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小坂正則の個人ブログ

幸せな老後とは何か

65歳を前にして第二の人生を真剣に考える
小坂正則

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私はこのブログに個人的なことはほとんど書かないのですが、今日は私の極私的なことを書こうと思っています。よく「定年後の人生設計」のことを書いている書物がいろいろありますが、来月65歳になる私は、なぜかその手の書物を手当たり次第に読んでいます。普通の人は定年退職した前後に読むのでしょうが、私は定年退職ではありません。会社を辞めたのは57歳の2011年3月に早期退職で、その後、そのままNPOの専従でこれまで7年間働いて来たので、定年という実感がないまま現在まで来たのです。ところが、65歳間近になって、年金通知が来たり、市の無料パス通知をもらったりして、近ごろ「老後」や「第二の人生」などについて真剣に考えるようになったのです。

とは言っても、私は今でも現役で働いていますので、「仕事がなくて退屈」ということもないのですが、その分だけ「何も考えないまま老いて行く」ことに恐怖心が芽生えたのです。普通の方は定年退職したときに、これからの人生をどう生きるかを考えるのでしょうが、私はこれまで、自動延長のような形で、自営業を始めたので、会社を辞めた実感がないまま今日まで過ごしてきました。
ところが、日本人の男性の平均寿命が81歳くらいで健康寿命が75歳くらいだと言われているのですから、私に取って「残りの人生」で活き活き生きていられる人生が僅か10年しか残っていないのです。この残りの人生をどう生きるべきかは大変な命題だと、ある日ふと気づいたのです。

私に取って幸せな人生とは

日本人の悪い癖で、何でも「ハウツーもの」で探してしまう癖が私にもあります。だから書物に頼ってしまうのですが、書物を読む前から私にも分かっています。「人の幸せは人それぞれなんだから、自分自身の幸せは誰からも教えてはもらえない。自分自身に問いかけて、自分が本当にやりたいことをやることが一番の幸せなんだ」と。でも、「じゃあ私は何をやりたいんだ」と問いかけても、その答えが自分には簡単には見つからないし、「これが今の私の幸せだ」と思っていても、実はこれも「誰かから刷り込まれた偽物の幸せなんじゃないか」と疑ってしまうのです。「本当はもっと別なものが私の幸せなんじゃないか」と不安になってくるのです。
だから、やはり先人たちが考えたり悩んだりしてきたことも少しは役立つかもしれないと思って、これまで「私の幸せ探し」の旅をしてきたような気がするのです。
結局は、自分の幸せとは、今は分からなくて後から「あの時が私の一番の幸せだったんだろうなあ」と気づくことなのかもしれません。ただ、私にも1つだけ言えることがあります。それは311の大震災を経験して感じたことですし、この夏の西日本大水害に遭った方々の惨状からも感じたことですが、「昨日のように今日があり、今日のように明日があることが一番の幸せなんだ」ということは肌感覚で感じていることではあります。

「幸せな老後とは何か」人生100年時代の生き方大研究

私は普段あまり週刊誌は買わないのですが、週刊ポスト(6月15日号)だけは買いました。実に中身の濃い「老後研究」がぎっしき詰まっていたからです。サブテーマは「65歳時点の勝ち組、負け組」とありました。「幸せな老後とは何か」を考えることがテーマだそうでした。
要約すると、最初に「金で買える幸せの絶対量」とありました。老後の不安の第一は生活資金でしょうが、お金で買える幸せには限界があるというのです。三菱総研の調査で2000万円~3000万円の金融資産を持つ人の幸せ度が64%なのに対して、老後の資金としては心許ない200万~500万円の方の幸せ度が60%あったそうなのです。200万円未満の方でも半数が幸せと回答したそうです。
筒井義郎大阪大名誉教授によると〈老後の生活にお金が必要なことは間違いないが、それだけでは「幸せ」だとは言えない。とすればカネ以外の何が「幸せな老後」を左右するのか。筒井教授は「現在の存在感」がキーワード〉という。
「もちろん老後資金は大切ですが、定年を迎えた男性の場合、今の社会の中で存在感を感じられるかどうかが重要です。…多くの資産がある人でも定年後にやりがいがなければ幸福度は下がり、資産が少なくとも、生き甲斐を持ってれば“自分は幸せだ”と感じられます」「生活水準が上がれば幸福度は上がりますがそれは一時的なもので、なれてしまえば元に戻ってしまう。それに対し、友人とのお喋りや趣味に没頭するといった精神的な充実感の方が幸福度は上がったまま長時間続きます。定年後どうすれば精神的な満足感を得られるかが幸福度を上げるカギかもしれません」

