2016年 11月 18日
伊方原発運転差し止め訴訟の第1回口頭弁論がおこなわれました
伊方原発運転差し止め訴訟の第1回口頭弁論がおこなわれました
小坂正則
昨日の10時20分から大分地裁で「伊方原発運転差し止め裁判」の第1回口頭弁論が行われました。私たちが伊方裁判をやろうと決めてから半年、裁判の会を立ち上げた7月から4ヵ月でやっと裁判が始まりました。これから4,5年と息の長い歳月がかかると思いますが、無理をせずに気長に裁判を楽しむつもりで関わっていきたいと考えます。
第1回の口頭弁論は松本文六原告団代表と徳田弁護団代表弁護士のお二人が意見陳述を行いました。お二人の意見陳述はどちらも気品があり、しかも説得力のある本音で語っています。特に徳田弁護士の話には感銘しました。田中正造翁の「真の文明とは山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という引用には感動しました。田中正造の精神は今でも生き続けているのです。詳しくは意見陳述書を添付していますのでぜひ読んでください。
意 見 陳 述 書
平成28年11月17日
原告 松 本 文 六
1 原告団の共同代表をしております松本文六です。私は46年間医師として働いてまいりました。現在74歳で,専門はどんな病気でも診る総合診療医です。
若いころには,日常の診療活動以外に,子どもの大腿四筋短縮症や未熟児網膜症の原因究明と被害児の救済活動に力を尽くしてきました。
この運動に積極的に関わる中で,私は何のため誰のために医者になったのか,何のため誰のための医療なのか,ということを常に念頭に置きながら,これまでの医師人生を続けてまいりました。
私がこの伊方原発運転差止請求事件の原告となりました理由を述べさせていただきます。
2 医学生だった25歳の頃,放射線医学の講義で放射線が胸のレントゲン写真などに応用され,病気の早期発見に非常に有用だと教わりました。しかし,放射線の人体への有害作用については,教わった記憶が全くありません。
44歳の1986年4月26日,チェルノブイリ原子力発電所の大事故が発生しました。
50歳台前半の1990年代前半に,チェルノブイリで放射能・放射線によって子どもたちに甲状腺がんが多発したばかりでなく,様々な健康障害が発生し,環境破壊も進行していることを知り,原発事故の恐さを改めて考えさせられました。
69歳の2011年3月11日,東北地方で巨大津波大地震が発生し,未曽有の複合大災害がもたらされました。この時の福島原発の大事故を契機に,私はチェルノブイリの事故に関する様々な書籍や映像を通して,これは何とかしなければいけないという想いにかられました。
福島原発事故は,チェルノブイリ事故とともに放射能と放射線の恐るべき健康破壊と環境破壊問題を全世界に問いかけました。
3 18歳未満の子ども約38万人を対象とした福島県民健康調査で,甲状腺がん及びその疑いの子どもが,本年6月30日現在175名に達し,136名がすでに手術を受けました。136名のうち,1人は良性でがんではありませんでしたが,135名の中に,肺や他の臓器に転移している例が多数あると報告されています。甲状腺がんの発生率は医学書によれば,100万人に1人ないし3人です。ところが,福島の子どもの甲状腺がんは,100万人に換算しますとなんと300人以上に相当します。
福島原発事故直後に着任した元福島県立医大副学長で放射線医学の専門家山下俊一氏は,これに関し,2013年12月に「福島の子どもたち全員を検査したのでたくさん見つかった。したがって,甲状腺がんの子どもが多いのはスクリーニング効果というもので,放射能や放射線によるものではありません。」との発言をしています。福島県立医大はスクリーニング効果という表現を今なお撤回していません。
ところが,山下氏は18年前の1998年にベラルーシに出かけていって,放射性ヨウ素を吸い込み内部被曝した子どもたちと,チェルノブイリ事故からしばらくしてから生まれたヨウ素を吸い込まなかった子どもたちとの間に甲状腺がんの発症に差があるかどうかを比較する調査をしています。調査の対象者は,合計約2万人に及びます。山下氏は,その調査結果として,放射性ヨウ素を吸い込んでいない子ども9472人の中には甲状腺がんは1人も発見されなかったが,事故前に誕生したベラルーシの子ども9720人のうち甲状腺がんが見つかったのは31人で,その発症率はなんと100万人当り3000人以上にのぼっていると報告しています。
山下氏のスクリーニング効果という発言は,1998年の彼の国際的に評価されている調査研究を自ら完全に否定していることを意味します。
