人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

小坂正則の個人ブログ

脱原発大分ネットワークの機関誌「つゆくさ通信」NO.132を発行しました

脱原発大分ネットワークの機関誌「つゆくさ通信」NO.132を発行しました
小坂正則

脱原発大分ネットワークの機関誌「つゆくさ通信」NO.132を発行しました_d0174710_0151133.jpg

脱原発大分ネットワークの機関誌「つゆくさ通信」NO.132を発行しました_d0174710_0154540.jpg


「つゆくさ通信」NO.1327月20日を1ヵ月遅れで本日発行しました。この夏は川内原発の再稼働や戦争法案の抗議行動など、異常な猛暑の中で、多くの仲間によって取り組まれて様々な取り組みをできる限り拾い集めて報告したいと思います。
とは言っても、脱原発大分ネットワークは結成が1993年ですから、今から22年も前のことです。つまり、会員のみなさんが全員22年歳を取っているということです。だって、この間新たな会員などほとんど加入していませんので、会員はお亡くなりになる方々で減るばかりなのです。現在の会員と「つゆくさ通信」の読者の合計で120名です。
まあ、よくも20年以上も続いたものです。でも、私は若い方が私たちの会に入ってほしいとは思っていません。私は30年前に脱原発のグループを作ったように、若者は自分たちで自由に市民グループを立ち上げたらいいと思うからです。
政党などとは違って、市民グループなどというものは至る所にたくさんある方がいいのです。誰かが統括したり、全国組織で号令直下組織的に動くようなものよりも、パルチザンや高杉晋作が組織した騎兵隊のような遊撃軍のような神出鬼没のつかみどころのない、組織の方が柔軟で自由自在に動き回れることでしょう。
私は市民運動ではこのような脱原発運動をやりながら、ちゃんと「緑の党」という政治的な活動もやっていますので、決してアナキストではありません。
さて、今回の「つゆくさ通信」は以下のような内容です。「つゆくさ通信」は年間6回発行、購読料は1年間2千円です。

①~8月11日川内原発1号機再稼働~
また、無責任な「安全神話」が始まる………中山田さつき
②東電幹部「過失致死罪」強制起訴と再稼働………小坂正則
③オリバーストーン監督ら翁長知事に辺野古取り消しを求める……沖縄タイムス
④情報短信(大分避難秋に初訓練愛媛住民が移動:大分合同新聞7月4日
 家庭向け電力自由化、初日24じ社名乗り 秋にも料金計画(朝日新聞8月4日)
⑤情報交差点
⑥8月30日全国100万人行動に参加しよう
⑦電力自由化と市民の選択………甲斐美徳
⑧大分県民は原発なくても暮らしていける!
 大分県内一般家庭電力の再エネ率176%……小坂正則
⑨戦争法案は阻止できる………諌山二朗
⑩「どちらとも言えない」なんて言ってるヒマはない……大原洋子

脱原発大分ネットワークの機関誌「つゆくさ通信」NO.132を発行しました_d0174710_0163180.jpg

~8月11日 川内原発1号機再稼働~また、無責任な「原発安全神話」が始まった
中山田さつき

 8月9日、川内原発近くの久見崎海岸には全国から2000名が集まり、「再稼働反対!」の声をあげた。じりじりと太陽が照りつける酷暑の砂浜で「再稼働を許さない」のアピールが続く。実行委員会からは「水分を取って熱中症にならないように。水を受付で配っています」とアナウンスが入る。
 一昨年の参院選で選挙フェスをやった三宅洋平さんは「人間だけじゃなく、例えばこの浜で生まれるウミガメのことも考えて脱原発を」と訴え、「昨年の衆院選で与党の票は2600万票、他の野党の票は3300万票。夢だと言われるかもしれないけど、俺は夢じゃないと思ってる。みんなが一緒になれば選挙に勝てるんだ、変えられるんだ」と。
 集会後の原発ゲート前までのデモは今まで体験した中で最も過酷なデモだった。暑くてひーひー言いながらも、みんな、かなりの高齢の方も歩き続けた。
 翌10日は、ゲート前集会が朝から夕方まで。ゲート前は九電職員、警備員、そして最前列には警官がずらりと並び、ほんとに狭いゲート脇の一角で400人近くがひしめき合って抗議を続けた。福島の黒田節子さんは「まさかは起きるんです。皆さん、起きるんですよ。だから絶対動かしてはいけない!」と涙ぐみながら訴えた。菅直人元首相も駆けつけた。
 そして11日、朝からの抗議の中、10時30分に予定どおり、制御棒が抜かれ、1号機は再起動された…。1年11ヵ月の原発が動いてない日本が終わった…。いつ事故が起こるかわからない不安の中での暮らしが始まった。
 規制基準は福島事故の真相も解明されないままに策定され、規制委員会が「必要」という安全対策も先延ばしにしたまま、再稼働にOKが出される「再稼働基準」だ。規制委員長は「安全が担保されたわけじゃない、事故は起きうる」と言い、安倍首相他閣僚は「世界最高基準に合格したのだから安全」と言いかえ、同意した鹿児島県知事と県議会、薩摩川内市長と市議会も揃って「安全性が確認された」と。事故が起きたときの責任は?と問われれば、「一義的には九州電力に。国も責任とります」と。福島のどこで誰が責任をとったんだ!暮らしを根こそぎ奪われて今もこれから先も避難生活が続く人が十数万人もいるというのに。福島の現実に向き合わず、簡単に責任とると言う無責任さに、心底腹が立つ!
 「もう福島のような過酷事故は起きっこない」と、規制委員会も電力会社も政治家も、新たな「原発安全神話」に乗っかって目先の利益だけで無責任な再稼働を行った。
 8月7日~11日まで、炎天下のゲート前で連日抗議を続けた人、遠くから駆けつけた人、広瀬隆さんも鎌田慧さんも暑さに耐えながら座り続けた。実行委員会は、駅からのシャトルバス、トイレへのシャトルカー、救護車、冷たい飲み物などを用意して駆けつけた人びとを迎えてくれた。予定されている再稼働が、集会やデモで止まらないのはわかっている。それでも、再稼働されようとしている原発前で「再稼働させない!」の声はどうしてもあげたい!
 「ここが終わりじゃない、また始まりだ」「あきらめない!」のみんなの意思が、悔しさと怒りと一緒にゲート前に満ちていた。

