある」。ここで「わたし」と「国」との関係は、個人の尊厳に立脚する憲法原則とは正反対のものになっている。個人以前に国家を設定し、国家のための「使命」を個人に負わせるこの論理は、教育勅語「万一危急の大事が起こったら、大義に基づいて勇気を振るい一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」まで容易に進んでしまう危険性を孕んでいる。(ここまで引用)
つまり、「新教育基本法」の下で作られた「道徳」で、この国の次代を担う子どもたちに「教育勅語」の精神である「国家のための個人」という考えを「父母への敬愛」や「郷土や国を愛する心を」という形でこっそりと刷り込ませようとしているのです。
「父母への敬愛」や「郷土や国を愛する心を」を強要することは日本国憲法に反しているのです。国を愛することは自由ですが、国を愛さな自由の権利も同時に国民には保障しなければならないのです。
公立の小中学校現場では教師は卒業式で起立して国歌斉唱などを義務化されているようですが、子どもにはその義務はありません。
P99で、菱山南帆子さんという方が「嵐を呼ぶ少女」という動画を観た。彼女が小学校5年生のとき、卒業式で君が代を歌う場面で、歌うこと拒んで着席したそうだ。「『そんな歌を強制されてたまったもんじゃない』と思って、『私は座るぞ』ということで、座ることにしたんです」「校長先生からは『国の大切な歌だから歌いなさい』なんて言われて、『関係ない』って思って、『何でそんなこと強制されなければいけないんだ』なんて思ったんです」「生徒の中で私一人、日の丸君が代を拒否して座りました」
彼女は文科省も認める正当な権利を行使したのだが、…私は生徒全員が何の疑いも抱かずに整然と国歌斉唱する学校よりも、彼女のような生徒がいる学校の方が健全だと思うのだ。
(ここまで引用)
私は「個人の尊厳」という日本国憲法に則った学校教育というものは、彼女のような自律的な人間形成を支えることが本来の学校教育に求められていることだと思います。もちろんみんなが座ることがいいことだというわけではありなせんが。同調圧力に流されないで個人の意思を持って行動できる子どもの権利を保障することこそが民主主義の原点だからです。
全体が一糸乱れぬ行動を取るよりもバラバラのようだけど、それぞれが一人ひとりの力を発揮することのできる社会が、今一番にこの国に求められているのではないでしょうか。
多様性の尊重や互いの違いを認め合う社会こそ力強い社会を作り出すのです。「国を愛する」ことを強制するよりも、世界平和や世界市民というグローバルな視点で、国際貢献のできる子どもたちを育てることが、この国の教育の目的でなければならないのです。
d0174710_19311792.jpg


by nonukes | 2018-06-30 19:32 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

衆院大分1区の自民党穴見陽一、ガン患者の参考人に「いい加減にしろ!」とヤジ

衆院大分1区(大分市)の有権者はこんな国会議員を選んで恥ずかしくない?
小坂正則

d0174710_19410579.jpg
肺がん患者の発言中にヤジを飛ばした自民党の穴見陽一衆院議員


先週の15日受動喫煙対策が議論されている衆院厚生労働委員会で、参考人として招かれたがん患者が意見を述べている最中に、自民党の穴見陽一議員(大分一区選挙区選出衆院議員)が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばしていたそうなのです。
国会議員どうしのヤジならまだ分からないでもありません。しかし、参考人として委員会がお願いしてお呼びしたお客さんに対してヤジるということがどれだけ失礼なことか、あなたは分からないのでしょうね。ジョイフルのお坊ちゃまのあなたは、甘やかされて育ったので、自分が気に入らない人にはヤジることは「表現の自由だ」と、お考えなのかは知りませんが、例えるなら、あなたのお店のジョイフルのお客様に向かって、あなたのお店の店員さんが「いい加減にしろ」とナジルこととおなじことをあなたはやったのですよ。それほどのひどい行為をあなたはやったのです。しかも、あなたがナジった方は、たばこが原因かは分かりませんが、肺がんでたばこの煙が大変苦痛なので、その苦しさをお話ししている最中にあなは「ヤジった」のですから、その責任たるものは重大です。

謝罪会見を行わないのなら国会議員をお辞めなさい

これは国会議員としても最低な行為ですが、人間としても最低な行為です。弱い者いじめの最たる行為です。あなたは喫煙者だそうで、しかもあなたのお店が禁煙になると商売に大きな影響があるから、ついそんなひどい言葉が滑ったのかもしれませんが、受動喫煙対策はオリンピック憲章にも書かれた必要な開催条件なのですよ。それにしても、記者による取材にも受ける気がないようですね。あなたは早急に謝罪会見を行うか、それがいやなら国会議員を辞めなさい。そして穴見議員に投票した有権者への冒涜ですし、有権者にも投票して責任があると私は考えます。ちなみに私はあなたに投票していませんが。
このまま放っておくと、どんどんあなたの信用は失墜して行きますし、次の総選挙では、その事実を対立候補によって集中砲火をあぶることでしょう。国会議員が安倍化しているとの噂ですが、あなたも逃げてシラを切り通せば、その内世間は忘れてくれるとでも思っているのなら甘いですよ。SNSの時代ですよ。危機管理が重要だということを思い知ることでしょう。最後にあなたへ長谷川一男さんによるメッセージを送りします。

