2012年 07月 19日
大分市小学5年生のレントゲン検診をやめさせたたたかいの記録です
うちの子はレントゲンを受けませんつゆくさ通信91年7月号
以下の記録はミニコミ誌「つゆくさ通信」に書いた原稿です。(実は私の著書のボツ原稿でもあるのですが)子どもの生命を守るために夫婦で学校とたたかった記録です。こどものためなら学校であろうが教育委員会であろうが、どこでも行って喧嘩してきた夫婦の物語です。だからと言うわけではありませんが私たちの子どもには「非行」も「いじめ」もなかったと思います。(小坂正則)
一九九一年五月二十三日(土)、三男の新一年生の学級通信を受け取った私の妻が「アンタ大変よ。月曜日にレントゲン検診があると書いているわよ。どうする受けさせるの」と。私は「えーッ。大分でもレントゲンまだやってるんだ」と。私はレントゲンを自分の娘には受けさせたくないと教育委員会などとケンカした福岡の地蔵原さんが書いた「なぜレントゲン検診がいけないのか」わかりやすく書いた本がある」の 地蔵原さんに「大分ではレントゲンやってないみたいですよ」と言ったばっかりなのに。
妻は「今まで上の子の時は見過ごしていたのよ。ちゃんとやってるよ」と。私は「そりゃあレントゲンを受けさせるわけにはいかんわ。オマエ月曜日に学校に行って、受けさせないといって来てや」と。妻は「何でも子どものことは私ばっかりに押しつけて、ちょっとは父親らしいことしたらどう」と。その一言が一番恐ろしかった。妻から「いつもあなたは自分の好きなことばっかりして、子どものことはちっとも構ってやらない」と不平ばかり言われているからだ。おまけに何を隠そう、私は大の学校嫌い。PTAなんか行くだけで吐き気がする。運動会なども、どれが自分の子かも分からんラッシュアワーのような人混みの校庭で、土埃にまみれたオニギリ食うのに、どこが楽しいのか分からない。
第一、先生なんてやつが根っから好かん。何か建前ばかりの人生過ごしているような人と子どものことについて話す話題などない。(見合いの席で話す議題がないと言ってさっさと帰った私の友人のkさんの心境が分かる気がする)
たまには親らしいことの一つでもやっとくか
というわけで、翌月曜日の朝、目が覚めると同時に決心した。どうせ私が行かなければ、妻に「あんたはいうこととやることが全く違う」とか何とか。一生言われるのが分かっているからだ。私は小さな声で「あんたも一緒に行ってくれる」と奥様にお願いして、夫婦2人でいざ、西の台小学校へ乗り込むことあいなった。
まず担任の先生を探して、「実は今日のレントゲン検診のことでお願いがあって、校長先生にお会いしたいのですが」と。優しそうな感じの先生は「レントゲン検診に何か問題でもあるのですか」とビックリした様子。
校長室に通されて、第一印象が悪かった。覚えたてのワープロ君を大事そうになでてるところに「朝からうるさい夫婦が来たものだ」といった、モロ嫌そうな顔をこっちに向けて、「さて、お話とは何ですか」ときた。
私は自己紹介をして、「いつも子どもがお世話になっています」なんて、心にもないことを言って「実は本日実施されるレントゲン検診をうちの子には受けさせないでほしいのです」と。校長は「レントゲンを受けると何かまずいことでもあるのですか」と。私は「ええ、実に問題があります。日本人の放射能被曝線許容量は年間100ミリレムと決められていますが、本日行われるレントゲン間接撮影で、実に三〇ミリレム程度の被曝を受けるのです。医療行為でもないのに無用なレントゲンの被曝を出来るだけ避けさせたいのです。このような全児童を対象にしたレントゲン間接撮影などは欧米では行われていません」と。
校長は「あなたは無用だと申しますが、これは保険衛生法によって定められた検査ですので、私の一存で「受けなくていい」なんて決められませんよ。そんなこと認めたら私が校長を首になってしまいます」「つまり私にはあなたの申し出を認める権限はありまあせん。教育委員会か保健所に申し出てください」と。
私は「もちろん私もそう思っていますが、今日の今から検診があるので子どもがレントゲン受けた後に教育委員会と議論しても遅いですよね。だから今日のところは緊急避難措置として一時的に受けさせないでもらいたいのです」と。
