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小坂正則の個人ブログ

明治維新とは薩長の天皇を利用した暴力クーデター以外の何ものでもない

「明治150年記念式典」に明仁陛下が不参加の思いとは?
小坂正則

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本日開催された「明治150年記念式典」

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2013年4月28日に開催した「主権回復の日」の式典で、安倍首相「天皇陛下万歳」と叫んだ


本日23日に「明治150年」を祝う政府主催の記念式典が開催されたそうです。しかし、その式典は天皇陛下と共産党や社民党など一部の野党は参加しませんでした。朝日新聞ネット版によると、「佐藤栄作内閣のもとで開かれた明治100年式典の際は、昭和天皇と香淳皇后が出席したが、今回天皇、皇后両陛下は出席しなかった。宮内庁は「政府からお声がけがなかった」(西村泰彦次長)としている。共産党は「明治150年の前半は侵略戦争と植民地支配に向かった負の歴史。丸ごと祝い、肯定するような行事には参加できない」(小池晃書記局長)として欠席した。」(ここまで引用)
官邸は「式典に天皇をお招きして、来てくれなかったら赤っ恥だから呼ぶまい」と考えたのか、それとも天皇を最も嫌っている安倍晋三が「天皇なんか呼ばなくていい」と菅に伝えたのか知りませんが、明仁天皇も「呼ばれたって、安倍晋三が自分の山口県を持ち上げる式典なんかに行くものか」と思っていたのかどうかは知る術もありません。でも、呼ばれなくてよかったよかった。明治100年式典では佐藤栄作首相が「日本国万歳」と唱和して昭和天皇も一緒に万歳を唱和しています。
なぜ明仁天皇が安倍の主催する式典に参加したくないのか、あの2013年4月28日の悪夢のような「主権回復の日」を再び繰り返したくはないからです。「主権回復の日」とは、サンフランシスコ講和条約が発効され、日本が連合国の占領体制から抜け出して61周年をむかえた28日に初めて開催したものです。その式典が終わって天皇夫妻が退席しようとした時、安倍首相が「天皇陛下万歳」を3回唱和したのです。これに対してマスコミは「天皇の政治利用だ」という批判。中国からは「戦前回帰だ」と言う批判が出ていたのです。ですから、今回の式典に明仁天皇は「また安倍に利用されてたまるか」と考えていたことでしょう。それにしても不参加が共産党と社民党に自由党だけというのは実に寂しい限りです。政府のHP動画では「天皇陛下」の声は消して「万歳」だけが聞こえているそうです。その理由として「マイクが故障した」と答えているそうです。(「天皇陛下」のところだけマイクが故障するか?)

江戸幕藩体制は世界一の民衆文化と地方自治が行われていた素晴らしい社会だった

私は中学校と高校の日本史で「明治維新とは薩長の浪人などが中心となって、封建制度の江戸幕府を倒して近代国家を樹立した」とか、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきました。だから「江戸時代は封建社会で士農工商という身分差別があって、民衆には自由はなくて、農民や町民は武士によって問答無用で切り捨てられた」とか教えられました。確かに現在の私たちのような自由はなかったでしょうが、私たちが想像していたよりも自由で暮らしやすい美しい都市だったようなのです。
江戸100万都市は世界一きれいで、屎尿から紙ゴミまでリサイクルされていた「循環型社会」だったのです。下水道が発達するまでのヨーロッパでは屎尿を道路に捨てる習慣があり、ネズミを媒介してペストが大流行したそうですが、日本では江戸近郊の農家が野菜を江戸に売りに来て帰りに人糞を買ったり、野菜と人糞の物々交換したりしていたそうです。人糞は貴重な肥料として使っていたのです。ですから江戸社会はヨーロッパに比べて衛生状態が実によかったのです。
それだけではありません。江戸社会は文化的にも世界に誇れるほどの日本画や浮世絵などに歌舞伎に文楽や浄瑠璃や相撲など大衆娯楽や民衆文化が、それこそ花開いていたのです。
もちろん、それらの民衆文化は商人を中心にした金持ちが増えたことにより栄えたのでしょうが、農民や貧しい底辺のの人びとにも少しずつ「江戸町民文化」は広がって行ったことだと思われます。