受動喫煙はマナーの問題ではない。生命の問題なのです

ステージ4の肺がん患者で、日本肺がん患者連絡会理事長の長谷川一男さん(47)はこのように語っていたそうです。「参考人として招かれ、体調が良くない中をおして出席したがん患者に、ヤジを飛ばすとは驚きましたし、悲しく信じられない気持ちでした。受動喫煙対策はマナーの問題に止まらず、国民の命や健康に関わる問題であり、受動喫煙に苦しむ患者やこれから苦しむかもしれない国民のためにも、真摯に向き合った議論をしてほしい」と話している。



受動喫煙対策を訴える肺がん患者にヤジ 
国会議員「いい加減にしろ!」
6/21(木) 7:01配信 BuzzFeed Japan
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180621-00010000-bfj-soci&p=1

受動喫煙対策が議論された衆院厚生労働委員会で、6月15日、参考人として招かれたがん患者が意見を述べている最中に、自民党の穴見陽一議員が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばしていたことがわかった。
受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法改正案は、飲食店内は原則禁煙にする当初の厚生労働省案に自民党が反対。一定面積以下の店は「喫煙」「分煙」などと表示すれば喫煙可能にする対案を出すなど自民党の抵抗が続いてきた。
その後、妥協案として、客席面積が100平方メートル以下の店を例外とするなどの経過措置が設けられた政府の現改正案が出され、がん患者らから「骨抜きにされた」と批判を浴びていた。

ヤジは、自身もステージ4の肺がん患者で、日本肺がん患者連絡会理事長の長谷川一男さん(47)が意見を述べている最中に飛んだ。
長谷川さんは「原則としては屋外でもなるべく吸ってほしくないというのが肺がん患者の気持ちではある」と述べたうえで、「やはり喫煙者の方がどこも吸うところがないじゃないかとおっしゃるのもすごくよくわかります」と喫煙者の思いにも配慮した発言をした。
そして「そういったことで、屋外の喫煙所を作る、増やしていくというのは一つの方法ではないかと考えてはいます。しかしながらそれも一時的なもので、なんとか数年経った後にそういったところもなくしていくことができればいいんじゃないかなと個人的には思っております」と言ったその直後に、議員席に座っていた青いシャツ姿の議員から「いい加減にしろ!」とヤジが飛んだ。別の自民党議員はヤジを飛ばす議員を見ながら笑っていた。
そのヤジを飛ばした議員が自民党大分一区選出の穴見陽一衆院議員だったのだという。
長谷川さんは、「こんな人が国民の健康を守る法案を審議しているのか」と、残念な気持ちが湧き起こってきたと話す。

「私以外の受動喫煙に反対する医師にも文言はわかりませんがヤジを飛ばしていました。一部の国会議員は、意見を聞くために呼んだ参考人に対しても、自分の意見と違うとヤジでプレッシャーを与えるものなのかと驚きました」とも言う
やはり参考人として呼ばれ、長谷川さんの隣の席に座っていた全国がん患者団体連合会理事長の天野慎介さん(44)も、長谷川さんにヤジが飛ばされたことに、一瞬耳を疑った。
「参考人として招かれ、体調が良くない中をおして出席したがん患者に、ヤジを飛ばすとは驚きましたし、悲しく信じられない気持ちでした。受動喫煙対策はマナーの問題に止まらず、国民の命や健康に関わる問題であり、受動喫煙に苦しむ患者やこれから苦しむかもしれない国民のためにも、真摯に向き合った議論をしてほしい」と話している。
穴見議員は喫煙者だという。
BuzzFeed Japan Medicalは、穴見議員の秘書に複数回、電話で取材を申し込み、秘書からの要請で、16日に穴見議員に発言の意図などを聞く質問状を送った。
20日までに回答はなく、秘書は「回答するかどうかもわからない」と話しているが、ヤジについて否定はしていない。

岩永直子

by nonukes | 2018-06-21 19:43 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

加計孝太郎は過疎自治体を食い物にして利益を上げる詐欺的

日本会議の安倍晋三と加計孝太郎によって日本が食い物にされていいのか?!
小坂正則
d0174710_23260221.jpg
過疎化の自治体を食い物にする加計学園ビジネス

