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小坂正則の個人ブログ

原発メーカーがフクシマ事故の責任を取らないのはおかしい

原発メーカーがフクシマ事故の責任を取らないのはおかしい
小坂正則
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三菱重工の欠陥蒸気発生器のため米国サンオノフレ原発の廃炉を求める市民

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原発メーカー訴訟にあなたも参加しませんか

311フクシマの事故の責任が東電や国にあると、これまで私たちは訴えて来ました。しかし、よく考えたら、言葉では原発メーカーも「原発ムラ」の住人として、その責任を求めるようなことは言ってきましたが、それを具体的に求めるような裁判などこれまで誰もしてきていませんでしたよね。
ノーニュークスアジアフォーラムの佐藤大介さんからメールをもらって、初めてそのことに気づきました。確かに東電は津波が来ることを内部で指摘されたにもかかわらず、「ジーゼル発電機を原子炉建屋に入れて防水対策を行えば反対派が騒ぐからやめておこう」とか、「無駄な設備に金をかけるな」と判断して何の津波対策も取らなかったのは「過失」か「未必の故意」に当たり東電には事故を未然に防ぐ行為を怠った責任があります。
しかし、メーカーにも責任はあるはずです。GEが福島第一原発は設計して東芝が建設したはずですが、1号機は欠陥炉だと、当の原発設計者が内部告発していた原発なのです。そのメーカーの製造者責任を問わないのはおかしいですよね。東電だって、メーカーの責任があれば倒産せずに済むわけですから。
でも私は知りませんでした。「原賠法」にメーカの免責が条文化されていたのです。「原発事故があってもメーカーの責任は一切問わない」と。緑の党の弁護士でロックシンガーの島昭宏さん(今回の裁判の弁護団長)によると「原発事故に関しては、原子力損害賠償法(原賠法)という法律があって、そこには、電力会社が過失の有無にかかわらず責任を負うこと(3条1項)及び電力会社以外の免責(4条1項)、PL法(製造者の責任を定めた法律)の排除(同項3項)が規定されている。」そうです。つまりはなから「原発は大事故が起きるもので、その責任をメーカーに求めたら原子炉メーカーは成り立たない」ということを国家官僚はとっくの昔に理解していたのです。おまけに「原賠法」では「電力会社は1200億円までは責任を負うが、それを越える大事故の場合は国が面倒をみる」とちゃんと書いているのです。国家官僚は「原発は必ず大事故が起きるはずだし、起こったら全ては国が面倒をみればいい」と。「国が面倒を見るということは全ては国民がツケを支払うということだから、知ったことじゃない」と。これってその昔、日本が戦争に突き進んで行った時と同じです。「全てはオバカな国民がツケを払う」ことだったのです。「原賠法では電力会社補償額の上限1200億円は少ないので青天井にしろ」という運動をしなければならないと私は思いますが、今回の裁判は「原賠法のメーカーへの免責条項が憲法違反だ」という視点からの憲法裁判です。なかなか憲法違反の裁判は勝利の可能性は少ないかもしれませんが、でも、裁判を行うことで「世界中にメーカーにも責任を取らせなければならない」ということをアピールできます。特にこれから安倍政権が日本の原発を売り込もうとしているベトナムなどの国民に「メーカーは一切責任を取りませんよ」ということを訴えることができるのです。そして原発輸出をやめさせる1つの方法として有効だと思います。

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米国の原発、三菱重工に4000億円の損害賠償求める

米国のカリフォルニアにあるサンオノフレ原発で2012年1月に放射能漏れ事故があり、停止中の2号機も点検したところ、三菱重工が納入した原子炉の心臓部である蒸気発生器の欠陥が見つかり、その責任を電力会社が三菱に損害賠償訴訟を起こしたものです。しかし、三菱の納入した機器の代金は400億円でしたが、損害賠償額は何と4000億円です。結局この原発は2基とも廃炉が決まったそうですが、廃炉になって生じた損害を三菱重工に求めたものです。でも、それって当たり前です。欠陥商品を納入した会社は利益も含めて賠償する責任があるからです。
だから東電もGEや東芝、日立に損害賠償訴訟を起こしたいところでしょうが、「原賠法」によって起こせないのでしょう。だから私たちが「原賠法は憲法違反」だという判決を勝ち取り、GEや東芝、日立にフクシマ原発事故の責任を取らせるのです。
みなさん原告1万人を募集するそうです。年会費2000円です。皆さんも原告になりましょう。詳しくは下記のとおりです。


