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小坂正則の個人ブログ

「巨大津波は予測できなかったのか」を解明する。岩波新書「原発と大津波 警告を葬った人々」

「巨大津波は予測できなかったのか」を解明する。岩波新書「原発と大津波 警告を葬った人々」
小坂正則
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元朝日新聞記者の添田孝史(そえだ・たかし)氏は2011年福島原発事故の後に新聞記者を辞めて、国会事故調の協力調査員として津波分野の調査を担当した結果を岩波新書にまとめたものです。実に新聞記者らしく、執拗なまでに丹念に聞き取り調査をして、書き上げたものです。国会事故調が政府事故調などに比べて随分、福島原発事故の真相を解明しようと努力した跡が見られるのは、添田氏のような骨のある民間人が入って調査したからだと言うことが理解できた気がしました。国会事故調には田中三彦氏のような良心的な科学者などがたくさん参加して調査したので、福島原発事故の調査報告書の中では一番信頼性が高い事故報告書なのでしょう。しかし、わずか半年足らずで報告書をまとめなければならないという制約の中で、実質調査できたのはわずか4カ月しかなかったそうです。
また、規制庁や東電や元保安院のメンバーなどは調査に非協力的で、裏付けを取る作業は大変な困難な作業と時間を要したそうです。そんな困難な作業の中で、「巨大津波は予測されていなかったのか」を解明する作業を丹念に行った結果、東電は何度も津波対策を行うチャンスはあったにもかかわらず、それをやらなかった。そして、国は東電と一体になって、見逃したか、わざと見て見ぬ振りを決め込んでいたというのです。

津波対策を取らなかったのは東電の不作為

この本の中で津波対策が必要だという指摘は1994年と1998年に2003年の3回もあったのです。しかし、それぞれ東電は政府に根回しして報告書を書き換えさせたり、委員を金で丸め込んだりして津波対策を一切取らなかったというのです。1つの例として「東電は地震の専門家に面談して意見を聞く時には、その都度帰り際に技術指導料として5万円から8万円の謝礼を渡していた」というのです。これは買収以外の何ものでもありません。おまけに「津波に関する調査資料はないのか」という福島県の地元住民からの質問に対しても「そのような調査は行っていない」とウソをついたり、「冷却用ポンプの見学をしたい」という地元住民の申し入れに対しても「テロ対策上見せられない」と、ウソをついて、見せなかったというのです。なぜなら、建屋などに入ってもいないむき出しのポンプは5メートルそこらの津波で動かなくなることがバレルからだろうと著者はいいます。
検察庁は「巨大津波を想定することはできなかったので東電には過失はない」と結論つけているのですが、これは明らかにおかしいと氏はいいます。なぜなら、原電の東海第二原発は東日本大震災の2日前に津波対策の防波堤かさ上げ工事が終わったのだそうです。もし、かさ上げ工事が終わっていなかったなら、東海第二原発も福島原発と同じ運命をたどったことだろうと氏はいいます。それだけではありません。20年も前に東北電力は貞観地震の調査を独自に行い、東北電力女川原発は巨大津波が来る危険性が高いということで、防波堤嵩上げ工事や建屋の防水工事を行ったので女川原発も危機一髪で全電源喪失を免れたのです。

フクイチの吉田所長は津波対策をもみ消した張本人だった

死人に鞭を打つのは申し訳ないのですが、事実は事実として解明しなければなりません。実は保安院は「15.7メートルの津波地震に対応せよ」という福島原発への地震への対応を求める指導文書「バックチェック中間報告」を2008年3月に出していたのです。そこでは社内で津波対策を取る方向で議論が交わされたのですが、しかし、東電社内の幹部会議で武藤栄・原子力立地副本部長と、津波想定を担当する吉田昌郎(後のフクイチの所長)は急きょ方針を変更したのです。その理由を事故後吉田所長は「このような高い津波は実際には来ないと考えていた。100年に1回以下といった、原子炉の寿命スパンよりも頻度が低いような自然災害への対応については切迫性がないと判断した」と、話したのです。
しかし、実際には吉田所長は「バッテリーが足りないからそこらのホームセンターで買って来い」といって社員に自動車用のバッテリーを買いに走らせたのです。「もし、あのとき数百万円程度の予備バッテリーを用意しておくだけで、福島原発の事故は軽減できた可能性があるのです」と、氏は語っています。きっと、吉田所長は事故時には自分が行った愚かな判断を後悔していたことでしょう。

検察庁は東電に原発事故の責任を取らせるべきだ

そして、結論として「東電の情報隠しの体質は福島原発事故後も一向に改まっていない」というのです。また、国の姿勢を問うています。事故原因を調査することは何よりも同じような事故を繰り返させないための貴重な証拠です。米国の規制委員会(NRC)はスリーマイル島原発事故の調査を20年間に渡って行ったそうですが、福島原発事故はわずか1年足らずで終わらせてしまい、国会事故調が結論として導いた「引き続き真の事故原因を調査する必要がある」という問いかけを政府も国会も答えていないのです。
いまや、証拠の事故現場である原子炉建屋の破壊されたパイプや機器などはきれいさっぱり取り去られてしまい、事故原因を調査するにも証拠隠滅を行ってしまったのです。技術の安全性の向上は事故によって大きく発展してきたそうです。その意味では、今回の福島原発事故は事故を解明してより安全であるべき技術とはどうあるべきかを調べる貴重な財産だったのです。それを解明することなく捨て去り、中途半端な安全対策で再稼働を行おうとしている政府と電力会社は、このままでは再びフクシマの二の舞を繰り返すだけでしょう。
ぜひみなさんこの岩波新書を買い求めて読んでください。著者の真摯な態度にきっと胸を打たれることでしょう。自身も新聞記者時代には津波対策などに対してもっと厳しく追求すべきだったと反省しています。だから、彼は朝日新聞の記者という安定した職業をなげうって、原発事故の追求に人生を捧げたのかもしれません。私は真摯な添田孝史氏の生き方に感動しました。これからはフリーのジャーナリスとして活躍することを期待しています。


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■著者紹介
添田孝史(そえだ・たかし)1964年生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。サイエンスライター。1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。97年から原発と震災についての取材を続ける。2011年に退社、以降フリーランス。東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当した。
by nonukes | 2015-02-05 01:36 | 福島原発事故 | Comments(0)

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