福島県の子どもの甲状腺がんは,スクリーニング効果では決してありません。福島の甲状腺がんはこの原発事故による多発以外の何物でもありません。
福島では,原発事故以来,甲状腺がん以外の健康破壊がいろいろな形で起きています。他県に比べて死産・流産・乳児死亡と周産期死亡が明らかに増加しています。他方で,原発事故処理に従事していた2名の方が白血病の労災認定を受けていますし,さらに,原発事故処理労働者の中では白内障の初期病変が激増していることが,日本眼科学会で報告されています。数年後には,日本でも恐らくチェルノブイリ事故で明らかになっている様々な健康障害が報告されることでしょう。
原発事故に伴う健康問題は,山下氏の矛盾した言動に見られるように,どこからかの圧力で,いつの間にか歪められ葬り去られようとしています。このことに私は一人の人間として,また,医師として深い憤りを覚えます。
4 南海トラフ地震が到来すれば,中央構造線断層帯上にある伊方原発が大変な事故を起こすことが想定できます。私が住む大分市中戸次は,伊方原発から80km程の所にあります。伊方原発との間には,ほとんど海しかなく,放射性プルームを遮るものはありません。伊方原発で大変な事故が起きれば,風向き次第では大分県に放射性プルームが襲ってきます。
伊方原発で想定される事故は,対岸の火事ではなく,大分県民の生活に現実的・実質的に大きな影響を及ぼしかねない深刻な問題です。
福島原発事故から5年半すぎた10月28日現在でも,自主的・強制的に避難し避難させられた福島県の人々の数は,なんと13万8000人に及んでいます。伊方原発で福島のような過酷な事故によって,大分にもこのような人々が生み出される可能性は十分にあります。
子どもたちの未来と,彼らの生活基盤を根こそぎ奪いかねない原発は一刻も早く止める必要があります。
5 原発は一体何のため誰のために作られたのでしょうか? 福島で起きたような過酷な事故を二度と起こさせるべきではありません。
自然災害を止めることはできません。しかし人間の作った原発は人間の手によって止めることはできます。
私どもは人間として,そして私は医師として,“No More Fukushima”の旗を高く掲げ,原発のない社会へ向けて行動することを表明し,この伊方原発を止める運動に関わりました。私どもは,私を含め周囲の多くの人々のいのちと暮らしと人権を守るために,伊方原発の稼働を止めたいのです。
伊方原発を稼動させないことが,私どもの決意であり生きる希望なのです。
いのちが一番です。
以上,原告としての意見を述べさせていただきました。
以 上
平成28年(ワ)第468号
原 告 小 坂 正 則 外263名
被 告 四国電力株式会社
平成28年11月17日
大分地方裁判所
民事第1部合議B係 御中
原告ら訴訟代理人
弁護士 德 田 靖 之
意 見 陳 述 書
本件訴訟の開始にあたり、原告ら代理人を代表して、以下のとおり意見を申し述べます。
1 はじめに
(1)私は先ず、私自身が今回の訴訟に代理人として関与するに至った経緯を、自省を込めてお話したいと思います。
この点を明らかにすることが、264名もの大分県民が、本件訴訟に原告として参加するに至った理由と本件訴訟の意義を明らかにすることにつながると思うからです。
私は、原発問題に決して無関心であった訳ではありません。スリーマイル島の事故も、チェルノブイリの大事故も関心を持って、その事故報告書等を読んできました。そして、5年前の福島第一原子力発電所の事故についても、その詳細を知るにつれ、二度とこのような事故を許してはならないとの思いを深くしたのです。
しかしながら、この福島の事故を受けて、九州で、玄海原発と川内原発の差止めを求める訴訟が提起され、弁護団への参加を誘われた時、私は、手を上げるということはいたしませんでした。
もちろん、名前だけの参加はしないという私自身の考え方もありはしたのですが、手を上げられなかった理由としては、私の手に余るという思いとともに、自らに被害が及びうる問題なのだという把え方が出来なかったという点があったのだと思います。
去る4月16日、震度6弱の地震に襲われ、自宅の棚が落ち、食器類の割れていく中で立往生するという経験をした私が、最初に感じたのは、これ以上の地震が発生したら、伊方原発はどうなるのかということでした。
私の事務所は、伊方原発から70km、自宅は80kmの距離にあります。伊方原発に、福島第一原発と同程度の「レベル7」以上の事故が発生すれば、自宅と事務所も放射性物質により直接的に汚染されることは明らかです。
文字通り、他人事ではない!
