2021年 09月 20日
「赤から緑へ」ではなく、「赤と緑の革命へ」
マルクス没後1世紀半の現代、地球温暖化の危機を資本論が救うか
小坂正則
50年ぶりに再会した我がマルクス
私は半年以上前に斎藤幸平氏の著書「人新世の資本論」という新書を買ったのですが、最初の数ページを読んだあと、机の上に積み上げたまま今日まで来ていました。この新書が30万部のベストセラーだという話も知っていましたが、先日「西谷文和の『路上のラジオ』」というネット動画の斎藤幸平氏インタビュー番組を聞いたのです。それがすごく感動したので、一気に「人新世の資本論」を読み終えました。
これまで、マルクス主義思想と言われる、「共産党宣言」や「空想から科学へ」など、若きマルクスは「資本主義がスムーズに成長発展を続けた後に、自由主義経済社会が行き過ぎた競争によって、貧富の格差が拡大し、持てる者と持てない者との貧富の格差などの大きな矛盾にが起きて、資本主義の内部に自己矛盾が経済発展の阻害要因となり、資本主義社会のシステムが機能しなくなる。そしてそれを乗り越える新たな社会=社会主義システムが誕生するというのです。これが弁証法でいう、アウフヘーベン(止揚)であり、社会主義社会革命だというのです。そこでは人びとは生産手段を共有し、資本家も労働者も平等になり、人びとの労働は解放される。人々は初めて生活のために自らの時間を切り売りする労働から解放されて、芸術や自己実現と人類のために奉仕するなど、自らの内面から発する欲求や理想の実現のための、真実の労働を行うようになる」とマルクスは言ったのです。
そのマルクスの言葉に、学生時代の私は感銘したものですが、斎藤幸平さんによると、「初期マルクスは経済発展こそが社会革命の原動力と考えていた」というのです。しかし、現在の資本主義社会はますます発展して、暴走しているようにしか見えないのですが、その解決策が社会主義であるとはとても思えません。全体主義で言論の自由のない中国やロシアの社会体制が「地球危機」への解とは逆立ちして考えてもあり得ません。資本主義の暴走を止める解がないままに、世界はグローバル企業が国家をも飲み込んでしまうような、手のつけようのない資本主義暴走社会へと発展していったように、私には思えるのです。
ところが、斎藤幸平氏は「晩年のマルクスは自分が打ち立てた思想に矛盾や問題意識を持つようになり、結局資本論第2部も3部も出版することもなく、彼の経済発展中心の社会変革思想から、無限の経済発展はどこかで行き詰まり、地球という限られた資源の下では、どこかで経済発展を止める必要があると考えたのではないか」というのです。その証拠が、晩年のマルクスのノートに公害問題や環境問題について研究したノートが残っているといのです。また原始共産主義から社会主義への移行過程を乗り越えるコンミューンが世界中に存在していた事実を実に丹念に研究していた」という話に、「機械的な原始から封建社会へ、そして資本主義から社会主義へ」という理論を越えて、一気に「コミューン」が成立している地域や部族などの存在を興味を持ってノートに書き残しているというのです。私は晩年のマルクスが青年マルクスを超えようとしてもがいていたのではないかと感銘したのです。
というのも、マルクスの限界論という説があり、「マルクスは資本主義が発展した先の公害問題や環境破壊などの問題は想定できなかったのだから、マルクスの理論は19世紀の思想であり、現代の地球温暖化や環境危機への解決策はにはならない」という説なのです。
ですから、私は「ポスト資本主義」というテーマで現状の資本主義を超えた、国際的な環境税や国境を越えた投資税の創設や国際的に法人税率を統一するなどで、行き過ぎた資本主義を規制することは可能だと考えたのです。そこで、私はミヒャエル・エンデ「利息こそ社会の元凶だ」という考えに共鳴したり、フリードリッヒ・シューマッハー氏の「スモールイズビューティフル」や「中間技術」などを読んで学んだのです。その1つが「緑の党」の活動だったのです。それは感覚的には「社会主義でもなく資本主義でもない、もう1つの社会」という漠然とした新しい世界を妄想していました。
マルクス思想が現代に蘇る?
