2012年 07月 21日
反原発オヤジのハチャメチャ子育て記2
反原発オヤジのハチャメチャ子育て記2
小坂正則2012年7月21日
私は原稿を書きたいという衝動を抑えられない
実は、私が生まれて初めて書籍「市民電力会社をつくろう」なるものを出せたのは、偶然のたまものなのですが、そのときにはこれまで書きためていたミニコミ誌の原稿と、私の友人が出しているミニコミ誌への寄稿原稿などを洗いざらい出してきて、その中から使えそうなものを、初の本の原稿に試みようとしたのです。しかし、テーマに関係ない多くの原稿は当然にもボツになりました。私は「あの原稿もボツですか…」と、ずいぶん寂しい思いもしたのです。自分の身内を切り捨てるような気分になるものですね。しかし、現実は冷酷です。だって、私の出してもらった書籍は自費出版ではないのです。だから売れなかったら、いえ、売れるはずもないのですが、赤字分は出版社がかぶらなければならないのです。だから私ら素人は出してもらうだけで幸せなのです。
この原稿を書いている理由は「書籍のボツ原稿を日の目に出してやりたい」からなのです。つまり、そこでボツになった原稿に新たな原稿を付け足して、次の書籍を書き上げたいという衝動に駆られてしまったから、こうして原稿を書いているのです。
私の初書籍は昨年の4月から11月頃まで半年かかってどうにか書き上げたのですが、その中には昔の原稿を書き直したり、「ここは書き足してください」と、編集者に言われたところを継ぎ足したりの作業が続きました。そのため毎日夜遅くまで机に向かって書き続けたのですが、実にこの苦行のような文章を書くという作業が、毎日毎日繰り返していくうちに、だんだん楽しくなってくるのですから不思議です。何でこんなに楽しいのかというと、「私には毎日書かなければならない仕事がある」ということで、なにやら使命感みたいな感情が心の中に湧き起こって来るのです。
私の友人に杵築市の大熊さんという方がいます。彼は「熊さんのとり小屋日記」というコラムを朝日新聞の大分版に1年か2年書いて、それを出版しました。かれは「連載が終わった後、心に大きな穴があいたような気分に陥った」と私に話してくれました。その気分私も分かるような気がします。次を書きたくなるのでしょうね。しかし、原稿を書きためたからといっても、どこかの出版社が本を出してくれるという当てがあるわけでは決してありませんが。それでもレントゲンの話はみなさんおもしろいと言ってくれます。あれだけでは本にはならないし、もっともっと背骨になるような話を書かなければ、あれは単なるエピソードですから。でも、学校やいわゆる「教育者」といわれる人たちの本質を射抜いてはいますがね。
下手くそな文章でも人の心をつかむことはできる
実は自慢ではありませんが、私は文章を書くのが苦手でへたくそです。それに私の周りの仲間は文章がうまい人がたくさんいます。私が出しているミニコミ誌「つゆくさ通信」の常連さんの諫山さんや甲斐さんや大原さんなどは無駄な表現もなくシンプルで気品のなる文章を書きます。それに比べたら私は形容詞が多くて、表現もオーバーで第一語彙が少なくて、へたくそなので、彼らの原稿を読んだ後に自分の原稿を読んだら落ち込んでしまいます。
「それなのに何で書くの?」と、よく聞かれます。実はそれには深い理由があるのです。「私は周りの人に訴えたいのです」多くの方に私の思いを伝えたいのです。この思いだけは誰にも負けません。私は原発をとめたいという思いと、市民電力会社を作りたいという思いだけは誰にも負けないという自負があるから、「市民電力会社をつくろう」という本を出すことができたのです。文法などは後でどうにでも直せばいいのです。熱い思いがなければ人の心を動かすことはできません。文章がうまくても、それだけでは人の心を鷲掴みにはできません。だから私は未だに恥をさらすようなへたくそな文章をだらだらと書いているのです。
よく私の文章は「スピード感がある」とか「おもしろい」とか言われることがあります。それだけで私は十分だと思っています。私の周りには、私の文法を修正してくれるやさしい友人がたくさんいるのです。そんな友人がいなかったら私はこうしてみなさんに文章を見せるなんてことはできないでしょう。(この文章にはまだ誰も手を加えてはいませんが)
私は子どもを育てた話を書きたくなったのです
