2014年 09月 12日
従軍慰安婦の強制連行は本当になかったのか?朝日新聞の謝罪は自律と独立を捨て去る
昨日夜記者会見で謝罪する朝日新聞社長
従軍慰安婦の強制連行は本当になかったのか?
朝日新聞の謝罪は新聞社が国家への批判と自律と独立を捨て去ることを意味している
小坂正則
私はここ最近は大変不安に駆られています。というのも昨年の「特定秘密保護法」が国会で可決して、その後この国のマスコミや言論界は大きく時計を逆回りさせるような傾向に舵を切ったのではないかと思うからです。その1つが今回朝日新聞が行った「従軍慰安婦の強制連行の誤報記事の謝罪」です。私は従軍慰安婦の歴史的な事実や経過などについてほとんど知らない状態でこのブログを書いているので、私自身も誤ったことを書く可能性があることを前提に「私の感じた朝日新聞社の謝罪会見」の感想を書きたいと思います。
結論として、朝日新聞が根拠として上げた事件は確かに虚偽の証言だったとしても、その1つの事件だけで強制連行がなかったとは歴史的には決して言えないのです。しかし、朝日新聞が謝罪すれば読売や産経は鬼の首を取ったかのように有頂天に喜び勇み、「従軍慰安婦は自由意思で娼婦になった」とのごとくに歴史をねじ曲げて、中国や朝鮮を中心とした多くの東アジアの日中戦争犠牲者の屍を踏みつけるような行為を私たち日本国民が行うことになりはしないかと危惧するのです。
百歩譲って、官憲や軍人による強制的な連行の証拠が出てこなくても、「日本でいい仕事があるから行かないか」と、甘い言葉やウソで騙して軍の施設の周辺に連れて行かれた女性たちは、そこは売春宿だと現地で初めて気づいても、「私は騙されたから帰ります」などと言えなかったでしょうし、契約を破棄して帰ることなど絶対に出来なかったのす。それは広義の「強制連行」でなくて何なのでしょうか。若い女性たちを「売春婦の仕事」として募集するなどという仕事の中身の提示がなかったなら、女性にとって暴力的であり屈辱的な、人間としての尊厳を卑しめる売春行為は、まさに精神的な意味でも肉体的な意味でも立派な「強制連行」なのです。
朝日だけが強制連行を立証する立場ではない
右翼大政翼賛会新聞の読売や産経新聞・フジテレビのフジサンケイグループなどは朝日新聞は韓国や中国などへ肩を持った記事を書き、日本の国益を売り渡す売国奴新聞社だと決めつけたような批判を繰り返してきています。そして1993年に自民党内閣官房長官の河野洋平氏が出した談話いわゆる「河野談話」で、従軍慰安婦の強制連行を認めて謝罪会見したことから、今日いわれる「従軍慰安婦の強制連行問題」が始まったのです。このことを批判する維新の橋下徹などは「河野談話を取り消せ」と大合唱を繰り広げているのです。さて、それでは本当に強制連行はあったのか、なかったのかを考えてみたいと思います。
河野談話の元になった元従軍慰安婦の方々からの聞き取り調査がきちんとしていなかったり、証言が曖昧だったりということが浮かびあがって、根拠が曖昧だとか、証拠が不十分だという批判から「従軍慰安婦の強制連行はなかった」という批判への大合唱となったのです。しかし、これは誰が見ても少しおかしいと思いませんか。「証拠が不十分ならなかったと言えるのか」ということです。従軍慰安婦の強制連行がなかったというためには、その事実が全くなかったという証拠を積み上げて行く必要があるからです。例えば、そんな例が1件でもあれば、その根拠は一気に崩れてしまうのです。朝日新聞が証拠としてあげたのは日本人の吉田清治氏が済州島で「自分が強制連行を行った」という証言が虚偽だったという結果から、「強制連行はなかった」と謝罪したのです。
しかし、それ以外の事実をなぜ朝日新聞は調査しようとしないのでしょうか。日本軍は強制連行した事実を歴史に残すわけがありません。731部隊が中国で行った毒ガス兵器開発や、そのための人体実験なども全ての証拠を焼き捨て闇に葬られたように、強制連行の記録を軍が持っていたとしても敗戦と同時に全てを焼き捨てたでしょうし。また、強制連行に携わった人間も自ら証言することはないでしょう。
中曽根康弘が慰安婦の強制的に集めた事実を証言している
『中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が』という証言録があるそうです。以下はそのHPからの抜粋です。
中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。
タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。
苦心して慰安所を作った、その中身までは書いてはいませんが、インドネシアのジャングルの中で売春婦を集めることなど出来るわけはありません。そこで、現地の日本軍の支援者に女性を集めるように指示をして集めさせたのでしょう。これは立派な「強制連行」です。中曽根を国会に招致して証言させれば「強制連行」の証拠は出てくるのではないでしょうか。
