2016年 01月 25日
伊方原発が福島級の事故を起こしても南西へ21.9キロしか放射能は来ない?その2
広瀬知事の「東大話法」に騙されるほど私たち県民はバカではない!
小坂正則
昨年12月7日の大分県議会で広瀬知事が県民クラブのH県議の質問「大分県は伊方原発のすぐ目と鼻の先にあるのだから事故が起きたら大分まで大量の放射能がやって来る可能性があるのになぜ再稼働に反対しないのか」というような発言に対して、広瀬知事は「規制庁のシミュレーションでは西方向には21.9キロしか放射能は来ないから大分は安全だ」と答えて、暗に「おまえたちは放射能放射能と県民に不安を騒ぎ立てるだけのオオカミ少年だ」と言いたいようなそぶりだったのです。
そして、昨年私たちが請願した「伊方原発事故の放射能汚染対策の県民説明会の開催要求」の是非を検討する厚生労働委員会の審議でも県民クラブのT県議が「大分が福島のような放射能汚染の可能性も考えて防災対策を立てるべきではないか」というような質問に対して、防災危機管理課の職員は、知事と同じように「大分には放射能はやって来ません。なぜならば規制庁のシミュレーションでは21.9キロしか放射能は届かないからです」と、「原子力規制庁の作ったシミュレーションの21.9キロ」が金科玉条のように使われたのです。つまり権威と欺瞞に満ちた科学者や専門家といわれる人間が考えた「安全神話」の詐欺の手口を広瀬知事やその手下の木っ端役人たちは「偉い大学の先生方が安全だというのだからおまえら下々の者が騒ぐでない」と私たちを咎めたのです。
東大話法とは
2012年に東大教授の安冨歩(安富歩自身は東大出身者ではない)が『原発危機と「東大話法」』という著書を出版して話題になったもので、福島第一原子力発電所事故をめぐって、数多くの東大卒業生や関係者が登場し、その大半が同じパターンの欺瞞的な言葉遣い「ただちに健康に影響することはない」など言ったもの。彼は原発がこの話法によって出現し、この話法によって暴走し、この話法によって爆発したと考察し、まず「言葉を正す」ことが必要だと考えた。(ウィキペディアより)「原子力ムラ」といわれる原子力マフィアの集団などが自らの権益を守るために国民を騙す方法として、特徴的な騙しのテクニックを「東大話法」という20のパターンに分けて特徴的な手段の用い方を説明したものです。
①自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
②自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
③都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
⑫自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
⑬自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。などです。
これら全ては権威や専門家として自分の立場を利用して国民を騙すことに長けた官僚や学者や政治家が用いる人びとを説得させる話法のパターンのようです。確かに広瀬知事は東大出身のしかも高級官僚出身の政治家ですから「東大話法」に長けていることは当たり前でしょう。
放射能は21.9キロしか西には飛散しないのか
H県議が本会議でも主張していましたが、「福島事故では40キロ以上離れていた飯舘村に大量の放射能が降ったのですから福島級の事故が伊方で起これば大分も飯舘村と同じような被害を受ける可能性があるのではないか」というまっとうな疑問から「なぜ知事は伊方原発の再稼働に反対の意志を示さないのか」と問い質したのです。
それへの回答が「伊方が事故を起こしても21.9キロしか大分方面には放射能は来ない」と断言するような言い方をしたのです。
シミュレーションとは一定の条件の下でどれだけの事故が起きた場合どれだけの被害が想定されるかという、あくまでも仮定の話です。しかし、福島事故は、これまでの原発事故の想定を越えた事故だったではありませんか。つまり、どんな想定も越えることがあるからシミュレーションなのです。
実際には福島原発事故では250キロ離れた東京や千葉や群馬まで大量の放射能が飛来しました。それが21.9キロという細かな数値まで規定した範囲しか汚染しないなどというばかげた断定ができる訳はないのです。そんなことを言うのなら、こう問い質せばいいのです。知事が21.9キロしか放射能は拡散しないと断言するなら、それを越えないという証拠を示すことができますか。確かに風のない時に事故があれば大分まで放射能は来ないこともあるかもしれませんが、事故はいつ起こるかも知れないし、どんな条件の下で起こるかもしれないのです。次の事故は福島を上回る事故かもしれないのです。事実、福島の4号機の使用済み核燃料の水がなくなるような事態に陥っていたなら、東京も避難しなければならないほど破局的な事故に発展しかかっていたのです。だから「想定はあくまでも仮定の話です。しかし、事故は現実です。たかが電気のために私たち県民の生命を原発の前に晒していつ事大事故が起きるかとビクビクしながら暮らすなど、私たち大分県民はまっぴらです」と県議は反論すべきだったのです。
