2015年 04月 28日
川内原発再稼働仮処分却下の不当性を検証する
川内原発再稼働仮処分却下の不当性を検証する
小坂正則
4月14日に福井地裁で樋口裁判長による「高浜原発3、4号機の仮処分決定」という歴史的な判決を聞いた、わずか1週間余り後に「川内原発再稼働差し止め」仮処分却下の判決が下りました。この決定は、まるで311福島事故以前の専門家の判断に司法は踏み込まないという従来の判断に戻ってしまったようです。そこで前田裁判長による仮処分却下の決定を検証してみました。
前田郁勝裁判長による川内原発運転差し止め仮処分却下理由
①原子力規制委員会が策定した新規制基準は、最新の科学的知見などに照らし、不合理な点は認められない。
②九州電力は新規制基準に従って基準地震動を定め、耐震設計を行っていると認められるから、規制委の適合性判断に不合理な点は認められない。耐震安全上の余裕もある。
③カルデラ噴火の可能性は小さいと考える学者の方が多い。。
④地元自治体の避難計画は、現時点では一応の合理性、実効性を備えている。
以上が決定の理由です。この判決の問題点を考える上で参考になる解説文が4月23日の毎日新聞の解説にあったので、その文章を引用します。「安全性の基準を社会に問う」という表題で、次のように書いています。「~規制基準の適合性は『科学的、専門技術的知見を尊重』し、判断課程に『看過しがたい過誤がある』場合のみ不適とする四国電力伊方原発訴訟(1992年)を踏襲したのもので、福島第一原発事故前の司法判断の枠組みに逆戻りした感が否めない。14日の高浜原発仮処分の決定を下した福井地裁決定は『新規制基準は緩やかすぎ、安全性は確保されず合理性を欠く』と鹿児島地裁の逆の判断をした。『深刻な災害が万が一にも起こらない審査』を求め、より厳格な基準が必要とした。これに対し、鹿児島地裁は『多数の専門家によって、多数回にわたる検討、審議がされた』として新規制基準の合理性を認めた。ただし、今回の決定はさらに厳しい基準が必要とした住民の主張に対して『成り立ち得ないものではない』と理解も示している。だが、現段階では社会的合意までには至っていない。として、今後の司法判断に委ねた。川内原発は早ければ7月にも再稼働が予定されているが、国民的議論が尽くされているとはいいがたい」
と批判しています。また、4月22日の日刊ゲンダイによると、「決定文には新規制基準の合理性について、『専門的知見を有する原子力規制委が策定』としていますが、原子力に批判的な専門家のヒアリングは行われていません。『一般からの意見募集を経て示された』ともありますが、批判的な意見は無視です。火山の影響(リスク)についても、『規制委が火山学の専門家の関与、協力を得ながら』としていますが、火山学者は審査に呼ばれていません」(国際環境NGO「FoE Japan」の満田夏花氏)。 「鹿児島地裁が『火山学の専門家』としているのは、規制委が『火山影響評価ガイド』を策定する際に意見を求めた東大地震研究所の中田節也教授ですが、その中田教授ですら噴火予知の可能性を否定している。住民側はそれを指摘したのに裁判所は聞き入れませんでした」と。(ここまで引用)
福島原発事故の最大の責任は裁判所だ
これまで日本の司法は3回だけ素晴らしい原発運転設置許可取り消し判決を下しています。志賀原発と「もんじゅ」と昨年の大飯原発運転差し止め裁判です。しかし、本訴訟は最高裁まで行かなければ確定判決とはならないため、いくら下級審で「運転差し止め」判決を下しても電力会社は痛くもありません。どうせ最高裁に行けば全ては「国家の言いなり」だから、最高裁では負けるわけがないからです。
私は福島原発事故の責任は第一に事業者である東京電力と原発を国策として進めた国にあると思います。そして御用学者とマスコミにも大きな責任があると思いますが、忘れてはならないもう1つの原発事故の責任者がいます。
それは裁判所です。日本は法治国家です。全ては法律に則って進められます。だから不正義な行為でも違法でなければ罰せられません。「原発は事故の危険性が高くて、福島原発事故は必ず起こり得る」と設置許可取り消し裁判で原告住民が訴えて、住民側の学者がそれを科学的に立証しても、裁判官のバカどもが「専門家による科学的な検査に合格した規制基準は適合している」と、言って自ら技術論へは一歩も入ろうとしてこなかったのです。もちろん高浜原発の仮処分を認めてくれた樋口裁判長など3名の「運転載止め判決」をだしてくれた裁判長は別ですが。3名の裁判長以外の全ての御用裁判長たちは「国が安全と言えば安全だ」という論理で全ての原発裁判を原告住民に対して門前払いしてきたのです。
