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小坂正則の個人ブログ

大分県民は地裁決定などに屈しない!勝つまでたたかい続ける

福岡高裁へ「即時抗告」で佐藤重憲裁判長の決定を覆そう!!
小坂正則
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大分地裁は伊方原発運転差し止め仮処分を却下

一昨年7月に私を含む大分県内の4名が大分地裁に申し立てた「伊方原発運転差止仮処分」が9月28日、佐藤重憲裁判長によって却下されました。決定文には「原子力新規制基準の内容に不合理な点はない。原子力規制委員会の運転開始の判断にも不合理な点はない。審査課程に看過しがたい過誤や欠落がないことが認められる。よって各争点に関して不合理な点がないことから結論として、本件申し立ての人格権に基づく請求権は疎明を欠き、理由がないとして、これをいずれも却下する」とありました。いわゆる全面敗訴です。「一点の曇りもなく四国電力が正しい」という決定文でした。
実際の決定理由書は326ページにも及ぶ長文です。河合弁護士によると「ゴミ箱にそのまま捨てるような読むに値しない内容」だそです。(この決定の批判は弁護団声明に書いています。また「伊方原発をとめる大分裁判の会」のホームページに全文を掲載していますので興味のある方は見てください)

9月28日に即時抗告を行いました

決定が出た後、2週間以内に福岡高裁に抗告しなければ、この決定を認めることになります。当方の弁護団によって、申し立て期間最終日の10月12日に「即時抗告」の申立書を大分地裁に提出しました。「即時抗告書」では佐藤重憲裁判長判断の矛盾や誤りを指摘し、それを今度は福岡高裁で議論することになります。佐藤裁判長の決定文への批判を徳田靖之弁護士を中心に54ページの素晴らしい「即時抗告書」を書き上げてくれました。(この即時抗告文書もホームページで見ることができます)
以下は私が「即時抗告文」を読んだ感想です。

佐藤重憲裁判長の判断は間違っている
佐藤裁判長は「申し立て人らの生命、身体および健康という重大な権利が侵害される具体的な危険がある場合は原発の運転を差し止めることができる」とした上で、その具体的な判断基準について「原発は、現在の科学技術水準では、常に何らかの事故発生等の危険が残存することを前提にして、どの程度の危険なら避けなければならないかが問題となる」といいます。「この点についてはあくまでも法的な観点から生命や健康という原告の重大な権利が侵害されるのかを考えると、我が国の社会がどの程度の危険であれば受け入れるべきなのかという観点は、すなわち『社会通念』を基準として判断すべきである」というのです。何で突然『社会通念』が出てくるのだろうか?つまり「私たちが受け入れるべき受忍限度は『社会通念』によって決まる」というのです。だったら何も法律などいらなくなる。そして「では『社会通念』とはなにかと言えば、それは民主的な政治過程の下で作られた立法政策を拠り所にするしかない」と言います。「したがって、福島原発事故以後に学識経験者や専門家らの最新の知見で作られた『新規制基準』こそが我が国の原発に関する安全の『社会通念』を体現しているものと考える」と、いうのです。「そこで原子力規制委員会の審査を経て適合性が確認された当該原発の危険性は『社会通念上無視しうる』程度まで管理され、客観的に見て、安全性に欠けるところはなく、具体的な危険性はない」と断言するのです。
 また、「最新の科学的、専門技術的知見を踏まえて『合理的予測』を超える水準での安全性を求めることは、我が国の『社会通念』にはなっていないし、事故の発生を限りなくゼロにしなければならないというような『社会通念』も存在しない」といいます。
 この裁判で私たちが主張したことは『新規制基準』に問題があるということです。それは「合理的安全基準」は「経済合理性」でしかなく、基準が甘すぎるということです。2点目は、「四国電力は、その甘い新規制基準すら満たしていない」ということです。