シミュレーションを鵜呑みにするのは新たな安全神話の始まり
広瀬知事は東大出だそうです。だからずる賢く県民を煙に巻くような騙しのテクニックに長けているのでしょう。しかし、そんな子供だましのウソを私たち県民が信じるとでも思っているのでしょうか。県議を黙らせることができたとしても私たちを騙すことはできません。なぜなら、風向きを人間が変えることなどできないのですから、風向きなど、まさしく風任せの誰にも解らない自然現象なのです。地震も同じです。
つまりは人間の人知では計り知れない自然の偉大な力による現象を操作できるという傲慢さこそが東大話法のウソの本質です地震や津波はいつ起こるかも知れないのです。だから人間は巨大地震や津波が来てもいいように、対策を立てて、事故の被害を最小限に食い止めて、壊れたインフラなどを早急に再建させることで乗り越えるしかないのです。しかし、原発は一度事故が起これば想像を絶する被害を起こし、放射能被害は何百年と大地を汚染して人びとをガンや白血病で苦しめるのですから、地震国に、たかが電気を作るというだけの目的で建ててはならない代物なのです。
原発事故は必ず起きると規制庁も言っている
安倍晋三首相は核兵器の材料のプルトニウムを合法的に所有できるから原発を手放したくないのか、原子力マフィアの仲間(御用学者や軍需産業の経済人や御用労働組合)に頼まれて原発が必要だと信じているのか知りませんが、たかが電気を作るだけのために生命をかけて原発を抱いて生きるなど、どう考えても狂気の沙汰です。電気くらい家庭の屋根に太陽光発電を載せればいくらでもつくることができるのですから、電気ごときに命をかけるなどばからしいとは思わないのでしょうか。東大出のエリートさんたちには?きっと子どものころ、彼らは原子力は未来のエネルギーと教えられたので、純粋な彼らは考えを変えることが苦手なのかもしれませんね。
しかし、原子力規制庁の田中委員長も言ってます「原発事故は必ず起きるものです」と。そこまで分かっているのなら、どのようにして事故を防ぐかということを莫大な金をかけて考えるよりも、さっさっとやめれば何も心配しながら暮らす必要などないのです。そんな子どもでもわかるような簡単なことを東大出の知事にはお分かりではないようなのです。エリート人間は融通が利かないとよく言われますが、まさしくそうなのでしょう。
しかし、私たち一般県民は市民感覚として肌で感じることができるのです。安全に安心して暮らすことこそが私たちの幸せであり、未来の子どもたちに豊かな郷土の自然や富を残すことこそが一番の贈り物だということを。
小坂正則
昨年12月7日の大分県議会で広瀬知事が県民クラブのH県議の質問「大分県は伊方原発のすぐ目と鼻の先にあるのだから事故が起きたら大分まで大量の放射能がやって来る可能性があるのになぜ再稼働に反対しないのか」というような発言に対して、広瀬知事は「規制庁のシミュレーションでは西方向には21.9キロしか放射能は来ないから大分は安全だ」と答えて、暗に「おまえたちは放射能放射能と県民に不安を騒ぎ立てるだけのオオカミ少年だ」と言いたいようなそぶりだったのです。
そして、昨年私たちが請願した「伊方原発事故の放射能汚染対策の県民説明会の開催要求」の是非を検討する厚生労働委員会の審議でも県民クラブのT県議が「大分が福島のような放射能汚染の可能性も考えて防災対策を立てるべきではないか」というような質問に対して、防災危機管理課の職員は、知事と同じように「大分には放射能はやって来ません。なぜならば規制庁のシミュレーションでは21.9キロしか放射能は届かないからです」と、「原子力規制庁の作ったシミュレーションの21.9キロ」が金科玉条のように使われたのです。つまり権威と欺瞞に満ちた科学者や専門家といわれる人間が考えた「安全神話」の詐欺の手口を広瀬知事やその手下の木っ端役人たちは「偉い大学の先生方が安全だというのだからおまえら下々の者が騒ぐでない」と私たちを咎めたのです。
東大話法とは
2012年に東大教授の安冨歩(安富歩自身は東大出身者ではない)が『原発危機と「東大話法」』という著書を出版して話題になったもので、福島第一原子力発電所事故をめぐって、数多くの東大卒業生や関係者が登場し、その大半が同じパターンの欺瞞的な言葉遣い「ただちに健康に影響することはない」など言ったもの。彼は原発がこの話法によって出現し、この話法によって暴走し、この話法によって爆発したと考察し、まず「言葉を正す」ことが必要だと考えた。(ウィキペディアより)「原子力ムラ」といわれる原子力マフィアの集団などが自らの権益を守るために国民を騙す方法として、特徴的な騙しのテクニックを「東大話法」という20のパターンに分けて特徴的な手段の用い方を説明したものです。
①自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
②自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
③都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
⑫自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