日本には三権分立など実際には存在しなのです。今回の川内原発の仮処分却下の根拠と同じように「技術論」にいは踏み込んではいません。しかし、この前田某判事も可愛いところがあります。良心の呵責に耐え切れなかったのでしょう。自ら「上級審の判断を仰いでほしい」と言っているのですから。そしてもう一つ、安全対策などの向上を求めることは世論の盛り上がりで、どんどん上げられるのだとも言っています。言外に「皆さんがもっと反対運動を強めたら原発廃止もありえますよ」と言っているのです。
つまり前田さんは「私には国家に刃向かうことは出来ないのでごめんなさいね」と暗にいっているのです。
これから私たちは何を行えばいいのか
原発を止める特効薬などありません。ドイツが脱原発を決めたのは、あの国には民主主義が根付いていたからです。私たちの国には民主主義などありません。国家の最高法である日本国憲法を総理大臣が踏みにじって「解釈改憲」を平気で行う国なのですから。それをまともに批判することさえマスコミは出来ないのですから。NHKは御用放送局ですし、テレ朝の報道ステーションはMチーフディレクター女氏がいたから、これまで原発や安全保障関係の鋭い報道が出来ていたとのことです。古賀茂明氏の反乱でテレ朝や古舘氏が以下に偽物だったかが暴露されました。あの暴露事件以後、報道ステーションの視聴率が一気に落ちてしまったそうです。私も見ていません。いまはTBSのニュース23の岸井成格氏の鋭い切り込みがテレビでは唯一です。
ですから、良心的なジャーナリストの頑張りには応援しながら、私たちは物言わない大衆「サイレントマジョリティー」に説得し続けるしかないのでしょう。しかし、飽和点に達したら一気に物言わない大衆も動き出すと言われています。
原発を止める近道はないのです。私たちは第二のフクシマを決して再現させないことを肝に銘じて、フクシマを忘れることなく、声を上げ続けるしかないのでしょう。
こんなしんどい仕事はありません。でも、私の生命はそんなに長くはありません。私たちは次の世代に残すべきものは巨大なビルでもなければ、煌々と照らし出された街並みでもないでしょう。ましてや刹那な大量消費社会の遺物である核廃棄物などでは決してあり得ません。これまでに大量に生みだした、その責任を取らずに一体、私たち人間はどこまでバカな行為を行えば気づくのでしょうか。この地球に寄生している人類という種は「戦争と競争と環境破壊しかしない愚かな動物だ」と、宇宙人がもしいたら思うことでしょう。
愚かな大人たちの過ちを正すのも同じ種である、私たち自身しかありません。仏様にも神様にも頼ってもだめなのです。自分たちのやった過ちは自分たちで直すしかないのです。いくら時間がかかっても、何度踏みにじられても、次の世代の全ての生命のために。
第二第三の樋口裁判長を生みだしていこう
樋口裁判長は57歳だと思います。彼は福井地裁の判事でした。しかも今度の異動先は名古屋地裁の家裁判事です。誰が見てもあからさまな左遷です。この歳になったら、小心者の判事でも高裁の裁判長くらいにはなれるそうです。彼は明らかに出世を投げうって、自らの良心にのみ従って決定を下したのです。裁判官は政府のために判決を下してはならないのです。なぜなら三権分立の国では司法は独立した権力だからです。裁判官が従わなければならないものは法律と自らの良心だけなのです。つまり、樋口裁判長は「出世」や「最高裁の顔色を伺う」というやってはならないことはキッパリはね除けて、自らの良心にのみ従ったのです。でも、人は弱いものです。随分悩んだと思います。こんな素晴らしい裁判官もまだ日本にはいたのです。うれしいではありませんか。「樋口さんありがとう」とみんなで声を上げましょう。そしていつかは第二第三の樋口裁判長が出てきてくれることを願いましょう。
しかし、裁判官も人の子です。日本中で爆発的に「原発を動かすな」という声が世論として巻き起こったら、よっぽどの反動ゴロツキ裁判官でなければ原告住民側に有利な判決を出してくれるでしょう。彼らは非常に世論を気にする臆病者ですから、原告住民の声を無視しない樋口裁判長のような立派な判決を出す人が増えてくるでしょう。小心者の裁判官に勇気ある判決を出させるためにも私たちが頑張って世論を引っ張って行くしかなのです。諦めずに頑張りましょう!踏みにじられても、踏みにじられても。
小坂正則