原発問題に及び腰だった私がまさに鞭打たれたのでした。
本件訴訟の264名もの原告らは、まさしく、私と同じく、自らとその家族そして子孫の健康と故郷の大地を守りぬくために、この訴訟に参加したのだということを、裁判所にも、被告にも、是非とも胸に刻み込んでおいていただきたいのです。
(2)日本の近現代史において、私が最も尊敬する田中正造翁は、足尾銅山とこれを擁護する明治政府とのたたかいに生命をかけた偉人ですが、その晩年の日記に、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と書き付けています。
私は、この言葉にこそ、今回の原発問題を考えるうえで、私たちが等しく、立ち帰るべき原点があるのではないかと思います。
2 本件訴訟の中心的争点と審理のあり方について
(1)本件訴訟には、多数の争点がありますが、私は、その中核は、訴状の36頁以下に「本件における司法判断のあり方について」と題して論述したところにあるのではないかと考えています。
要約すれば、①原発に求められる安全性の程度は、福島第一原発事故のような過酷事故を二度と起こさないという意味での「限定的」絶対的安全性(深刻な事故が万が一にも起こらない程度の安全性)であり、②その安全性の判断基準は、必ずしも高度の専門的技術的な知識・知見を要するものではなく、一般の経験則あるいは基本的な科学技術的知識・知見に照らして、判断すれば足りるのであり、③深刻な「災害を二度と起こさない」という観点から、被告が原告らの指摘する科学的、合理的な疑問に対して、当該原発が過酷事故を起こす可能性がないことを被告において主張・立証されない限り、運転(操業)を許さないという判断のあり方こそが求められるということです。
(2)福島第一原発事故以前、原発問題に関するわが国の司法判断に欠落していたのは、まさしく、こうした視点でした。
言わば、日本の司法が、原発問題は高度の専門技術的な判断を前提とする政策的判断事項であるという隠れ蓑に逃げ込み続けたことが、福島第一原発事故のような過酷事故を防ぎえなかった一因であるということです。
その意味で、本件訴訟において裁判所に問われているのは、従来のような姑息な司法判断の枠組みに拘泥して、司法が果たすべき責任を放棄するのか、あるいは、福島第一原発事故以後の司法における本流となりつつある、大飯原発3、4号機に関する福井地裁平成26年5月21日判決、高浜原発3、4号機に関す福井地裁平成27年4月14日決定、同原発に関する大津地裁平成28年3月9日決定の立場の正当性を認めて、これを司法判断として定着させるのかという点にあるのだと思うのです。
(3)本件訴訟においては、このような視点の下で、伊方原発が、南海トラフ巨大地震の震源域上に位置するだけでなく、中央構造線断層帯と別府-万年山断層帯という長大な活断層の極近傍に位置しており、大地震の発生が具体的に懸念されるという私たち原告らの主張に対し、被告が、そのような過酷事故が生じる可能性はないことを立証しえたと言えるのかどうかが判断されるべきだと私は考えます。
3 結びに代えて
前述の田中正造翁は、また、「人権に合するは法律にあらずして天則にあり」とも述べています。私たちは、あの「法律」によって人権が侵害され続けた明治の時代にではなく、法治主義を大原則とし、人権の尊重を中核的な基本原理とする日本国憲法下に生きています。
「人権に合するは法律にあり」と公言できるような歴史を私たち法律家は歩んできたと果して言えるでしょう。
確かに、戦後、日本の司法は、四大公害訴訟、数々の薬害訴訟、ハンセン病訴訟等々において、画期的な解決をもたらしてはきました。
しかしながら、これらは、まさに、発生した深刻な被害に対して、過去の基準点を定めて、損害賠償を命じたにとどまっています。
生命や健康そして環境の破壊が、金銭によっては回復しがたいことを、誰もが熟知していながら、この限度でしか被害回復を図れなかったというのが、戦後の司法の限界でした。
けれども、原発訴訟は、こうした限界を超えて、深刻な被害の発生を未然に防ぐという課題を担っています。
「原発訴訟が社会を変える」とは、本件訴訟弁護団の共同代表である河合弁護士の名言ですが、私は、原発訴訟は司法を変えるのだと思っています。
裁判官の皆さん、私たちとともに、司法を変えていこうではありませんか。
以上
小坂正則