またインドネシアはオランダ軍が支配していたため、現地ではオランダ人女性の慰安婦がいたと言われているのです。彼女らも何らかの強制によって娼婦にさせられたのでしょう。
朝日新聞はペンを折ろうとしているのではないか
昨日は朝日新聞社長が謝罪会見を行いました。東電福島原発事故の3月15日の東電社員の一時撤退が「命令に反して東電社員撤退」という見出しが間違いであったという内容です。確かにちょっと行きすぎた見出しだとは思いますが、その中身が完全に間違っていたわけではなりません。中にはフクイチに撤退という指令を間違った振りをして逃げようと思った社員もいたかもしれないからです。そんな見出しの書き方がオーバーだったことなど、東電が福島の被災者を見殺しにしたり、避難中に多くの病人や高齢者が亡くなった事実に比べたら、屁でもありません。
それよりももっと怖いことは、この朝日新聞の謝罪会見、実は私たち国民や読者への謝罪ではなく、安倍政権への謝罪ではないかと思えてならないのです。
読売や産経は誤報などほとんどありません。なぜなら彼らは安倍政権のスポークスマンなので政府批判や東電批判の記事を書くことなどないからです。それに比べて東京新聞や毎日などに比べたら朝日新聞は随分政府寄りなのですが、それでも何とか踏みとどまっていた朝日新聞がとうとう安倍の力に屈したのではないかと私は感じてしまうのです。
彼らは「朝日新聞は国益を損ねる」と批判するのですが、日本の国益を損ねている新聞社は読売と産経です。これだけ韓国や中国を批判して外交関係を完全に冷え切った国家関係にするような批判記事を書いて煽る新聞社は戦争へを突き進もうとする安倍政権の広告塔だからです。そして読売が朝日攻撃に必死なのは、この半年に50万部以上も購読者が減っている危機感からでしょう。読売の部数を増やすためには日本で二番目に大きな朝日新聞の読者を切り崩すしか増える要素がないからです。
朝日新聞社の記者は経済記者以外はみな真面目です。(経済記者はどこの新聞社も皆似たり寄ったりです。TPP大賛成で新自由主義者がほとんどだからです。1人でも脱経済成長主義の経済記者が居たら大したものです)だから頑張れ朝日新聞記者。あなた方が頑張っていい記事を書かない限り、朝日の経営者は安倍の軍門に下ろうとしているのです。
ここで負けたら戦前の過ちを繰り返すことになってしまうのです。読売は戦後の読売争議に負けて労働組合が解体された結果ナベツネの奴隷のような新聞社になり下がってしまったのです。サンケイはしりません。
私は朝日の記者や東京新聞の記者や毎日新聞の記者にエールを送りたい。あなた方が安倍と対峙して日本の集団的自衛権や憲法改正から「原発再稼働」などのこの秋から繰り広げられる全国でのたたかいの先頭に立っている人々の闘いの記事を書いてほしいからです。もちろん商業紙の限界はあります。なぜなら東京新聞といえども企業の広告なしでは新聞社が成り立たないからです。しかし、真実の報道を行う記者のジャーナリスト魂と経営者の新聞を売るという商売のバランス感覚が商業新聞社を支えるのです。ニューヨークタイムズやワシントンポストが出来て日本の新聞社にやれないはずはないのです。
この読売による朝日新聞批判のチラシが全戸に配布されたという
参考までにこの方の朝日新聞誤報事件のブログは大変読み答えがあります。
朝日謝罪会見でハシャぐ読売、産経の“トンデモ誤報”集
朝日新聞:吉田調書の報道で誤り認める…社長、引責辞任へ
毎日新聞 2014年09月11日
東京電力福島第1原発事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が実施した吉田昌郎元所長(故人)への聴取記録(吉田調書)に関する報道について、朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長は11日夜、東京都内の同社本社で記者会見し、「社内の精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断した」と謝罪した。そのうえで、木村社長は「編集部門を含む抜本改革などに道筋を付けたうえで、自らの進退を決断する」と述べ、辞意を表明した。
木村社長はさらに、「杉浦信之取締役編集担当の職を解く」とも述べ、関係者を処分する方針も明らかにした。
朝日新聞社は5月20日付朝刊で、「所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」と報じていた。
木村社長は8月5日の朝刊で訂正した従軍慰安婦問題に関する報道にも言及。「誤った記事を掲載し、訂正が遅きに失したことをおわびする」とも述べた。
木村社長は早稲田大を卒業後、1976年に朝日新聞社入社。東京本社政治部長、同編集局長、取締役広告・企画事業担当を歴任し、秋山耿太郎・前社長の退任に伴い2012年6月、社長に昇格した。
by nonukes
| 2014-09-12 11:53
| 小坂農園 薪ストーブ物語
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