2020年 09月 30日
新し運動スタイルへの模索
私たちはどのように訴えたら人は耳を傾けてくれるか?!
小坂正則
上の3枚は今年9月25日の気候ーマーチ(大分駅北口周辺)
私はこれまで40年以上、街頭で道行く市民や学生たちにハンドマイクで訴えたり、ビラを配ったりして政治的な課題や環境問題を訴えてきました。学生の頃はハンドマイクでがなり立てても、道行く人たちは迷惑そうな顔で「過激派学生が何かわめいている」くらいの反応しかありませんでした。でも、それは自己満足の世界でもよかったのでしょう。
それから時は過ぎて30代になってからは「市民運動」のスタイルで「どうしたら共感を得ることができるか」を考えて、道行く市民の嫌悪感をなくすように、身なりやしゃべり方も自分なりに少しは工夫したつもりでした。でも、マイクを持てばやはり、絶叫調の訴えになっていました。チェルノブイリ原発事故が起きた1986年頃は、事故の悲惨さや放射能の怖さを一生懸命に訴えていました。同じように2011年311以降は、日本でチェルノブイリ級の事故が起こったことに衝撃を受けて、どうしても、だんだん声が大きくなってくるような訴えになっていました。しかし、近頃はあまり街頭でビラを撒いたりハンドマイクを持って訴えたりしなくなったのですが、その理由として効果が感じられなくなったからです。多くの市民や学生たちは無表情で過ぎ去っていくように感じることが多くなったのです。
そんな中で、「どのようにしたら相手から共感を得られるのだろうか」と考えた末にたどり着いた結論が「プラカードを持って黙って立つことの方が効果は大きいのではないか」と思うようになりました。そして、街頭という空中戦よりも友人や知人など身近な人と直接話し合うという地上戦が最も効果が大きいと考えるようになったのです。
相手の耳や目を開かせることが重要
今日の社会は「情報過多社会」とよく言われます。これは情報が洪水のように溢れすぎているため、本当に重要な情報がごみのような情報に押し流されて、本当に求めている人びとに届きにくくなっているということです。
また、いくら声高に訴えても、相手が聞こうと思わない情報や声は耳や目には届いていたとしても、それは個人に取っては、ただの騒音や風景でしかなく、聞こうとも見ようとも思わなければ認識できないのです。以下は私のブログ「心が通じ合うということはいったいどういうことなんだろうか」の抜粋です。
私は私の彼女とこんな話をしたことがあります。彼女は3.11以後、放射能の恐怖と原発の恐ろしさを知って行動するようになりました。積極的に誰彼とはなく手当たり次第に多くの人に会って、原発の話や放射能汚染食品の危険性を訴えています。そんな彼女が「周りの人はみな人ごとのように思っていて無関心だ」と嘆くことがありました。そんな時に、私は「あなただって3.11以前は無関心だったじゃない。無関心な人がいてもその人を責めることはできないよ」と。でも彼女は「それは違うよ。私たちにはこれまで原発の危険性を誰も教えてくれなかったのよ。いま、福島原発事故を起こして、これでけ原発の危険性が誰にも分かっているのに、それでも行動しないのはおかしいよ」と。私は「それはちょっと違う気がするね。だって、3.11以前でも本屋に行ったら原発コーナーはあったし、数十冊と原発本は環境コーナーに置かれていたんだよ。それをあなたは見ようとしなかっただけなんだよ。広瀬隆や小出さんの講演会をこれまで僕らは何十回と開催して原発の危険性を話してきたんだよ。だからいくら危険な状態に置かれていても耳を塞いでいる人は何も聞こえないんだよ」と。彼女は「だったらどうすればいいの」と。私は「それは私にも分からないさ。でも、あなたが自分もこれまでは耳を塞いでいたんだってことを理解して、我慢強く、やさしく耳を開けてくれる方法を考えながら話しかけることしかないんじゃないのかな」と話しました。
相手の耳を開くことができるか
私は2011年4月20日から5月20日までの1月間、九州電力本店前の路上にテントを張って「原発の再稼働反対」を訴えるために座り込みをしました。そんなある昼下がりの出来事です。
通行人が「九電前の私たちが通行妨害をしている」と警察に通報があったそうです。それを受けて警察官2人が、私たちのテント村に訪れました。そして、私に警察官から聞き取りがありました。
私は「ごらんの通りですから何の支障もないでしょう」と言いました。警察官は「通報があれば来なければなりませんので」と、申し訳なさそうな感じで言います。すると私の横にいた女性が警察官に向かって「あなたたちも少しは原発事故の危険性を考えたらどう」と、強い口調で言い寄って来ました。私は彼女を制して、「あなた方こそ大変ですよね。ご苦労様です。ところで私たちの行動を支持してくれとは言いませんが、私たちの行動はあなた方のためにもやっているのですよ。もし、玄海原発が事故を起こしたら、あなたは原発現地に行きますか?」と、聞きました。年配の警察官は「上司の命令は絶対でありますので、命令されたらどこへでも行きます」と模範解答を述べました。私は「それはそうですよね。福島に行っている仲間の警察官もいるのでしょう」と、聞くと、「何人かの仲間は現地に派遣されています」とのこと。そして私はもう1人の若い警官に聞きました。「あなたの奥さんは行ってもいいと言いうんですか?」と。すると彼は真剣な顔で「妻は行ってはならないと言います」と答えました。この会話で、2人りの警察官との間の溝は埋まり、彼らの心を開くことができたのです。
私は「あなた方は立場上こういう問題に個人的な発言や行動はできませんよね。でもあなた方の気持ちは私たちも十分理解しているつもりです。あなたの奥さんがそんな悲しいことを言わないですむように私たちは頑張りますから、あなた方もお仕事に頑張ってください」と、言いました。年配の警察官は「皆さんも気をつけて座り込んでください」と。若い警察官は「何かありましたらすぐ電話してください。また、定期的に見回りに来ますので」と言って立ち去って行ったのです。
相手の耳を開いて共感から大きなうねりへ
昨年の9月27日の金曜日と11月29日の2回、そして今年の4月24日にグローバル気候マーチを行いました。ここではビラも作らず、ハンドマイクもなしで、歌を歌ったり、黙ってスタンディングを行いました。すると通行人が足を止めて歌を聞いてくれたり、一緒に歌ってくれる方もいました。「地球が危ない」という主張を静かにみんなと一緒に表現したのです。この行動は「緑の党おおいた」が主催しました。そこにはAPUの留学生たちも参加してくれました。それからAPUの留学生などに日本人の学生たちとのお付き合いが始まったのです。そして今年の9月25日(金)はFFF大分の学生メンバーが自主的に主催者として開催してくれたのです。当日は10数人が入れ替わり立ち代わり参加する行動となりました。
そこにはFBのネット上で参加表明して、お子さんを連れたお母さんや、当日ネットに発信したSNSを見てきてくれた女子高生もいました。飛び入りで参加してくれた女子学生もいたようです。これから彼らは自分たちで月1回の行動を行う予定だと話していました。さて、彼らの行動が社会に対してどれだけの影響力があるかは私には分かりませんが、彼らの行動が人々の共感と連帯へとつながって大きなうねりとなる可能性を期待して、私は彼らの後ろからついて行こうと思っています。
by nonukes
| 2020-09-30 13:35
| 小坂農園 薪ストーブ物語
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