2024年 05月 06日
原子力規制委の嘘を暴く
能登半島地震で「原発避難計画」は破綻した
私たちの暮らしを奪う原発事故は憲法違反だ
小坂 正則
国と電力会の「避難計画」は絵にかいた餅
能登半島地震による志賀原発周辺の道路の被害状況から、原発事故時の「避難計画は見直すべきだ」と、全国で多くの声が上がっています。
それというのも、これまで国や規制庁がいう「避難計画」は、地震や津波による事故を想定するのではなく、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故など、人為的なミスで大事故が起きたことを前提にしてるようにしか思えません。なぜなら、避難計画を読むと道路が壊れていることを前提にはしていないからです。
ところがこれまでに日本で起きた原発事故は、2007年の信越沖地震による新潟県柏崎・刈羽原発事故や、福島原発事故や今年の能登半島の志賀原発事故などは、みな地震や津波による事故です。
日本の原発の耐震設計は以前より強化されているので、「原発が地震で壊れたけど、周辺住民が避難するために使う道路は壊れていない」という想定は無理があります。志賀原発がもし運転していて、大事故になっていたら、道路は寸断し、家屋は崩壊したのですから、避難も自宅退避も不可能でした。
日本の原発再稼働の条件の避難計画は、一部の道路が地震で壊れることはあっても、大半の道路が壊れることは想定していません。住居の大半が崩壊することも想定していません。ですから「避難計画」はやり直さなければ原発など運転できまでん。
避難計画を作り直すまで全原発は止めるべき
現在動いている原発は12機あります。それらの避難計画はみな「欠陥避難計画」です。バスで逃げたり、自家用車で逃げるのが大半です。NHK4月22日のネットニュースで、「全国の原発避難計画 調べて見えた地域差とは」で、規制庁に避難計画は十分かと聞いたら、職員は「地震と原発事故の複合災害は想定している」や「福島原発事故以前に比べたら対策は格段に向上している」と言った。しかし、中身を十分検討して見えたことがあります。全国19カ所の原子力発電所の中で、地震で道路が壊れた場合、民間事業者への協力体制ができている発電所は6カ所だけ。しかも、その中身を見ると、「放射能漏れ事故の場合は出動できない」というのが大半。(ここまでがNHK)
実は労働者を被曝から守ることは雇用主の義務なのです。雇用主は被曝手帳を持っていない労働者を被曝させることはできません。レントゲン技師や原発の作業員など放射線関係者以外を放射能が漏れ出している中で、バスを運転などさせられません。米国ではちゃんと原発事故時の被曝作業員は各原発に配置しています。ジャンパーとう人たちです。高給をもらうそうです。原発事故時には放射能の中を飛び込むのでジャンパーというそうです。日本でその役目をしてくれる人は自衛隊員の一部と電力会社の社員でしょう。本当はバスの運転手や被曝しても道路を補修してくれる会社などと契約して、被曝労働者として被曝手帳を交付すべきなのです。
日本の避難計画は行き当たりばったりのいい加減
私が日本の避難計画がいかにいい加減かというのは、4月3日の台湾大地震で感じました。台湾政府は地震の4時間後には現地に個室テントを敷き詰めた避難所を用意して、豪華な中国料理など、豊富な食料品が用意されていました。しかも被災者ケアのためにマッサージ師が避難所に出向いて、無料のマッサージのサービスを行っていました。
日本では能登半島地震の被災者は体育館に雑魚寝でパンとおにぎりが、1日に1回しか食べていないと被災者の訴えのニュースを見ました。
日本は台湾と同じ地震国です。しかし日本の避難所は100年前から何も変わりません。昔は学校の講堂に雑魚寝。今は体育館に雑魚寝です。
行き当たりばったりで、事前に用意することを極端に嫌う国ですから。 私は規制庁の「避難計画」が役立たずな机上の空論だと断言します。 なぜなら石頭で無能な政治家と役人が作るから。
規制委は避難計画の見直しは不要という?
