2017年 08月 11日
テロを防ぐためにはプライバシーの侵害もやむを得ないか
情報公開とプラバシー保護は民主主義の根幹
プライバシー侵害、3つの現実
私が「テロとプライバシーの関係」に関心を持つようになったのは、3つの出来事がきっかけでした。1つは以前から主要道路の上にはNシステム(自動車ナンバー自動読取装置)が全国に配置されていますが、1994年に起きた「福岡美容師バラバラ殺人事件」で、高速道路や幹線道路のNシステムから容疑者逮捕につながったということがありました。そしてオウム真理教事件でもNシステムが逮捕の大きなきっかけとなったことから、全国の主要道路にNシステムの設置が広がって、今日では当たり前となってしまっています。このことに私は以前から大きな違和感を感じていました。もう1つは、元CIAとNSAの職員だったスノーデン氏の内部告発(米国政府は世界中の個人の情報をグーグルやフェイスブックや携帯会社の協力を得て収集していました。また協力に応じない会社に対しては違法な手段を使って盗聴していたのです)を映画や書籍を読んで知ったことです。そして、最後に5月25日、元文科省事務次官の前川喜平氏による記者会見で、「私が出会い系バーへ通っていたという読売新聞記事は官邸による私への脅しだと思った」という発言から、「国家権力はプライバシーを脅しの材料に利用している」という、現実を知ったのです。
「出会い系バー」読売記事は国権力による陰謀
前川氏の事件は私も含めて多くの国民に大きなショックを与えたことでしょう。週刊誌や新聞などで不倫報道や疑惑記事が出たりしますが、それが国家権力の陰謀に使われたという証拠が公になることはほとんどありません。もし、今回の「出会い系バー」記事により、前川氏が官邸の要求に応じて、内部告発をやめていたら、この事件は闇に葬られていたのです。前川氏に文科省の元部下から「杉田補佐官が前川氏に会いたいと言っているが会わないか」と電話があったと証言しています。前川氏がもし、この問題をもみ消してほしいと思って杉田補佐官と会って取引を行っていたら、この問題は表に出なかったのです。今回前川氏が裏取引に応じなかったことで官僚の口封じに警察の身辺調査が利用されているということが証明されたのです。つまり、官邸や国家権力の中枢の人間は、このような手段で自分たちの行っている不正をもみ消していたのでしょう。だから私は前川氏の勇気に頭が下がるのです。国家に刃向かうということは命を狙われる可能性も大きいのです。ロッキード事件の時の田中角栄の運転手は不審な自殺をしました。もんじゅのナトリウム燃料漏れ事件を告発した課長は不慮の死を遂げました。日本でも国家に刃向かえば生命の保障はないのです。
もちろん前川氏の証言はあくまでも状況証拠に基づくものです。物的証拠があるわけでもありません。しかし、読売に記事を書かせたのは官邸の杉田補参官であることは間違いありません。その前に前川氏は杉田に呼ばれて注意を受けているから。
個人情報を最大に集められるのは国家権力
現代は情報化社会ですから、警察などの捜査機関には様々な個人情報が集められます。一番効果が大きいものが政治的なライバルの女性関係や贈収賄情報などです。これを持ったものは政治家生命を奪うことも可能です。国家の最高権力を持ったものは首相と官房長官です。だから安倍や菅官房長官は森友事件や加計疑惑を様々な手を使ってもみ消しを図ったのでしょう。
私たち日本国民には基本的人権が保障されていて、理由もなく捜査を受ける義務はありませんし、現行犯でなければ令状なしに逮捕もされません。しかし、捜査当局が何らかの犯罪に関係しているのではないかと疑えば、「内偵」行動をとることは違法ではありません。しかし、警察が前川氏を贈収賄や売春容疑で内偵したとは考えられませんので、前川氏の存在が目障りとなった官邸が警察官に、前川氏を尾行させたのでしょう。そこで、前川氏への脅迫材料として「出会い系バー通い」が浮上したのです。官邸は、前川は売春をやっていると100%確信したのでしょう。だから、菅官房長官は「貧困問題の調査という言い訳は非常に違和感を感じる」と発言したのでしょう。これで前川を「買春容疑」で逮捕できると考えていたのです。
行政行為の正当性は情報公開でしか保障されない
前川氏は「行政が歪められた」と、発言していましたが、もし、彼が官邸と裏取引に応じていたら、行政はもっと歪められて、事件が事件として表面化することもなかったのです。
国家の腐敗や汚職は民主主義の最大の敵です。だから公文書の情報公開や行政が行う決定事項の経過や政治家の関与などあらゆる行政行為上の手続きは行政文書として残すことが求められているのです。
ところが「森友事件」では財務省には全く文書は存在しないとか、記憶にないとして隠しています。「加計疑惑」では文科省では少しは文書が出てきますが、総務省では全く文書はないとして隠しています。国や地方自治体が行う事業は国民の税金で執り行われているのですから、主権者には知る権利があります。税金が公正・公平に使われているかを知らせることは行政の最も大事な責任です。それを隠すということはやましいからです。情報を佐川理財局長のように公務員が「記憶にありません」や「文書は破棄しました」と言って、隠したりウソをついたりすることは国家公務員法違反です。そのような行為が蔓延したらこの国の秩序は崩壊して国民はまともに税金を払わなくなるでしょう。だから、情報公開は公務員の最も重要な仕事の1つなのです。
プライバシーをさらけ出さなければテロは防げないか