加計学園はこれまで、数々の過疎化と人口現象で悩む地方自治体を食い潰してゾンビのように増殖する方法が「加計学園ビジネス」の手法です。
加計光太郎の親父が1962年に作った私立工業高校から岡山理科大学を作り、2001年から加計孝太郎が引き継いだ学園です。加計学園グループは、岡山理科大学、倉敷芸術科学大学、千葉科学大学、吉備国際大学、九州保健福祉大学をはじめ、様々な分野を手がける、岡山の私学の代表格の一つです。加計孝太郎は95年に倉敷芸術科学大学、99年に延岡市に九州保健福祉大学、04年、銚子市に千葉科学大学と次々に設置自治体に土地を無償で出させて、校舎建設費の見積もりを2倍に見積もって、その半額を出させるという悪質きわまりない詐欺まがいの大学設置を行ってきたのです。今回の獣医学部の建設に190億円以上の見積額に対して半額が妥当な金額だと言われていました。

千葉科学大学を誘致した銚子市の台所は火の車

千葉県銚子市は人口わずか6.4万人の農業と漁業が主な産業で大学のない市でした。そこに市が04年に学校用地無償提供し、校舎建設費77億円を負担して作ったのが千葉科学大学です。6万人の過疎市が大学を夢見る方が無謀です。ですから、この詐欺師集団に市長はだまされたのです。市は300億の負債を抱えていて、負担した残りの34億円が大きく肩にのしかかっているそうです。誘致した元市長は地方自治の要の省庁である自治省の出身ですが、積立金を取り崩し、起債して年間4億5000万円の支払いが発生し増収見込の2億円の税収をはるかに超えている他、同時に大学誘致に伴う財政負担を補填するため公共料金を大幅に引き上げ市民に負担を強いるという、とんでもない愚策を行っています。ゴミ袋は1.5倍値上げ、火葬場も倍に値上げ、市職員も給与カット、市長3割カット。人口減少に歯止め掛からず。しかも、大学は大幅な定員割れが続いているそうです。銚子市は第二の夕張市となることは間違いないでしょう。市の返済額は利子を含めて84億円で、14年度末でも44億円が負債として残っているそうです。

今治市も銚子に似たり寄ったり

今治市も2003年に12万人の市が2005年に11町村を編入して18万人になったそうです。今治市は短大はあるようですが、4年生の大学はありませんでした。初めての4年生の大学です。高度経済成長時代に大学誘致ブームがありました。当時は「駅弁大学」と揶揄されていました。「駅弁を売っている駅のある市には大学がある」という意味です。要は市長が大学をほしがるというバカな夢を持ったことで詐欺師集団にだまされたのです。今治市は37億円の土地を無償提供したうえ、補助金約96億円を負担し、その半額は愛媛県が市へ補助金を出すということです。既に45億円を渡したそうですから、残りの50億円あまりを補助しないという決定を出すべきです。今治市は長寿祝い金の5万円交付を廃止したそうですし、これから市民生活へ大きな負担が押し寄せてくることでしょう。

少子化で大学が倒産合併がどんどん出てくる

世界一の少子化がこの国を襲って来ているのですから、大学2018年問題というのがあって、今年から急激に大学入学人口が減るそうです。そして、18歳人口が99万人と予想される2031年頃には、大学入学者数は48万人前後と、現在の半分以下の受験生と予想されてます。現在でも定員割れが4割以上と言われているのに、これから大学を新設するというのはばかげています。2030年には少なくとも大学の半分が統廃合されてなくなるでしょう。当然にも千葉科学大学も真っ先になくなる大学と思われます。

中村愛媛県知事は補助金支払いを再検討か

今回の加計学園疑惑で、2015年2月25日に加計理事長と面談し、安倍首相は「新しい獣医大学の考えはいいね」と発言したと記録が愛媛県から出てきて、今治市の文書にもあるということで、加計学園が「あれは担当者がウソをお言った」と1枚のファックスをマスコミに流したことが、中村知事の逆鱗にさせたのです。そこで、中村知事は5月28日に「ウソをついて獣医学部を設置するような大学に補助金を出せるかどうか再検討する」というような発言をしています。そうです。加計学園事件は安倍に完全に牛耳られた検察が捜査することはあり得ません。それなら兵糧責めが一番の武器になり得ます。また、加計学園の虜になっていている今治市の菅良二市長は、「補助金などを見直す考えはない」と発言しています。市長が市民の意思を政治に反映していないのなら、市長リコールで、まともな市長に替えればいいのです。そしたら残りの補助金全額が返ってくるでしょう。