1月17日の原子力規制委員会定例会で、山中伸介委員長は「原発の運転許可の見直しの議論はする」と発言。しかし、定例会後の記者会見で、現在の指針について「能登半島地震への対応に問題はない」と述べた。すると記者から、「多数の家屋倒壊や道路が寸断がしたことを踏まえたら、大幅な見直しは必要ではないか」と問われても、「現在の指針や自治体が策定する地域防災計画で対応できる」と述べました。
新規制基準は原子力基本法に違反では?
日本の原子力発電を動かす根拠は「原子力基本法」に則って行われます。「原子力基本法」(2014年改正)の第2条2に「安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として行うものとする」とあります。ここでいう国際基準とは国際原子力機関「IAEA」の示す基準通りの安全性を担保するという意味です。当時の安倍首相は「世界最高水準の規制基準だ」と自慢していました。それではIAEAのいう深層防御とはどんなものなのでしょうか。
第 1 層(トラブルを起こさない)
第 2 層(トラブルが起こっても拡大させない)
第 3 層(トラブル拡大でも過酷事故にさせない)
第 4 層(過酷事故に至っても影響を小さく留める)
第 5 層(避難計画等で住民を防護する)
以上の5層の防御です。ドイツなどのEUでは第6層の防御として、原子炉が暴走して、メルトダウンしたとしても、地下に溶け落ちたデブリ(放射性物質)を耐火煉瓦による受け皿に受け入れて、水との接触を防ぐ施設(コア・キャッチャー)を設置することを新規の原発には義務付けているのです。そのため、」1機が1兆円どころか2兆円にも建設費が高騰しているのです。
しかし、日本では「第5層の避難計画で住民を防護する」が再稼働の規制基準ではないのです。しかも第6層のコアキャッチャーなど毛頭ありません。
規制委員会の山中委員長は「避難計画は審査対象には入っていませんので審査しません」と明確に答えています。避難計画は自治体と政府に丸投げなのです。つまりは「国際基準」を踏まえていないのです。しかし、米国など先進国では避難計画は規制基準の1丁目1番地なのです。
米国のショアハム原発は避難計画が困難で廃炉
1989年にニューヨーク州のショアハム(ショーラムともいう)原発は完成後一度も動かすことがなく、半島の先の住民が原発事故が起きたら原発前を通って避難しなければならない計画だったため、州知事が避難計画が不十分として承認せず、廃炉となったのです。このような半島の先にある原発は日本では能登半島の志賀原発や四電の伊方原発、中国電の島根原発や関電の大飯原発などは米国の規制基準では運転が認められないでしょう。
また「原子力基本法」の第2条の4で、「原子力事業者は…関係地方公共団体、その他の関係機関と連携しながら原子力事故に対処するための防災の態勢を充実強化するために、必要な措置を講ずる責務を有する」とあります。つまりは防災計画や避難のためのバスの手配や耐震設計のある一次避難所などを設置する義務が電力会社にはあるのです。つまり電力会社は事故時に核暴走を防ぐために「新規制基準」の条件を満たすだけではなく、それ以上の対策を進んで取る必要があるのです。
耐震基準補強工事のいい加減さ
福島第一原子力発電所の事故の教訓や世界の最新知見を踏まえ、2013年7月に原子力規制委員会が策定した、「新規制基準」によって、耐震基準などが強化されました。そこで、原発の津波対策や基準地震動(予想される地震に対して対応できる耐震基準)が見直されたのです。
しかし、過去に原発の耐震基準である基準地震動を超えた地震が2005年から2011年までに5回、4原発で起きているのです。ところがどれだけの工事を行えば以前の2倍も3倍もの耐震施設に改修できるのでしょうか。普通のビルなどではよく、壁にXのような鉄骨で支えている、県庁や学校などがありますよね。単なる箱物なら壁に鉄骨をはめ込んだり、車のエアーサスのような地震の揺れを吸収する装置を取り付けられるのですが、原子炉内は配管がクモの巣のように何百キロも走っていて、作業者の手が入らないような狭い場所ばかりなのです。
