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小坂正則の個人ブログ

不買宣言がどのような影響力を与えるのだろうか

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原発と直接関係ない企業に対する「不買宣言」をやってはならないか


私が昨日の昼間に、朝日新聞6月19日の記事から「コクヨが原発を一度やめると日本は原発を造る技術を失う。だから原発拡大を」という回答を朝日新聞の100社へのアンケートに松下常務が答えた。これに対して、私は「不買宣言」をツイートしました。私は常務を社長と間違って表現しましたので訂正をしました。ただし、社長と常務を間違っていましたが、このコメントが常務の個人的な意見だと思ってはいません。常務は経営陣のナンバー3の人間ですから、会社を代表する意見だと私は考えます。だから私が書いた文章の内容が間違っているとは思っていません。
ただ、皆さんからこのような「不買宣言」を懸念するご意見がありました。その意味は「コクヨの不買運動を行うというのは言論の自由や商売の自由を脅かすし、恐怖社会をつくることになるのではないか」という不安からのご指摘だと思います。以下の意見は私の個人的な見解ですが、私の考えを表明します。

言論の自由とはなにか

フェイスブックにより、この春にはアフリカの独裁国家が次々に倒されました。残りはリビアだけだと言われるくらいの大きな力に市民が発する情報が国家権力をも倒す力になったようです。これまで日本ではマスコミの良識やNHKの中立というわけの分からない論理で真実が隠されてきました。もともと中立など存在しません。あるのは「被害者と加害者のそれぞれの意見を対等に表明する権利を保障する」ということだけです。この論理がアメリカなどのマスコミではしっかり担保されている場合が多いと聞きます。
なぜなら強大な権力を持った国や企業は、特に大企業は金の力で事実を押し曲げて、私たちの脳裏に大量のニセの情報を叩き込んできたのです。しかし、それも言論の自由として認めて、片や私たち被害者の側の反論権は保障されないまま「言論の自由」という単純な概念だけが一人歩きをしているのです。
確かに1971年沖縄返還協定の防衛機密を入手した毎日新聞西山記者のような方(記者としての第四の権力を持っている人)のスクープを記事として発表することなどの場合のみに「言論の自由」が対等に議論できるのだろうと思います。
私たち市民の言論をどう保障するのかという場合には、言論の自由だけでは不十分で、それだけでは言論の自由は担保されません。私たち弱者の「反論権」が保障されなければならないのです。

私たちに必要なものは反論権と生存権だ

私たちは企業が間違った考えで宣伝広告を流しても反論は出来ません。個人的な攻撃であれば名誉毀損で訴えられますが。それ意外には何も出来ません。しかし、それで本当にいいのでしょうか。ソフトバンクの孫正義氏が4月22日の会見で「私はこれまで騙されていた。原発がこれほど危険でウソで塗り固められていたものだとは知らなかった」と表明して脱原発をすすめると発言しました。なら、そのような今日まで私たちを瞞してきた、マスコミや公教育などを使って情報操作を行ってきた犯人はいったい誰なのでしょうか。
私たちの社会に巣くうどす黒い巨大な犯人集団こそ解明しなければ、私たちの言論の自由もクソもないのではないでしょうか。
日本では反論権など認められていないので、私たちは強大な企業に対しては相当な覚悟と徹底した権利意識を持ちながら闘わなければ、それこそ抹殺されてしまいます。そして、その反論権の1つがフェイスブックやツイーターによるネット情報の流布だと思います。この権利をみすみす紳士的な自主規制で私たちが行使しなければ、せっかくの私たちに与えられた有効な反論権という武器を使わず白旗を揚げることになるのです。

私たちには放射能に汚染されないで生き延びる権利があるのだ

私はコクヨというていたらくな会社があろうとなかろうと知ったことではないのですが、こんな会社が私たちが必死で闘っている横から、いいかげんな理論を振りかざすことについてはきちんと反論する権利があるのです。なぜなら私たちは生きる権利があるからです。以下の文章は6.11の新宿前で警官の解散警告を無視して表現の自由を闘い取った若者への熱い連帯を表明をした高山弁護士の書いたブログです。