それに対して校長は「もしレントゲンが問題ならほかの父母などからも言ってくるはずだが、そんなこと言ってきたのはあなた方だけだ」などなど。「あなた方は自分の子どもが被曝をしなければそれでいいのか」とか、「厚生省や文部省でも問題があればそんなレントゲンなどさせるわけがない」等々。私はムカッときて、「インフルエンザでも危険だから止めるべきだという声が随分前からあったが、行政や教育委員会の重い腰を上げるには何十年という歳月がかかったではありませんか。それまでには何人もの子どもが命を落としたり、失明したりしているのですよ。このレントゲン被曝の問題も改善されるまでには長い年月がかかると思います」と。校長は「昔は副作用で死んだりすることはなかった。近頃の子どもは、インフルエンザの副作用だの、アトピーだの、全くだらしがない」と。このバカ校長は本末転倒なことを口走るのだ。怒りが頂点に達した私は「何を言ってるのですか校長先生。インフルエンザの後遺症を訴える裁判などは何十年も前からありますよ。あなたが知らないだけです。前から学者や医者の間では問題視されていたのです。制度というものは、そのようにゆっくりとしか動かないことはあなたも十分ご存じでしょう」と。校長はムッとした顔つきで「とりあえず今日のところはレントゲン検診はいたしません。検診を強制すれば混乱を生じる可能性があるからです。しかし、今日あなたが申し出た一部始終は教育委員会へ報告します。それでもいいんですね」と。
私は「ぜひ、そうしてください。私もしかるべき場所で十分議論させて頂きます。学者や医者にも議論に入ってもらって、活発な議論が行われることが私の願いですから」ということで第一のハードルは越えることが出来た。保健所も教育委員会もその後、何も言ってはこないが。
小学校5年生にもレントゲン検診(91年12月の原稿より)
五月の「レントゲン受けません」騒動からアッという間に半年が過ぎた。「教育委員会は何も言ってこないなあ」何て、のんびりと構えていたところに、この秋、突然降って湧いたような事件が起きたのだ。
なっなんと5年生の長男にもこの秋にレントゲン検診があるというのだ。これも3男と同じような学級通信に載っていたのだ。今度は1週間前に知ったことが随分違った結果を招いた。九一年十月十九日の学級通信に小さく「十月二十八日の月曜日にレントゲン撮影」と書いてあったからさあ大変。さっそく、二十一日の月曜日に休みを取って、市教委に質問に行った。①なぜ、大分市だけが五年生にレントゲン撮影をやるのか。②その医学的根拠と法律的根拠はどこにあるのか。③どのようにすればうけなくていいのか。それと今年の春に受けなかった三男のことはどうなっているのかも問いただした。
体育保健課の係長と主事さんは、狼狽した様子で「自分たちが担当する前から決まっているので、なぜ五年生だけにレントゲンを行っているのかよく分からない」と。「この春の三男のことは報告にない」と。でも、後からそれはまずいと思ったのか「欠席扱いです」という回答が電話であった。何とも大分市教育委員会の対応は腑に落ちない。私はWHOの勧告の話や放射線被曝の許容量の話などしてやったが、担当係長は「大分県は結核の発生率が高いので五年生もやる必要がある」や「脊椎異常を発見するためにも欠かせない」と熱心に反論した。
「それなら何で大分市だけがやって、別府市や中津市ではレントゲンを受けないのか」と追求したら、「大分は予算がたくさんあるから出来るのです」と、暗によそは貧乏だから子どもの健康に銭を出していないといわんばかりの言い方にムカッと来た。隣に座っている女性主事は熱心にメモを取って、私の話を聞いてくれたので「彼女は少しは分かってくれたかな」と淡い期待なんかして市教委を後にした。
ついでだから県教委の体育保健課にも行ってみた。そこは実にあっけらかんとしていて、「まず、自分たちには何の責任もありません」といい、「五年生がレントゲンを受けるなんて何かの間違いでしょう。そんなこと考えられませんよ」と、実にのんき。私が「ちょっと電話して確かめてみてよ」というと、渋々電話して確認した後、「変わってますねえ」だとか、「止めろとか、どうしろと言う権限は県教委にはないのですよ…」と。私は県教委からそれだけのことを聞き出せば、それで 十分だった。責任は市教委だけにあり、攻めるは市教委一本だ。
集団行動で勝利する
福岡の地蔵原さんが同じような問題(こちらは法律で定められている一年生のレントゲン検診だが)で市教委に負けたのは、一人で闘ったからだ。幸いまだ、時間はある。実施されるまでに同調者を増やせばいいんだ。そこで、翌日の火曜日も休みを取って5年生の長男のクラスの連絡帳を使って片っ端から電話をした。一人に最低五分、長い人では十分もかかる。十人くらいしたところで、だんだん楽しくなってきた。すごく反応のいい人と、うさんくさそうに全く取り合ってくれない人と極端に分かれた。連絡帳に赤鉛筆で○や×がどんどん増えていく。そして、その日の内に二十数名に連絡できた。