昨日の10時20分から大分地裁で「伊方原発運転差し止め裁判」の第1回口頭弁論が行われました。私たちが伊方裁判をやろうと決めてから半年、裁判の会を立ち上げた7月から4ヵ月でやっと裁判が始まりました。これから4,5年と息の長い歳月がかかると思いますが、無理をせずに気長に裁判を楽しむつもりで関わっていきたいと考えます。
第1回の口頭弁論は松本文六原告団代表と徳田弁護団代表弁護士のお二人が意見陳述を行いました。お二人の意見陳述はどちらも気品があり、しかも説得力のある本音で語っています。特に徳田弁護士の話には感銘しました。田中正造翁の「真の文明とは山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という引用には感動しました。田中正造の精神は今でも生き続けているのです。詳しくは意見陳述書を添付していますのでぜひ読んでください。
意 見 陳 述 書
平成28年11月17日
原告 松 本 文 六
1 原告団の共同代表をしております松本文六です。私は46年間医師として働いてまいりました。現在74歳で,専門はどんな病気でも診る総合診療医です。
若いころには,日常の診療活動以外に,子どもの大腿四筋短縮症や未熟児網膜症の原因究明と被害児の救済活動に力を尽くしてきました。
この運動に積極的に関わる中で,私は何のため誰のために医者になったのか,何のため誰のための医療なのか,ということを常に念頭に置きながら,これまでの医師人生を続けてまいりました。
私がこの伊方原発運転差止請求事件の原告となりました理由を述べさせていただきます。
2 医学生だった25歳の頃,放射線医学の講義で放射線が胸のレントゲン写真などに応用され,病気の早期発見に非常に有用だと教わりました。しかし,放射線の人体への有害作用については,教わった記憶が全くありません。
44歳の1986年4月26日,チェルノブイリ原子力発電所の大事故が発生しました。
50歳台前半の1990年代前半に,チェルノブイリで放射能・放射線によって子どもたちに甲状腺がんが多発したばかりでなく,様々な健康障害が発生し,環境破壊も進行していることを知り,原発事故の恐さを改めて考えさせられました。
69歳の2011年3月11日,東北地方で巨大津波大地震が発生し,未曽有の複合大災害がもたらされました。この時の福島原発の大事故を契機に,私はチェルノブイリの事故に関する様々な書籍や映像を通して,これは何とかしなければいけないという想いにかられました。
福島原発事故は,チェルノブイリ事故とともに放射能と放射線の恐るべき健康破壊と環境破壊問題を全世界に問いかけました。
3 18歳未満の子ども約38万人を対象とした福島県民健康調査で,甲状腺がん及びその疑いの子どもが,本年6月30日現在175名に達し,136名がすでに手術を受けました。136名のうち,1人は良性でがんではありませんでしたが,135名の中に,肺や他の臓器に転移している例が多数あると報告されています。甲状腺がんの発生率は医学書によれば,100万人に1人ないし3人です。ところが,福島の子どもの甲状腺がんは,100万人に換算しますとなんと300人以上に相当します。
福島原発事故直後に着任した元福島県立医大副学長で放射線医学の専門家山下俊一氏は,これに関し,2013年12月に「福島の子どもたち全員を検査したのでたくさん見つかった。したがって,甲状腺がんの子どもが多いのはスクリーニング効果というもので,放射能や放射線によるものではありません。」との発言をしています。福島県立医大はスクリーニング効果という表現を今なお撤回していません。
ところが,山下氏は18年前の1998年にベラルーシに出かけていって,放射性ヨウ素を吸い込み内部被曝した子どもたちと,チェルノブイリ事故からしばらくしてから生まれたヨウ素を吸い込まなかった子どもたちとの間に甲状腺がんの発症に差があるかどうかを比較する調査をしています。調査の対象者は,合計約2万人に及びます。山下氏は,その調査結果として,放射性ヨウ素を吸い込んでいない子ども9472人の中には甲状腺がんは1人も発見されなかったが,事故前に誕生したベラルーシの子ども9720人のうち甲状腺がんが見つかったのは31人で,その発症率はなんと100万人当り3000人以上にのぼっていると報告しています。
山下氏のスクリーニング効果という発言は,1998年の彼の国際的に評価されている調査研究を自ら完全に否定していることを意味します。
福島県の子どもの甲状腺がんは,スクリーニング効果では決してありません。福島の甲状腺がんはこの原発事故による多発以外の何物でもありません。