そんな狭い場所で、1つ1つの配管を完璧な耐震基準を満たすような、工事を行うことなど不可能なのです。実際には原子炉建屋などの耐震補強は行われていません。送電線など補強可能な工事を少し行うだけです。能登地震で志賀原発の変圧器のオイルが漏れ出した事故がありましたが、その変圧器の耐震補強は行われていませんでした。補強の対象外だったのです。耐震補強工事を行うなら原子炉から周辺施設のすべてを補強しなければ、重要施設ではない変圧器のオイルが漏れて火災になったら、原子炉もアウトではありませんか。
そこで電力会社は、コンピューター上で耐震基準のシュミレーションを行います。耐震強化による壁の厚さなどの数値を打ち込んで、その結果、何ガルの揺れに耐えられるという仮想実験をおこなうのです。耐震基準の数値から、想定される地震に耐えられるはずだといっても、実際に地震が来てみなければ耐えられるかどうかなど誰にも分らないのです。
「基準地震動」は原発が
最大の地震に耐えられる数値ではない
基準地震動とは何かというと、「原子力施設の敷地周辺の地質や地震工学的観点などから、原子力施設の運転期間中に発生しうる最大の揺れのことをさす」と説明されていますが、実際には「想定される最大の地震」ではありません。基準地震動を決めるのは原発周辺の活断層が揺れた震源を特定して想定した地震動と、震源を特定しないで、どこで起きるかわからない地震の平均値をとります。しかし、その時に用いる震源を特定しない地震は東日本大震災や能登地震や阪神大震災のような巨大な地震から導くわけではありません。強振動予測で用いるような標準的な弱い地震動の平均値が「基準地震動」なのです。
原発事故は複合災害を想定するしかない
基準地震動を超えたからといって、原子炉や格納容器が真っ二つにわれることはないでしょう。でも、冷却用の配管が破断しただけでメルトダウンを起こす可能性があるのです。小さな配管の損傷が複合災害で重大事故につながる可能性が一番重要なのです。福島原発事故も地震と津波という複合災害による事故です。
熊本地震では最初の揺れが余震で翌日の地震が本震でした。原発の基準地震動では立て続けに2回も巨大地震が襲ってくることなど想定していません。しかも、基準地震動の揺れで原子炉は耐えたとしても外から原子炉に繋がっている冷却用配管の基礎などが隆起や陥没をしたら、それだけで冷却用の配管は破損して、大事故に繋がる可能性があるのです。
東海第二原発は裁判で運転停止中
茨城県東海村にある日本原電の東海第二原発について、茨城や東京などの住民は、「巨大な地震で重大な事故を引き起こす恐れがある」として再稼働しないよう求める訴えを起こしていました。それに対して水戸地裁は2021年3月に「広域避難計画は不備がある」として運転差し止めを命じました。
水戸地方裁判所の前田英子裁判長は、地震や津波の想定などに不合理な点は認められないが、避難計画については「実現可能な避難計画が策定され、実行できる体制が整っていなければ重大事故に対する防護レベルが達成されているとは言えない」と指摘。
「原発から30キロ圏内の住民は94万人もいて、避難計画を策定しているのは14市町村のうち5市町村にとどまり、自然災害を想定した複数の避難経路が設定されていないなど、実現可能な避難計画や実行できる体制が整えられていると言うには、ほど遠い状態だ」として、日本原電に再稼働を認めない判決を言い渡しました。
94万人が安全に避難できる計画を作ることは非常に困難です。周辺自治体が同意するまでには長い時間が必要です。また、現地の反対派の住民は再稼働への動きが始まったら、その前に運転差し止めの仮処分を申し立てる予定だそうです。
政府・電力会社は一次避難さえできれば、
後は知ったことじゃない
日本の原発の新規制基準でも、再稼働の条件はあくまでも事故が起きたら速やかに逃げて、放射能の被ばくを避けることだけが争点になっているのです。しかし、よく考えてみてください。福島原発事故では、強制避難を命じられた避難指示区域の7市町村の大半は原発事故から13年経った今でも帰還困難区域に指定されています。
