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小坂正則の個人ブログ

侮辱罪改正案は政治家や公務員への批判をさせない言論封殺法だ


「安倍は嘘つきだから国会議員をやめろ」と言えば侮辱罪で禁固刑可能
小坂正則


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侮辱罪改正で安倍晋三への悪口は逮捕が可能

5月11日の東京新聞「政治家への批判委縮・侮辱罪での国会論戦」に以下のように書いています。
「閣僚や国会議員を侮辱した人は逮捕される可能性があるか」。4月27日の衆院法務委員会で立民の藤岡隆雄氏は、二之湯智国家公安委員長にただした。最初は「ありません」と明言した二之湯氏だが、次第に「あってはならない」と表現を弱め、最後は「逮捕される可能性は残っている」と答弁を転換。藤岡氏は「とてもこのままでは容認できない」と批判した。
 政府案は、「拘留(30日未満)または科料(1万円未満)」となっている現行の侮辱罪の法定刑に「1年以下の懲役・禁錮もしくは30万円以下の罰金」を加える。ネット上の誹謗中傷が社会問題化する中、厳罰化で抑止力向上につなげる狙いがある。衆院法務委で4月26日に行われた参考人質疑で、一昨年に交流サイト(SNS)上で中傷を受けて亡くなったプロレスラー木村花さん=当時(22)=の母響子さんは「言論の自由に重きを置くなら、それに見合った責任を伴わせてほしい」と訴えた。(ここまで引用)
東京新聞の記事によると国会答弁で国家公安委員長が「閣僚や国会議員を侮辱したら逮捕される可能性はある」と言ったのだから、こんな恐ろしいことはありませせん。まるでロシア市民が「ウクライナへの侵攻をやめちろ」と言って逮捕されるように、また戦前の特高警察の時代に逆戻りします。ではなぜこれまでの「侮辱罪」の「拘留30日未満」が禁固1年以下に変わっただけで何が大きく変わるのでしょうか。
今までの法律で定められている「拘留」は、1カ月未満の期間、役務なしで拘留場に留置される刑罰ですが、このための専用の施設がなく、有名無実の法律です。しかし、侮辱罪が改正されたら普通の刑事犯罪のように逮捕拘留から起訴されて裁判で禁固刑が確定して刑務所へ送られるのです。

名誉棄損罪と侮辱罪の違い

「侮辱罪」という刑法は適応されることが少ないのであまりよく知られていません。実は刑法上の「侮辱罪」と「名誉棄損罪」は大きく違うのです。
刑法には人の名誉や尊厳を傷つける罪として名誉毀損(きそん)罪(3年以下の懲役など)があるが、条文や判例によって、指摘された事実が公共の利害に関わり、公益を図る目的があり、内容が真実もしくはそう信じた相当の理由が認められる場合は罰せられない。また、公務員や選挙の候補者の名誉を傷つけても、真実であれば罰しないとする明文規定もある。(東京新聞引用)
とあるように、公共の利益があり、公益を図る目的で「安倍は嘘つきだから国会議員をやめろ」と言っても、安倍は19年11月~20年3月に国会答弁を118回嘘の答弁をしたのは事実ですし、特別職公務員の国会議員の名誉を傷つけても罰せられなかったのです。しかし、「侮辱罪」は公共や公益を図る目的や公務員に対しての例外などもないのですし、「侮辱」を規定する概念が曖昧なので、恣意的に使われる可能性が大なのです。
例えば「安倍はバカだから国会議員をやめろ」とか「安倍は嘘つきだから国会議員をやめろ」と言っても相手がそれを侮辱と取れば侮辱となりえます。発言した本人が正当な意見のつもりで発した批判でも、言われた相手にしてみれば侮辱とも感じられる事があるでしょう。特に安倍晋三は自尊心だけは人一倍強い人間ですから、そんな発言を安倍の前ですれば彼は「侮辱罪」で告訴するかもしれません。そうなったら発言者は逮捕されて最高懲役3年罰せられるのです。
ですから日本ペンクラブは「侮辱罪が表現行為を罰するものである以上、厳罰化によって言論・表現の自由が不当に制限されることはあってはならない」と声明を出すなど、懸念も指摘されているのです。