夫婦二人でクラス全員に電話した。そして、他のクラスの知り合いにも電話したら「一緒に市教委に話に行ってもいい」という人が現れたので、レントゲン実施までに市教委交渉がもてるかもしれないと考えた。向こうに逃げられたらまずいので秘密裏に交渉の準備を進めた。相手側の確約も取れないまま、マスコミに連絡して、木曜日の夕方に電話で「明日の九時に話し合いに行きます」と告げると、係長は「課長は忙しいので十分だけですよ」と渋々応じた。
約束の金曜日、西の台小学校のお母さんに私ら夫婦とその友人の総勢8人がテーブルに着くと、赤ら顔の課長は(緊張して赤かったのかもしれませんが)終始苦虫をかみつぶしたような顔をして、答えにならない答えを繰り返すだけ。時間切れで終わってしまった。それでもこちらの勝利である。次の日の新聞の朝刊に大きく取り上げられていた。
私が淡い期待をした女性主事は「医師会の偉い先生がいうから間違いない」と、かたくなにレントゲンの必要性を主張するだけだった。やはり彼女も単なる公務員だった。
十三人の反乱で次の闘いへ
さあ、次はチラシを撒こう。金曜日の夜に職場の組合で印刷したビラ一六〇〇枚を近くの団地に入れることにした。昼間は子どもたちと妻が半分くらい撒いてくれた。残りは私と私の友人に手伝ってもらった 。その夜にもさっそく反応があった。最初は抗議の電話だった。「オマエは西の台の恥だ」とか何とか。名前も名乗らないから論外。次からは手応えのある電話だった。父親からで「校長に電話したところ変わり者の父母が二人ほどいるんですよとか、説明会を開いてほしいと言ったら、その必要はない」といわれたと。随分校長に不信感を持っている様子だった。私も校長に電話したら「あんたとはこれ以上話す気はない」とか「また言ってもいないことをビラに書かれたんではたまったもんじゃない」こんなアホな校長はこちらから相手にしないことにした。
というのも、前回の話が教組の新聞に一部始終が載ったので「校長と分会長が恥をかかされたとカンカンに怒っている」という噂を聞いたからだ。校長に私は毛嫌いされているようなのだ。
いよいよレントゲン検診の当日。私は仕事中だったが、職場に知り合いの新聞記者から電話があった。十三人が受けなかったという。もっといてもよさそうだけど、それでも一週間で十三人だ。私ら夫婦以外の十二人の父母は随分悩んだ末の行動だったのだろう。先生との仲がこじれることを気にして「子どもには受けさせたくないけど今回は受けさせる」という人もいたからだ。また、レントゲンを受けさせなかった親が、後でそのことを後悔しているという話も聞いたからだ。それほど子どもも親も学校という怪物にがんじがらめに締め付けられているのだろうか。やはりレントゲンを受けさせる制度そのものをなくさないとダメだ。学校なんて行きたいときに行くくらいがちょうどいい。みんな子どもたちにとって本当に一番大事なものを見失っている。
闘うなら徹底してたたかおう
これまで無関心だった学校に対して目覚めた父親は「子どもたちの健康を守るのは誰か」というシンポジウムを開くことにした。そのシンポジウムから一気にレントゲン廃止の運動に加速がつくことを願っている。そうさせてみせましょう。
十一月十七日に両親PTAとやらがあったので、始まる前に校門の前でシンポジウムの開催を知らせるビラを夫婦で撒いた。するとあの嫌な校長がやってきて、「学校でビラを撒くときは許可を取ってください」と言う。私は「ここは道路ですからその必要はありません」と答えると、「西の台ばっかりで運動しないで、他の小学校でもやりなさいよ。今日は明野小学校でもPTAやってるからそっちに行ってビラ撒いたらいいのに」だって。この校長、自分たちが、この問題で新聞に載ったりして恥をかいたという被害者意識しかない。教師も然りだ。何が問題かということの本質を理解しようとしていない。ましてや子どものことなど頭の片隅にもない。教育者などしょせんこんなものなんだろうと思うが、こんな学校に子どもを預けているのがとても恐ろしい。(つづく)
注)実はこれからが重要な闘いになるのだが残念ながら記録はない。そこで今回思い出しながら書くことにしたので時系列に少々不安があるが内容には自信はあります。
子どもを食い物にする大人たち。これは原発村と同じだ
これからの文章は二〇一一年に書いているので二十年前のことの記憶を呼び起こしながら書いています。しかし、かなり正確に覚えています。なぜなら、この話は私の十八番で、今一番人気の科学者小出裕章さんの講演会で、前座の私がこの話をしたら、主役よりも受けてしまって、小出さん曰く「今日は私が前座でしたね」と言われたことがあるくらい、この話はおもしろい。
さて、「子どもたちの健康を守るのは誰か」というシンポジウムを開催したのは覚えているが、いつどこで開催したかはもう覚えていない。これまで二十五年間に一〇〇回くらいは講演会などを開催しているからだ。