しかも帰還が許された浪江町の人口は事故前は2万1000人が、21年に帰還した人は1700人です。 また日本人の平均的な被曝量は年間2.1ミリシーベルトですが、福島県の避難指示区域では年間20ミリシーベルト以下なら帰還できるそうです。実に10倍の放射能被ばくを覚悟しなければ帰還できません。しかも除染は日常生活区域しか行いません。山林などは除染してくれませんので、山間部で暮らせば日本人の平均被ばく量の何十倍もの放射能被曝をする可能性があるのです。だから小さな子のいる家族は帰還しないのです。
原発事故で奪われた暮らしは二度と取り戻せない
福島原発事故で故郷に帰れない人は、今でもたくさんいます。福島原発級の大事故が起きたら半永久的に我が家には帰ることができなくなるのです。これこそが原発事故の最大の問題です。戦争で日常生活や暮らしが奪われることは、不可抗力かもしれません。しかし、一民間企業が私利私欲の金儲けのために原発を動かして、それが元で放射能漏れの大事故を起こせば、私たちの暮らしや幸せは全て奪われることになるのです。一民間企業には国民の幸福や暮らしを奪う権利などありません。
原発事故は国民の幸福追求権も
人格権も剥奪する憲法違反だ
日本国憲法 第12条で基本的人権が保証されています。基本的人権とは①平等権(法の下の平等)、②自由権(居住や財産権など)、③社会権(教育を受ける権利や労働権など)、④請求権(裁判を受ける権利など)、⑤参政権の5つの権利だそうです。
日本国憲法第13条では 「…生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、…最大の尊重を必要とする」とあります。私たちは他人に迷惑をかけない範囲で自由に幸せに生きる権利があるのです。
また、いわゆる人格権という権利があります。これは権利者から分離することのできない利益で、私人の権利に属するものです。「プライバシー」や「名誉」や「肖像」や「信用」などの権利です。
国民には私的な生活を営む権利があります。しかも企業の利益追求権は、公共の福祉に反しない範囲で与えられる権利です。他人に大変な迷惑をかけてまで追求できる権利などではありません。
大飯原発差し止め裁判の樋口裁判長の判決
2014年5月21日福井地裁で、樋口英明裁判長は大飯原発判決で次のように言っています。「本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」また「原子力発電所の稼働は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである」と「大きな自然災害や戦争以外で、人格権という根源的な権利が極めて広汎に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故のほかは想定しがたい」と。
また「このような危険を抽象的にでも伴う経済活動は憲法上容認できないというのは極論に過ぎるとしても、少なくとも具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然のことである」、「具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象となるべきで、この判断には必ずしも高度の専門技術的な知識、知見は必要ない」(判決文抜粋)
主人公は自民党でも電力会社でもなく国民
この樋口裁判長の判決が全ての原発裁判の本質です。避難計画がいくらあっても、事故が起きて、故郷を捨て去るようなことを国民に強いることは日本国及び日本国民の国富の損失であり、国民の幸福追求権の侵害なのです。電気を得るためには原発しかほかに方法がないならまだしも、太陽光発電などは低廉で簡単に安全な方法で電気は作ることができるにも関わらず、しかも原発の核燃料の放射能ゴミのような処分もできないものを生み出してまで、経済的にも割の合わない危険なのもを、国民に押し付ける行為は犯罪であり、岸田政権及び原発依存の電力会社は直ちに退場させるしかありません。
しかし、岸田自民党政権は無能で、電力会社と経産省の官僚に唆された人形のようなものです。
自民党政権を倒して脱原発と平和憲法を守る政権に交代をさせるしか、解決方法はないかもしれない。
by nonukes
| 2024-05-06 11:27
| 脱原発大分ネットワーク
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