2014年 05月 25日
これだけ違う各社の社説「大飯原発差し止め判決」沖縄タイムス「再稼働への重い警告だ」…
これだけ違う各社の社説「大飯原発差し止め判決」沖縄タイムス「再稼働への重い警告だ」東京新聞「国民の命を守る判決だ」と読売新聞「不合理な推論が導く否定判決」
小坂正則
日本人はNHKなどテレビの言ってることや大手全国紙などの新聞の言ってることを信じている方が7割以上存在しているといわれています。それに対して米国民は40%。イギリス人は何と14%だそうです。日本人はNHKなど、当たり障りのないどっちつかずの中立を装って、実は国家権力の言いなりになっている御用マスコミを鵜呑みにして信じている人間が世界一多いといわれているのです。
5月21日の「大飯原発差し止め訴訟」の判決に対する社説の違いです。全国紙と言っても朝日新聞と毎日新聞はそんなに大きな違いはないようでした。しかし、読売新聞は痛烈に樋口判決を避難していました。沖縄タイムスや東京新聞をはじめ、それぞれの新聞社の社説をじっくり読んでみてください。これほど主張していることが違うのです。どれを信じるかは皆さんの自由です。みなさん決して無批判に御用マスコミの言ってることを信じてはいけませんよ。彼らは国体の護持が一番の目的なのです。あの朝日新聞や毎日新聞でも戦前は戦争賛美の記事一色で、国民を戦争に突き進ませるためプロパガンダの先兵だったのです。その反省に立って、国家の暴走をくい止めるためにこそ、シャーナリズムは存在しており、ジャーナリストは常に真実と自己の良心にのみ忠実でなければならないのです。ところが現在の特に全国紙は一大情報産業グループです。そこにはジャーナリストは存在しないのではないかと思われる新聞社ばかりです。マスコミから流れる情報をそのまま信じるのではなく、自分の頭で、まずは疑ってみることから、情報が真実であるかどうかを見極める目を持つことが何よりも必要なのではないでしょうか。なかなかこの作業は難しいことだと思います。ついつい新聞社の名前や権威に騙されてしまいがちです。朝日新聞は原発問題は厳しく国や電力会社を追及しているようですし、一見政府自民党に対して厳しいように見えますが、TPPなどはアメリカの手先ではないかと思うほど日本の医療や社会保障などを崩壊させる政府擁護の論陣を張っています。でも一番信じてはならないものは、安倍首相の言葉と、この国の政府の言うことでしょう。以下は「東京新聞」と「琉球タイムス」と「読売新聞」と「毎日新聞」の社説を並べて見ました。それぞれの主張の違いをじっくり味わってみてください。そしてどれがひどくて、どれが一番私たちに近い新聞社かを考えてください。
御用マスコミの中にもジャーナリストはいる
以下は追加の書き込みです。
「NHKを御用マスコミとか、大手全国紙にはジャーナリストは存在しないのでないか」と書きましたが、ちょっと言葉足らずだったようです。NHKの存在それ自体は「中立」という立場だそうですが、そんな組織も企業も人間もありません。それぞれに何らかの主義主張を持っていて、どっちかを支持したり、また揺れ戻ったりしているのです。それをあえて中立と言う言葉でごまかしてるだけなのです。水俣病を告発してきた熊本大学の原田医師はこういってました。「水俣病の患者が強大な権力のチッソや国を相手にたたかっている状況では、中立とは、それぞれの中間地点ではない。圧倒的に患者側は非力なのだから、真ん中よりも患者側に近い位置に立つことによって、はじめて科学者や医者は中立の立場に立つことが出来るのです」と。この言葉が全てです。NHKはだから中立という言葉で国民を欺いているのです。
さて、私が言葉足らずだと言いたかったことは、それだけではありません。
様々な制約の中で、それでも良心に従って告発記事など真実の記事を書いているマスコミ人はたくさんいます。その方々を背後から攻撃するようなことを私はしてはならないと思っています。そんな記者の数が各社によって多いか少ないかの違いだけだと思うのです。ですから、新聞社がだめとかいいとか言うよりも、それぞれの記事の中身を見るべきなのです。随分前ですが、Y社の記者に私と親しい方がいました。積極的に原発記事を書いてくれてました。「我が社はなかなか皆さんの願うような記事がででこないものですから」と、申し訳なさそうに話されていました。新聞社の中で孤軍奮闘している記者を私たちは応援すべきなのです。すばらしい記事があったら、新聞社へ電話するのです。「この記事はすばらしい。私は感動しました。ぜひ記者の方にありがとうと伝えてください」と。そして、くだらない記事には抗議の電話を入れるのです。「こんあ記事を書くようだったら新聞購読をやめる」と。どんなに反動的な新聞社も読者を失ったら元も子もないのです。ですから、読者の声が一番驚異なのです。読売や産経や日経が原発擁護を書くのも「原発推進派」の読者が我が社の新聞購読者だと勘違いしているから、原発擁護記事を書くのです。沖縄タイムズや東京新聞の読者は圧倒的に脱原発派だと認識しているから、このような私たちが感動するような記事を書いてくれるのでしょう。ぜひ皆さん、いい記事を書いた記者には頑張ってくださいとエールを送りましょう。
