2014年 09月 22日
「松下竜一の想い出を語る」を開催します
「松下竜一の想い出を語る」を開催します
小坂正則
大分を代表する作家であり、長年にわたって平和運動や反原発・脱原発運動を私たちと一緒にやって来た仲間でもり私の師でもある松下センセが亡くなって10年が過ぎました。
2012年4月に、私は自宅の一部を改造して「松下竜一資料館:松明楼」をオープンさせました。そしてその年の8月には梶原得三郎さんと新木安利さんによる第1回目の「松下竜一の想い出を語る会」を開催しました。その時のテーマは「暗闇の思想」についてお話しして頂いたのです。今回は第2回目として「私にとっての松下竜一」というテーマでお二人に松下竜一氏の思い出をお話して頂きます。
1972年に豊前火力発電所反対運動の中から松下竜一が考え、たどり着いた思想が「暗闇の思想」だったのです。電気が足りないから火力発電所を建設し、そして、その発電所がまた、新たな電力需要を呼び起こし、新たな発電所をつくり続ける。そのように人々の欲望のままにエネルギー需要は限りなく拡大して行っていいのだろどうか。ここらで立ち止まって考え直してて見ようではないかと。彼は暗闇の思想でこのように書いています。「冗談ではなくいいたいのだが、「停電の日」があってもいい。…月に一夜でもテレビ離れした「暗闇の思想」に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないかどうか。冷えびえとするまで思惟してみようではないか」と。
311福島原発事故により、原発の被害や矛盾を思い知らされた私たちはいま、川内原発の再稼働が身近な問題になっている中で、「拡大するエネルギー需要のために原発再稼働を行い、これ以上の経済成長社会を求めるのか、それとも経済成長よりも生命を大切にする暮らしのために原発のない社会を求めるのか」という私たちの暮らし方を決める国民的な「未来への責任」が、私たち国民ひとりひとりに求められているのではないでしょうか。
松下竜一が問い続けたものは「ひとりの小さな幸せを権力によって一方的に奪われることへの作家の怒り」であり、彼が求め続けたものは「人へのやさしさと愛情」だったのだと思うのです。松下竜一をご存知の方もご存知ではない方もぜひご参加ください。
お 話:梶原得三郎さんと新木安利さん
日 時:10月11日(土)13時~16時(3時間)
場 所:松明楼(大分市田の浦12組小坂宅)
主 催:脱原発大分ネットワーク
連 絡:090-1348-0373( 小坂)
参加費:500円
松下竜一
1937年2月15日、中津市に生まれる。1956年3月、中津北高卒業。豆腐屋を継ぐ。1970年7月9日、豆腐屋をやめ、作家宣言。『ルイズ―父に貰いし名は』で講談社ノンフィクション賞受賞。2004年6月17日、死去。67歳。この間、市民運動活動を続ける。機関誌『草の根通信』は380号まで続いた。脱原発大分ネットワークの初代代表。
梶原得三郎さん
1937年、大分県本耶馬渓町(現・中津市)生まれ。大分県立中津南高等学校卒業。住友金属小倉工場勤務。73年、環境権訴訟をすすめる会結成。豊前環境権訴訟原告。74年、豊前火力建設阻止行動で豊前海戦裁判被告。75年からさかな屋となる。著書「さかなやの四季」
新木安利さん
1949年、福岡県椎田町(現・築上町)生まれ。北九州大学文学部英文科卒業。築上町図書館勤務。松下竜一研究者。著書「サークル村の磁場」「松下竜一の青春」など
by nonukes
| 2014-09-22 16:27
| 脱原発大分ネットワーク
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