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小坂正則の個人ブログ

野菜工場議論の先にあるものは松下竜一の思想を引き継ぐこと

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「野菜工場」論争の先には松下竜一の思想がある

野菜工場議論の中で、「ビニールハウスは善くて野菜工場はダメなのか」と問われたら、何ともその境界線は微妙ですが、私が言いたいのは、そういった個々の問題ではなく、原理的に農業は大地で水と空気と太陽の恵みを受けて作るという自然の営みであって、その原則を逸脱するような工業製品を作るような化石エネルギーを投下する生産方法はどんどん非自然的な生産方法へと進んでしまうということを言いたいのです。だから、ビニールハウスだとか加温栽培など、現実には化石エネルギー漬けの農業が横行しているし、有機農業や自然栽培の農業だとしても、現状では化石エネルギー抜きには考えられないわけですから、そのことを持ち出して、野菜工場もいいとはならないと思います。
要するに農業のあるべき姿をどのような方向に持って行くべきであるかとか、地域の自立のために今後の農業はどうあるべきかを議論できたらいいと私は思います。私がバリに行って感じとことですが、バリでは日本の40年以上前の農業が日常的に行われていました。牛が田んぼを耕していたり、アヒルや鶏が庭先を駆け回っていたりして、農家の皆さんはみんな笑顔で日本の私たちよりも幸せそうでした。シューマッハーの言うように、「生産方法の自動化が進めば進んだだけ、人びとの余暇はそれに反比例してなくなってくる」とはその通りだと思います。この話はミヒャエルエンデも書いています。モモの時間泥棒のお話の中にありますね。
私たちは科学の発展や成長神話や「早いこと。大きいことはいいことだ」という誤った一方的な価値観に囚われてしまって、そこから抜け出せない生産方法や産業構造やはたまた文化や教育までもが、この「もっと早く、もっとたくさん」という「上昇志向」や「拡大思想」の価値観に縛られているのだと思います。
そこからどうやって抜け出せるのか。私にはまだその明確な方法を見つけ出せていませんが、シューマッハーやミヒャエルエンデさんの中に解決策のヒントが隠されているように思います。

科学の発展を盲信して破滅に突き進むのか、シンプルに慎ましく楽しく生きるのか

実は松下竜一氏が生前言っていましたが、「たたかう農民や漁民が農地や海を守るという思想は自分たちがこれまで続けてきたあたり前の今の生活を今後も続けたいという、ただそれだけの慎ましい要求なのだ」というのです。ところが、世間は農業も漁業もこのままでは世界の競争に打ち勝てない。これからは科学を取り入れて、もっと新しい技術で農業や漁業も行わなければならない。はたまた、「もう農業も漁業も衰退の一途を辿る産業でしかなく、これからは工業でふるさとを栄えさせなければならない」と。祝い島の漁民に対して中電の幹部は船の上からこう言ったそうです。「このままではあなた方には明日はありません。もう漁業でも農業でも食えないのです。ここに原発を建てて、工業誘致で町を発展させるしかあなた方がこれから生きてく方法はないのです」と。「電気で野菜をつくることが出来る」という考えの方はこの中電の思想と同じです。それだったら、「電気や科学でイワシをアジをサンマを作れるのですか。電気で米を作れるのですか。電気で私たちの命を支える食料をつくれるのですか」と、私は問いたい。世間から「古い考えは間違っている。新し考えを持たなければならない」と多くの農民や漁民は批判されてきたのですが、はたしてどちらが正しいのでしょうか。

彼らは毎日自然と向き合って、そこには先祖を敬い、自然の怖さにおののき、畏敬の念を抱きながら、自然の恵みをいただきながら生きてきたのです。その生き方こそいうならば科学的で歴史的な裏付けと普遍性があります。現代の私たちは「科学によって自然を征服できる」というおごりを持って、歴史的な認識も科学的な根拠もないままに、自然をあたかも征服したかのような錯覚に陥っていたのでしょう。
松下竜一は、闘う漁民や農民に寄り添って、彼らから学び、彼らの思いを文字にし続けたのです。
さて、私たちは何をどうすべきなのでしょうか。私たちは再度昔の人たちが培ってきた文化や伝統というものの中に潜んでいる普遍の真実を学ぶ必要があるでしょう。
私たちが学ぶべきものは現代の科学の限界だと思います。わずか1000年前に起こった地震と同じ地震が来ることさえも忘れていたのですから、いかに歴史をないがしろにしていたことでしょうか。それは3.11の東日本大震災で一気に表面化しました。1兆円もかけて作られたウルトラ防潮堤は木っ端微塵になぎ倒されて、福島原発は爆発してしまいました。「科学技術が核を制御できる」ということは神話でしかありませんでした。そして、「自然というものは人間には制御できないものなのだ」ということが分かりました。私たちは防災ではなく、減災という思想で、できるだけ被害を最小限にすることを考えた都市計画を行うべきなのです。そしていつ地震や津波が襲ってきても逃げられるような生き方とは、よりシンプルに、より慎ましく生きることだと思います。
Commented by サムライ菊の助でござる^^ at 2013-03-19 11:14 x
本当にそのとおりだと思います。江戸時代の農業が如何に優れていたか。愛媛県ではナスでさえ10種類近くも栽培されていて、料理に合わせて使い分けられていたといいます。物凄く豊かでした。新しいものがいいという貧困な思想から早く脱却しなければなりません。
by nonukes | 2013-03-19 11:05 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(1)

  小坂正則

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