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小坂正則の個人ブログ

「多様性」と歴史認識について

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「多様性」と歴史認識

先日、「多様性の尊重」ということがエネルギーではなぜ必要かということを書きましたが、農業でも植物や動物の多様性が安定した世界を構成するためにはなくてはならない条件だと言われています。
しかし、私たち人間社会でも、この「多様性」を認め合うということが、私たちが平和に暮らすためには最も必要なことだと思います。戦争を起こすには相手国の国民の生存権を真っ向から否定わけですが、そのためには対立する相手国の人びとの主張を全面的に否定する論理がなければ戦争はできないはずです。相手国の国民の主張を真っ向から否定する論理とは「自分たちの価値観が絶対に正しい」と思い込む確信的な自信がなければ武力挑発や戦争など、そう簡単にはできないはずです。しかし、世界中でいつでもどこの国とでも戦争を平気で起こす国が米国です。この国は本当に困ったもので、誰も頼んでいないのに勝手に「世界の憲兵」を自認し、「アメリカ民主主義が世界の絶対的正義だ」と思って疑わないのです。この米国の独善的な価値観を越える論理は「多様性を認め合う」ということだと私は思います。私たちが世界中の人びとと分かち合い、平和に暮らすには何が必要なのかを、私が経験した2、3の出来事から考察してみようと思います。

尖閣列島・竹島の共同管理が最善の解決策

一番多様性を尊重しないのが国家だと思います。国家は他の国を排除して、自分の国の利益を第一議的に考えます。それぞれの国が互いに競争することはいいことですが、行き過ぎたナショナリズム教育や民族排外主義は国家間対立を生み、その結果、戦争などに発展するのでしょう。昨年の総選挙前に尖閣列島問題が持ち上がって、自民党支持率がグンと上がったとマスコミは伝えていました。ナショナリズムを煽り立てると排外主義思想がはびこり、国民は右傾化して平和勢力は一気に人気をなくしたといわれています。
尖閣列島の国有化により野田政権への批判が一気に盛り上がりましたが、この問題に火を付けた張本人は、「日本維新の会」代表、元東京都知事の石原慎太郎です。彼によって仕組まれたといってもいいでしょう。日中間系をこじらせて戦闘状態に持ち込めば、自衛隊のひ弱さがクローズアップされて、憲法9条の改正へ突き進み、軍事国家を一気に完成させることが出来ると考えたのかもしれません。その裏では米国の意図も感じられます。日中が対立すれば普天間問題やアメリカ軍への批判を和らげる可能性もあるし、日中関係がこじれて日本企業の中国市場でのシェアが落ちたら、それで利益が出るのは米国企業だからです。
日本に取ってはこんな不利益はありません。日中関係がこじれて日本企業の売り上げは半減し、その分は韓国とアメリカの製品が売れたのです。経済連会長はよくも、この石原の暴走に何も文句も言わないものです。

竹島は韓国軍が常駐していますが、竹島にも尖閣列島にも先住民といわれる人は住んではいません。これまで長い歴史の中で、それぞれの島では日本・韓国・中国・台湾の漁師が一時避難場所などに利用していました。だからこれらの島は誰のものでもないと私は思いますし、共同管理こそ互いの国が合意できる唯一の方法だと思います。もちろん、尖閣列島が沖縄のすぐ近くにあったり、そこに今でも住民が住んでいるのなら話は別ですが。
この島をめぐる対立は、領海権と地下資源の占有権にこそ大きな理由があるようです。領有権解決のためには互いが話し合いのテーブルに着き、時間がかかってもじっくり平和的に議論をつくすことが最大の解決策です。交渉ごとでの「多様性の尊重」とは相手の立場や利益も考えた上で双方が利益となる最大公約数の妥協点を図ることをいうのでしょう。
今回の日中関係の軋轢は日本側には自民党など保守勢力の拡大と中国側には国内矛盾を反日運動で隠そうとする意図が問題を複雑にしているのかもしれませんが、日本政府の尖閣列島問題への取組は問題をややこしくして、ますます日中間の対立が深まるだけのように見えます。

歴史認識とは「多様性」を認め合うこと

人は皆、それぞれの考え方や価値観や思想があります。ましてや異国の人であれば文化や生活様式や習慣も違うのですから、他人と「簡単にわかり合える」と思わない方がいいのです。簡単にわかり合えると思わない方が、それぞれの違いを尊重する第一歩だからです。家族でも利害の対立や嗜好の違いによる争いがあるのに、他人との間でそう簡単に理解し合えると思うと、「私はこれほど相手を尊重しているのに私のことをちっとも尊重してくれない」という不満が溜まってくるのでしょう。
私は「多様性が必要」ということを強く感じたことは、これまでに2回ありました。1つは韓国の独立記念館を訪れた時のことです。伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)という韓国青年のことを私たち日本人は、日本の自由民権運動の英雄を殺した犯罪者として、歴史教科書では習いました。 しかし、韓国では歴史が日本と逆さまだったのです。彼こそ朝鮮独立運動の英雄であり、神のような存在だったのです。この歴史認識の違いは、私たちが韓国の人びとと仲良くなろうとすれば避けて通れない問題だと思います。
私は、私の子どもたちに「韓国独立記念館へ一度は見学に行った方がいいよ」と説いています。韓国のことを理解して、より親しくなるためには当然ですが、「歴史認識というものは国家によって作られたものなのだ」という真実を知る意味からも大変興味深い事例だと思うからです。そこで自分は果たしてどちらを信じればいいのかという疑問が生じると思います。子どもたちから「どちらが正しいのか」と聞かれたら、「どちらが正しいかは自分で考えなさい」と、私は子どもたちには言いたいと思いますが、残念ながらいまだ聞かれてはいません。
もう1つは9.11テロ事件です。この事件は悲惨なテロにより多くの米国人がいのちを失った悲劇だと私は思っていました。しかし、パレスチナの市民が万歳を叫びながら狂気に沸いている光景を中東のアルジャジーラ放送は映し出していました。この映像を見て、私の常識や正しいと思う根底にある価値観にある種の揺らぎを感じたのです。「私の価値観は歴史や社会によって作られたもので、ひょっとすると、その価値観は絶対的なものと私が勝手に思い込んでいるだけなのではないのか」と。しかも、「その中にはウソが刷り込まれているかもしれない」と。そして「私の周りにはまだまだ私には理解できない多くの人びとの価値観が存在しているのではないか」と思ったのです。
つまり、私が他人の価値観や多様性を尊重できてはじめて、価値観の違う人びとと真の友好関係を築くことができると思うのです。私は日本人であることに誇りを持っています。また日本にずっと住んでいたいと思っています。だから誰かに仕組まれて私たちが対立しあう構造からどうやったら抜け出せるのかを、いろんな国の人たちと互いに議論できたら素晴らしいだろうなと思います。そして、それぞれの違いや価値観を認め合う「多様性」の尊重こそが、私たちが求める民主主義社会そのものなのだと思うからです。
by nonukes | 2013-03-26 22:16 | 反原発オヤジの子育て記 | Comments(0)

  小坂正則

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