なぜ、斎藤幸平氏の話に感動したかというと、マルクスの資本論第1部は1867年に発表されて、マルクスによって出版されたのですが、第2部はマルクスが亡くなった以後の1885年にエンゲルスの編集によって出版され、第3部は9年後の1894年にエンゲルスに寄って出されたのです。
マルクスが資本論第1部を書いて亡くなるまでの18年間に、彼は環境問題や世界に残っている様々なコンミューンの存在などを丹念に研究しているそうです。そして、マルクスの死後、エンゲルスによって「環境問題」も「コンミューン」研究の資本論とは関係ないノートとして除かれて資本論第2部と第3部は出版されたというのです。
斎藤幸平氏によると、ソ連に集められたマルクスのノートを現在のマルクス研究者によって研究された結果、マルクスは公害や環境破壊を起こす可能性のある、無秩序な資本や生産力の発展の矛盾に気づき、その解決策が現存するコミューンの生き方に何かヒントがあるんじゃないかと考えたのではないかという大胆な仮説に、私はもう1回マルクスを学ぶ必要を感じたんです。そこには人類の生き延びるヒントが隠されているかもしれないと、興奮しました。
地球温暖化などの人類の危機を乗り越えるめには、資本主義の無秩序な開発や発展にブレーキをかける必要があります。この問題を解決できるのは、資本主義ではなく、むしろ手あかにまみれたと巷で言われる「マルクス主義」の中にこそヒントは隠されているのではないだろうか。また、江戸時代以前の日本では、自然の中に人間は生かされているという仏教の考えなどがあり、「足るを知る」などの思想は現代社会問題の大きなヒントになるのではないだろうか。「人間の欲求を自ら抑止する」という必要性を生産手段の発展とは別の次元で確立しなければならないように考えるのです。マルクスの理論は宗教家の経典ではありませんので、彼の思想から自由に広がって、人類生存の危機を脱する解を求めればいいのです。真の学問は自由の下でしか発展しないのですから。
無限の経済成長などありえない
「無限の経済成長などありえない」という明快な真理を、資本家の皆さんはご存じないようです。中国やロシアなどの社会主義者でも「無限の経済成長」に夢を抱いています。いえ、日本の政治家もみな、この病魔に侵されています。特に自民党や維新はコロナ以上に「経済成長」の病に重篤化しています。
ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデ氏は配当や金利が社会の元凶だと説いていました。そのエンデの話を書いた、河邑厚徳氏の「エンデの警告」という著書の中に、このような文章があります。
「ちょっと意表をつい例え話をさせてください。キリストの父ヨセフが、西暦元年に1マルク貯金したとして、それを年利5%の複利で計算すると、その人は現在、太陽と同じ大きさの金塊を4個も所有することになります。1方、別の人が西暦元年から毎日8時間働き続けてきたとしましょう。彼の財産はいくらになるのでしょう。驚いたことにわずか1.5メートルの金の延べ棒1本に過ぎません。」
世界の三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教では100年ほど前までは金利は不当であるという理由でお金に利子を付けることを禁じていました。中世ヨーロッパでは富を追いかけること自体が貧欲の罪を犯すことで悪だと教えられていたのです。不労所得は人の道義に反すると考えられていたからです。もちろん現代社会が過去の倫理的世界に帰ることは困難だと思います。しかし、私には人間の煩悩を抑制してきた宗教を古い価値観と捨て去り、現代の“経済”と“科学”を絶対のものとする思想を単純に肯定することはできません。富を追求し高利を得ることを自由とする根拠は、欲望を経済活動のエンジンとして推進して行こうとする産業革命以後の資本主義経済の成立と深く関わっているのです。
21世紀の今日、資本主義の矛盾が頂点に達したような時代の私たちは、「経済とは道義を守ること」という先人の教えから何かを学ばなければならないのではないでしょうか。
1972年にローマクラブが「成長の限界」資源と地球の有限性に着目し、「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」として「もはや人類は成長の限界に達しつつある」と警鐘を鳴らしてたのです。
この年に中津の作家松下竜一氏は「暗闇の思想」を書きます。また、1977年に出版されたエイモリーロビンスの著書「ソフト・エネルギーパス」もハードエネルギーに頼って社会はやがて破綻しソフトエネルギーへシフトしなければ人類は生き延びることは出来ないと語っているのです。これらの説にあるように無限の経済成長や無限の資本の増加などは地球が有限な物体である以上、どこかで頭打ちしてしまうという現実を人類は自覚しなければならないのではないでしょうか。資本主義社会の限界や終わりは必ず訪れるのです。
しかし、どうすれば、人びとは無限の欲望を押さえることができるのでしょうか。これには、私にも1つのヒントがあります。
それは1970年はじめに石油危機によって経済成長が止まって日本もマイナス経済成長社会に突入した時のことです。その時、川崎の清掃課の担当者から聞いた話なのですが、家庭ゴミが減ったというのです。そしてキャベツの値段が上がったら、家庭ゴミの中からキャベツの葉っぱが姿を消すというのです。
またこんな事例もあります。漁協の組合員はいつでも好きなだけ漁を出来るわけではありません。漁期が決まっています。みんが取り尽くしたらアワビやサザエなどは消滅してしまいます。だから消滅の危機を全員が納得したら漁を自主規制するようになるのです。それを人々は「不自由」だとは感じません。なぜなら自分だけが「不自由」ではないからです。みんなも同じように我慢していたら、誰も不自由とは感じないのです。
経済も同じことが言えるでしょう。多国籍企業への法人税の課税なども世界中で一律にしてどこでも課税逃れをさせない共通の仕組みを作れば課税逃れのペーパーカンパニーなどという脱税企業は現れないのです。また、マネーゲームのような金融商品は規制すべきですし、また金利をなくすことが不可能でも世界中で金利へ相当額の課税を行えば税金逃れやブラックマネーなどの闇金融を捕捉出来るでしょう。