岡山理科大以外はどこも赤字で倒産は時間の問題

「15年の3月から、岡山理科大と倉敷芸術科学大のキャンパスを担保にして、日本私立学校振興・共済事業団から50億円を超える借り入れをしています。実は、この利息の返済を、来年の3月から始めなければならないのです。加計孝太郎は教育者というよりも、政治権力者と結託して過疎市をだまして一儲けを企む、まさに補助金目当ての“詐欺師”と言ってもいいでしょう。
加計学園事件の連日の報道で、来年の学園受験者は大幅に減ります。どんどん減れば、大学は一気に火の車です。それでなくても、どこもへんぴな場所にある大学ですから、少子化の影響は一番受けやすいのです。兵糧責めで「加計学園」に責任をとらせましょう。
「加計学園グループは20以上の学校を有していますが、採算が取れているのは岡山理科大くらいしかありません。他の千葉科学大や倉敷芸術科学大は定員割れが続き、赤字が慢性化している。その結果、岡山理科大の黒字で補填せざるを得ない有り様です」
 少子高齢化の波には逆らえず、経営に翳りも見え始めた。そのうえ、多額の借金も抱えていると言われています。少子化で地方の大学が倒産する2030年までには結果が出るでしょう。

安倍晋三を倒せたら加計孝太郎も倒れる

加計孝太郎は日本会議のメンバーです。加計学園系列の岡山理科大附属中学では、歴史と公民で育鵬社の教科書を使用しているそうです。この教科書は日本会議と関係している極右翼教科書です。こんな教科書で学ばされた子どもたちは間違った歴史を信じ込んでしまうでしょう。このまま「モリカケ」疑惑で安倍政権を倒せないとしても、「朝が明けない夜はない」と言われるように、必ず安倍政権を倒すことは出来るでしょう。それは小さなつまずきからかもしれません。新潟県知事選で池田ちかこ候補が知事選に勝利したら、安倍降ろしが始まることでしょう。私たちは安倍政権を倒すことが出来るまで諦めずに粘り強く抗議していきましょう。






by nonukes | 2018-05-30 23:27 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(2)

街頭はわれわれの「自由な表現の場」なんだ

「マネキンフラッシュモブ」裁判で表現の自由を勝ちとる!
小坂正則


d0174710_01104519.jpg
d0174710_01122796.jpg
私は32年前のチェルノブイリ原発事故以後、大分市のトキハデパートの前でビラまきやハンドマイクを持って訴えたり横断幕を持って立ったりをしてきた。少ないときは1人で、多い時は10人以上でビラ撒きなどを行ってきたのだが、私服刑事から「ビラ撒きをするときは道路使用許可申請を出してくれ」という嫌がらせを受けたことが何度かある。
よく覚えているのだが、福島原発事故の後の2011年4月26日には、九電大分支店へ申し入れと交渉を行うように予定していたので、九電支店へ行く前に、街頭で「これから九電大分支店に行きますので、皆さんもご一緒に行きましょう」というビラを撒いて、街頭でアピールを行った。すると、待ってましたというように、私服刑事(公安刑事)が私の元にやって来て「小坂さん街頭でこんなことやるときは道路使用許可申請を出してもらわなくてはだめですよ」と強い口調で文句を言ってきた。私はハンドマイクを他の人に渡して、「これまでに私は一度も道路使用許可を取ったことはない。表現の自由は憲法で保障されているし、通行の邪魔をしてはいないので出す必要はない。違法だというなら逮捕でもしろ。裁判で争ってやる」と言ったら、そのままどこかに消えていった。
でも、少しだけ心の中で引っかかっていた。「通行妨害だ」と悪態をついて行く通行人のいないわけではないから、私はこれまで出していなかったからこれは「慣行だ」と言って押し通そうとおもっていたが、ひょっとすると、「こっちにも少しは違法性があるかもしれない」ということは感じていたのだ。というのも、熊本の友人から当時聞いたのだが、「熊本県警は厳しくて、ビラを撒くにも「ビラまき申請」を出さなければビラはまけないんだ」と聞いたことがあったので、「そんなに熊本県警は高圧的なんだ、大分はましだなあ」と思ったことを覚えている。


「マネキンフラッシュモブ」が横浜地裁で勝訴する

以下は2018年5月6日の朝日新聞の記事の一部です。
2016年2月、県中央部にある海老名市の駅近くの自由通路。黒い衣装の約10人が現れてポーズを決めた。しばらくすると、移動して、また静止する。「マネキンフラッシュモブ」と呼ばれるパフォーマンスだ。掲げたプラカードに「アベ政治を許さない」「自由なうちに声を上げよう」などと書かれていた。
通路での集会やデモを禁じる条例に違反するとして、市は参加した市議に今後こうした行為をしないよう命じた。「おかしいと思ったことを表現しただけなのに」。パフォーマンスをした団体の共同代表の朝倉優子さん(54)は憤った。(ここまで引用)