脱原発大分ネットワークの機関誌「つゆくさ通信」NO.132を発行しました_d0174710_0165162.jpg

「どちらとも言えない」なんて言ってるヒマはない
大原洋子

 最近、12色ではなく、48色の色鉛筆のセットの中でないと見られないような美しい色の車を急に多く見かけるようになった。例えば青系、例えば桃系。どれも目に心地よい色だ。しかし、教養がないので何色と一口に言えない。だから、これらを曖昧な色と称する。
 話は半年前に遡るが、2月8日、寒い日曜日だった。大分市の街頭にて3名で九電に川内原発再稼働の再考を求める署名を募った。人通りは多かったが、反応はすこぶる悪かった。午前中も同様だったという。
 両手をコートのポケットに入れた女性が快く応じてくれたところを見ると、反応の悪さはあながち寒さが原因ではなく、頭の寒さのせいだと思う。(この方は、海外に行くと日本人のバカさかげんが目に余ると嘆かれていた)
 能面かロボットのように無表情な人々の群れ。何を考えているのか、再稼働に反対なのか賛成なのか、さっぱりわからなく、薄気味悪さを感じた。ことに若い女性の「だいじょーぶ」の反応にはめまいがした。何が大丈夫だよ。福島原発の大事故を知らない年齢ではあるまいに!
 韓国からの留学生は、自分から「原発ですか?」と書きにきてくれたというのに。次に書いてくれた高校生たちは、そのアルファベットの名前を見て刺激を受けていた。
ところで、世論調査なるものをとるときに、私がとても気になるのが、NHKの場合、選択肢が「賛成」「反対」と「どちらとも言えない」となっていることだ。新聞は比較的、「どちらとも言えない」ではなく、「わからない」としているが。
 「どちらとも言えない」には、熟慮したけれど、両方に一長一短があり、目下判断がつきかねるというニュアンスに一見感じられる逃げ道の言葉だ。授業中当てられた生徒が「考え中」と言って回答から逃れることにも似て、「わからない」ことをカムフラージュする都合のよい、ズルイ言葉と思う。皆さんはいかが?
 このことを知り合いの新聞記者に言うと、「どちらとも言えない」=「わからない」なんだけど、言葉は本質的な問題ではなく、この設問は大した問題ではないと僕は思うと答えた。しかし、私にしてみれば、「どちらとも言えない」は、イコール消極的賛成なのだ。松下さん言うところの「何も表明しないことは賛成と同じです」だ。
 あのロボットのような態度の一人一人にアンケートをとったら、プライドもあって、「わからない」ではなく、「どちらとも言えない」と答えることだろう。こういう大人が多いということは、未曾有の投票率の低さもむべなるかな。
 今思い出すのが、3.11から間もない4月、同じ場所で10倍の人数で九州の原発ソク廃炉の署名をとったとき、意外に反応が悪かったこと。今と違い、福島のニュースが連日報じられていたころなのに。福島の事故は所詮ひとごとなんだと、そのときも唖然とした。
 ふと気づいた。あれから4年半。福島の事故でさえ、今の15歳以下は詳しく知らないのでは?と。まして29年前のチェルノブイリ事故に至っては、40歳のいい大人でさえ臨場感がないのだ。これからは基礎の基礎を書いたチラシを配らないとアカンな。
曖昧な色は、事いのちの問題にはふさわしくない!