原発メーカー訴訟 ・ 原告募集中!
    原発メーカー訴訟の会
   
 「原発メーカー訴訟の会」では、2014年1月30日に、福島第一原発の原子炉メーカー3社(日立・東芝・GE)を相手取った訴訟を、東京地裁に提訴します。

 2011年3月11日に発生した福島第一原発の巨大事故は、かつて我々が経験したことがない規模で放射線被害を拡大させ、世界中の人々を震撼させました。そして現在、東京電力に対し数多くの損害賠償請求訴訟が提起されています。
 しかし、自動車の排気ガスによる喘息被害に対して、運転手や所有者以上にメーカーが賠償責任を問われるように、原発事故被害については、電力会社だけではなく、原子炉メーカーも当然に責任を追及されるべきです。
 ところが、メーカーはこれまでほとんど非難の対象とさえされていません。その原因は、原子力損害賠償法が電力会社のみに責任を集中させる制度を採用しているためです。
 しかも、原子炉メーカーは、これをいいことに、今では海外への輸出によってさらなる利益拡大を図っています。
 責任集中制度は、まさに原子力産業保護を優先する不合理な構造を作り出しているのです。ここには、いかなる正義も存在しません。
 私たちは、このような極めて不合理な原子力産業保護構造の修正を迫るために、本訴訟を提起することとしました。
 (この裁判がきっかけとなり、原発輸入国の人々が原発メーカーの責任を問うことになれば、原発輸出はとまり、原発時代は終わっていきます)

💛 原告になって下さい! 「委任状」 <http://www.NoNukesAsiaForum.org/makerininjo.pdf> をクリック、印刷して、郵送してください。
原告参加費は2000円(年間)です。

【弁護団】 島昭宏、小野寺利孝、吉田理人、片口浩子、吉田悌一郎、鳥飼康二、櫻井宏平、谷田和一郎、伊倉秀知、河合弘之、海渡雄一、只野靖、山添拓、青木秀樹、寺田伸子、岩永和大、奥山倫行、山本行雄、笠原一浩、小林哲也、村夏美、林良太

【呼びかけ人】 三宅洋平(ミュージシャン/選挙フェス)、鎌田慧(さよなら原発1000万人アクション)、米谷ふみ子(芥川賞作家・画家、アメリカ在住)、宙也(ロック歌手)、TOSHI-LOW(ミュージシャン・BRAHMAN)、難波章浩(ミュージシャン・Hi-STANDARD)、MAGUMI(ミュージシャン・LA-PPISCH)、佐藤タイジ(ミュージシャン) 、飯田哲也(環境エネルギー政策研究所・所長)、満田夏花(FoE Japan)、井戸川克隆(前双葉町長)、中嶌哲演(福井明通寺・住職)、丹羽雅代(アジア女性資料センター代表)、アイリーン・美緒子・スミス(グリーン・アクション)、佐藤潤一(グリーンピース・ジャパン事務局長)、川崎哲(ピースボート共同代表)、田中三彦(元「日立」原発技術者、前福島事故国会事故調査委員会委員)、後藤政志(元「東芝」原子力プラント設計技術者)、藤原節男(元「三菱重工業」原発設計技術者)、髙木久仁子(高木仁三郎市民科学基金・事務局長)、山田清彦(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団)、石丸初美(玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会・原告団長)、斉間淳子(八幡浜・原発から子供を守る女の会)、木村公一(脱原発いとしまネットワーク、牧師)、牧野時夫(泊原発を止める会 農民音楽家)、清水敏保 (上関原発を建てさせない祝島島民の会・代表)、伊藤英雄(脱原発かわさき市民の会)、小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)、武藤類子(ハイロアクション福島)、内藤新吾(原子力行政を問い直す宗教者の会、牧師)、渡邊英俊(移住労働者と連帯する全国ネットワーク・共同代表、牧師)

【呼びかけ団体】 日本消費者連盟、 原子力行政を問い直す宗教者の会、日本環境法律家連盟(JELF)、原発さよなら四国ネットワーク、緑の党 、eシフト、東電株主代表訴訟、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン     



原子力損害賠償法は憲法違反
 島昭宏(原発メーカー訴訟弁護団長) 

1 責任集中制度
 
 原発が事故を起こした場合の責任主体としては、国、原発メーカー、そして電力会社が考えられる。これは、連帯債務であり、被害者はこの三者のいずれにも損害賠償請求ができる。