五年生のレントゲンが終わって、私は市教委と市長宛に公開質問状を出すことにした。なぜこのような不当なレントゲンを行っているのか。廃止する予定はないかなどの質問だったと思う。これも今では文章は見あたらない。
私は「この公開質問状は市長に直接手渡されるのですよね」と課長に確認したら、「もちろん市長まで供覧されます」と答えたのです。
私はこの五年生のレントゲンがなぜこれまで行われてきたのかという疑問に、薄々は感じていたのだが、明快な回答は持っていなかった。しかし、私の知り合いの医者でワクチン接種の問題などを長年問い続けている良心的なM医師はこういった。 「五年生のレントゲンは実はレントゲン車を一年中動かしてレントゲン技師の仕事を増やすために行われてきたのだ。春は一年生のレントゲンでレントゲン車は忙しいが、秋はレントゲン車が暇になるから、この時期に毎年五年生を受けさせたら病院が儲かるからだ。ましてやA病院の理事長は元市長の後援会長だったから。これは事件になるかもしれないぞ」と。私の友人の記者から「元市長はそのほかにも様々な疑惑があり、そのために今回は選挙に出なかった」と聞いていたからなおさらだ。
私は質問状の回答日の前に何としても現市長に直接会って聞きたかった。新しい市長はこの疑惑には全く関与していないのだから責任もなければ、レントゲンを止めることも簡単なはずだったから。私は、知り合いの市職員で市長と実に親しい秘書課の職員に会って相談した。彼は市長に「小坂と会ってほしい」と言ってくれたが、市長は「私は組織の人間だから課長が私にその文章を持ってくるまで待っている。それから小坂に会う必要があれば会おう」と言ったという。それまでの自称「革新」元市長は「公開質問書など適当に各課で処理しろ」という考えだったらしい。しかし、新しい保守系市長は市民の声を直接聞くために全ての要求などは市長まで上げるように指示していたらしいのだが、課長は自分で握っていたのだ。そこで適当に小坂をあしらって追い返そうとでも考えていたのだろう。
交渉日の朝、秘書課の職員に電話を入れたら、「朝まで市長の手元には小坂の文章は来ていないと言っていた」という。しめた。前回のメンバーで二回目の交渉のテーブルに着いた。新聞記者が数名いる前で交渉が始まった。私は最初に「この回答は市長の回答と考えていいのですね。少なくとも市長はあなた方の回答については了解しているのですよね」と問いただした。課長は「その通りですよ。市長の回答と考えて結構です」と大見得を切ったのだ。私が「今朝、市長に確認したら朝の時点ではまだ市長までこの文書は来ていないと話していたが、直前に市長に持って行って、回答の決済をもらったのですか。私がお渡ししましょうかと言ったら、市長は課長を信じているから彼が持ってくるまで待っていると話していたけど、市長がウソをついていたのかな。市長に確認してこようか」と。
課長は顔面蒼白で顔色を失っていた。私は「今すぐ市長へ持って行け」と怒鳴った。
後は正式な交渉にはならないので雑談で終わったが。
それから一月もしないうちに五年生のレントゲンは廃止されたという報道があった。しかし、そこには落ちがあった。
転んでもただでは起きないしたたかな連中
私は何かの用件で市役所に行く機会があって、課長がいたので挨拶した。「やあどう、お元気ですか」と。課長は「小坂さん、その節は随分ご迷惑をおかけしました。市長からさんざん怒られましたわ。でも、レントゲンを廃止しましたからいいでしょ。その代わり、子どもたちの小児成人病の検査のために血液検査を実施することにしました」という。これまでのレントゲン検査よりも血液検査の方が検査費用が高いらしい。転んでもただでは起きない、悪は簡単にはなくならないものだ。これら一連の事件の内容を私の付き合いのある新聞記者に全て話した。「必ずスクープになるから調べてみたら」と進めたが、あとから、「ちょっと私には荷が重すぎて残念ですが記事には出来ません」と謝りの電話があった。事件は闇に葬られて、子どもを食い物にする大人は未だに私の住む大分にはびこっているのだろうか。
以下の記録はミニコミ誌「つゆくさ通信」に書いた原稿です。(実は私の著書のボツ原稿でもあるのですが)子どもの生命を守るために夫婦で学校とたたかった記録です。こどものためなら学校であろうが教育委員会であろうが、どこでも行って喧嘩してきた夫婦の物語です。だからと言うわけではありませんが私たちの子どもには「非行」も「いじめ」もなかったと思います。(小坂正則)