4月14日に福井地裁で樋口裁判長による「高浜原発3、4号機の仮処分決定」という歴史的な判決を聞いた、わずか1週間余り後に「川内原発再稼働差し止め」仮処分却下の判決が下りました。この決定は、まるで311福島事故以前の専門家の判断に司法は踏み込まないという従来の判断に戻ってしまったようです。そこで前田裁判長による仮処分却下の決定を検証してみました。
前田郁勝裁判長による川内原発運転差し止め仮処分却下理由
①原子力規制委員会が策定した新規制基準は、最新の科学的知見などに照らし、不合理な点は認められない。
②九州電力は新規制基準に従って基準地震動を定め、耐震設計を行っていると認められるから、規制委の適合性判断に不合理な点は認められない。耐震安全上の余裕もある。
③カルデラ噴火の可能性は小さいと考える学者の方が多い。。
④地元自治体の避難計画は、現時点では一応の合理性、実効性を備えている。
以上が決定の理由です。この判決の問題点を考える上で参考になる解説文が4月23日の毎日新聞の解説にあったので、その文章を引用します。「安全性の基準を社会に問う」という表題で、次のように書いています。「~規制基準の適合性は『科学的、専門技術的知見を尊重』し、判断課程に『看過しがたい過誤がある』場合のみ不適とする四国電力伊方原発訴訟(1992年)を踏襲したのもので、福島第一原発事故前の司法判断の枠組みに逆戻りした感が否めない。14日の高浜原発仮処分の決定を下した福井地裁決定は『新規制基準は緩やかすぎ、安全性は確保されず合理性を欠く』と鹿児島地裁の逆の判断をした。『深刻な災害が万が一にも起こらない審査』を求め、より厳格な基準が必要とした。これに対し、鹿児島地裁は『多数の専門家によって、多数回にわたる検討、審議がされた』として新規制基準の合理性を認めた。ただし、今回の決定はさらに厳しい基準が必要とした住民の主張に対して『成り立ち得ないものではない』と理解も示している。だが、現段階では社会的合意までには至っていない。として、今後の司法判断に委ねた。川内原発は早ければ7月にも再稼働が予定されているが、国民的議論が尽くされているとはいいがたい」
と批判しています。また、4月22日の日刊ゲンダイによると、「決定文には新規制基準の合理性について、『専門的知見を有する原子力規制委が策定』としていますが、原子力に批判的な専門家のヒアリングは行われていません。『一般からの意見募集を経て示された』ともありますが、批判的な意見は無視です。火山の影響(リスク)についても、『規制委が火山学の専門家の関与、協力を得ながら』としていますが、火山学者は審査に呼ばれていません」(国際環境NGO「FoE Japan」の満田夏花氏)。 「鹿児島地裁が『火山学の専門家』としているのは、規制委が『火山影響評価ガイド』を策定する際に意見を求めた東大地震研究所の中田節也教授ですが、その中田教授ですら噴火予知の可能性を否定している。住民側はそれを指摘したのに裁判所は聞き入れませんでした」と。(ここまで引用)
福島原発事故の最大の責任は裁判所だ
これまで日本の司法は3回だけ素晴らしい原発運転設置許可取り消し判決を下しています。志賀原発と「もんじゅ」と昨年の大飯原発運転差し止め裁判です。しかし、本訴訟は最高裁まで行かなければ確定判決とはならないため、いくら下級審で「運転差し止め」判決を下しても電力会社は痛くもありません。どうせ最高裁に行けば全ては「国家の言いなり」だから、最高裁では負けるわけがないからです。
私は福島原発事故の責任は第一に事業者である東京電力と原発を国策として進めた国にあると思います。そして御用学者とマスコミにも大きな責任があると思いますが、忘れてはならないもう1つの原発事故の責任者がいます。
それは裁判所です。日本は法治国家です。全ては法律に則って進められます。だから不正義な行為でも違法でなければ罰せられません。「原発は事故の危険性が高くて、福島原発事故は必ず起こり得る」と設置許可取り消し裁判で原告住民が訴えて、住民側の学者がそれを科学的に立証しても、裁判官のバカどもが「専門家による科学的な検査に合格した規制基準は適合している」と、言って自ら技術論へは一歩も入ろうとしてこなかったのです。もちろん高浜原発の仮処分を認めてくれた樋口裁判長など3名の「運転載止め判決」をだしてくれた裁判長は別ですが。3名の裁判長以外の全ての御用裁判長たちは「国が安全と言えば安全だ」という論理で全ての原発裁判を原告住民に対して門前払いしてきたのです。