私はこれまで「川崎でゴミ収集の分別収集をやらせる」きっかけになるような運動をやったり、「大分市小学校5年生のレントゲン撮影」をやめさせたりしました。また、「万引きをやった子どもとどう接した」か、とか「非行少年と楽しく畑仕事をやった」ときのことなどもずいぶん私には楽しい思い出です。そしてなによりも「学校という巨大な怪物が子どもたちを押し殺している」という現実に何とかメスを入れたいのです。「学校など楽しくなかったらいかなくていい」のです。そんな当たり前のことが当たり前にできる社会にしたいのです。
最初にも書きましたが、このような閉塞情況の日本社会に閉じこめられている若者や子どもたちに夢を持って生きていけるような術を私なりに彼らに与えたいのです。そしてこの日本をもうちょと子どもたち(それと大人も)が暮らしやすいように作り替えていきたいのです。だから、1つは教育から変えなければならないと思っています。
そこで昨日、私の元妻に久しぶりに電話をしました。「実は私の子育ての話を本にしたいんだけどいいかな。あなたのことも当然書かなければならないし、私よりもあなたの方が子育ての中心だったのだから、あなたの了解をもらわないといけないと思ってね」と。すると彼女は「私はいいけど、子どもたちには了解を取ってね。1人でもだめといったら書いてはだめよ」と。「原稿はもちろんあなたには見せるし、子どもたちには了解を取るよ」と私は説明しました。(つづく)
私の書いた著書「市民電力会社をつくろう」も販売中です
小坂正則2012年7月21日
私は原稿を書きたいという衝動を抑えられない
実は、私が生まれて初めて書籍「市民電力会社をつくろう」なるものを出せたのは、偶然のたまものなのですが、そのときにはこれまで書きためていたミニコミ誌の原稿と、私の友人が出しているミニコミ誌への寄稿原稿などを洗いざらい出してきて、その中から使えそうなものを、初の本の原稿に試みようとしたのです。しかし、テーマに関係ない多くの原稿は当然にもボツになりました。私は「あの原稿もボツですか…」と、ずいぶん寂しい思いもしたのです。自分の身内を切り捨てるような気分になるものですね。しかし、現実は冷酷です。だって、私の出してもらった書籍は自費出版ではないのです。だから売れなかったら、いえ、売れるはずもないのですが、赤字分は出版社がかぶらなければならないのです。だから私ら素人は出してもらうだけで幸せなのです。
この原稿を書いている理由は「書籍のボツ原稿を日の目に出してやりたい」からなのです。つまり、そこでボツになった原稿に新たな原稿を付け足して、次の書籍を書き上げたいという衝動に駆られてしまったから、こうして原稿を書いているのです。
私の初書籍は昨年の4月から11月頃まで半年かかってどうにか書き上げたのですが、その中には昔の原稿を書き直したり、「ここは書き足してください」と、編集者に言われたところを継ぎ足したりの作業が続きました。そのため毎日夜遅くまで机に向かって書き続けたのですが、実にこの苦行のような文章を書くという作業が、毎日毎日繰り返していくうちに、だんだん楽しくなってくるのですから不思議です。何でこんなに楽しいのかというと、「私には毎日書かなければならない仕事がある」ということで、なにやら使命感みたいな感情が心の中に湧き起こって来るのです。
私の友人に杵築市の大熊さんという方がいます。彼は「熊さんのとり小屋日記」というコラムを朝日新聞の大分版に1年か2年書いて、それを出版しました。かれは「連載が終わった後、心に大きな穴があいたような気分に陥った」と私に話してくれました。その気分私も分かるような気がします。次を書きたくなるのでしょうね。しかし、原稿を書きためたからといっても、どこかの出版社が本を出してくれるという当てがあるわけでは決してありませんが。それでもレントゲンの話はみなさんおもしろいと言ってくれます。あれだけでは本にはならないし、もっともっと背骨になるような話を書かなければ、あれは単なるエピソードですから。でも、学校やいわゆる「教育者」といわれる人たちの本質を射抜いてはいますがね。
下手くそな文章でも人の心をつかむことはできる
実は自慢ではありませんが、私は文章を書くのが苦手でへたくそです。それに私の周りの仲間は文章がうまい人がたくさんいます。私が出しているミニコミ誌「つゆくさ通信」の常連さんの諫山さんや甲斐さんや大原さんなどは無駄な表現もなくシンプルで気品のなる文章を書きます。それに比べたら私は形容詞が多くて、表現もオーバーで第一語彙が少なくて、へたくそなので、彼らの原稿を読んだ後に自分の原稿を読んだら落ち込んでしまいます。