人格権を社会通念で制限してはならない

この『社会通念』について今回の「即時抗告書」では2つの視点で批判しています。1つは私たちが「伊方原発運転差し止め仮処分」を求めた根拠は憲法13条「全ての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。私たちはこの「人格権」の行使を求めたものです。
2001年5月に熊本地裁で確定した、ハンセン病隔離政策の違憲性が問われた「らい予防法違憲国賠訴訟」で、「国の隔離政策は人格権という基本的人権を著しく侵害するものであり、誤った社会認識(偏見)によりハンセン病患者が差別的扱いを受けた」と認定しています。
このことから、人格権という基本的人権の侵害の有無、その可能性の程度を判断するに当たっては、『社会通念』なる基準を用いることが、憲法13条の趣旨に照らして、許されないことを意味しているのです。その根幹は「社会を構成する多数者の意志や価値判断によって、少数者の人格権が侵害されるようなことがあってはならない」という憲法原則です。また、「社会通念」などはハンセン病隔離政策が典型的な例ですが、国策やマスコミなどの誘導で作り上げられる可能性があるのです。
裁判所は「原発再稼働」を認めるのは社会通念だというのですが、マスコミの調査では国民の6割以上が再稼働に反対で、2割しか再稼働を支持していません。再稼働反対が国民の「社会通念」です。

人格権は国民だけにあり、電力会社にはありません
だから社会通念で原発は止められる

「即時抗告書」の中に、「社会通念で原発を動かすのは人格権の侵害だ」と書いていて、一方で「原発再稼働反対が国民の社会通念」と書いているのですが、それに対して記者会見で記者から「社会通念で原発を動かすのは人格権の侵害だといい、片方で国民の社会通念は原発再稼働反対だと言うのは矛盾しないのですか」という質問がありました。
これはまったく矛盾しないのです。なぜなら原発事故が起これば国民の生存権や人格権を侵害する怖れがありますが、「社会通念」で原発を止めても電力会社には人格権はありませんし、私企業は利益追求が目的なのですから、その代替手段はいくらでもあるから利益追求権を脅かすことにはならないのです。原発を止めても他の方法で発電すればいいだけです。ですから裁判所が「社会通念」で原発を動かすことはおかしいのですが、国民が「社会通念」や多数決で原発を止めるというのことは何ら矛盾しません。原発を止めたからといって、電力会社の社員の人格権を脅かすことなどまったくないからです。

最高裁は「万が一にも事故を起こしてはならない」と判断

佐藤裁判長は「規制庁が作った『新規制基準』は想定される自然災害の規模を『合理的に予想される規模』で十分だ」と、もう1つ裁判所の『社会通念』があります。
日本の原発裁判で唯一最高裁の判決が出ています。1992年10月29日「伊方原発裁判」で最高裁は「原発の運転は技術能力を欠くとき、また原子炉施設の安全性が確保されないときは、周辺住民の生命、身体に重大な危険を及ぼし、周辺環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こす恐れがあるときにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするために安全性のために十分な審査をしなければならない」という判断が出ています。 この中で「万が一にも事故は起こってはならない」という判断をどのように考えるかです。しかも、この判断は2011年3.11前の保安院や電力会社が「安全神話」の虜になっていた時点に出た判断なのです。 当時の裁判所は「専門家の高度な判断であれば事故などは起こるはずはない」という「安全神話」に裁判所までが取り込まれていたのです。その時代でも「万が一にも事故は起こってはならない」という厳しい「安全性」を最高裁は求めていたのです。それでも福島原発事故は起こったのですから、これまで裁判所が安全だと言って原発の運転を認めてきた裁判所にも大きな責任があるはずです。だから、311以後の日本では、「技術的に最高レベルの安全対策」を電力会社に求めなければならないのです。最高裁の判断に従えば「合理的に想定される災害」ではなく「最大規模の自然災害」に備えなければならないという「安全対策」を裁判所は電力会社にも規制庁にも求めなければならないのです。