一九九一年五月二十三日(土)、三男の新一年生の学級通信を受け取った私の妻が「アンタ大変よ。月曜日にレントゲン検診があると書いているわよ。どうする受けさせるの」と。私は「えーッ。大分でもレントゲンまだやってるんだ」と。私はレントゲンを自分の娘には受けさせたくないと教育委員会などとケンカした福岡の地蔵原さんが書いた「なぜレントゲン検診がいけないのか」わかりやすく書いた本がある」の 地蔵原さんに「大分ではレントゲンやってないみたいですよ」と言ったばっかりなのに。
妻は「今まで上の子の時は見過ごしていたのよ。ちゃんとやってるよ」と。私は「そりゃあレントゲンを受けさせるわけにはいかんわ。オマエ月曜日に学校に行って、受けさせないといって来てや」と。妻は「何でも子どものことは私ばっかりに押しつけて、ちょっとは父親らしいことしたらどう」と。その一言が一番恐ろしかった。妻から「いつもあなたは自分の好きなことばっかりして、子どものことはちっとも構ってやらない」と不平ばかり言われているからだ。おまけに何を隠そう、私は大の学校嫌い。PTAなんか行くだけで吐き気がする。運動会なども、どれが自分の子かも分からんラッシュアワーのような人混みの校庭で、土埃にまみれたオニギリ食うのに、どこが楽しいのか分からない。
第一、先生なんてやつが根っから好かん。何か建前ばかりの人生過ごしているような人と子どものことについて話す話題などない。(見合いの席で話す議題がないと言ってさっさと帰った私の友人のkさんの心境が分かる気がする)
たまには親らしいことの一つでもやっとくか
というわけで、翌月曜日の朝、目が覚めると同時に決心した。どうせ私が行かなければ、妻に「あんたはいうこととやることが全く違う」とか何とか。一生言われるのが分かっているからだ。私は小さな声で「あんたも一緒に行ってくれる」と奥様にお願いして、夫婦2人でいざ、西の台小学校へ乗り込むことあいなった。
まず担任の先生を探して、「実は今日のレントゲン検診のことでお願いがあって、校長先生にお会いしたいのですが」と。優しそうな感じの先生は「レントゲン検診に何か問題でもあるのですか」とビックリした様子。
校長室に通されて、第一印象が悪かった。覚えたてのワープロ君を大事そうになでてるところに「朝からうるさい夫婦が来たものだ」といった、モロ嫌そうな顔をこっちに向けて、「さて、お話とは何ですか」ときた。
私は自己紹介をして、「いつも子どもがお世話になっています」なんて、心にもないことを言って「実は本日実施されるレントゲン検診をうちの子には受けさせないでほしいのです」と。校長は「レントゲンを受けると何かまずいことでもあるのですか」と。私は「ええ、実に問題があります。日本人の放射能被曝線許容量は年間100ミリレムと決められていますが、本日行われるレントゲン間接撮影で、実に三〇ミリレム程度の被曝を受けるのです。医療行為でもないのに無用なレントゲンの被曝を出来るだけ避けさせたいのです。このような全児童を対象にしたレントゲン間接撮影などは欧米では行われていません」と。
校長は「あなたは無用だと申しますが、これは保険衛生法によって定められた検査ですので、私の一存で「受けなくていい」なんて決められませんよ。そんなこと認めたら私が校長を首になってしまいます」「つまり私にはあなたの申し出を認める権限はありまあせん。教育委員会か保健所に申し出てください」と。
私は「もちろん私もそう思っていますが、今日の今から検診があるので子どもがレントゲン受けた後に教育委員会と議論しても遅いですよね。だから今日のところは緊急避難措置として一時的に受けさせないでもらいたいのです」と。
それに対して校長は「もしレントゲンが問題ならほかの父母などからも言ってくるはずだが、そんなこと言ってきたのはあなた方だけだ」などなど。「あなた方は自分の子どもが被曝をしなければそれでいいのか」とか、「厚生省や文部省でも問題があればそんなレントゲンなどさせるわけがない」等々。私はムカッときて、「インフルエンザでも危険だから止めるべきだという声が随分前からあったが、行政や教育委員会の重い腰を上げるには何十年という歳月がかかったではありませんか。それまでには何人もの子どもが命を落としたり、失明したりしているのですよ。このレントゲン被曝の問題も改善されるまでには長い年月がかかると思います」と。校長は「昔は副作用で死んだりすることはなかった。近頃の子どもは、インフルエンザの副作用だの、アトピーだの、全くだらしがない」と。このバカ校長は本末転倒なことを口走るのだ。怒りが頂点に達した私は「何を言ってるのですか校長先生。インフルエンザの後遺症を訴える裁判などは何十年も前からありますよ。あなたが知らないだけです。前から学者や医者の間では問題視されていたのです。制度というものは、そのようにゆっくりとしか動かないことはあなたも十分ご存じでしょう」と。校長はムッとした顔つきで「とりあえず今日のところはレントゲン検診はいたしません。検診を強制すれば混乱を生じる可能性があるからです。しかし、今日あなたが申し出た一部始終は教育委員会へ報告します。それでもいいんですね」と。