そこで、市議への命令が「表現の自由を保障した憲法違反だ」と横浜地裁へ提訴したら、翌年の3月8日に「他の通行人の邪魔にならなかった」という理由で全面的に勝訴。その後、市は控訴しなかったので確定したのだそうです。それから横浜市周辺の駅前などに立っている「この場所での物品の販売、宣伝活動、ビラ・チラシの配布等の行為を禁止します」という看板が次々に撤去されているそうなのです。
権力者は市民がいろいろ街頭で自由に表現することが嫌いです。だから、何らかの理由を付けて黙らせたいと思っているのです。しかし、私たち市民が黙っていたら、権力の思う壺です。自由は与えられるものではありません。勝ちとるものなのです。黙っていたら、私たちの自由はどんどん狭ばまって来ます。だから、良識的な配慮をしながら、世論の共感を得るような形で「表現の自由」を守るような声を出し続ける表現活動は常に必要なのです。これから警察に文句を言われたら、「このビラ撒きは2017年3月8日の横浜地裁判決で確定した権利だ」と言いましょう。ただ、実際には最高裁で確定しなければ、司法判断の確定とは言えないかもしれませんが。
みなさんどんどん「安倍はやめろ」などの街頭行動を行いましょう。ただし、通行人の妨害にならないように配慮しながら端っこでやる必要はありますが。



by nonukes | 2018-05-09 01:17 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

麻生太郎よ。お前の存在自体が全国の女性に対するセクハラでありパワハラだ


小坂正則
d0174710_15240655.jpg

d0174710_15240430.jpg
セクハラ罪が存在しないならいくらでもやっていいのか?

麻生代務大臣はまるで自爆テロのような発言を繰り返している。これで安倍政権の支持率がもし、落ちないのなら安倍政権は何でもしたい放題で、ヒツジの群れの国民は黙って従うことだろう。
私は耳を疑いたくなるのだが、財務省の事務次官のナンバー2の矢野官房長は会見で、「福田次官はセクハラを行ったので、減給2割半年」と説明した。その金額は141万円の減給で5300万円の退職金から141万円を引いて、福田事務次官はまんまと5,159万円を懐に居てたことになる。あれだけのセクハラ男が、シラを切り通して何の反省の弁もなく、サッサと逃財務省を逃げ出したのだ。ヤツはほとぼりが冷めたら、どこか金融関係の民間企業に天下るのだろう。
今回の財務省の文書改ざんかや福田次官のセクハラ事件に、矢野官房長の対応に国民の怒りは頂点に達しているのに、それに財務省のトップの麻生大臣が、5月4日のマニラでの会見で、「セクハラ罪はない」と述べて「セクハラは親告罪であり、傷害罪などと違って訴えられない限りは罪にはならない」堂々と「セカンドレイプ」発言をして、自身の監督責任に対しての自覚は微塵もない。官邸は麻生太郎のコントロールができなくなってしまったのではないだろうか。

セクハラは立派な犯罪であり、人権侵害事件だ

頭のおかしい麻生太郎は「刑法に罪名がなければ犯罪ではない」と思っているのだろうか。人権侵害という「セクハラは立派な犯罪行為」なんだ。
毎日新聞の5月8日の社説に「刑法だけが社会の規範ではない。倫理観やマナー等々もそれに含まれる。例えば文部科学相が「いじめ罪はない」と言って、いじめの加害者を擁護したら許されるだろうか。セクハラは重大な人権問題だ。いじめと同様、セクハラをなくそうとするのが政治家の務めのはずだ。」と記している。
パワハラやセクハラは罪名がハッキリとしないグレーゾーンがあるから、セクハラ罪として作っていないだけであって、人権侵害行為によって、刑事罰を受けることはいくらでもある。いじめで相手を自殺に追い込んだ場合は、加害者は犯罪者として罰せられるではないか。しかしいじめ罪という罪名は存在しないのとセクハラは同じことだ。
政治家がモラルや道徳を守り、国民の模範にならなければならばならない。公務員の高級官僚が政治家のしかも大臣が「罪名がないから犯罪ではない。だからセクハラをやっても罰せられない」と、「セカンドレイプ」のセクハラ擁護発言を繰り返しているという状況に安倍晋三が黙っていることも異常だ。ただ、安倍は「徹底的にウミを出し切る」と、ウミが自分であるにもかかわらず、シラを切って、ウソをつき続けているのだから、麻生に責任追及などできないだろう。安倍が「君は財務省のトップとして反省しなさい」と麻生に言えば、麻生は「お前こそ早く反省して本当のことを言え」と反論させるだろう。