⑬自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。などです。
これら全ては権威や専門家として自分の立場を利用して国民を騙すことに長けた官僚や学者や政治家が用いる人びとを説得させる話法のパターンのようです。確かに広瀬知事は東大出身のしかも高級官僚出身の政治家ですから「東大話法」に長けていることは当たり前でしょう。
放射能は21.9キロしか西には飛散しないのか
H県議が本会議でも主張していましたが、「福島事故では40キロ以上離れていた飯舘村に大量の放射能が降ったのですから福島級の事故が伊方で起これば大分も飯舘村と同じような被害を受ける可能性があるのではないか」というまっとうな疑問から「なぜ知事は伊方原発の再稼働に反対の意志を示さないのか」と問い質したのです。
それへの回答が「伊方が事故を起こしても21.9キロしか大分方面には放射能は来ない」と断言するような言い方をしたのです。
シミュレーションとは一定の条件の下でどれだけの事故が起きた場合どれだけの被害が想定されるかという、あくまでも仮定の話です。しかし、福島事故は、これまでの原発事故の想定を越えた事故だったではありませんか。つまり、どんな想定も越えることがあるからシミュレーションなのです。
実際には福島原発事故では250キロ離れた東京や千葉や群馬まで大量の放射能が飛来しました。それが21.9キロという細かな数値まで規定した範囲しか汚染しないなどというばかげた断定ができる訳はないのです。そんなことを言うのなら、こう問い質せばいいのです。知事が21.9キロしか放射能は拡散しないと断言するなら、それを越えないという証拠を示すことができますか。確かに風のない時に事故があれば大分まで放射能は来ないこともあるかもしれませんが、事故はいつ起こるかも知れないし、どんな条件の下で起こるかもしれないのです。次の事故は福島を上回る事故かもしれないのです。事実、福島の4号機の使用済み核燃料の水がなくなるような事態に陥っていたなら、東京も避難しなければならないほど破局的な事故に発展しかかっていたのです。だから「想定はあくまでも仮定の話です。しかし、事故は現実です。たかが電気のために私たち県民の生命を原発の前に晒していつ事大事故が起きるかとビクビクしながら暮らすなど、私たち大分県民はまっぴらです」と県議は反論すべきだったのです。
シミュレーションを鵜呑みにするのは新たな安全神話の始まり
広瀬知事は東大出だそうです。だからずる賢く県民を煙に巻くような騙しのテクニックに長けているのでしょう。しかし、そんな子供だましのウソを私たち県民が信じるとでも思っているのでしょうか。県議を黙らせることができたとしても私たちを騙すことはできません。なぜなら、風向きを人間が変えることなどできないのですから、風向きなど、まさしく風任せの誰にも解らない自然現象なのです。地震も同じです。
つまりは人間の人知では計り知れない自然の偉大な力による現象を操作できるという傲慢さこそが東大話法のウソの本質です地震や津波はいつ起こるかも知れないのです。だから人間は巨大地震や津波が来てもいいように、対策を立てて、事故の被害を最小限に食い止めて、壊れたインフラなどを早急に再建させることで乗り越えるしかないのです。しかし、原発は一度事故が起これば想像を絶する被害を起こし、放射能被害は何百年と大地を汚染して人びとをガンや白血病で苦しめるのですから、地震国に、たかが電気を作るというだけの目的で建ててはならない代物なのです。
原発事故は必ず起きると規制庁も言っている
安倍晋三首相は核兵器の材料のプルトニウムを合法的に所有できるから原発を手放したくないのか、原子力マフィアの仲間(御用学者や軍需産業の経済人や御用労働組合)に頼まれて原発が必要だと信じているのか知りませんが、たかが電気を作るだけのために生命をかけて原発を抱いて生きるなど、どう考えても狂気の沙汰です。電気くらい家庭の屋根に太陽光発電を載せればいくらでもつくることができるのですから、電気ごときに命をかけるなどばからしいとは思わないのでしょうか。東大出のエリートさんたちには?きっと子どものころ、彼らは原子力は未来のエネルギーと教えられたので、純粋な彼らは考えを変えることが苦手なのかもしれませんね。
しかし、原子力規制庁の田中委員長も言ってます「原発事故は必ず起きるものです」と。そこまで分かっているのなら、どのようにして事故を防ぐかということを莫大な金をかけて考えるよりも、さっさっとやめれば何も心配しながら暮らす必要などないのです。そんな子どもでもわかるような簡単なことを東大出の知事にはお分かりではないようなのです。エリート人間は融通が利かないとよく言われますが、まさしくそうなのでしょう。
しかし、私たち一般県民は市民感覚として肌で感じることができるのです。安全に安心して暮らすことこそが私たちの幸せであり、未来の子どもたちに豊かな郷土の自然や富を残すことこそが一番の贈り物だということを。
by nonukes
| 2016-01-25 16:51
| 原発再稼働は許さない
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