日本には三権分立など実際には存在しなのです。今回の川内原発の仮処分却下の根拠と同じように「技術論」にいは踏み込んではいません。しかし、この前田某判事も可愛いところがあります。良心の呵責に耐え切れなかったのでしょう。自ら「上級審の判断を仰いでほしい」と言っているのですから。そしてもう一つ、安全対策などの向上を求めることは世論の盛り上がりで、どんどん上げられるのだとも言っています。言外に「皆さんがもっと反対運動を強めたら原発廃止もありえますよ」と言っているのです。
つまり前田さんは「私には国家に刃向かうことは出来ないのでごめんなさいね」と暗にいっているのです。
これから私たちは何を行えばいいのか
原発を止める特効薬などありません。ドイツが脱原発を決めたのは、あの国には民主主義が根付いていたからです。私たちの国には民主主義などありません。国家の最高法である日本国憲法を総理大臣が踏みにじって「解釈改憲」を平気で行う国なのですから。それをまともに批判することさえマスコミは出来ないのですから。NHKは御用放送局ですし、テレ朝の報道ステーションはMチーフディレクター女氏がいたから、これまで原発や安全保障関係の鋭い報道が出来ていたとのことです。古賀茂明氏の反乱でテレ朝や古舘氏が以下に偽物だったかが暴露されました。あの暴露事件以後、報道ステーションの視聴率が一気に落ちてしまったそうです。私も見ていません。いまはTBSのニュース23の岸井成格氏の鋭い切り込みがテレビでは唯一です。
ですから、良心的なジャーナリストの頑張りには応援しながら、私たちは物言わない大衆「サイレントマジョリティー」に説得し続けるしかないのでしょう。しかし、飽和点に達したら一気に物言わない大衆も動き出すと言われています。
原発を止める近道はないのです。私たちは第二のフクシマを決して再現させないことを肝に銘じて、フクシマを忘れることなく、声を上げ続けるしかないのでしょう。
こんなしんどい仕事はありません。でも、私の生命はそんなに長くはありません。私たちは次の世代に残すべきものは巨大なビルでもなければ、煌々と照らし出された街並みでもないでしょう。ましてや刹那な大量消費社会の遺物である核廃棄物などでは決してあり得ません。これまでに大量に生みだした、その責任を取らずに一体、私たち人間はどこまでバカな行為を行えば気づくのでしょうか。この地球に寄生している人類という種は「戦争と競争と環境破壊しかしない愚かな動物だ」と、宇宙人がもしいたら思うことでしょう。
愚かな大人たちの過ちを正すのも同じ種である、私たち自身しかありません。仏様にも神様にも頼ってもだめなのです。自分たちのやった過ちは自分たちで直すしかないのです。いくら時間がかかっても、何度踏みにじられても、次の世代の全ての生命のために。
第二第三の樋口裁判長を生みだしていこう
樋口裁判長は57歳だと思います。彼は福井地裁の判事でした。しかも今度の異動先は名古屋地裁の家裁判事です。誰が見てもあからさまな左遷です。この歳になったら、小心者の判事でも高裁の裁判長くらいにはなれるそうです。彼は明らかに出世を投げうって、自らの良心にのみ従って決定を下したのです。裁判官は政府のために判決を下してはならないのです。なぜなら三権分立の国では司法は独立した権力だからです。裁判官が従わなければならないものは法律と自らの良心だけなのです。つまり、樋口裁判長は「出世」や「最高裁の顔色を伺う」というやってはならないことはキッパリはね除けて、自らの良心にのみ従ったのです。でも、人は弱いものです。随分悩んだと思います。こんな素晴らしい裁判官もまだ日本にはいたのです。うれしいではありませんか。「樋口さんありがとう」とみんなで声を上げましょう。そしていつかは第二第三の樋口裁判長が出てきてくれることを願いましょう。
しかし、裁判官も人の子です。日本中で爆発的に「原発を動かすな」という声が世論として巻き起こったら、よっぽどの反動ゴロツキ裁判官でなければ原告住民側に有利な判決を出してくれるでしょう。彼らは非常に世論を気にする臆病者ですから、原告住民の声を無視しない樋口裁判長のような立派な判決を出す人が増えてくるでしょう。小心者の裁判官に勇気ある判決を出させるためにも私たちが頑張って世論を引っ張って行くしかなのです。諦めずに頑張りましょう!踏みにじられても、踏みにじられても。
by nonukes
| 2015-04-28 19:04
| 原発再稼働は許さない
|
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