電力自由化と市民の選択
甲斐美徳

各種の世論調査の結果によると、日本国民の多数派は原発の再稼働には反対しています。しかしながらここ九州では、多くの不安や疑問の声に背を向けたまま、九州電力の川内原発1号機が8月11日に再稼働を始めてしまいました。2号機も10月には再稼働する予定であり、今年の暮れには、日本の中で唯一、九州の住民だけが、大半の人々がそれを望んでいないにもかかわらず、原子力発電でつくられた電気を使わなければならなくなっているでしょう。それというのも、九電力(一般電気事業者)の地域独占を認めた現行電気事業制度の下では、九州に住んでいる以上は、九州電力から電気を買う以外に選択の余地がないからです。しかしながら、このような状況は来年4月からは一変します。電力小売りの全面自由化が始まり、現在電話会社を自由に選べるように、各家庭は電力会社を自由に選べるようになります。どうしても原子力の電気を使いたくない人は、九州電力以外の電力会社と契約することもできるようになるのです。

電力自由化は、欧米諸国で1990年代から始まり、現在では電力会社を選択できることは多くの先進国では当たり前のことになっています。日本でも、世界一高い電気料金に不満を募らせていた産業界の声を背景に、1995 年から自由化が始まりましたが、電力業界の強い抵抗により、使用電力50kW以上の大口需要家だけが電力会社を選べるという部分自由化にとどまる不完全なものに終わりました。自由化の対象となっている大口の電力需要は全体の約6割にもなるのですが、そのうち新規参入者のシェアは4.2%に過ぎません。既存電力会社が送電線を独占しているため、高い託送料金を取ることで新規参入を阻止してきた結果だとされています。元経済産業省官僚だった古賀茂明氏によると、電気事業連合会の影響力は経産省の人事をも左右するほど大きく、電事連とうまくやっていける人でないと出世できないそうです。既得権益に斬り込んで電力改革に本気で取り組もうとした志のある官僚は皆左遷されて、主流に戻ることはなかったとのこと。聖域なき構造改革を掲げた小泉内閣も電力改革には手をつけず、わが国特有の電力幕藩体制ともいうべきシステムが最近まで太平を謳歌してきました。
ところがここに、黒船来航に匹敵する強烈なインパクトを与える事件が起こりました。言うまでもなく3.11の福島第一原発事故と、それがもたらした電力危機です。わが国の電力供給体制が抱える硬直性・脆弱性が一挙に露呈し、リスク分散のためにも地域独占を解体して多様な事業者に供給を担わせようとする流れができ、ようやく日本でも全面自由化が実現する運びとなりました。日本の電力業界は、幕末の動乱期を思わせる一大変革の時代を迎えたと言えるでしょう。

先日、九電株主総会に出席した帰りに福岡経済産業局の資源エネルギー環境課を訪問して、電力自由化を担当している方のお話しを伺ったのですが、現在は小売電気事業者の事前登録の受付が行われているところで、秋頃には具体的な企業名が出てくるようになり、マスコミ等でもさかんに報道されるようになるのではないかと話していました。ガス会社や電話会社が、自社の商品と電気をセットで使えば割り引くサービスを武器に電力市場に参入すると言われていますし、再生可能エネルギーを売りにする電力小売り会社の登場も予想されています。ドイツの小さな町シェーナウの電力会社は、脱原発運動から生まれた市民電力会社として有名ですが、1998年の電力市場の自由化に際して全国展開を決意し、ドイツ全土に顧客を持つ環境にやさしい電力会社(再生可能エネルギー+天然ガスコジェネ)へと成長を遂げました。日本にも早くこんな電力会社が出てきてほしいものだと思います。
サッチャー政権下のイギリスで国営電力会社の民営化を進めた際、原発だけはハイコスト・ハイリスクの電源として敬遠され、民間の企業がどこも引き受けず国営のまま残ったという話があります。日本でも自由化が本格的に進展して競争が行われるようになれば、原発が実は総括原価方式や電源三法交付金をはじめとする分厚い政府の庇護があってはじめて安い電源として存在できたのであって、本当は電力会社の経営にとって厄介なお荷物にほかならないことがますますはっきりしてくると思います。

