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小坂正則の個人ブログ

伊方原発運転差し止め訴訟 大分地裁第9回口頭弁論 原告意見陳述書(案)

意見陳述 (案)
小坂正則

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私には尊敬するセンセがいます。それは松下竜一という中津の豆腐屋から貧乏作家になった心優しい人です。彼が生きていたら、間違いなくこの場で、蕩々と傍聴人の皆さんが涙を流さずにはいられないほどの意見陳述をおこなっていたことでしょう。しかし残念ながらセンセは2004年に亡くなりましたので、私が松下竜一センセの変わりはできないのですが、喋らせて頂きます。「暗闇の思想」という書物を1973年に書いたのですが、今でも、その思想が生きていると思っています。「電気は足りなければみんなで分かち合えばいい。月に1度でもいいから停電の日があればいい。そしたら電力のありがたさが分かる」等々と。

私が原発に疑問を持ったきっかけ

 私が若い頃住んでいた川崎市は革新伊藤三郎市政で、日本一の住民サービスを掲げて、家庭ゴミは分別なしの何でも収集と毎日収集が市政の看板政策でした。新聞紙などの資源ゴミも全部燃やしてたのです。また私の働いていた郵便局の近くにゴミ焼却場があったのですが、そのころ乾電池の水銀が大きな社会問題となっていました。ゴミ焼却場から水銀が大気中に放出されていたのです。そこで何でも燃やす川崎市のゴミ焼却を止めさせようと、私たちは分別収集の是非を問う住民アンケートを取って、清掃局長と交渉を行いました。結果的には、私たちの住民運動に押されてかどうかは分かりませんが、2回目の交渉の当日の朝に川崎市が急きょ記者会見を行って、「準備でき次第分別収集を実施する」と発表したのです。新聞記者から「住民との交渉によって分別収集を始めるというのは彼らの面子が立たないので、交渉の前にやると決めたのですよ」と聞きました。確かにそうかもしれませんが、大量生産・大量消費の時代が大きく変わる節目だったのだと思います。ただ住民が立ち上がれば政治は変えられるということを私は強く実感しました。
 川崎の郵便局では深夜勤務のある職場でしたので、勤務明けの日や休日には、生協のお母さんたちと一緒に、私がトラックを運転して廃食油を回収し、石けんを作るボランティアをやりました。私の妻が友人と一緒に無認可保育所をやっていたので、保育所の資金稼ぎのために古紙の回収をしたり、周辺の住民から不要品を集めて、リサイクルバザーなどもやりました。
 私はミミズを飼ってゴミから肥料を作ったりして、ゴミ問題に関わる中で、「使い捨て」から「循環型」へ私たちの社会を変えなければならないと思うようになりました。 人間以外の生物も糞は出しますが、処理できないゴミは出しません。糞や死体は、それを餌とする微生物などが食べて生命を循環させます。なぜ人間だけがプラスチックや、ビニールなど腐敗しないゴミを大量に使い捨てるのでしょうか。ゴミの中でも一番やっかいなゴミが使用済み核燃料から出る放射性廃棄物です。これは科学の力ではどうにも処理できません。放射能は時間だけが解決してくれるのです。ただ何万年という長い時間をかけなければ解決できないのですが。
 その後、親父の農業を手伝おうと思って、1985年に大分に帰ってきた翌年の4月26日に、ソ連のチェルノブイリ原発事故が起こりました。8千キロ離れた日本まで放射能が降ってきたのです。

再エネNPOを作ることで反原発運動を分かりやすく

 1986年の夏に大分市のトキハ前でビラを撒きました。「たった1人で伊方原発に反対する大分市民の会」という名で、8月30日に伊方原発見学ツアーに参加しませんかというビラです。そのツアーに参加してくれた12名の仲間と一緒に大分の反原発運動は始まりました。32歳の若造だった私を松下竜一さんや梶原徳三郎さんなど先輩方が、私たちを支えてくれたのです。
 あるとき街頭で「原発はいらない」というビラを撒いていたら「お前は原発がそんなにいやなら原発の電気は使うな」という人がいました。その時考えたのです。そんなわからんちんに一番分からせる方法とは、自分で電気を作って「私は九電の電気は使っていませんよ」と言うのが一番だと。それに反対運動というのは実にしんどいたたかいなのです。そこで、「せめて何か楽しいこともやろうじゃないか」と考えたのです。それに、ただ反には必要ではないかと考えました。ちょうどその頃、NPO法が出来て、市民事業が起こしやすくなったという背景もありました。
 2001年に再エネNPOを立ち上げて、大分県や大分市や生協の屋根などに「大分県民共同発電所てるてるちゃん」を10機作って、電気の産直運動を始めました。その目標は「市民電力会社」を作ることです。ただし、現在は新電力会社がたくさん出来ていますので、「市民電力を作ろうという看板は下ろしました。今は薪を作って販売したり、ヤギやニワトリを飼って、自給自足に近い生活をやりながら、原発を止めた後の代替エネルギーの研究を行っています。