私は「ぜひ、そうしてください。私もしかるべき場所で十分議論させて頂きます。学者や医者にも議論に入ってもらって、活発な議論が行われることが私の願いですから」ということで第一のハードルは越えることが出来た。保健所も教育委員会もその後、何も言ってはこないが。
小学校5年生にもレントゲン検診(91年12月の原稿より)
五月の「レントゲン受けません」騒動からアッという間に半年が過ぎた。「教育委員会は何も言ってこないなあ」何て、のんびりと構えていたところに、この秋、突然降って湧いたような事件が起きたのだ。
なっなんと5年生の長男にもこの秋にレントゲン検診があるというのだ。これも3男と同じような学級通信に載っていたのだ。今度は1週間前に知ったことが随分違った結果を招いた。九一年十月十九日の学級通信に小さく「十月二十八日の月曜日にレントゲン撮影」と書いてあったからさあ大変。さっそく、二十一日の月曜日に休みを取って、市教委に質問に行った。①なぜ、大分市だけが五年生にレントゲン撮影をやるのか。②その医学的根拠と法律的根拠はどこにあるのか。③どのようにすればうけなくていいのか。それと今年の春に受けなかった三男のことはどうなっているのかも問いただした。
体育保健課の係長と主事さんは、狼狽した様子で「自分たちが担当する前から決まっているので、なぜ五年生だけにレントゲンを行っているのかよく分からない」と。「この春の三男のことは報告にない」と。でも、後からそれはまずいと思ったのか「欠席扱いです」という回答が電話であった。何とも大分市教育委員会の対応は腑に落ちない。私はWHOの勧告の話や放射線被曝の許容量の話などしてやったが、担当係長は「大分県は結核の発生率が高いので五年生もやる必要がある」や「脊椎異常を発見するためにも欠かせない」と熱心に反論した。
「それなら何で大分市だけがやって、別府市や中津市ではレントゲンを受けないのか」と追求したら、「大分は予算がたくさんあるから出来るのです」と、暗によそは貧乏だから子どもの健康に銭を出していないといわんばかりの言い方にムカッと来た。隣に座っている女性主事は熱心にメモを取って、私の話を聞いてくれたので「彼女は少しは分かってくれたかな」と淡い期待なんかして市教委を後にした。
ついでだから県教委の体育保健課にも行ってみた。そこは実にあっけらかんとしていて、「まず、自分たちには何の責任もありません」といい、「五年生がレントゲンを受けるなんて何かの間違いでしょう。そんなこと考えられませんよ」と、実にのんき。私が「ちょっと電話して確かめてみてよ」というと、渋々電話して確認した後、「変わってますねえ」だとか、「止めろとか、どうしろと言う権限は県教委にはないのですよ…」と。私は県教委からそれだけのことを聞き出せば、それで 十分だった。責任は市教委だけにあり、攻めるは市教委一本だ。
集団行動で勝利する
福岡の地蔵原さんが同じような問題(こちらは法律で定められている一年生のレントゲン検診だが)で市教委に負けたのは、一人で闘ったからだ。幸いまだ、時間はある。実施されるまでに同調者を増やせばいいんだ。そこで、翌日の火曜日も休みを取って5年生の長男のクラスの連絡帳を使って片っ端から電話をした。一人に最低五分、長い人では十分もかかる。十人くらいしたところで、だんだん楽しくなってきた。すごく反応のいい人と、うさんくさそうに全く取り合ってくれない人と極端に分かれた。連絡帳に赤鉛筆で○や×がどんどん増えていく。そして、その日の内に二十数名に連絡できた。
夫婦二人でクラス全員に電話した。そして、他のクラスの知り合いにも電話したら「一緒に市教委に話に行ってもいい」という人が現れたので、レントゲン実施までに市教委交渉がもてるかもしれないと考えた。向こうに逃げられたらまずいので秘密裏に交渉の準備を進めた。相手側の確約も取れないまま、マスコミに連絡して、木曜日の夕方に電話で「明日の九時に話し合いに行きます」と告げると、係長は「課長は忙しいので十分だけですよ」と渋々応じた。
約束の金曜日、西の台小学校のお母さんに私ら夫婦とその友人の総勢8人がテーブルに着くと、赤ら顔の課長は(緊張して赤かったのかもしれませんが)終始苦虫をかみつぶしたような顔をして、答えにならない答えを繰り返すだけ。時間切れで終わってしまった。それでもこちらの勝利である。次の日の新聞の朝刊に大きく取り上げられていた。
私が淡い期待をした女性主事は「医師会の偉い先生がいうから間違いない」と、かたくなにレントゲンの必要性を主張するだけだった。やはり彼女も単なる公務員だった。
