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小坂正則の個人ブログ

つゆくさ通信187号発行しました


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つゆくさ通信表紙

自然エネルギー100%をめざすゲストハウスの建設へ
小坂正則


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ゲストハウスに併設される予定の市民図書館及び 松下竜一資料館「松明楼」


次世代に向けた終活について

私は1985年9月に横浜から大分に帰って来ました。あれから40年の歳月が過ぎたのですが、私も御年72歳目前です。帰って来た大分で郵便局員と農業に摩崖仏の写真でも撮って、のんびり暮らそうと思っていたのですが、翌年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起きて、私の人生は一変しました。
そして、ふと気づいたら39年の歳月が過ぎていたのです。これまで長いこと一緒に活動してきた仲間の大半が当時は30代の若者でした。それが今日この頃の話題は、身体のどこが悪いとか、物忘れが多いとか、友人や知人が亡くなったとかの話が大半です。
周囲の仲間や友人が突然亡くなったりすることで、私もそろそろ覚悟しなければならないと感じています。だから「脱原発」や「平和」が危ぶまれることに歯がゆい思いが沸き起こるのですが、だからと言って、無力な私にはどうにかなるわけでもありません。ですからせめて「発つ鳥後を濁さず」くらいに周囲の友人や家族に迷惑をかけないくらいの身辺整理は必要と考えています。
そこで、私の「終活」は脱原発を目指した「再エネ」の普及や反原発の資料を整理して次の世代にバトンタッチをすることだと考えています。2004年に松下竜一氏や仲間と一緒に立ち上げた「NPO法人九州・自然エネルギー」も21歳です。そろそろ世代交代の必要をヒシヒシと感じています。なぜなら2004年に大分県に太陽光発電「てるてるちゃん1号」を設置して、大分市やグリーンコープ生協の屋根に「てるてるちゃん」を設置して、合計10機の太陽光発電を作って来ました。県の2機は撤去済みです。大分市の「のつはる少年自然の家」は今年3月に大分市へ寄贈。3年後には4機全てを大分市に寄贈する予定です。残るのは我が家の屋根と事務所の屋根の2機と50KWの全量売電の1機が7年後には終了の予定です。

環境にやさしい暮らしと働く場を

そこで、腐れ切った日本社会を象徴する原発依存の「今だけ、金だけ、自分だけ」という格差と分断の孤立した社会に対して、私は「共感」と「協働」という「もう1つの生き方」の代替案を示したいのです。
それは環境に優しい生活と対等平等の労働の場や、交流の場を作りたいのです。もう少し具体的に言えば、私の母屋をリニューアルして、「再エネ100%を目指す」ゲストハウスを開設することです。そこでは太陽光発電の電気や薪を使った薪ボイラーや薪ストーブで暖を取り、メタンガス発生装置を実験的に作って、厨房屑や糞尿を熱エネルギーとして利用したり、そこで発酵した糞尿などは下肥(しもごえ)として農作物の肥料として使い、農薬や化学肥料を使わない有機栽培を行って、そこでできた野菜など農作物を使って、食事を提供できたら、環境負荷を抑える実験的「ゲストハウス」となるかもしれないのです。
2009年から2年半の間、私は大分県の委託事業でNPOを運営して来ました。そこで使っていない母屋を改造して、「松下竜一資料館」と、無料宿泊所として母屋を解放していました。2011年3.11以後は関東からの避難者を受け入れたりして、複数の家族の避難場所として活躍もしました。
それから6年前には立命館アジア太平洋大学の留学生のベトナムとタイの女子学生が下宿していました。その女子学生の友人の外国人や日本人の仲間が我が家でわいわいがやがやと、ホームパーティーをやったり、グレタ・トゥンベリーさんに共感して地球温暖化防止の「未来のために金曜行動」なども一緒にやっていました。そういう意味では若者との交流を私は随分楽しませていただきました。
2011年3.11以後にこんなことがありました。ドイツのミュンヘン大学の大学院生が日本に来るついでに、私のNPOに来たいというメールが届いたのですが、私は喜んで受け入れました。そのドイツ人の若者2人が私の事務所に来て、お茶を飲んで談話をしていたら、京大の学生がアポなしで、私の事務所にやって来たのです。そこで、私は彼に「ちょうどいいからあなたも一緒にどうぞ」と迎え入れました。そして別府の地獄や地熱発電などの見学に3人を案内したのです。その時、京大生とミュンヘン大学の大学院生はメールアドレスの交換などしていました。その後、彼らの交流が続いているのかどうかは私は知りませんが、私の資料室が3人の出会の場として機能したのです。そんなことが何度かありました。そこで、私は再エネに興味がある若者や松下竜一氏の書籍などを研究する若者や老人でも構わないのですが、この場で多くの人びとがふれ合ったり、交流したりする場として機能できたら、それが私の脱原発や再エネの研究や運動の次のステップになるのではないかと考えていたのです。しかし、日々の暮らしに追われて、その計画もあっという間に10数年が過ぎ去ってしまいました。そこで、もうこれは「私が歩きながら考えるしかない」と考えたのです。

若者の出会いの場と雇用を作る

成功するか失敗するかは分かりませんが、残り少ない私の人生をかけて、最後の挑戦だと考えています。私の道楽になるかもしれませんが、小坂農園はミカンや枇杷に僅かな菜園もあります。農業で生計を立てるのは非常に難しいのですが、観光農園や体験農業に、「市民図書館」と名乗る松下竜一資料館「松明楼」があるゲストハウスで、そこが100%再エネを目指すゲストハウスであれば、日本では唯一無二のゲストハウスとして、「再エネ」の素晴らしさと、「松下竜一の思想」を世界中に発信できるのではないかと考えたのです。しかも、ゲストハウスの1階にはオーガニックのレストラン経営者を迎え入れれば多くの顧客が来てくれるかもしれません。「NPO九州・自然エネルギー」は若者や人びとの交流の場として、発展する可能性があります。また、私の地区にはレストランや食堂がありませんし、ましてや居酒屋も老人の憩いの場のような施設もありませんので、これからますます拡大発展していく可能性もあるかもしれません。
私の計画に興味のある方や何らかの協力ができるかもしれない方や、そんな場所で働いてみたいと思う方はぜひ連絡してください。私のNPOは薪屋と太陽光発電と農業で細々と運営していますが、誰でも遊びに来ることは大歓迎です。

おまけの話「油屋熊八別荘」

別府観光の父と言われる油屋熊八という方が昭和の初めころ別府にて、旅館業や「日本で初めてバスガイド付の観光バスを走らせた人物」として有名です。そんな「油屋熊八の別荘が高崎山のすぐ近くにあった」という古文書がありました。私の住んでる地区で高崎山からすぐ近くと言えば、私の家しかあり得ません。私の家は別府の遊郭の別荘だったということは、私の親父から聞いています。部屋が10数もあり、中庭や大きな池などもありました。私の地区にはそんな大きな別荘などはどこにもありません。だから我が家は油屋熊八の別荘だった可能性は90%以上でしょう。だから油屋熊八の別荘が世界中の若者の交流拠点になれば油屋熊八さんも喜んでくれることでしょう。

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090-1348-0373(小坂)
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上の原稿はつゆくさ通信187号の記事です。
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by nonukes | 2025-07-15 12:56 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)