明治以後の産業革命の負の歴史も忘れてはならない

私たちは学校で「鎖国で日本は世界から文化や科学技術が後れていて、明治維新から一気に工業化が進んだ」など、「明治維新以後、日本の近代化は進んだ」と教えられたし、明治維新150年記念して安倍政権は「明治日本の産業革命遺産」として北九州市や長崎と共に山口県萩市の萩反射炉や吉田松陰の松下村塾などをコッソリ紛れ込ませて、山口県が日本の近代化発祥の地であるかのように歴史を改ざんしているのです。反射炉を上げるなら佐賀藩の「たたら反射炉」が最大で、歴史的にも明治以前の江戸時代から作られていて明治遺産どころか「江戸遺産」として登録できるほどの歴史遺産がすでに江戸時代から栄えていたのです。
そして、日本の産業革命を支えた鉄鋼や炭鉱には朝鮮半島から動員された朝鮮の人びとの犠牲の上に作られた歴史であることも忘れてはならないでしょう。ですから、韓国政府は鉄鋼や石炭などの歴史遺産の登録に反対したのです。

明治維新の歴史を見直す必要がある

私は坂本龍馬が大好きです。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」やNHKの「龍馬伝」も欠かさずビデオ録画して毎回欠かさず見ました。ただ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の「竜」の字が「龍」ではないのは「これはフィクションですよ」とい思いがあったからでしょう。史実としては、そんなに坂本龍馬は偉人などではなく、グラバーの手下で武器の闇商人だったから、領主にでも一介の浪人が会えたと言われています。だから私は「フィクション」での「坂本龍馬」が好きなんです。鹿児島県民に西郷隆盛の悪口を言うと怒られそうですが、西郷隆盛は薩摩藩士らを使って江戸で殺人、強盗、婦女暴行等を繰り返し行い、幕府を挑発して、鳥羽伏見の戦いに持ち込んだと言われています。西郷隆盛は今風に言えば極悪非道なテロリストです。そして新政府は戊辰戦争で、会津藩を攻めて、殺された武士などの埋葬を許さず、埋葬した者を罰し、降伏した者を虐殺して、手当たり次第に女は強姦し、女子どもまで首をはねて、会津藩が地獄絵と化したのです。

天皇を利用した薩長独裁政権は今日まで続いている

小説では「龍馬は江戸幕府も含めた共和国政府を作りたかった」といいます。これが嘘か本当かは私には分かりませんが、明治維新前に死亡した坂本龍馬には「明治以後の独裁政権」の責任はほとんどないでしょう。
しかし、薩長による明治新政府は「教育勅語」などを作って、天皇を国民支配の道具に利用して、軍事力で朝鮮半島から東アジア各地で侵略戦争を繰り広げたのです。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と10年ごとに戦争を仕掛けてアジアの人びとや国家に多大な迷惑をかけました。明治政府とは正に侵略戦争国家だったのです。そして1937年の日中戦争から泥沼にはまり込んで1945年の東京大空襲から沖縄戦と広島・長崎の原爆投下を経て敗戦を迎えるのです。こんな戦争国家「明治150年」をお祝いするなどもってのほかです。
このような明治維新を賛美し、「世界に誇る明治維新を再び開花させよう」と考えている「日本会議」や安倍晋三のようなバカは今でもたくさんいるのです。ですから、私は「江戸幕府終焉150年忌」を静かに弔う方がいいのではないかと考えるのです。もしくは「明治から今日までの日本国によるアジアの民衆と日本国民への仕打ち」を反省する式典なら私も賛成します。







by nonukes | 2018-10-23 20:02 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

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