十三人の反乱で次の闘いへ
さあ、次はチラシを撒こう。金曜日の夜に職場の組合で印刷したビラ一六〇〇枚を近くの団地に入れることにした。昼間は子どもたちと妻が半分くらい撒いてくれた。残りは私と私の友人に手伝ってもらった 。その夜にもさっそく反応があった。最初は抗議の電話だった。「オマエは西の台の恥だ」とか何とか。名前も名乗らないから論外。次からは手応えのある電話だった。父親からで「校長に電話したところ変わり者の父母が二人ほどいるんですよとか、説明会を開いてほしいと言ったら、その必要はない」といわれたと。随分校長に不信感を持っている様子だった。私も校長に電話したら「あんたとはこれ以上話す気はない」とか「また言ってもいないことをビラに書かれたんではたまったもんじゃない」こんなアホな校長はこちらから相手にしないことにした。
というのも、前回の話が教組の新聞に一部始終が載ったので「校長と分会長が恥をかかされたとカンカンに怒っている」という噂を聞いたからだ。校長に私は毛嫌いされているようなのだ。
いよいよレントゲン検診の当日。私は仕事中だったが、職場に知り合いの新聞記者から電話があった。十三人が受けなかったという。もっといてもよさそうだけど、それでも一週間で十三人だ。私ら夫婦以外の十二人の父母は随分悩んだ末の行動だったのだろう。先生との仲がこじれることを気にして「子どもには受けさせたくないけど今回は受けさせる」という人もいたからだ。また、レントゲンを受けさせなかった親が、後でそのことを後悔しているという話も聞いたからだ。それほど子どもも親も学校という怪物にがんじがらめに締め付けられているのだろうか。やはりレントゲンを受けさせる制度そのものをなくさないとダメだ。学校なんて行きたいときに行くくらいがちょうどいい。みんな子どもたちにとって本当に一番大事なものを見失っている。
闘うなら徹底してたたかおう
これまで無関心だった学校に対して目覚めた父親は「子どもたちの健康を守るのは誰か」というシンポジウムを開くことにした。そのシンポジウムから一気にレントゲン廃止の運動に加速がつくことを願っている。そうさせてみせましょう。
十一月十七日に両親PTAとやらがあったので、始まる前に校門の前でシンポジウムの開催を知らせるビラを夫婦で撒いた。するとあの嫌な校長がやってきて、「学校でビラを撒くときは許可を取ってください」と言う。私は「ここは道路ですからその必要はありません」と答えると、「西の台ばっかりで運動しないで、他の小学校でもやりなさいよ。今日は明野小学校でもPTAやってるからそっちに行ってビラ撒いたらいいのに」だって。この校長、自分たちが、この問題で新聞に載ったりして恥をかいたという被害者意識しかない。教師も然りだ。何が問題かということの本質を理解しようとしていない。ましてや子どものことなど頭の片隅にもない。教育者などしょせんこんなものなんだろうと思うが、こんな学校に子どもを預けているのがとても恐ろしい。(つづく)
注)実はこれからが重要な闘いになるのだが残念ながら記録はない。そこで今回思い出しながら書くことにしたので時系列に少々不安があるが内容には自信はあります。
子どもを食い物にする大人たち。これは原発村と同じだ
これからの文章は二〇一一年に書いているので二十年前のことの記憶を呼び起こしながら書いています。しかし、かなり正確に覚えています。なぜなら、この話は私の十八番で、今一番人気の科学者小出裕章さんの講演会で、前座の私がこの話をしたら、主役よりも受けてしまって、小出さん曰く「今日は私が前座でしたね」と言われたことがあるくらい、この話はおもしろい。
さて、「子どもたちの健康を守るのは誰か」というシンポジウムを開催したのは覚えているが、いつどこで開催したかはもう覚えていない。これまで二十五年間に一〇〇回くらいは講演会などを開催しているからだ。
五年生のレントゲンが終わって、私は市教委と市長宛に公開質問状を出すことにした。なぜこのような不当なレントゲンを行っているのか。廃止する予定はないかなどの質問だったと思う。これも今では文章は見あたらない。
私は「この公開質問状は市長に直接手渡されるのですよね」と課長に確認したら、「もちろん市長まで供覧されます」と答えたのです。
私はこの五年生のレントゲンがなぜこれまで行われてきたのかという疑問に、薄々は感じていたのだが、明快な回答は持っていなかった。しかし、私の知り合いの医者でワクチン接種の問題などを長年問い続けている良心的なM医師はこういった。 「五年生のレントゲンは実はレントゲン車を一年中動かしてレントゲン技師の仕事を増やすために行われてきたのだ。春は一年生のレントゲンでレントゲン車は忙しいが、秋はレントゲン車が暇になるから、この時期に毎年五年生を受けさせたら病院が儲かるからだ。ましてやA病院の理事長は元市長の後援会長だったから。これは事件になるかもしれないぞ」と。私の友人の記者から「元市長はそのほかにも様々な疑惑があり、そのために今回は選挙に出なかった」と聞いていたからなおさらだ。