「合理的に想定される規模の災害」とは何か

佐藤裁判長は「想定すべき自然災害の規模を『合理的に予測される規模』で足りる」と決定文には書いています。しかし、松田式や三宅式などの「基準地震動」の計算式は、これまで日本列島で起きた直近の地震のデータを下にして導き出した耐震基準計算式なのですが、それが自分たちに都合のいい地震だけを入れて都合の悪い大きな地震などは排除して計算式を作っているのです。ですから、その耐震設計基準は予測される最大の地震などでは決してなく、単なる地震の平均値のようなものなのです。
佐藤裁判長がいう「合理的予測」の「合理的」とは「コストがそんなにかからない範囲で行った安全対策で十分だ」という意味なのです。しかし、この2年間に日本列島を襲った地震は、決して松田式でも三宅式でも計算できないほどの巨大地震でした。震度7や震度6強の地震が数々襲ってきているのです。16年の熊本大分地震や鳥取地震に今年になって大阪地震や北海道北部地震などみな直下型でなおかつ活断層がないと言われている場所で巨大な地震が起きているのです。
忖度の好きな佐藤裁判長が最高裁判決に従うのであれば「最高レベルの安全対策」を求めなければならず、「合理的予測の範囲の安全対策」では不十分であり、最高裁判決に反するのです。
以下は2014年の福井地裁樋口裁判長の判決で述べた運転差し止めの根拠となった理由です。樋口裁判長は「2005年から2011年まで僅か6年間で原発の基準地震動を超える地震が5回も原発を襲った」といいます。このように耐震設計を超える地震が頻繁に起こるようでは日本の原発の耐震対策は「万が一にも事故を起こしてはならない安全対策」を求める最高裁判決レベルの安全性は確保されていないので運転差し止め判決を出したのです。

原発の基準地震動を超えた地震
①2005年8月16日 宮城沖地震 女川原発
②2007年3月25日 能登半島地震 志賀原発
③2007年7月16日 新潟県中越沖地震 柏崎刈羽原発
④2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 福島第一原発
⑤2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 女川原発

ハウスメーカーにできて電力会社はできない

「万が一にも事故が起こらないための安全対策」とはどのような対策をいうのでしょうか。「想定される最大規模への対策」と「事故リスクゼロ」は大違いです。前者は「現在の科学技術の範囲で取れる最大の安全対策」で、後者は「絶対的安全」です。
日本のハウスメーカーは、想定される最大規模の「地震対策」にちゃんと対応しているのです。市販のハウスメーカーの住宅は2000ガルにも堪えて、伊方原発は650ガルにしか堪えないのです。伊方原発の「基準地震動」は650ガルです。 阪神大震災でもミサワもセキスイも倒れなかったのですが、95年時でも住宅メーカは1000ガル超えの耐震設計でした。現在では2000ガル耐震は当たり前で、これまで日本で最大地震動の三陸地震4022ガルにも実験上では堪えたそうです。(家が堪えたとしても中の人間が無事かどうかは別ですが)
しかし、伊方原発は建設当初の基準地震動は473ガルでした。阪神大震災以後国による見直しから570ガルまで引き上げられて、今回の規制基準の見直しで650ガルまで引き上げられたのですが、実はこの数字はコンピューターによるシュミレーションでしかありません。実は何も原子炉の中の補強工事などしてはいないのです。ですから皆さんの住宅よりもお粗末な作りかもしれないのです。そんなもので、放射能が充ち満ちた危険極まりない原子力を使って電気を作っているのですから私たちは「直ちに止めろ」と要求したのです。

東電は15メートルを超える津波を予測
でも金のために対策は取らなかった

東京電力の福島原発事故の責任を問う刑事裁判が10月16日からいよいい被告人質問に入りました。その中で、国が出した「地震予測長期評価」の結果によって計算されたプレート型地震による津波の高さから東電社内で「15.7メートルの津波が来る」という計算結果を東電経営陣は「経済合理性」から「無視し得る合理的な基準」として津波対策を取らなかったのです。もし、あの時東電が15メートルを超える防潮堤を作らなかったとしても、ジーゼル発電機のある1階の部屋の扉の防水対策だけでもやってたなら、発電機が水没することはなく、全電源喪失は免れたでしょう。防潮堤の建設は何年もかかり、数百億円の費用がかかるでしょうが、防水ドアなら数日でできて、費用は1千万円もかからなかったことでしょう。だから、より安全性を求めるという意識が最も重要なのです。大分の裁判所にも、そんな想像力はありませんよね。想定される最大規模の災害への最低の対策さえ取らなかったのですから。
「即時抗告書」では、それ以外の佐藤裁判長批判はあるのですが、紙面の都合から最大の争点であるこの2つだけにして終わります。