 ところが、原発事故に関しては、原子力損害賠償法(原賠法)という法律があって、そこには、電力会社が過失の有無にかかわらず責任を負うこと(3条1項)及び電力会社以外の免責(4条1項)、PL法(製造者の責任を定めた法律)の排除(同項3項)が規定されている。

 これらは、1条に掲げられる「原子力事業の健全な発達」という目的を具体化した条文であり、実は世界中に広く行き渡っている「責任集中制度」という仕組みである。そして、これこそが、世界の原発体制を強固に保護する仕組みなのである。

 なぜなら、被害者は電力会社に対してのみ損害賠償請求をすることができるが、その賠償額が電力会社の保険契約等による損害賠償措置額1200億円を超える場合、国が援助をすることとされている(16条1項)。しかし、電力会社及び国から支払われる賠償金は、言うまでもなく国民が負担する電気料金及び税金がその原資である。つまり、国民による負担が、電力会社や政府を通して、被害者に支払われるだけであり、原発メーカーは、ここにはまったく関与することなく。安心して自らの経済活動に専念することができるのである。

 まさに「原子力事業の健全な発達」という目的達成のための見事な仕組みというほかない。我々が電力会社のみを責任追及の対象とすることは、まさに原発体制が予定するところであり、その枠組みの中でいくら大騒ぎしたところで、彼等は何らの痛痒も感じないのである。

 しかし、現実の被害の規模や深刻さ、これから100年以上続くであろう問題解決への道のり、そして、これらに対する賠償の状況、東京電力や国の不誠実な対応等についていちいち言及するまでもなく、原発メーカーが非難の対象とされることさえなく、海外への輸出による利益拡大を図ろうとしている現状に、一切の正義が存在しないことは明らかであろう。

 この極めて不合理な状況を生み出している原因が責任集中制度にある以上、これに挑むべく原発メーカー訴訟を提起することは、社会の要請である。

2 原発メーカー訴訟の法理論

 本訴訟においては、責任集中制度が違憲であることを前提に、PL法及び民法709条に基づく損害賠償請求をする。

 原告は世界中の人々であり、請求額は精神的慰謝料1人100円という一部請求。争点はあくまでも原発メーカーの責任の有無である。

 責任集中制度によって侵害される人権は、まず、不法行為によって損害が発生しているのに賠償請求をできないことから、憲法29条1項が保障する財産権である。次に、あらゆる製造者は、製造物の欠陥から生じる事故による損害を賠償する責任を負うにも関わらず、最も危険な製造物である原発についてのみ免責されるのは不合理な差別であるといえることから、14条の平等原則違反がある。さらに、訴訟を提起しても免責規定を理由に、製造物の欠陥ないし製造者の過失についての実質的審理がなされないとすれば、32条の裁判を受ける権利が侵害されているといえる。

 しかし、これらの人権侵害のみを主張しても、問題の本質は表現されない。そこで我々は、13条の幸福追求権及び25条の健康で文化的な最低限度の生活を保障される権利から導かれる「原子力の恐怖から免れて生きる権利」=「ノー・ニュークス権」の侵害を主張することとした。

 いかなる場合でも製造者としての責任を免れるとすれば、原発メーカーは安全性よりも経済性を優先するインセンティブを与えられていることになる。何より、被害者の保護よりも原子力事業の発達に重きを置く責任集中制度は、ノー・ニュークス権を侵害しているといえる。

 さらに、違憲主張とは別に、原賠法5条に基づく請求も考えられる。同条は、電力会社は故意の第三者に対して求償できるという規定であり、民法423条によって、この求償権を代位して請求するのである。

 この請求は、まさに原賠法に基づく請求であるため、直接的に原発メーカーの故意について審理を求めることになる。この場合の故意とは、敢えて事故を起こしたということではなく、事故が起こる可能性を認識しながら、それを認容する心理状態をいう。1970年代から欠陥が指摘されていたマークⅠ型の格納容器を製造したメーカーが、事故の発生を認識していなかったと言えるであろうか。

 以上が、本訴訟における大まかな法理論である。

 裁判所に対し、良心に従った公正な審理を求める強いメッセージを伝えるために、是非多くの方々に原告となっていただきたい。


原発メーカー訴訟は原発体制との闘い
 崔勝久 (原発メーカー訴訟の会・NNAA事務局長)