社説[大飯原発差し止め]再稼働への重い警告だ
沖縄タイムス社説2014年5月24日
原発の再稼働に前のめりな国の政策に対する司法からの重い警告である。
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを福井県の住民らが求めた訴訟で、福井地裁は定期点検中の2基の再稼働を認めない判決を言い渡した。
2011年3月の東京電力福島第1原発事故の後、原発の差し止めを認める判決は初めてである。
判決では、大飯原発の安全技術や設備を「確たる根拠のない楽観的な見通しの下で成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なもの」と厳しく批判し、地震の際の冷却機能と放射性物質を閉じ込める構造に欠陥があると指摘。原発の250キロ圏内に住む166人の請求を認めた。250キロの根拠は福島原発事故直後に、原子力委員会がまとめた資料だ。
また判決では、国民の生命や生活を守る人格権にも言及し、原発の稼働によってこの人格権が奪われる危険性が万が一でもあれば「差し止めが認められるのは当然だ」と断じている。
争点となった耐震性について関電が、安全対策の基準となる「基準地震動」の1・8倍までは過酷事故に至らないと主張していることに対し「地震大国日本で、それを超える地震が来ない根拠はない」と退けた。背景に「05年以降、全国四つの原発で5回にわたり想定を超える地震が到来している事実がある」としている。国はこの指摘を重く受け止めるべきだ。福島の事故がなかったかのように、再稼働を進めるのは、国民に対する背信行為ではないか。
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これまで原発訴訟は、ほとんどが「手続き上適法」として住民の訴えを退けてきた。同じ3、4号機の差し止めを求めた仮処分の決定で大阪高裁が今月、申し立てを却下している。
だが、今回の判決では「福島原発事故後に、判断を避けることは、裁判所に課せられた最も重要な責務を放棄するに等しい」と言及した。原発をめぐる司法の姿勢が変化している兆しであろうか。
関電側が主張した電力供給の安定性やコスト低減について判決は「多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いを並べて論じることは法的には許されない」と厳しく批判した。原発稼働が二酸化炭素の排出削減に資すると主張したことには「福島の事故はわが国始まって以来最大の環境汚染だ」と一蹴した。被災者の心情をくみ取ったものであり、「脱原発」が根強い国民感情に沿ったものでもある。
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国は原発を「重要なベースロード電源」と位置づけたエネルギー基本計画を閣議決定し、新増設にも含みを持たせている。
福島県では今も約13万人が避難生活を強いられている。帰還のめどが立たず、体調を崩したり、家族がばらばらに暮らす人たちも多い。
関西電力は、福井地裁判決を不服として控訴した。安倍政権は規制委の審査を通過した原発の再稼働を進める方針だが、福井地裁判決を踏まえると、なし崩し的な再稼働は許されない。
大飯原発・差し止め訴訟 国民の命を守る判決だ
東京新聞2014年5月22日
大飯原発の運転再開は認めません。昨日の福井地裁判決は、言い換えるなら、国民の命を守る判決ということだ。原発に頼らない国への歩みにしたい。
判決はまず、津波対策に比べて軽視されがちな地震の揺れの強さに着目し、「想定外」は許されないと言っている。
世界有数の地震国日本では、どんな大地震に大飯原発が襲われるか分からない。原発を冷やすシステムが破壊されない保証もない。一方、想定より弱い地震でも重大事故は起こり得るものだという。
