2013年 03月 18日
シューマッハーの「スモールイズビューティフル」をお店番をしながら読みました
昨日はヤマドリの里でお店番をしました
昨日、私は久しぶりに「ヤマドリの里」の店番をしました。お客様は大変少なくて、車3台で4人の方でした。売り上げは5850円です。でも、このお店は無農薬の野菜やオーガニックな食べ物などと自然エネルギーの展示などによる、環境にやさしい生活を提案するアンテナショップですから、利益ガでなくてもいいのですが、それにしてもお客様がもっと来てくれたらいいなとは思いますが。
4月は7日と21日の日曜日の12時から16時まで
場所は別府狭間線の鳥越峠の近く
シューマッハーの「中間技術」を緑の運動に生かそう
先日来、緑の党のMLで「野菜工場」議論をしましたが、もう、終わってしまいました。私としては大変不満なのですが、これは緑の党の限界だと思います。だって、緑の党は政策を練り上げるチームもほとんどないし、農業や再生可能エネルギーを実践している会員もほとんどいないのだろうと思うからです。それに選挙などの日常活動に追われて、理論的なことや実践的なことがおろそかになっているのかもしれません。私としては緑の理念を持って農業やエネルギー問題を議論し実践することで組織化を行うことが最も大切だと思います。
そこで私が昨日読んだ「スモールイズビューティ」についての感想を書こうと思ったのですが、残念ながら私の稚拙な頭ではほとんど理解できませんでした。そこで、感動した小節を転記します。
人類の経済生活の中に永続性を確保することなしに平和を達成することはできない。
消費を適正規模に抑える生活様式を取るには、最大限の消費への欲求を満たす場合よりはるかに少ない努力で足りる。また、「仏教経済学」では、適正規模の消費は、比較的に低い消費量で高い満足感を与え、これによって人びとは圧迫感や緊張感なしに暮らし、「すべて悪しきことはぜず、善いことを実践し」という仏教の第一の戒律を守ることができる。
最後に「人間の顔を持った技術」の章では、ガンジーが語ったように、世界中の貧しい人を救うのは、大量生産ではなく、大衆生産である。大量生産の体制のよって立つ技術は、非常に資本集約的であり、大量のエネルギーを食い、しかも労働節約型である。(省略)大衆による生産においては誰もが持っている尊い資源、すなわちよく働く頭と器用な手が活用され、これを第一級の道具が助ける。大量生産の技術は、本質的に暴力的で、生態系を破壊し、再生不能資源を浪費し、人間性を蝕む。大衆による生産の技術は、現代の知識、経験の最良のものを活用し、分散化を促進し、エコロジーの法則にそむかず、希少な資源を乱費せず、人間を機械に奉仕させるのではなく、人間に役立つように作られている。私はこれを「中間技術」とよぶ。
この中間技術を私たち緑の党の基本理念に据えて、これから農業やエネルギー分野などに生かして実践しようと私は思います。皆さんご一緒にシューマッハーの勉強をしませんか。
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サムライ菊の助でござる^^
at 2013-03-19 12:44
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シューマッハーの言うことに、大変共感いたします!勉強会お誘いください^^
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nonukes at 2013-03-19 17:54
私にはシューマッハーと松下竜一が一本につながって来ました。何だかうれしくなって来たのです。これは「私に松下竜一が乗り移ったのではないか?」そんなことはないか。だって、松下竜一が乗り移ったのだったらもっと文章は洗練されるはずですね。でも、何か胸に暑いものを感じるのです。「いま、私が暗闇の思想を発し続けなければ誰が松下竜一の思想を世に問うことができるのか」と。花粉症で目も鼻もジュクジュクですが、そのために頭もボーッとしているのですが。これは松下竜一のせいだと勝手に思い込んでいます。
by nonukes
| 2013-03-18 18:53
| 小坂農園 薪ストーブ物語
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