●はじめに

 3・11福島事故の前から原発問題にとりくみ、アジアの交流を行なってこられたNNAFのみなさんに心からの敬意を表します。
 私は3・11福島事故により、人は国籍や民族にかかわりなく、大きな災害に遭って一緒に死ぬんだということをあらためて強く感じました。それまで在日の運動にながくかかわってきた私はそれ以来、国籍や民族を超えて協働して社会の変革をすることを唱えはじめました。

 私は、モンゴル、韓国、台湾を何度も訪問するようになり、何か具体的な行動をアジア全体で起こそうという話から、No Nukes Asia Actions(NNAA)の立ち上げにかかわることになりました。
 その活動の中で、福島事故を起こした原発メーカーはどうして社会制裁を受けないのか、どうして彼らは3・11以降、何の謝罪もなく継続して原発輸出を続けているのか、そこには私たちが気づかなかった全世界的な仕組みがあるのではないのかという疑問を持つようになりました。そして行き着いたのが原発メーカー訴訟です。

● 原発メーカー訴訟とは何か

 原発メーカー訴訟は、電力会社への責任集中と、「原子力事業の健全な発達」を目的として原発メーカーの免責を謳う「原子力損害賠償法」の違憲性を主張し、原発メーカーにも事故の責任があることを明らかにするものです。原発メーカーには被害者に対する賠償責任があるということも自ずから出てくるでしょう。
 原賠法は、日本だけでなく、韓国、台湾をはじめ原発を持つ国にはどこにでもあり、これまでそのことをどの国においても疑うことはなかったのです。
 原告は、日本国内だけでなく全世界から1万人(目標)が、精神的損害を理由に100円を請求してメーカーの責任を明らかにすることを求めます。裁判で争われるのはあくまでもメーカーの責任の有無だけです。
 原賠法によって原発メーカーの保護・拡大を謀り、核による世界支配を続ける原発体制に対する挑戦状をたたきつけることになるのです。

●「原子力の平和利用」は原発体制を補完するもの

 日本の原発体制はアメリカの核政策の一環としてはじめられたものです。「原子力の平和利用」という名の下で、アメリカを中心とした列強が作りあげた、核を独占し列強以外には核兵器を作らせない、持たせないとするNPT(核不拡散条約)こそ、列強の核による世界支配政策です。
 「原子力の平和利用」は、核兵器を作らせないという条件でアメリカが日本に原発建設を認め、完全に核の支配下に置いてきたのです。
 安全神話と情報の秘匿で守られてきた原発は、今や3・11事故によって54基あったうちほぼすべて運転できない状態になりました。しかし安倍政権は再稼働を公言し、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理計画を継続すると宣言します。国際的な共同管理という名目で海外に使用済み核燃料を処分する案は今も残っています。それは、モンゴルだと私は思います。

● 原発体制は戦後の植民地主義

 私は、故西川長夫さんが喝破したように、原発体制とは、戦後の、植民地なき植民地主義であると確信するようになりました。それは日本一国で完結するものでなく、アメリカを中心とする世界列強とアジアなどとの関係からみれば、まさに列強の植民地主義なのであり、日本は戦前から一貫して国家の成長拡大を求める植民地主義であったと捉えることが、現実社会をもっとも正確に把握することになると私は考えます。
 日本は、敗戦に際しても、公害、薬害においても、その責任者の責任を徹底的に問うことをしませんでした。戦争責任も曖昧なまま済まされてきました。福島事故にして然りです。被害者の立場で徹底して加害者の追及をしてこなかったことが、実は自分たちの加害者の立場を忘却し、加害者である現実を直視しようとしないということと重なります。
 原発輸出国になるということは福島のような事態を外国でも起こす可能性があることであり、日本社会に住み、その事態を傍観している者は、私のような外国籍の者を含めて、加害者の立場に立つということです。
 日本は二度と加害者の立場になってはいけないのです。日本の企業が輸出した原発が事故を起こしても、法的には「メーカーに責任はない」ということになっていますが、しかし本当にそれで済むでしょうか。
 原発メーカー訴訟は、メーカーを保護することで原発の拡散を謀る原発体制の構造に切り込む闘争です。反核、反差別、反植民地主義の立場に立つことが、その闘いを全世界に拡げることになるでしょう。
by nonukes | 2013-12-23 21:08 | 福島原発事故 | Comments(0)

  小坂正則

by nonukes