2013年 08月 29日
宮崎駿監督は堀越二郎の時代と同じ危機感を抱いている
宮崎駿監督作品「風立ちぬ」を観た小坂正則
昨日、本当に久しぶりに映画館に行っていわゆる商業映画を観た。そういえば、映画館に行ったのは何年ぶりだろう。自主上映などの映画はよく見るが、本腰を入れて映画を観に行くなどということはここ何年もなかった。
なぜ宮崎駿の作品を観ようと思ったかというと、この「風立ちぬ」は大人が観る映画だといろんなところで言われていたし、今週の月曜日か火曜日にNHKのプロジェクト特別番組で宮崎駿の特集を見てから、どうしても観たくなったのだ。もう一つの理由がある。これまで映画は割と高いイメージがあったが、私もいよいよ60歳になったのでシニア料金でいつでも映画が千円で観ることが出来る。千円で大画面の映画を楽しめるというのは実にありがたい。
さて、宮崎駿が2年間の長期に渡って、しかも、311という激動を体験して、彼がこれまでやって来なかったこと、「大人へのメッセージ伝えるための映画をつくる」ことに挑戦したとテレビは伝えていた。しかもこの映画は零戦の設計者の物語だけあって一歩間違えれば戦争賛美の映画になる可能性もあったからだろう。しかし、単なる反戦映画ではもちろんない。彼特有の愛とロマンを掲げた夢のある映画だし、戦争にかり出された若者が、それでも自分の目指す仕事をやり抜いたことをさわやかに描いている。もちろんその中で主人公は葛藤し悩み苦しむ。そして時代は彼らの思いをあざ笑うように奈落の底へと突き進んで行く。主人公の堀越二郎は「私たちには残された時間はわずかしかないのです」と言って淡々と零戦の設計に打ち込む。一生懸命に時代がどのように突き進もうと、そこには人びとの暮らしがあり、一つ一つのドラマがあったのだということを私は感じた。そのような一つ一つは小さなドラマだったとしても、それらを焼き尽くしたのが戦争だったのだ。そんな時代に押しつぶされそうになっても一生懸命に生き抜いて来た若者の前には、きっとさわやかな風が立っていったのだろう。どんな時代でも、私たちが願わないよな時代が来たとしても、その中で精一杯自分の目指す道を進むしかないのだと宮崎監督は言いたかったのだろう。
宮崎監督は堀越二郎の時代と同じ危機感を抱いている
時代はちょうど彼の映画と同じようになって来た。関東大震災があり、世界大恐慌がその後に来て、戦争に突き進んで行った昭和の時代と同じように、311の後に不況が襲ってきて、安倍政権は戦争へと突き進みつつある。宮崎監督はこの時代を「堀越二郎が青春を送った時代と同じように危険な時代だ」と言いたいのだろう。監督はそんな時代のきな臭さを感じてこの映画を作ったのだろうか。
もう一つ私が感じたことは、少年時代は誰でも戦争少年だったということだ。私も零戦や隼がこの上なく好きだった。戦争が好きなのではなくて、無駄のない精緻な戦闘機の研ぎ澄まされた姿にあこがれたのだ。そんな子どものころの思いがふと蘇ってきた。ただ、映画の中でタバコをやたらと吸う場面が多いのにはちょっと辟易した。あんなにタバコを吸う場面が必要だったのだろうか。特にいただけなかったのは奈緒子さんが結核で布団の中で休んでいるのに同じ部屋でタバコを吸う場面がある。二郎は「ちょっとタバコを吸ってくる」と言って彼女に気遣うのだが、奈緒子さんが「いいのここで吸って」というと、黙ってタバコを吸う場面だ。あれは全くいただけない。映画だとしても最後まで病人のことを気遣って外で吸うか、我慢すべきだ。まあ、それが出来ないのは宮崎駿はヘビースモーカーで職場でもお構いなしにタバコを吸っているからだろう。ジブリには300人もの社員がいるという、特に女性が多いように見えた。だったらなおさら喫煙ルームを作って、そこでタバコは吸うべきだ。経営者として彼は労働基準法の職場の分煙義務に違反している。
by nonukes
| 2013-08-29 11:16
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