全国の女も男も怒りの声をあげよう

昨日の夜雨の中を財務省の前に多くの女性たちが「麻生はやめろ」と抗議行動をやっていた。雨の中をご苦労でした。私も東京に住んでいたら駆けつけて「男としても許せない」と声をあげたかったくらいだ。
国会では野党の審議拒否戦術も尻切れトンボのように、柳瀬秘書官の参考人招致で国会審議に復帰するそうだ。また、柳瀬は「思い出したが、首相案件と言った記憶はない」と言って、堂々巡りを繰り返すだけに決まっている。そんな腰砕けのような姿を国民の前にさらすよりも国会の赤絨毯の廊下に座り込んでハンストでもやって、国民を支持をえるような徹底抗戦に出るべきだと、私は思う。
この国の民主主義や良識的な国会議論のバケツの底が抜けてしまったんだ。ウソを総理大臣がついて、法律を強行採決でどんどん決めてもいいんだというのなら、野党は街頭で徹底的に抵抗して国会を国民が包囲して内閣を実力で潰すくらいの覚悟を持つべきなんではないだろうか。もちろん暴力を使うのではなく、ガンジーのように非暴力・直接行動の先頭に立憲民主党の枝野幸男代表は立つべきだ。
そして、私たちも「安倍も麻生もいい加減にしろ」と、ありとあらゆる非暴力の手段で内閣を追求する行動を取るべきだと思ってならない。
国民の中に格差と対立によって、若者が将来に夢が持てなくなったら、モラルが崩壊してテロ社会になる可能性がある。だからそんな悲惨な社会になる前に、政治家や官僚は1日も早く「真実を国民の前にさらけ出す」ことが必要なのだと思う。



by nonukes | 2018-05-08 15:25 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

日本は戦争とファシズムの一歩手前まで来ているのではないか

d0174710_20280366.jpg


d0174710_20283813.jpg

前川喜平氏は民主主義を守り育てる日本最大のリーダー
小坂正則

元文科相事務次官の前川喜平さんは連日のように全国を駆け回って講演をしていますが、前川さんの発言が実に現代の日本の現状を的確に分析して如実に表現しているように思います。
そんな前川喜平さんが4月15日の尾道市での講演の後に、フリージャーナリスとの横田一さんのインタビューで、「いま日本は、ファシズムの入り口に立っている」(以下に添付)と危機感を語っています。それから、4月17日に東京都杉並区で行われた「憲法とわたし」の講演会では、戦前の教育勅語や教育異本法の話しなどを交えながら、「終戦で日本国民は徹底した軍国主義の反省をやらなかったから、軍国主義を唱える集団が生き残って、「日本会議」や「青年会議所」などの「害虫」がどんどんはびこって、大きな集団として活動するようになったんだと私は思います」と、話していました。「こんなことを言うと明日のサンケイ新聞で、前川が日本会議をゴキブリ扱いしたと批判されるかもしれませんが」と、話しています。前川さんの話はユーモアたっぷりで、しかもなぜいま私たちが「日本国憲法」を学ぶ必要があるのかと、「憲法改正議論をする前に、憲法はどのようなことを言っているのかを学ばなくてはならない」ということに納得ができます。
前川さんの講演会はどこも満員で、4月14日は北九州と山口の昼夜2回の講演会だっとそいです。北九州では会場に入れなかった人も居たそうですし、17日の杉並区の講演会も会場に入れなかった人で溢れたそうです。なぜ、こんな堅い話を大勢の方が聞きに来るのかと言えば、官僚が記憶喪失になったり、自分がウミなのに「ウミを出すために努力する」と、ウソをつく総理大臣やセクハラ大臣ばかりの政治家などの掃きだめの中に輝く鶴のような前川さんの言葉は言行一致で重みがあるから、余計に輝くのだと思います。
私は前川さんこそ、この国のリーダーとして一番ふさわし方だと、信じてやみません。

戦争とファシズムはある日突然にやって来るのではない

昨年の秋に、アニメ映画「この世界の片隅に」がロングセラーで上映されました。戦争は、普通の日常に人びとが平和に暮らしている中に徐々に押し寄せてきて、戦争がある中でも人びとの暮らしがあったということを見事に描き出していました。でも、その人びとの慎ましい暮らしの中に爆弾が落ちてきて、悲劇と隣り合わせに逃げ惑う悲惨な現実をも描いていました。
ファシズムと戦争は、ある日突然やって来るわけではないのです。最初は小さな集団による小さな規制がどんどん肥大化して、仕舞いには止まらなくなって、暴走を始めるのです。
ちょうど今、「日本会議」や「在特会」や「勝共連合」や「幸福の科学(幸福実現党)」や「青年会議所」などは小さな右翼そしりでしたが、いつの間にか肥大化して、強大なファシスト軍団になりつつあるのでしょう。しかし、「日本会議」などの全体主義者は街頭では目立った活動などしていません。静かに、しかし、確実に「政治や平和に無関心な若者や国民」を狙って、「あなたの生活が苦しいのは在日朝鮮人のせいだ」とか、「自虐史観を押しつける朝日新聞は中国のスパイ新聞なんだ」などと嘘をでっち上げて、無知を利用して人びとの心の隙間に忍び込んできます。それを前川さんは「害虫がはびこってきた」と言ったのでしょう。