福島では,原発事故以来,甲状腺がん以外の健康破壊がいろいろな形で起きています。他県に比べて死産・流産・乳児死亡と周産期死亡が明らかに増加しています。他方で,原発事故処理に従事していた2名の方が白血病の労災認定を受けていますし,さらに,原発事故処理労働者の中では白内障の初期病変が激増していることが,日本眼科学会で報告されています。数年後には,日本でも恐らくチェルノブイリ事故で明らかになっている様々な健康障害が報告されることでしょう。
原発事故に伴う健康問題は,山下氏の矛盾した言動に見られるように,どこからかの圧力で,いつの間にか歪められ葬り去られようとしています。このことに私は一人の人間として,また,医師として深い憤りを覚えます。
4 南海トラフ地震が到来すれば,中央構造線断層帯上にある伊方原発が大変な事故を起こすことが想定できます。私が住む大分市中戸次は,伊方原発から80km程の所にあります。伊方原発との間には,ほとんど海しかなく,放射性プルームを遮るものはありません。伊方原発で大変な事故が起きれば,風向き次第では大分県に放射性プルームが襲ってきます。
伊方原発で想定される事故は,対岸の火事ではなく,大分県民の生活に現実的・実質的に大きな影響を及ぼしかねない深刻な問題です。
福島原発事故から5年半すぎた10月28日現在でも,自主的・強制的に避難し避難させられた福島県の人々の数は,なんと13万8000人に及んでいます。伊方原発で福島のような過酷な事故によって,大分にもこのような人々が生み出される可能性は十分にあります。
子どもたちの未来と,彼らの生活基盤を根こそぎ奪いかねない原発は一刻も早く止める必要があります。
5 原発は一体何のため誰のために作られたのでしょうか? 福島で起きたような過酷な事故を二度と起こさせるべきではありません。
自然災害を止めることはできません。しかし人間の作った原発は人間の手によって止めることはできます。
私どもは人間として,そして私は医師として,“No More Fukushima”の旗を高く掲げ,原発のない社会へ向けて行動することを表明し,この伊方原発を止める運動に関わりました。私どもは,私を含め周囲の多くの人々のいのちと暮らしと人権を守るために,伊方原発の稼働を止めたいのです。
伊方原発を稼動させないことが,私どもの決意であり生きる希望なのです。
いのちが一番です。
以上,原告としての意見を述べさせていただきました。
以 上
平成28年(ワ)第468号
原 告 小 坂 正 則 外263名
被 告 四国電力株式会社
平成28年11月17日
大分地方裁判所
民事第1部合議B係 御中
原告ら訴訟代理人
弁護士 德 田 靖 之
意 見 陳 述 書
本件訴訟の開始にあたり、原告ら代理人を代表して、以下のとおり意見を申し述べます。
1 はじめに
(1)私は先ず、私自身が今回の訴訟に代理人として関与するに至った経緯を、自省を込めてお話したいと思います。
この点を明らかにすることが、264名もの大分県民が、本件訴訟に原告として参加するに至った理由と本件訴訟の意義を明らかにすることにつながると思うからです。
私は、原発問題に決して無関心であった訳ではありません。スリーマイル島の事故も、チェルノブイリの大事故も関心を持って、その事故報告書等を読んできました。そして、5年前の福島第一原子力発電所の事故についても、その詳細を知るにつれ、二度とこのような事故を許してはならないとの思いを深くしたのです。
しかしながら、この福島の事故を受けて、九州で、玄海原発と川内原発の差止めを求める訴訟が提起され、弁護団への参加を誘われた時、私は、手を上げるということはいたしませんでした。
もちろん、名前だけの参加はしないという私自身の考え方もありはしたのですが、手を上げられなかった理由としては、私の手に余るという思いとともに、自らに被害が及びうる問題なのだという把え方が出来なかったという点があったのだと思います。
去る4月16日、震度6弱の地震に襲われ、自宅の棚が落ち、食器類の割れていく中で立往生するという経験をした私が、最初に感じたのは、これ以上の地震が発生したら、伊方原発はどうなるのかということでした。
私の事務所は、伊方原発から70km、自宅は80kmの距離にあります。伊方原発に、福島第一原発と同程度の「レベル7」以上の事故が発生すれば、自宅と事務所も放射性物質により直接的に汚染されることは明らかです。
文字通り、他人事ではない!