「それなのに何で書くの?」と、よく聞かれます。実はそれには深い理由があるのです。「私は周りの人に訴えたいのです」多くの方に私の思いを伝えたいのです。この思いだけは誰にも負けません。私は原発をとめたいという思いと、市民電力会社を作りたいという思いだけは誰にも負けないという自負があるから、「市民電力会社をつくろう」という本を出すことができたのです。文法などは後でどうにでも直せばいいのです。熱い思いがなければ人の心を動かすことはできません。文章がうまくても、それだけでは人の心を鷲掴みにはできません。だから私は未だに恥をさらすようなへたくそな文章をだらだらと書いているのです。
よく私の文章は「スピード感がある」とか「おもしろい」とか言われることがあります。それだけで私は十分だと思っています。私の周りには、私の文法を修正してくれるやさしい友人がたくさんいるのです。そんな友人がいなかったら私はこうしてみなさんに文章を見せるなんてことはできないでしょう。(この文章にはまだ誰も手を加えてはいませんが)
私は子どもを育てた話を書きたくなったのです
私はこれまで「川崎でゴミ収集の分別収集をやらせる」きっかけになるような運動をやったり、「大分市小学校5年生のレントゲン撮影」をやめさせたりしました。また、「万引きをやった子どもとどう接した」か、とか「非行少年と楽しく畑仕事をやった」ときのことなどもずいぶん私には楽しい思い出です。そしてなによりも「学校という巨大な怪物が子どもたちを押し殺している」という現実に何とかメスを入れたいのです。「学校など楽しくなかったらいかなくていい」のです。そんな当たり前のことが当たり前にできる社会にしたいのです。
最初にも書きましたが、このような閉塞情況の日本社会に閉じこめられている若者や子どもたちに夢を持って生きていけるような術を私なりに彼らに与えたいのです。そしてこの日本をもうちょと子どもたち(それと大人も)が暮らしやすいように作り替えていきたいのです。だから、1つは教育から変えなければならないと思っています。
そこで昨日、私の元妻に久しぶりに電話をしました。「実は私の子育ての話を本にしたいんだけどいいかな。あなたのことも当然書かなければならないし、私よりもあなたの方が子育ての中心だったのだから、あなたの了解をもらわないといけないと思ってね」と。すると彼女は「私はいいけど、子どもたちには了解を取ってね。1人でもだめといったら書いてはだめよ」と。「原稿はもちろんあなたには見せるし、子どもたちには了解を取るよ」と私は説明しました。(つづく)
私の書いた著書「市民電力会社をつくろう」も販売中です
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サムライ菊の助でござる^^
at 2012-07-21 18:30
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ちゃんと家族の了解を取るところが民主的!駄目だったら、遺稿として、私が世に出しましょう!
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nonukes at 2012-07-21 18:42
ありがとうございます。でも、遺稿はまだ早すぎますので、何とか頑張って説得します。それとも、そこは書かないようにしようと思います。やはりあまり書きすぎて「積み木くずし」のような家族が崩壊してはわるいので。もうすでに崩壊はしていますが。子どもの気持ちは大切ですよね。
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サムライ菊の助でござる^^
at 2012-07-22 16:16
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小坂さんの数々の運動の原点には、子どもを愛する心があるのですね^^(菊^――^菊)
by nonukes
| 2012-07-21 16:46
| 反原発オヤジの子育て記
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Comments(3)