要するに、「想定外」を恐れている。
◆いくつもの神話の否定
使用済み核燃料に関しても、放射性物質が漏れ出さないように閉じ込めることが可能な保管設備は存在しない、とも考える。
さらに、大飯原発の安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものだと断じている。
裁判官の前では関西電力の方に説得力がなかったわけである。
安全神話の完全な否定である。
原発の稼働が発電コストの低減になるという関電側の主張も退ける。極めて多数の人々の生存そのものにかかわる権利と、電気代が高い低いの問題とを並べて論じること自体、許されないと、怒りさえにじませているようだ。
経済神話の否定である。
そして、原発の稼働が地球温暖化の原因になる温室効果ガスの削減に寄与するという被告側の主張に対しては、福島原発事故はわが国始まって以来の環境汚染、甚だしい筋違いとまで言い切って、環境神話も否定した。
3・11後もまだ残る原発神話を払いのけ、その素顔を国民の前にさらして見せたとすら、言えるだろう。
原発再稼働に走る政府はどう受け止めるのか。
国内の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした二〇〇三年の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた〇六年の金沢地裁判決だけだった。
福井、岐阜両県と近畿の住民が同じ3、4号機の差し止めを求めた仮処分裁判の抗告審で、大阪高裁は今月九日、「現時点では判断できない」と、訴えを退けた。
今回の判決は、福島の事故直後に当時の近藤駿介・原子力委員長が示した見解を踏まえ、原発から二百五十キロ圏内の住民は事故の被害を受ける恐れが強く、差し止めを求める権利があると、かなり広く認めている。
◆国民が普通に思うこと
3・11後、原発の停止や建設中止を求める訴訟が各地で起こされているが、司法の流れは本当に変わるのか。
関電はきっと控訴するだろう。差し止めの結論はもちろん、判決内容にも多々不服があるだろう。国は、これでは日本の経済が成り立たない、というかもしれない。
しかしよく考えてみてほしい。今回の地裁の判決理由は、普通の国民が普通に考えて思い至ることばかりではないか。
その考えの基底には、あの東日本大震災・大津波で引き起こされた福島原発の惨状、放射能汚染の怖さ、また安全神話と今は称される、事故の蓋然(がいぜん)性に固く目を閉ざしていたこと、などへの痛切な悔悟と反省とがある。
事故のあと、日本の原発行政は揺れに揺れた。当時の民主党政権下では、原発ゼロへの計画をいったんは決めながら、自民党への政権交代によって揺り返した。
先月、政府は原発をできるだけ減らすと言いながら、その実、原発をベースロード電源と位置づけ、事実上、原発頼みへとかじを切り直した。
原発に頼らないという道筋は、立地自治体などには経済活動の停滞や雇用の不安を生じさせる。それはもちろん理解せねばならない。そして、日本全体で考えるべきことだ。
そういった不安を除きつつ、同時に原発政策を見直し、国民の生命・安全を守りぬこうとすることこそが、政治なのではないか。
◆福島の反省に立って
判決は、あらためて、福島の反省に立て、と言っているかのようである。
司法は、行政が行うことについて、もし基本的人権を危うくするようなら異議を唱えるものだ。その意味で、今回の判決は、当然というべきであり、画期的などと評されてはならないのだ。
経済性より国民の安全が優先されるというのは、これまで私たちが何度も唱えてきたことであり、未来への願いでもある。
それは大方の国民の思いと同じはずである。
大飯再稼働訴訟 不合理な推論が導く否定判決
読売新聞05月22日
「ゼロリスク」に囚とらわれた、あまりに不合理な判決である。
定期検査のため停止している関西電力大飯原子力発電所3、4号機について、福井地裁が運転再開の差し止めを命じる判決を言い渡した。原発の周辺住民らの訴えを認めたものだ。
判決は、関電側が主張している大飯原発の安全対策について、「確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに成り立ち得る脆弱ぜいじゃくなもの」との見方を示し、具体的な危険があると判断した。
「福島第一原発の事故原因が確定できていない」ため、関電は、トラブル時に事態把握や適切な対応策がとれないことは「明らか」とも一方的に断じた。