このように、市民の選択の自由が増える、脱原発を加速するなど、プラスの側面が多い電力自由化ですが、以下のようなマイナスの側面もあることを忘れるわけにはいきません。そもそも電力自由化の当初の目的は、競争による電気料金の引き下げでした。安い電力を、となると、最も発電コストが安い石炭火力への依存が高まることになります。気候ネットワークのリポートによると、現在の日本では電力自由化を見越して35基もの新たな石炭火力発電所の建設計画が目白押しで、このうち半分ほどは、既存の電力会社ではなく新規参入組によるものです。これらの計画が全部実現するとなると、二酸化炭素の大量排出増を招き、地球温暖化を加速することになってしまいます。最近、環境省が石炭火力の新設にダメ出しするケースが相次いでいますが、環境省は「地球温暖化防止のために原発は必要」と主張する原発推進官庁なので、この動きが原発復活に利用される恐れも多分にあります。脱原発と地球温暖化防止を両立させるためには、火力の新増設は原則として最もCO2排出量が少ない天然ガスの複合発電に限るべきでしょう。
本来なら、電力自由化の中でCO2の増加が抑制されるような制度設計がなされるべきであり、欧州のように強制力のある排出権取引制度や炭素税の導入が望まれるところですが、産業界の代弁者である自民党政権の下ではまず無理でしょう。大部分の市民や企業等は「より安く」を第一に考えた消費行動を取るでしょうが、少々高い価格であっても再生可能エネルギーでできた電力を選択するような環境意識の高い市民や企業や自治体が少しでも多く現れてほしいと思います。「私は、自然エネルギーの電力会社を選びます」という方は、同封チラシによりパワーシフト宣言(自然エネルギー電力購入希望登録)をしていただけると幸いです。


戦争法案は阻止できる
諌山二朗

憲法学者の95%が違憲と明言し、国民の6割が反対している戦争法案は議論の余地なく廃案にすべきです。まともな政権であれば、取り下げるでしょう。しかし、安倍政権は何が何でもこの法案を成立させるつもりです。一方で戦争法案反対は世代を超えて広がっています。今までデモなどと無縁だった若者が自主的に動き始めました。彼らは組織や政党に関係なく、ネットでつながって自分の意思で行動しています。反対運動が世代を超えて広がっていることが与党にとって、大きなプレシャーとなっています。最近の自民党議員の度重なる暴言は裏を返せばこのような反対の動きに対する焦りが原因です。
衆議院での強行採決の後、安倍政権の支持率は急激に下がっています。すべてのマスコミの調査で支持を不支持が上回っています。衆参議院で過半数をもつ安倍政権にとって怖いのは支持率です。今は30%代の支持率ですが20%代になれば政権維持が難しくなると思います。それにしても、いまだに30%以上の支持率を維持していることが不思議でなりません。相次ぐ自民党議員の失言、特に磯崎陽輔首相補佐官の「法的安定性は関係ない」という発言は、見逃せない問題発言です。失言というより安倍政権の本音を語ったと言わざるを得ません。中谷防衛大臣の「憲法を法案に合わせる」という発言も同じです。憲法よりも自分たちの政策を上とする考えが安倍政権で共有されていると思います。これほど思い上がった政権は初めてです。
先日の安倍総理の70年談話は何を言いたいのか分からない内容でした。なぜ、こんな内容の談話を出す必要があったのか、大いに疑問です。当初は侵略やお詫びの言葉は入らないと言われていましたが、最終的には歴代内閣の方針を引用する形で織り込みました。朝日新聞は社説で「自らや支持者の歴史観と、事実の重みに苦心した妥協の産物」として「村山談話以前の自民党首相の表現からも後退している」と批判しています。当初、安倍政権の支持者を満足させるために村山談話を打消すつもりだったようですが、内外の批判と侵略やおわびを盛り込むべきと言う世論が多く、それでなくても支持率が低下している現状では妥協せざるを得なかったと思います。

憲法が身近になった

 安倍政権が進める戦争法案、原発推進、TPP、労働条件の改悪と国民にとって悪いことばかりですが、怪我の功名というべきか憲法について国民の多くが関心を持つようになったことは良かったと思います。戦争法案を止めることは簡単なことではありませんが、学生が中心に国会前で行われているSEALDsや高校生たちの反対運動、女性たちのアピール、今までにない反対運動が広がっています。憲法の役割は国民が権力者を縛ることという立憲主義が広く知れ渡ったことが、安倍政権の暴走にブレーキをかけるのではないかと思います。 
安倍政権が戦争法案を合憲の根拠とする砂川事件や1972年の政府見解は、すでに多くの憲法学者や歴代法制局長官から根拠なしとして否定されています。砂川裁判の判決の要旨は米軍基地の合憲性です。さらに砂川裁判の判事が判決前にアメリカの駐日大使に判決文について事前説明をしていたことが判明しました。砂川判決を合憲の根拠にするなど論外です。
自衛隊が創設された当時、自衛隊は違憲とされたが今では国民の多くが自衛隊の存在を支持しているではないかと安倍首相は主張し、集団的自衛権行使の憲法解釈変更を正当化しています。自衛隊についての国民的議論は必要と思いますが、そのことと今回の戦争法案は分けて議論すべきです。
by nonukes | 2015-08-26 00:17 | 脱原発大分ネットワーク | Comments(0)

  小坂正則

by nonukes