国民が政治家に公然と批判できなくなる

3月25日に札幌地裁で、安倍やめろと言って警察に排除された「札幌ヤジ裁判」の判決で、原告が全面勝訴した裁判でしたが、実はこの裁判は高裁に移ってこれから再度争われるのです。しかし、高裁でも同じような判決が出るかは分かりませんし、最高裁に移ったら、きっと札幌地裁のような素晴らし判決は出ない可能性の方が高いでしょう。なぜなら第一次第二次安倍政権によって指名された最高さん判事は15名中10人に及ぶのです。残りの5名は菅政権です。ですから安倍晋三が選んだ10名がみな右翼的な判事かどうかは知りませんが、決して国民の側に寄り添う判事が大半だとは思えません。じつは高裁判決が最も重要なのです。高裁判決を覆して最高裁に上げるには条件があります。憲法上著しい齟齬がある場合でしか上告できないのです。もちろん地裁段階でも憲法上の判断を下したのですから最高裁まで行くかもしれませんが。
この「侮辱罪」は安倍晋三への国民の批判を鎮めるために官邸が準備して来たのではないかと考えます。なぜなら菅政権にも岸田政権時にも首相の演説中に聴衆が公然とヤジを飛ばしたことはありませんし、これまでの歴史上にもほとんどありません。しかし、2017年7月1日の秋葉原で、東京都議選の演説で安倍晋三首相は大勢の聴衆のヤジに対して「こんな人たちには負けるわけにはいかないのです」と、首相にはふさわしくない発言をしています。本来なら首相は反対する国民も含めて全国民のために政治を行うのですから、「そこで私への批判をしている方々も含めた国民のためにもこの選挙へ皆さんの関心と都民の投票をお願いしたのです。野党も与党も共に頑張りましょう」と言えば首相の肝っ玉の太さが示されたのです。しかし、小心者の安倍晋三はその真逆の発言をしました。それから安倍官邸は警察官僚を次々に要職につけて、警察国家に作り上げようとしてきたことの一環ではないかと私は考えています。
沈黙するNHKなど御用マスコミをたたき起こそう

今年の参院選は6月22日告示、7月10日投開票の予定です。すると告示まで僅か2ヵ月しかありません。それにしては選挙の争点もほとんどありませんし、NHKは国会中継も意識的にやってません。昨年秋の衆院選の前日のNHKでは衆院選特集の番組は全くありませんでした。翌日の日曜日に衆院選投開票があることを忘れているようなテレビ番組でした。今国会の最も重要な争点は、「侮辱罪」に「敵基地攻撃能力」や「核武装」に「防衛費をGDPの2%以上に引き上げる」「緊急事態条項」が必要なのかなど「憲法改正」の是非など重要課題は山積みなのです。夏の参院選挙を国民の関心を呼ばないで低投票率にして与党を勝たせようとしているかのようなNHKなどの忖度マスコミの尻を叩いて有権者の選挙への関心を奮い立たせようではありあせんか。

まだやれることはたくさんある

5月19日に衆院本会議で自民党・公明党・維新・国民民主党の賛成多数で可決しました。反対したのは立民と共産党とれいわくらいでしょう。これからは参院で審議されます。まだまだできることはたくさんあります。日本ペンクラブなどの批判を受けても、まだまだ国民の多くが「侮辱罪」の問題を知ってはいません。参院選の争点の1つとして立憲野党と協力しながら、「侮辱罪」の廃案と参院選のために野党と市民が協力して国民有権者への関心を高める行動を取ろうではありませんか。


# by nonukes | 2022-05-19 17:12 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

コロナとウクライナ戦争の春闇に国民が国家権力に勝つ

広瀬孝裁判長「憲法で保障された表現の自由が侵害された」原告全面勝訴
小坂正則


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3月25日札幌地裁で全面勝訴を告げる原告団と弁護団のみなさん