昨年7月に施行された原発の新たな規制基準を無視し、科学的知見にも乏しい。
判決が、どれほどの規模の地震が起きるかは「仮説」であり、いくら大きな地震を想定しても、それを「超える地震が来ないという確たる根拠はない」と強調した点も、理解しがたい。
非現実的な考え方に基づけば、安全対策も講じようがない。
大飯原発は、福島第一原発事故を受けて国内の全原発が停止した後、当時の野田首相の政治判断で2012年7月に再稼働した。順調に運転し、昨年9月からは定期検査に入っている。
関電は規制委に対し、大飯原発3、4号機が新規制基準に適合しているかどうかの審査を申請している。規制委は、敷地内の活断層の存在も否定しており、審査は大詰めに差し掛かっている。
別の住民グループが同様に再稼働の差し止めを求めた仮処分の即時抗告審では、大阪高裁が9日、申し立てを却下した。
規制委の安全審査が続いていることを考慮し、「その結論の前に裁判所が差し止めの必要性を認めるのは相当ではない」という理由からだ。常識的な判断である。
最高裁は1992年の伊方原発の安全審査を巡る訴訟の判決で、「極めて高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との見解を示している。
原発の審査に関し、司法の役割は抑制的であるべきだ、とした妥当な判決だった。各地で起こされた原発関連訴訟の判決には、最高裁の考え方が反映されてきた。
福井地裁判決が最高裁の判例の趣旨に反するのは明らかである。関電は控訴する方針だ。上級審には合理的な判断を求めたい。
飯原発差し止め なし崩し再稼働に警告
毎日新聞 2014年05月22日 02時31分
福井県にある大飯原発3、4号機の運転差し止めを住民が求めた訴訟で、福井地裁は、関西電力に対し再稼働を認めない判決を出した。判決の考え方に沿えば、国内の大半の原発再稼働は困難になる。判決は、再稼働に前のめりな安倍政権の方針への重い警告である。
2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、差し止め訴訟で初めての判決だ。住民の生命や生活を守る人格権が憲法上最高の価値を持つと述べ、「大災害や戦争以外で人格権を広範に奪う可能性は原発事故のほか想定しがたい。原発の存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然」と結論付けた。
住民の安全を最優先した司法判断として画期的だ。福島第1原発事故で、250キロ圏内の住民に対する避難勧告が検討されたことから、大飯原発でもその圏内の住民に人格権侵害の恐れがあり、原告になれるという判断も示した。
関電側は控訴する方針で、上級審が改めて判断する。この地裁判決が確定しない限り、原子力規制委員会の安全審査に適合すれば運転再開は可能だ。だが、司法判断を無視し、政府が再稼働を認めれば世論の反発を招くだろう。
東日本大震災は、地震大国・日本に想定外の地震はないという現実を突きつけた。判決はそれを踏まえて、大飯原発3、4号機について、地震の際の冷却機能と放射性物質を閉じ込める構造に欠陥があると認めた。原発の持つ本質的な危険性に楽観的すぎ、安全技術や設備は脆弱(ぜいじゃく)だという判断だ。
訴訟で関電側は、再稼働が電力供給を安定させ、コスト低減につながると主張した。これに対し判決は「運転停止で多額の貿易赤字が出たとしても国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに根を下ろした国民の生活を取り戻せなくなることが国富の喪失だ」と退けた。
いったん原発事故が起これば、多数の住民の生命を脅かす。判決が「万が一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置を取らなければならない」と電力事業者側に強く求めたことも納得できる。
判決は「福島第1原発事故は最大の公害、環境汚染。環境問題を運転継続の根拠とすることは筋違いだ」とも断じ、原発の稼働を温暖化対策に結びつける主張を一蹴した。共感する被災者も多いのではないか。
安倍政権は、安全審査に適合した原発の再稼働を進める方針を示している。だが、震災を忘れたかのように、なし崩し的に運転再開しないよう慎重な判断をすべきだ。
by nonukes
| 2014-05-25 18:22
| 「緑の党」をつくろう!
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