私たちは知らぬ間に自由を奪われ愛国心を洗脳され続けている

平和を守るためには、子どもたちへの教育が最も大切です。だから、戦争する国を作るにも教育が大切なのです。第1次安倍政権によって、2006年に教育基本法が改悪されました。そこに「我が国と. 郷土を愛する」と文言をコッソリ入れられました。そして道徳教育の実施で、学校教育に「愛国心」を強要する教育へと突き進みつつあります。安倍晋三首相のバックボーンである「日本会議」や「神社本庁」は教育戦略を着実に成功させて、自衛隊の集団的自衛権行使を導入させて、実質的な憲法改正を実現させました。
2005年にNHKの従軍慰安婦番組に当時内閣副官房長官の安倍晋三により番組改編をさせられたことがありました。その後、NHKの会長に籾井を据えたり経営委員にネトウヨ作家の百田尚樹を据えたりしてNHKを右旋回させました。今ではNHKは国営放送のように安倍政権の宣伝ばかりやっています。そのほかテレ明日やTBSの経営陣に圧力をかけてキャスターを降板させるなどして、政権批判の番組を潰して、政権批判のマスコミを一掃させて、提灯持ち番組を増やしています。
次に法律的には盗聴法の改悪や共謀罪の導入で、マスコミを萎縮させたり、市民の権利を剥奪して、犯罪者をでっち上げやすい法律を作ってきました。これは警察権力の強大化が目的です。
それに憲法にまで手を付けることで、全体主義と戦争のできる国の完成をめざしているのです。自民党憲法改正草案を見れば、戦前の大日本憲法への回帰をめざしていることは一目瞭然です。そのために、今回は憲法9条に自衛隊を明記することで改憲に国民を慣らせようとしているのでしょう。私たちが「日本は自由でいいなあ」とか、「中国や北朝鮮に比べたらまだ日本は民主主義や自由があるから、この国も捨てたもんじゃない」と、暢気に平和ぼけしている隙に、敵は着実に「戦前回帰作戦」を実行しているのです。

私たちは自分の中にある「自主規制」とたたかわなくてはならない

戦前の歴史を少しひも解けば分かることがあります。それは法律により社会制度や文化も変えられるのですが、最も恐ろしいものは自主規制という「空気」だと私は思います。戦前のマスコミ人や文化人の多くが、弾圧を怖れて軍部に従ったのです。もちろん抵抗することは死を覚悟しなければならばならない状況では、私でも抵抗できないでしょう。でも、その前にできることはきっとあったと思います。そのまだ抵抗できる時期が現在ではないかと私は思っています。どんな強大な国家権力でも盤石ではありません。大きなダムでもモグラの小さな穴から堤防は決壊することもあるのです。独裁者は国民多数の意識や空気を一番気にするものなのです。
「みんながそう言うから従った方がいい」とか、「一人だけ違うことをするのはよくない」とか、そんな空気を読むという自主規制が「自由にものが言えなくなる社会を作り出す」と私は思っています。この国の憲法は「主権在民」と「平和主義」と「基本的人権の尊重」なのですから、人と同じことをしなければならないことなどないのです。私と他人とは考え方が違うことが民主主義なのです。社会秩序を乱しても罰せられることはありません。公共の福祉に反しない範囲なら、自由は認められているのです。見えない空気感に捉えられて自分を自分で縛ってしまうことなど絶対にしてはなりません。
自分の人権を守ることが、この国の憲法を守ることにつながるのです。表現の自由を守るということは、社会に向かって表現していない者には、表現の自由は守れません。デモをやって警察に弾圧されたりする人たちだけがデモの権利を守れるのです。いま、抵抗しなければ、本当に抵抗できない社会が訪れることでしょう。安倍はボロボロです。壊れかけた張り子の化け猫です。いまこそ、考え方の違いを乗りこえて、左とか右とか小さなことを問わず、「自由な社会を守る」ために、民主主義を守り、平和を愛する多くの人びとと一緒に反動的な私利私欲にまみれた「害虫」どもをやっつけるために声を上げ続けようではありませんか。

前川喜平氏「憲法とわたし」講演会動画
http://dl01.twitcasting.tv/iwj_areach3/download/457757382?dl=1