なぜ原発はだめなのか

今までのは前段で、ここからが本題です。2年前の2016年4月1日より、一般家庭の電力の自由化ががやっと始まりました。なぜやっとかというと、OECD加盟34カ国の中で電力自由化は、日本が最後だからです。日本の電力自由化には「発送電分離」の方法など山ほど問題がありますが、それでも始まったことは一定の評価をします。
 いまでは電気は、私たちがスーパーや八百屋に行ってキュウリやナスを買うように、自分の好みの電気を買うことができるのです。無農薬のキュウリがいいのか。放射能たっぷりの電気がいいのか選択出来るようになったのです。一昔前のような「地域独占事業」ではなくなったのです。そして、一般家定の電力の新電力への乗り換え率は関西電力が最高で18%。東京電力が15%です。九州電力は7%。全国平均で10%です。それに工場などの高圧電力は12.1%(昨年4月経産省発表)で、全電力の20%以上が乗り替えていて、新電力は着実に増えています。
 これまで電力は地域独占でしたから、電力事業は水道事業と同じように「公益性」が求められていました。「電力の安定供給と低廉な電力を届ける」という責任が電力会社には課せられていたのです。ですから、原発裁判では、公益性を盾にして、「少々の原発事故の不安はあっても受忍限度内だ」という裁判所の判断が出されていたのです。しかし、「電力地域独占」が終わって、供給率もどんどん減ってきているのですから消費者の声を無視した経営者は消費者に見捨てられるでしょう。私に言わせればこれまでの電力会社は押し売りのようなものです。私の家に黙って入ってきて「四の五の言わずに原発の電気を黙って使え。文句があるなら電気を止めるぞ」と一方的に電気を買わされ続けてきたのです。
私は2016年の5月に新電力に乗り替えたのですが、その時担当者は「原発がいやだから乗り替えるというお客様は多いですよ」と話しいていました。そうです。押し売り商売のような電力会社からどんどん顧客が逃げていけば、いくら原発を動かしても電気は売り先がなくなってしまうのです。それは自由市場社会の原則です。ですから裁判所も「原子力発電の公益性」などという考えははやめてください。原発にはもう公益性も必要性もないのですから。
 もう1つ、こんな話しがありました。私の両親は満蒙開拓団員でした。2人の息子を亡くして母親1人で日本に帰って来ました。父親はシベリアに抑留されました。そんな開拓団仲間の方が佐賀県に帰って養豚業を始めたそうです。今は息子さんが後をやっていますが、最近聞いた話です。養豚場はハエと匂いがすごいので、人家の少ない土地で養豚を始めたそうですが、そこにも家が建ってきて、周辺住民から出て行けという声が起こったそうです。仕方なく、もっと田舎の方へ引っ越したそうです。今はまだ周辺には家が少ないので、どうにか養豚業はやれているが、またいつ引っ越ししなければならなくなるか不安だというのです。
 そんな零細企業の社長が周辺住民の健康に配慮して商売を行っているのです。しかも後から来た人が前から居た養豚業者にくさいから出て行けといわれて、出て行くのです。
 四国電力の社員の皆さん。私は伊方原発が出来る前から大分に住んでいますよ。皆さんよく耳を大きく開けてしっかりと聞きなさい。放射能は色も匂いも味もしませんが、浴びたら大変な健康被害を受けるのです。原発を建てるとき電力会社の皆さんは「事故は絶対に起こりませんが、万一起こっても周辺8キロから10キロまでしか放射能は漏れませんから大丈夫です」と言って建てさせてもらったのでしょう。それが真っ赤なウソだったことを福島原発が証明しました。それなら契約は白紙の戻すが当たり前でしょう。
 福島から250キロ以上離れた静岡のお茶まで大量の放射能が降ってきて、フランスから茶葉が返品されたことがありました。伊方原発がメルトダウンしても、大分まで放射能が来ない場所、最低250キロ以上離れた場所まで原発は引っ越してください。私の知り合いの養豚業者のように。私はあなたたちが来る前からこの地に住んでいるのですよ。それが日本国憲法の下に与えられた私たちの権利です。私たちの要求は基本的人権と人格権の最低限の行使です。裁判官の皆さん、どちらの主張が正しいか、分かりきったことではないでしょうか。四電の主張は福島原発事故の後の、私たちの受忍限度を遙かに超えています。