私は質問状の回答日の前に何としても現市長に直接会って聞きたかった。新しい市長はこの疑惑には全く関与していないのだから責任もなければ、レントゲンを止めることも簡単なはずだったから。私は、知り合いの市職員で市長と実に親しい秘書課の職員に会って相談した。彼は市長に「小坂と会ってほしい」と言ってくれたが、市長は「私は組織の人間だから課長が私にその文章を持ってくるまで待っている。それから小坂に会う必要があれば会おう」と言ったという。それまでの自称「革新」元市長は「公開質問書など適当に各課で処理しろ」という考えだったらしい。しかし、新しい保守系市長は市民の声を直接聞くために全ての要求などは市長まで上げるように指示していたらしいのだが、課長は自分で握っていたのだ。そこで適当に小坂をあしらって追い返そうとでも考えていたのだろう。
交渉日の朝、秘書課の職員に電話を入れたら、「朝まで市長の手元には小坂の文章は来ていないと言っていた」という。しめた。前回のメンバーで二回目の交渉のテーブルに着いた。新聞記者が数名いる前で交渉が始まった。私は最初に「この回答は市長の回答と考えていいのですね。少なくとも市長はあなた方の回答については了解しているのですよね」と問いただした。課長は「その通りですよ。市長の回答と考えて結構です」と大見得を切ったのだ。私が「今朝、市長に確認したら朝の時点ではまだ市長までこの文書は来ていないと話していたが、直前に市長に持って行って、回答の決済をもらったのですか。私がお渡ししましょうかと言ったら、市長は課長を信じているから彼が持ってくるまで待っていると話していたけど、市長がウソをついていたのかな。市長に確認してこようか」と。
課長は顔面蒼白で顔色を失っていた。私は「今すぐ市長へ持って行け」と怒鳴った。
後は正式な交渉にはならないので雑談で終わったが。
それから一月もしないうちに五年生のレントゲンは廃止されたという報道があった。しかし、そこには落ちがあった。
転んでもただでは起きないしたたかな連中
私は何かの用件で市役所に行く機会があって、課長がいたので挨拶した。「やあどう、お元気ですか」と。課長は「小坂さん、その節は随分ご迷惑をおかけしました。市長からさんざん怒られましたわ。でも、レントゲンを廃止しましたからいいでしょ。その代わり、子どもたちの小児成人病の検査のために血液検査を実施することにしました」という。これまでのレントゲン検査よりも血液検査の方が検査費用が高いらしい。転んでもただでは起きない、悪は簡単にはなくならないものだ。これら一連の事件の内容を私の付き合いのある新聞記者に全て話した。「必ずスクープになるから調べてみたら」と進めたが、あとから、「ちょっと私には荷が重すぎて残念ですが記事には出来ません」と謝りの電話があった。事件は闇に葬られて、子どもを食い物にする大人は未だに私の住む大分にはびこっているのだろうか。
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サムライ菊の助でござる^^
at 2012-07-20 03:35
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一気に読みました。小出さんが言うとおり、面白い!是非著書の第2版に加筆してください!売れ行き倍増間違いなし。しかし、気をつけないと、ずる賢い大人が子どもを食い物にしてしまう世の中なのですね。お祭りのテキヤの兄さんが可愛く見えます。
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nonukes at 2012-07-20 06:02
ありがとうございます。子ども編の本をもう1冊書こうかと思っています。
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サムライ菊の助でござる^^
at 2012-07-20 08:48
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是非!楽しみです!!
by nonukes
| 2012-07-19 22:07
| 反原発オヤジの子育て記
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Comments(3)