「51年目のスイッチ」弁護士 高山俊吉

6月11日の新宿中央公園からのデモは長丁場でしたね。午後3時過ぎに公園を出発してアルタ前は6時近く。主催者はさっさと解散っていう雰囲気。
私たち6人は近くで食事をしてまたアルタ前に戻った。現場は完全な飽和状態。
青い制服の警察官でいっぱい。ゲリラ的なリレートークが続いているが、警察官がどんどん増えて解散を迫っている。司会者の後ろの生け垣の上にも警察官たちがいる。
「俺たちには表現の自由がある」と絶叫する青年。
「表現の自由」
この言葉を聞いて私にはかちっとスイッチが入ってしまいましたね。何かがおりてきてしまった。「しゃべらせろ」「何でもしゃべらせろ」とどなった。
予定の進行から外れることで困ったような顔の司会者が「どうぞ」と私にマイク。
「何だこのざまは。ふざけるんじゃない。
警察官の君たちも被曝しているんだぞ、君たちの家族も被曝しているんだぞ。
原発反対を言っているみんなは君たちの命を含めてみんなが死なないようにがんばっているんだ。
東電の味方をして自分がもっと被曝したいのか。恥を知れだ。君たちは今何をしているのかわかっているのか。
私は弁護士だ、法律家だ。いま表現の自由という言葉を聞いた。
法律家として私は断言する。そのとおり、みんなに正義がある、彼らには絶対に正義がない。
生きるか死ぬかの話の時に、何の規制か、何のルールか。
私は弁護士として言う。みんなにはいうべきことを言う権利がある。そしてみんなに言いたい。
政府も財界も司法権力も御用学者もみんな全然信用できない。政治家はもちろん信用できない。このとんでもない社会を根本から変えてゆくのは若いみんなだ。皆さんがこの社会を根本から変えてゆく。
法律家が言うべきを言わないでいることを私は詫びる。でも、力の限りがんばろうとしている弁護士も少なくない。力をあわせてこの状況を根本から変えていこう。彼らに暴走させてはいけない。彼らが暴走すれば、ここはチュニジアやエジプトに必ずなるぞ。一緒に闘おう。以上です。」
と、こんなことを話した(ような気がする)。いい爺さんの絶叫。しゃべった時間は5~6分かな。
話が終わったら完全なもみくちゃ状態。握手をしようというみんなにどっと囲まれました。
若い夫婦と子どもさんが寄ってきて、これも握手。「お嬢さんもご一緒なんですね」と言ったら、「マスクをさせていてわからないでしょうがこれは男の子です」と。そりゃごめんなさい。
「名前を教えて下さい、逮捕されたら頼みます」という青年。
外の何人もが「名前を教えて下さい」口々に。
タハリール広場とまではとても言えないけれど、アルタハ広場くらいの感じはしましたね。
後で一緒にいたS弁護士が「おおぜいいた警察官がいつの間にかすっと消えてしまった」と。
私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。
しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。
51年ぶりです。
タハリール広場にも51年ぶりのお爺さんがいたんだろうなぁ。
(高山弁護士の了解を得て転載しました)



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Commented by 消費者 at 2011-08-21 18:41 x
何を買うかは消費者の自由ですから、私はコクヨ製品を買いません。
デモをしても署名をしても無視されて、国や大企業の都合で勝手な真似をされる世の中で、消費者は消費行動で意思表示するしかないのかもしれません。
原子力産業関連企業とそれを是とする企業の製品は一切買わない。みんなで買わない。これが我々消費者に残された最後の手段だと思います。
by nonukes | 2011-06-20 14:46 | 脱原発大分ネットワーク | Comments(1)

  小坂正則

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