脱原発と再エネ誘導は日本の進むべき道

これまでの仮処分審尋や口頭弁論でも「原発事故の危険性」を中心に議論されてきました。それはやむを得ないことなのですが、私は少し視点を変えて、世界で今起こっているエネルギー革命についてお話ししたいと思っています。この裁判がいつまで続くかは分かりませんが、電力をどの発電方法で発電するかという議論は、あと5年もすれば決着がつきます。原発がどんなに頑張っても、再エネ電力にはかないません。世界中で原発を持つ理由はたった1つです。それは核兵器を持ちたいから国策として原発を進めるのです。
資源エネ庁が日本の原発の平均コストは12円とか言っていますね。311前は5.3円とか言ってましたが、さすがに今は12円とかですよね。でも、その12円は福島原発事故の廃炉費用などを11兆円という根拠で計算した金額ですが、それが2016年には21兆円と見積もられているのですが、実際には70兆円を越えると民間シンクタンクの日本経済研究センターは出しています。(2017年4月2日 東京新聞)つまりは次々と膨らむ原発事故費用を加えれば、原発の発電コストは50円にも100円にもなるかもしれないのです。それに対して太陽光発電の原価は現状では30円以上ですが、昨年12月17日のNHKスペシャル「脱炭素革命の衝撃」で中国や中東では太陽光発電のコストが3円とか2円だと解説していました。しかもここ3年から5年でまた、その半額になるだろうと。確かに今1キロワット3円だとしても。それは発電所での単価であって、送電線やバッテリーなどの付帯施設全体のコストを足すと、そんなには安くはありませんが。
しかし、これからどんどん普及するにつれて安くなるのです。「パリ協定」の発効で2050年ころには温暖化ガスはほとんど出せなくなるのです。すると、石炭火力がいくらコストが安くても発電所は動かせないのです。その代替施設は再エネ電力しかないのです。だから世界中の投資家が「再エネが一番儲かる」と、気づいて再エネへの投資に火がついたのです。自動車も同じように2050年には二酸化炭素を出せなくなるので、これからは電気自動車だという方向性がハッキリしたので電気自動車の開発競争にも火がついたのです。それに大きな影響を与えたものがカリフォルニアの排ガス規制です。この規制は、一定数の電気自動車を生産販売してない自動車メーカーはガソリン車の販売に規制がかかるのです。その規制は中国でも導入しました。中国も同じような規制を作って自国の電気自動車産業を育成させています。
そこで、電気自動車が普及すればバッテリーの価格が下がり、太陽光発電と風力など、再エネ電力の不安定さをカバーするためのにバッテリーが普及するというように再エネと電気自動車とバッテリーの普及は連動しているのです。
3月29日の朝日新聞に出ていました。ソフトバンクの孫正義さんがサウジアラビアに2030年までに100万キロワット級の原発200基分の太陽光発電を21兆円かけて建設するそうです。このような流れは止めようがありません。日本政府や電力会社がこの流れを止めようと思っても世界中で勢いついた流れは誰も止めることは出来ません。太陽光発電はまだまだ安くなります。そして原発はますます事故防止対策を講じる必要に迫られて建設コストはどんどん上がるのです。世界中の原発メーカーはどこも虫の息です。フランスの国営アレバも赤字倒産の危機。日本の日立も三菱も東芝はもちろん、大赤字です。それからの日本の若者の雇用と大分の地元の産業や生活を守るためにも世界の技術の最先端を行く必要があります。これから何が伸びて何が衰退するか。それは政府や企業だけの責任ではありません。裁判官も、日本の若者の雇用を創出するために、世界の流れに乗り遅れないように国を挙げて新しい産業の発展を支えようではありませんか。
この国の総理大臣は少し頭がおかしいようです。日本の成長戦略の3本の柱が武器輸出と原発輸出とカジノの誘致だと言うのですから。どれも人びとを殺すか廃人にしてしまう産業です。私は私が死んだ後も、かわいい私の孫が平和に安心して暮らせるような豊かな日本を残してあげたいのです。だから私は裁判所の中でも、裁判所の外でも500名の原告の仲間と200人を超える応援団と、この裁判に感心を持ってくれている多くの県民や国民と一緒に、日本中の原発を一基残らず止めるまで、たたかい続けることをここに固く約束して、わたしの意見陳述をおわります。ご静聴ありがとうございました。
5月24日の意見陳述案です。


by nonukes | 2018-03-31 02:49 | 原発再稼働は許さない | Comments(0)

  小坂正則

by nonukes