「肩書き」よりも新しい「役割」

現職時の肩書きのあるサラリーマンは定年後現職の時に比べて精彩がない方がいますが、それは肩書きだけに生きてきて、いまだにその肩書きを引きずって生きているのでしょう。私の知り合いに、とある国立病院の事務長だった方がいました。その方が「元」○○病院事務長という名刺を持ち歩いていました。肩書きをいまだにすがって生きていたのです。
次にどう生きるかというテーマに「正社員よりもパート」という小見出しで、東洋大久米功一准教授によると、男性は女性よりも働くことに幸福度を感じやすく、それは年齢と共に高まる。60代前半よりも後半、70代になっても幸福度は高まる。…高齢者は評価基準が一緒なら正社員よりパートタイムの方が幸せというデータがある。中でも週15時間未満の労働時間が最も幸福が高くなる…」
G氏の話「たとえ無償の仕事であっても幸福度を得られる。ボランティアの仕事をしていて、人と話すことでぼけ防止になるし、ずっと先まで約束しているので病気にもなれません。家でのんびり寝ている暇もなく、おかげで定年後ますます健康になりました」
過去の経歴にこだわるのではなく、「コンビニで働いてます」や「ボランティアしてます」といった“現在進行形の肩書き”を持つ人が老後も前向きになれるのです。
精神科医の神谷美恵子氏の著書『生きがいについて』の中に〈人間が最も生き甲斐を感じるのは、自分がしたいと思うことと義務が一致した時だと思われる〉ここでの「義務」は「役割」に近い。有償か無償かは問わず、自分の意思を持ち、社会から求められる役割りを果たすことが老後の幸せにつながると言えよう。

「カネよりも友」ふらっと飲みに行ける友人があなたには何人いますか?

その前に「家族の役割」というテーマもあったのですが、私には余り関係なかったので省きます。要は夫婦の間には適当な距離があった方がいいということでした。男は定年後「濡れ落ち葉」のように妻につきまとって、一日中家にいてごろごろしていると、妻に見捨てられてしまうので、自立しなさいという話しでした。私は自立しているので省略です。
そして次は友人のあり方です。長い人生において、時として家族よりも頼りになるのが友人である。だからといって、老後の友人は多いほどいいわけではない。…むしろ友人が3~5人という男性が「幸せな人」の54%を占める。友人は“広く薄く”より“近くに数人”の方が幸せになりやすいのです。
友人という「財産」は金融資産より大きな意味を持ち得る。「シニア調査では『幸せでない人』で友人と余暇を楽しむ人は、資産の大小にかかわらず2割弱しかいません。逆に資産500万円未満」でも『幸せな人』は、3割が友人と余暇を楽しんでいます。お金があって友人がいない人より、お金がなくても友人がいる人の方が幸福度が増すのです」
「納得して死ぬ」には「存在感」「生きがい」「役割」「家族」「友人」「若い世代との交流」など定年後の人生を幸せにするキーワードは数多くある。作家の曾野綾子氏はとありますが、私は曾野綾子が思想的に大嫌いなのですが、まあ、週刊ポストの話しですから書き抜きましょう。著書『納得して死ぬという人間の務めについて』で、〈1つ屋根の下にある生命の今夜を、私のできる範囲で幸福にすることが、私が「納得して死ぬ」ために自分に課した、目下の務めなのである〉
どんな些細なことでもいいので自らに課した“責任”を背負って生き切ることが、定年後の人生にハリを与え、納得して死ぬことにつながる。もしかしたらそれは“死”という人生最後の局面で“勝つ”ための秘訣になるのかもしれない。
最後に同窓会を利用しようとあり、「いい顔」をしている人は「お金」の話しなどはほとんど出てこない。もうひとつ「いい顔」の人は「若い人と接している」ことが多い、とありました。(ここまで週刊ポスト要約)

さて私はどう生きるか?

私にも背負っている「役割」やヤギやニワトリという生き物への「務め」もあります。仲間や友人も少しはいます。心許ない家族も一応あります。それでも「不安」や「安らぎや幸福に満ちあふれ感」を感じることはあまりありません。孤独を感じることは生きている以上仕方のないことなのだと諦めてもいます。ですから回答の出ない答案用紙に取り組んでいるような不安を感じながら、これからも少しでもいいので「満たされた感」を感じられるような心の「充実感」を求めて残された人生という時間を羅針盤のない航海のように生き続けるしかないのでしょう。




by nonukes | 2018-07-22 16:06 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

  小坂正則

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