つまり、人々の欲望は理性だけでは抑えられませんが、社会的ルールで抑えることは可能なのです。問題はそのルールを1日も早く各国の利害を調整して、大国の利害を一方的に貧しい国に押しつけるのではなく、小国の独立を守る制度となるような仕組みを作り出すことでしょう。
そして、そのような社会的な規制やルールを作ることは生産手段を共有することで可能でしょうし、地域共同体で、漁業の乱獲を防ぐルールを作るようなコミューンをマルクスは共産主義社会と言ったのかもしれません。
松下竜一の「暗闇の思想」
あえて大げさにいえば、「暗闇の思想」ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。きっかけは電力である。原子力を含めて、発電所の公害は今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。もともと、発電所建設反対運動は公害問題に発しているのだが、しかしそのような技術論争を突き抜けて、これが現代の文化を問いつめる思想性をも帯び始めていることに、運動に
深くかかわる者ならすでに気づいている。
かつて佐藤前首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所に反対するのはけしからぬ」と発言した。この発言を正しいとする良識派市民が実に多い。必然として、「反対運動などする家の電気を止めてしまえ」という感情論がはびこる。「よろしい、止めてもらいましょう」と、きっぱりと答えるためには、もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ。電力文化を拒否出来る思想が。
今、私には深々と思い起こしてなつかしい暗闇がある。10年前に死んだ友と共有した暗闇である。友は極貧のため電気料を滞納した果てに送電を止められていた。私は夜ごとこの病友を訪ねて、暗闇の枕元で語り合った。電気を失って、本当の星空の美しさがわかるようになった、と友は語った。暗闇の底で、私たちの語らいはいかに虚飾なく青春の思いを深めたことか。暗闇にひそむということは、何か思惟を根源的な方向へと鎮めていく気がする。それは、私たちが青春のさなかにいたからというだけのことではあるまい。皮肉にも、友は電気のともった親戚の離れに移されて、明るさの下で死んだ。友の死とともに、私は暗闇の思惟を遠ざかってしまったが、本当は私たちの生活の中で、暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないかと、この頃考え始めている。
電力が絶対不足になるのだという。九州管内だけでも、このままいけば毎年出力50万キロワットの工場をひとつずつ造っていかねばならぬという。だがここで、このままいけばというのは、田中内閣の列島改造政策遂行を意味している。
年10%の高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲な電力需要は必然不可欠であろう。しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効率の枠内で解消し難い。そこで電力会社や良識派と称する人びとは、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で、公害を免罪しようとする。
国民すべての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理が出てくる。本当はこういわねばならぬのに――誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。じゃあチョンマゲ時代に帰れというのかと反論が出る。必ず出る短絡的反論である。現代を生きる以上、私とて電力の全面否定という極論をいい
はしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。日本列島改造などという貪欲な電力需要をやめて、しばらく鎮静の時を持とうというのである。(中略)
たちまち反論の声があがるであろう。経済構造を一片も知らぬ無名文士のたわけた精神論として一笑に付されるであろう。だが、無知で素朴ゆえに聞きたいのだが、いったいそんなに生産した物は、どうなるのだろう。タイの日本製品不買運動はかりそめごとではあるまい。公害による人身被害精神荒廃、国土破壊に目をつぶり、ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。
「いったい、物をそげえ造っちから、どげえすんのか」という素朴な疑問は、開発を拒否する風成で、志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。反開発の健康な出発点であり、そしてこれを突きつめれば「暗闇の思想」にも行き着くはずなのだ。
いわば発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝されるなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、「暗闇の思想」があらねばなるまい。まず、電力がとめどなく必要なのだという現代神話から打ち破らねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省でそれは可能となろう。
冗談でなくいいたいのだが、「停電の日」をもうけていい。勤労にもレジャーにも加熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でもテレビ離れした「暗闇の思想」に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。私には、暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている。
(1974年3月刊 朝日新聞社:著書「暗闇の思想を」から抜粋)
by nonukes
| 2021-09-20 23:01
| 「緑の党」をつくろう!
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