前川喜平・前文科事務次官が警告「いま日本は、ファシズムの入り口に立っている」
4月29日 ハーバービジネスオンライン


 前川喜平・前文科事務次官は4月15日、尾道市で行われた講演会の後、森友学園の決裁文書改竄について記者の質問に答え、「何らかの外部の力、官邸から何らかの圧力があったと考えれる。例えば、今井尚哉首相秘書官が指示したということは十分に考えられると思います」と語った。

◆政治が、官僚の矜持や使命感をズタズタにしている

――森友学園の決裁文書改竄について、官邸から何らかの圧力があったと考えられますか。

前川:こういったことが霞ヶ関のあちこちで起こっています。名古屋の中学校で私が授業、講演をした内容について文科省が「調査」を行いましたが、これは「自らの判断で行った」と、いまでもそう説明している。しかしこれは「自民党の文教関係の重要なポストを占めている人(=自民党文科部会長の赤池誠章・参院議員と部会長代理の池田佳隆・衆院議員)が指示、それに基づいて行った」ということはもう明らかです。
明らかであるにも関わらず、「その人たちは関係ない。役人たちがやったことです」と説明しようとしている。これはイジメの構図に等しい。イジメられた子供はイジメられたことを言わない。『階段から自分から落ちて怪我をした』と言う。そういう構図によく似ていると思います。

公務員は全体の奉仕者。いま、官僚の矜持や使命感がものすごくズタズタにされて、貶められている状況にあります。『官僚組織が腐敗・劣化した』のではなく『歪んだ政治によって、公正公平・中立透明であるべき行政が歪められた』という非常に由々しき事態ではないかと思うのです。行政の劣化とか腐敗と呼ばれる状況は、政治が変わらなければ。政治の責任です。

◆全体主義への流れの中で、権力の私的乱用が起きている

――その背景にあるものは何でしょうか?

前川:非常に大きな構図でいえば、「全体主義に向かって国を変えて行こう」とする勢力があるのだと思います。「政治を牛耳り、行政も牛耳る」という状況にあると私は危惧をしています。自由に物が言える状況が失われてしまうのではないか。そういうことが起こりうると思います。
いま世界中で独裁政治が出現しています。中国もロシアもそれに近い状態になっている。「歴史は繰り返す」といいますが、1920~30年代の歴史を学ぶことが重要です。大きな意味でいうと、全体主義の方向を目指している人たちが、何が何でもその権力を維持し、強めていこうとしている。その流れの中で、権力の私的乱用も起こっていると思う。

米国のホロコースト記念館に『ファシズムの14の初期警報』(※文末に詳細)というのがあるのですが、この14項目のうち11か12ぐらい(今の状況は)当てはまっているような気がします。軍事や安全保障をことさら強調し、権力の縁故主義、つまり“お友達優遇”がはびこっている。私は、いま日本はファシズムの入り口に立っていると思います。そっちに行くのか、そうでない方向に行くのか。もう一回、この社会を立て直していけるのか。我々が試されているのではないかと思います。

◆官僚である前に、一人ひとりが尊厳ある個人であることを忘れないでほしい

――現職の官僚に求めることは何ですか。

前川:官僚である前に、一人ひとりが尊厳ある個人であることを忘れないでほしい。一人ひとりが精神の自由を持っている。何を考え、何を信じてもいい。『自分を失うな』と言いたい。
 特に、文部科学省は『自分で考える教育をやりなさい』と言っている。『自分で考えなさい』という教育をしようとしている役人自身が、自分で考えていないのは非常に問題。自分で考える先生、自分で考える役人でいなければならないと思います。そうではないと、自分で考える子供は育てられない。
 自分自身で考えることが大事だと思うのです。そのうえで『主権者である国民である』という自覚を持つことです。国民である自分が公務員である自分を批判する。自分自身の仕事を客観視して、批判する目を持っていないといけないと思います。

【※ファシズムの14の初期警報】米国ワシントンの「ホロコースト記念館」に展示されている、ローレンス・ブリット(政治学者)の言葉。13番目に「縁故主義と汚職の蔓延」がある。

1)強大で執拗な国家主義の宣伝

2)人権の重要性の蔑視

3)団結のための敵/スケープゴートづくり

4)軍隊の優位性/熱烈な軍国主義

5)性差別の蔓延

6)マスメディアの統制

7)国家の治安への執着

8)宗教と支配層エリートの癒着

9)企業権力の保護

10)労働者の力の抑圧もしくは排除

11)知性と芸術の軽視と抑圧

12)犯罪取り締まりと刑罰への執着

13)縁故主義と汚職の蔓延

14)不正選挙

<取材・文・撮影/横田一>

ジャーナリスト。小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」に関する発言をまとめた『黙って寝てはいられない』(小泉純一郎/談、吉原毅/編)に編集協力。その他『検証・小池都政』(緑風出版)など



by nonukes | 2018-05-02 20:29 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

  小坂正則