そして、「テロを防ぐためにある程度のプライバシーの侵害はやむを得ない」とか、「自らにやましいことがなければプライバシーをさらけ出しても何の問題もない」という人への回答として、私は「テロを防ぐ」という理由でも決して「プライバシーを売り渡してはならない」という答えを論証していきたいと思うのです。
「いわゆる個人情報保護やプライバシーの扱いが厳しくなって大変だ」という声をよく聞く。例えば、「自治会が区内の独居老人や災害時に手助けが必要な障害者の個人情報を、個人情報保護法を理由に開示してくれなくて自治会長さんが、災害時の避難計画を立てられない」という話などを新聞やテレビで聞く。それは杓子定規の自治体の対応にこそ問題があるのではないかと私は思うのですが。自治会と自治体が災害時の対応についての契約を交わせば済むことだと思う。そのほか、病院に見舞いに行っても、病室の入り口に患者の氏名は表示していないことが多いなどもプライバシーの尊重する時代を反映しているのだろう。また、小中学校ではクラスの連絡表などは今は配らないそうだ。昔はクラスの親の電話番号一覧表は全員に配られていた。私はその電話番号表を使って「小学校五年生のレントゲン検診を受けないように」電話して、13名の児童がレントゲンを拒否した事件を起こしたことがあった。詳しくは(大分市小学5年生のレントゲン検診をやめさせたたたかいの記録)をご覧ください。
今日のように「個人情報保護」や「プライバシー保護」が必要なったのは時代の大きな変化が理由なんだと思うのです。
今日のような大量のデータ処理と保存が可能になった情報化社会では、大量の個人情報が飛び交い、それを持った者が持っていない者に対して絶大な権力を行使することができる社会になったのです。だから、権力者によるプラバシーや個人情報の恣意的な取り扱いを厳しく規制する必要があるのです。
プライバシーがなくなればあなたはあなたではなくなる
上の文はスノーデン氏の言葉です。集英社新書「スノーデン日本への警告」のなかでスノーデン氏が発言しているプライバシーの保護が個人にとって必要なことかを語っています。
それでは、私が私ではなくなると、私は何になるのでしょうか。「社会のものになる」と、スノーデン氏は言います。つまり、個人としての人格も尊厳もなくなり、単なる社会の「もの」としての存在になってしまうというのです。私は9羽のニワトリを飼っています。彼らは私の監視下にあります。私が彼らに餌を与えなければ彼らは自分でニワトリ小屋を出て散歩も餌を探しに行くこともできません。まさにこのような状態を「社会のもの」と表現したのでしょう。誰かに自由にコントロールされる存在になるのです。
また、「隠すことがなければプラバシーの権利を主張するひつようはない」というのは「話したことがなければ言論の自由は必要ない」と言うほど危険なことです。と、言ってます。
つまり、犯罪を起こしていない私には少々のプライバシーが侵害されてもやましいことがなければ何も問題ないという人への回答です。
私たちは内心の自由があります。何らかのトラブルで、「ケンカした相手を殺してやりたい」と、思うのは自由です。行動を起こせば犯罪として処罰されますが、心の中で思うのは自由です。男性が性的な欲求で女性を犯したいと思うのも自由です。でも、人は理性で感情をコントロールしたり、代替手段で解決します。ポルノをコッソリ見たり、いわゆるわいせつ画像を集める趣味だって個人で行うことは自由です。性的趣向など、人は様々なプライバシーに包まれているのです。その内心の自由の大部分が剥がされるのは国家権力に拘束されたり刑務所に入った時だけです。私がニワトリになった時だけです。それでも想像したり考えたりする自由は残っていますが。
プライバシーのない国は警察国家
「1984年」というジョージウォーエルの小説がプライバシーのない警察国家で、そこで抵抗を試みる主人公の物語です。現在を予言したような小説です。敵国のミサイルが主人公の国を攻撃するのですが、実は敵国と自国は同一の支配者だったという、笑うに笑えないお話しです。私は少なくとも金主席と安倍は互いに連絡を取りってはいなくても心中では通じ合っていると思います。トランプとも心では通じ合っているかもしれません。「憎き敵国があれば自国の民はいともたやすく支配できる」からです。為政者から内心自由を守るにはプライバシー権を確保することが最重要なのです。「私はやましいことなどないのでプライバシーが侵されてもいい」と言う人は「私はニワトリでいい」と言うのと同義語なのです。
「共謀罪」の成立で、犯罪を犯す前に謀議しただけで何も実行行為がないにもかかわらず罰せられるというのは、内心の自由を取りしまることへと拡大解釈がされる危険性があるのです。盗聴法も改正されて、警察はいつでも自由に盗聴できるようになりました。そして監視カメラやフェイスブックやSNSの内偵で、国家権力にとって都合の悪い人間やグループをデッチ上げの容疑で拘束してえん罪を作り出すことができるようになったのです。戦前の特高警察が自由主義者や普通の市民まで拘束して「国家へ不平や不満」も言えなくなりました。そして読売新聞やサンケイ新聞やNHKを見ていると、マスコミも国家の従順な召使いに飼い慣らされて、軍部の暴走を許した戦前のような時代になりつつあるのではないかと不安です。それに前の佐川理財局長、現国税庁長官のような官僚ばかりになって、やがて官僚たちはこの国を破滅へと陥れるのではないかと、私はとても不安です。最後に腐敗した支配者に抵抗できるのは無辜の民だけなのかもしれません。
by nonukes
| 2017-08-11 16:45
| 小坂農園 薪ストーブ物語
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