私案「これからどうたたかうのか」

これまで伊方原発を巡る裁判は4県で行われています。松山地裁と広島地裁で負けて広島高裁では勝って、9ヵ月間止められたのですから、次は高松高裁で勝つか山口地裁岩国支部で勝てばいいのです。このように勝って原発が止まったり、また負けて動いたりを当面は続けることでしょう。その間に巨大地震が伊方原発を襲ってこないことを祈るしかありません。
そして、河合弘之弁護士が9月28日に話していました「新たな仮処分」ということもこれから議論する必要があると考えます。それは「高度な技術論争を要する裁判はもうやめて、誰でも分かるような中学生でも理解可能なやり方で『技術論争』に陥らずに本質的な論点に絞って争う必要がある」と河合弁護士は語っていました。そのような新たな切り口で仮処分を考える必要もあるかもしれません。大分の控訴審では、そんな視点で徳田弁護士を中心に展開するのだと思います。
このようにして裁判を続けることで、原発が動いたり止まったりすれば経費はかさみ続けて、発電コストは跳ね上がり、必ず電力会社にはボディーブローのようにジワジワと「原発裁判」という薬が効いてくることでしょう。それが「司法リスク」という意味です。第二の福島事故が起きる前に「原発は司法リスクが高くてやってられない」と電力会社の経営者が気づいて原発を諦めさせるのです。
もう1つが原発の敵である「新電力」の会社のシェアが伸びて電力会社のシェアが減ることが大切です。消費者のニーズや迷惑にも何ら答えず、親方日の丸の殿様商売を繰り広げる悪徳電力会社は市場から退場してもらいしかないのです。これが資本主義の厳然たるルールです。
私たちは、裁判所の中と外で、「原発事故の危険性」と「原発の不合理性」や「新電力への乗り換え」などを多くの国民に訴えて、1日も早く日本中の原発を止めるたたかいをこれからも今以上に広げていくことが、裁判に勝つためにも必要なことだと思います。

原発と政治は切っても切り離せない関係

福島原発事故のすぐ後の2011年4月4日から5月28日までドイツのメルケル首相は「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を開催して、2025年までに「原発全廃」を決めました。ドイツでは「この倫理委員会」のメンバーを科学者はもちろんですが、宗教者や政治家や哲学者などが参加して「脱原発」を決めたのです。
日本の裁判所で脱原発を実現させるというのは無理でしょう。ですが、樋口裁判長や山本裁判長のような良心的な方々が現実にいたのですから、裁判所の中でも哲学・倫理論争をこれから繰り広げていけば必ず良心的な裁判官へ私たちの思いは届き、「原発運転差止裁判」で勝つことは可能でしょう。科学技術論争ではなく、誰でも分かる憲法議論の裁判を全国で起こせば、マスコミも取り上げてくれると思います。そしてその記事やニュースを見た国民の中に、「やはり原発再稼働はよくない」という民意をどんどん増やして行き、来年の参院選で安倍政権を窮地に追い込むのです。安倍政権が自滅したら、自民党の石破茂氏でも岸田文雄氏でも河野太郎氏でも次の政権は脱原発を掲げる可能性はあり得ます。

世界はすでに脱原発と再エネ社会だ

世界ではすでに再エネの時代が来ているのですが、資本主義国家では日本だけが「原発ムラ」のしがらみの傀儡安倍政権では脱原発は実現できません。ですから次の政権が「原発ムラ」と決別できれば、新たな成長戦略の再エネや電気自動車などへ大きくシフトできるだろうと私は考えているのです。
日本でも原発論争は「原発をいつ止めるか」でしかありません。安倍政権でも、これ以上原発を増やすとは言えないのですから。「今後20年動かし続けるか、直ちに止めるか」の論争なのです。
以上が私の脱原発裁判の戦略です。どうか全国の心ある皆さん、私たちと一緒に「原発倫理裁判」を起こしましょう!新電力にまだ乗り替えていない方は今すぐ乗り換えましょう。そして脱原発の議員を1議席でも増やすために選挙に行きましょう。



Commented at 2018-10-18 21:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by nonukes at 2018-10-19 23:38
> yoshiokaさん

コメントありがとうございます。「獣の正体」を少しだけ見ました。私にはついて行けないお話しでした。いろんな陰謀説がありますが、その全てがウソだとは思いません。ただ、ウソもたくさんあるだろうと思いますので。米国の「911テロ」はチビブッシュが知っていたのか知らなかったのかは定かではありませんが、CIAかどこか米国の中枢が行った陰謀だと私は思っています。特に貿易センタービルへのジェット機の突入と崩壊とペンタゴンへの突入は、どうしてもあり得ないことですから。
また、これに懲りずに書き込みをしてください。

小坂正則
by nonukes | 2018-10-17 18:12 | 原発再稼働は許さない | Comments(2)