2012年 11月 11日
「ぼくはお金を使わずに生きることにした」を読んで感じたこと
お金を使わない生活」は楽しく、自分も社会も変えられる!?
小坂正則
11月10日の朝日新聞に『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊國屋書店)を紹介する記事が目にとまりました。私はその日の内にジュンク堂書店でこの本を買い求め、一気に読みました。著者のマーク・ボイル(29歳)はアイルランド出身の青年でイギリス西部にて、全くお金を使わずに生活をするという実験を2008年の11月から1年間行ったのです。彼はお金がないからそんな生活をしたわけではありません。ベジタリアンの彼は大学で経営学と経済学を学び、大学生活最後の学期にインドのマハトマ・ガンジーについての本を読んで大きな影響を受けたそうです。「世界を変えたければ、まず、自分がその変化になりなさい。…たとえ1人きりの少数派であろうとも、何百万の仲間がいようとも」という一節を読んでも、悲しいかな、世界をどう変えたいのかが、そのころの自分にはまだ分からなかったそうです。だから、オーガニック食品を扱う会社は倫理的だと思い、大学卒業後はオーガニックの食品会社でサラリーマンをやっていたそうです。しかし、有機食品を扱う会社でも大量生産・大量消費の流通システムは、彼が思っていた生態系に配慮した持続可能性を体現した楽園では決してなかったのです。お金が全てを支配して、お金がなければ幸せにもなれない社会の根源に疑問を持ったのでしょう。
ある晩、親友と話していました。搾取工場、環境破壊、工場畜産、資源争奪戦などの世界的な問題に話題が及んだ。「僕らが一生をかけて取り組むべきはどの問題だろう」と。「しかし、僕らが取り組んだとしてもたいした貢献などできない」そこで彼は気づいたのです。病んでいるこれらの諸症状が、それまで考えていたように互いに無関係ではなくて、ある大きな原因を共有していることに。その原因とは、消費者と消費される物との断絶である。われわれが皆、食べ物を自分で育てなければならなかったら、その三分の一を無駄にするなんてことはしないだろおう。(イギリスは食品の1/3を廃棄している)…人びとが無意識に行っている日常的な買い物は、ずいぶんと破壊的だ。…お金という道具が生まれた瞬間からすべてが変わったのだ。(著書より抜粋)
つまり、「社会的な不公平や環境破壊に心を痛め、行動を起こしたいと思っていても、自分が生きるためにお金を稼ぐことが、新たな社会的不公平や環境破壊を生み出す加害者になってしまうのではないか」と考えたのでしょう。だから、そこから逃れるための1つの実験として「お金を使わない生活」を試みたのです。
お金を使わない生活で得られる貴重な体験
彼は決して耐乏生活を送ったわけではありません。お金のない生活に入る前にパソコンとネット環境やトレーラーハウスなどは借りたり、もらったりして準備をしました。それに太陽光パネルとバッテリーもそろえて、ネットで外の世界と交流ができる環境を準備したのです。しかし、彼は環境負荷を与えることはしないと決めていました。化石燃料は使わない。人からもらったり、交換するのはOK。私のために車で送って行ってくれるのはダメ。しかし、ついでに車に乗せてもらうことはOK。どうせ化石燃料を使い、ついでに私も乗せてもらうのは自分のために化石燃料を余計に使うわけではないからと。インクや紙も自分で作ったそうです。また、イギリスのスーパーでは賞味期限の過ぎた食品はスーパーの前のゴミ箱に捨てるそうですが、それをあさって、大量の食べ物を確保し、その帰りに友人に食べ物を配って回ったりしたそうです。そして「必要なものは他人とシェアする」という方法で調理器具や無料の食材を集めてきて豪華な料理の無料パーティーも開催しています。それに世界中のマスコミによる取材合戦にさらされたそうです。興味本位の取材からBBC放送の実況中継まであったのです。
彼は川の水を浴びて風呂代わりにしたり、野原に穴を掘って、そこにウンコをして、拾ってきた新聞紙でお尻を拭いて埋め戻したり、食事は野草やキノコに家庭菜園でできた野菜に、森から拾ってきた薪を燃料にロケットストーブで料理をし、薪ストーブで暖を取る生活を続けるのです。そこでは周囲の友人や見ず知らずの人に優しくされたり、また、自分がお返しにお手伝いをすることで、コミュニケーションが生まれ、人間的な暖かな触れ合いや愛情をたくさんもらうことができたのです。しかし、失うものもあったようです。「恋人の元へいつでも行けるわけではないので、恋人との間に気まずい雰囲気になってしまい、とうとう別れてしまった」というところでは、私まで自分のことのように悲しくなってしまいました。でも、彼は1年間「お金を使わない生活」をやり遂げて、体験記を出版します。その印税で「地域社会の中での自給」をめざすために土地を購入し、現在、仲間と一緒にコミュニティーを作る活動をしているそうです。
お金に呪縛される生活から少しずつでも逃れて自分を取り戻したい
私はこの本を手にとって読み進むうちに、胸がわくわくして来ました。私も筆者と一緒に、これから1年間お金を使わない生活をするかのような錯覚に陥ったのです。また、お金の持っている社会的弊害を彼は見抜いていることに対しても感動しました。
「金利が社会の元凶である」というミヒャエル・エンデは「お金には交換手段としての側面と資本や投資としての側面という2つの異なった目的を持っている」といい、資本や投資としてもお金が問題なのだといいました。著者も「負債として創造されるお金」に問題があるといいます。銀行にお金を預けたら、銀行はその9割を貸し付けます。そして貸し出し金利で利益を得ます。しかし、預けた預金者が引き出すことがないことを前提にして銀行はお金をどんどん貸し出し続けるのです。また、投機などはもっとひどいもので、私は綿花や小麦など持っていないにもかかわらず、将来買い戻するから、いま架空の売りの約束をするということが、商品先物取引なのですが、実際の資金の10倍も100倍にも拡大して、それが現実のお金以上に流通するのです。また、クレジットやローンも同じ現象を生みます。お金がないのに消費だけを先に行い、将来返済すという約束の下、つまり無一文の者でも将来の富を先食いできるのです。このようなお金にまつわるゲームのような経済取引が人びとを支配して、富と貧困という格差をもたらします。「米国では1%の金持ちと99%の貧乏人がいる」といわれるように一部の金持ちのマネーゲームが地球上の経済対立や紛争や戦争の原因になるのです。
そこから私たちがどうやって逃れることができるのか。マークのように1円もお金を使わないことにこしたことはないのですが、そんな極端なことはなかなかできませんから、家庭菜園や物々交換や友達とシェアするなどの生活で、できるだけお金を使わないようにすることは随分社会的拘束から逃れられるのではないでしょうか。
自殺をする国民が毎年3万人以上この国にはいます。その中には仕事やお金を苦にして自殺する人も多数いることでしょう。「お金に振り回されて生きる人生っていったい何なんだろう」と悲しくなってしまします。「そんなにお金がなくてもこころ安らかに人生を送ることができる方が幸せなのではないか」と私はやせ我慢ではなく、そう思うようになりました。
そして「お金を使わない生活」は環境負荷を与えずに、自分を苦しめる呪縛から逃れる1つの方法ではないかと思うようになったのです。(つづく)
by nonukes
| 2012-11-11 18:03
| 反原発オヤジの子育て記
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