原発問題に及び腰だった私がまさに鞭打たれたのでした。
本件訴訟の264名もの原告らは、まさしく、私と同じく、自らとその家族そして子孫の健康と故郷の大地を守りぬくために、この訴訟に参加したのだということを、裁判所にも、被告にも、是非とも胸に刻み込んでおいていただきたいのです。
(2)日本の近現代史において、私が最も尊敬する田中正造翁は、足尾銅山とこれを擁護する明治政府とのたたかいに生命をかけた偉人ですが、その晩年の日記に、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と書き付けています。
私は、この言葉にこそ、今回の原発問題を考えるうえで、私たちが等しく、立ち帰るべき原点があるのではないかと思います。
2 本件訴訟の中心的争点と審理のあり方について
(1)本件訴訟には、多数の争点がありますが、私は、その中核は、訴状の36頁以下に「本件における司法判断のあり方について」と題して論述したところにあるのではないかと考えています。
要約すれば、①原発に求められる安全性の程度は、福島第一原発事故のような過酷事故を二度と起こさないという意味での「限定的」絶対的安全性(深刻な事故が万が一にも起こらない程度の安全性)であり、②その安全性の判断基準は、必ずしも高度の専門的技術的な知識・知見を要するものではなく、一般の経験則あるいは基本的な科学技術的知識・知見に照らして、判断すれば足りるのであり、③深刻な「災害を二度と起こさない」という観点から、被告が原告らの指摘する科学的、合理的な疑問に対して、当該原発が過酷事故を起こす可能性がないことを被告において主張・立証されない限り、運転(操業)を許さないという判断のあり方こそが求められるということです。
(2)福島第一原発事故以前、原発問題に関するわが国の司法判断に欠落していたのは、まさしく、こうした視点でした。
言わば、日本の司法が、原発問題は高度の専門技術的な判断を前提とする政策的判断事項であるという隠れ蓑に逃げ込み続けたことが、福島第一原発事故のような過酷事故を防ぎえなかった一因であるということです。
その意味で、本件訴訟において裁判所に問われているのは、従来のような姑息な司法判断の枠組みに拘泥して、司法が果たすべき責任を放棄するのか、あるいは、福島第一原発事故以後の司法における本流となりつつある、大飯原発3、4号機に関する福井地裁平成26年5月21日判決、高浜原発3、4号機に関す福井地裁平成27年4月14日決定、同原発に関する大津地裁平成28年3月9日決定の立場の正当性を認めて、これを司法判断として定着させるのかという点にあるのだと思うのです。
(3)本件訴訟においては、このような視点の下で、伊方原発が、南海トラフ巨大地震の震源域上に位置するだけでなく、中央構造線断層帯と別府-万年山断層帯という長大な活断層の極近傍に位置しており、大地震の発生が具体的に懸念されるという私たち原告らの主張に対し、被告が、そのような過酷事故が生じる可能性はないことを立証しえたと言えるのかどうかが判断されるべきだと私は考えます。
3 結びに代えて
前述の田中正造翁は、また、「人権に合するは法律にあらずして天則にあり」とも述べています。私たちは、あの「法律」によって人権が侵害され続けた明治の時代にではなく、法治主義を大原則とし、人権の尊重を中核的な基本原理とする日本国憲法下に生きています。
「人権に合するは法律にあり」と公言できるような歴史を私たち法律家は歩んできたと果して言えるでしょう。
確かに、戦後、日本の司法は、四大公害訴訟、数々の薬害訴訟、ハンセン病訴訟等々において、画期的な解決をもたらしてはきました。
しかしながら、これらは、まさに、発生した深刻な被害に対して、過去の基準点を定めて、損害賠償を命じたにとどまっています。
生命や健康そして環境の破壊が、金銭によっては回復しがたいことを、誰もが熟知していながら、この限度でしか被害回復を図れなかったというのが、戦後の司法の限界でした。
けれども、原発訴訟は、こうした限界を超えて、深刻な被害の発生を未然に防ぐという課題を担っています。
「原発訴訟が社会を変える」とは、本件訴訟弁護団の共同代表である河合弁護士の名言ですが、私は、原発訴訟は司法を変えるのだと思っています。
裁判官の皆さん、私たちとともに、司法を変えていこうではありませんか。
以上
by nonukes
| 2016-11-18 17:02
| 原発再稼働は許さない
|
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