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記者会見を行う原告の2人



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右傾化社会の中、土俵際で立憲主義の判決が出た

 3年前の参院選で、札幌市で演説中の安倍晋三首相(当時)に1言か2言の「安倍やめろ」「増税反対」というヤジを飛ばした男女が、北海道警の警察官に強制的に排除されたことは「表現の自由を侵害された」として損害賠償を求めて札幌地裁で争われていた裁判で、3月25日、札幌地裁(広瀬孝裁判長)は「原告らの表現の自由などが違法に侵害された」として、北海道に慰謝料など計男性に33万円女性に55万円を支払うように命じました。女性が20万円多いのは婦人警官が1時間余りも執拗に付きまとった行為がが移動・行動の自由などの侵害にあたると認めたためです。
この判決に原告の男性(34)は「こちらの主張を100%認めてくれた」。原告の女性(26)は「いまの社会で見えない制限がかけられている表現の自由について、これでもかっていうくらい認めてくれた」と喜んだと、朝日新聞は伝えています。

私たち現政権に批判的な有権者に120%の勝利だ

この判決について、広瀬孝裁判長は「政治に関する表現の自由は、民主主義社会において『特に重要』とした上で、ヤジは『公共的な表現行為』だとして、「憲法の保障された表現の自由が侵害された」としたのです。また、目を引くのが警察の排除を「表現行為の内容が街頭演説の場にそぐわいと判断し、表現行為そのものを制限した」と、認定したのです。つまり、国家権力によって、「この表現は良くてこの表現は悪い」と恣意的に決めつける権利は警察にはなないのであり、表現の自由は国民の固有の権利だから国家権力が介入することは許されないというのです。
一般的にヤジを発する人に対して、周囲の人は「迷惑行為」だとか、「うるさいから静かにしろ」と言って道徳に反する行為だと批判されることが多いのですが、この判決で裁判長が認めた「ヤジは表現の自由だ」として「憲法上認められる」としたのです。ただし、公職選挙法では候補者などの演説が聞こえないほどの大きな声でヤジを飛ばすことや、演説に対する妨害行為は「公職選挙法違反」や「警察官職務執行法」によって違法行為となります。また、今回の裁判で争われたのはことの画期的な意味として専修大学の内藤光博教授は「多数派の表現の自由は、憲法が保障しなくても認められることが多いだろう。しかし表現の自由というのは、少数者の意見表明を保障することが最大の目的だ。それを封じ込めた排除に、判決が待ったをかけたといえる」と話しているのです。
また、同教授は「東京・秋葉原で演説中だった安倍晋三首相(当時)が、政権批判の声を上げた市民らに『こんな人たちに負けるわけにはいかない』と発言したように、近年は政権批判を封じ込める傾向にあった。その中で判決は言論の自由の重要性を再評価した。規制へ歯止めをかけ、少数者の市民運動の力になるだろう」と語っています。

国家権力はいつでも国民の自由を奪おうとする

新人の警察官は警察学校で「人を見れば泥棒と思え」と教えられるそうです。私が若いころ、三里塚空港建設反対集会などに参加するときに、よく警官から職務質問されて「カバンの中を見せろとか、どこに行くのか」と嫌がらせを受けたものです。警察は犯罪の防止と、社会の平安や治安維持を目的として、大勢の人が集まる場所では人々の行動を規制することがあります。多くの人が集まり、少数の過激な行動を取る者が騒ぐと群衆心理が働いて、若者などは暴徒化することがあるからでしょう。だから警察は過剰な警備をよく行います。今回の札幌道警の事件は安倍首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言し、東京都議会選挙に自民党が負けたことで、官邸が警察官僚に「ヤジを取り締まれ」と指示した可能が高いのです。そして同じ日の別の場所でも「老後の生活費2000万円貯金できません」というプラカードを掲げようとした女性に警官が両手を上げて見えないように妨害したそうです。この日は明らかに札幌道警は違法な過剰警備をに行っていました。

国民の自由や権利は国家と闘い続けなければ守ることはできない

私たちの「権利」は日本国憲法の条文にあるだけでは無力です。国民の自由や権利を神棚や床の間に飾っていたところで、私たちの自由や権利は守られません。権利は行使しなければ有名無実なのです。よく、「日本は自由に国だ」とか言う人がいますが、私たちの「基本的人権」や「表現の自由」など国民の権利は、国家権力の圧力に屈しないギリギリのたたかいをたたかっている人たちによって守まれているのです。もし、今回の勇気ある2人の若者が「札幌ヤジ裁判」を起さなかったら、このような素晴らしい判決が出ることもなかったのですし、首相へのヤジは暴力的に排除される続けたでしょう。そして私たち国民の「自由」や「基本的人権」も警察の拡大解釈によって次々と奪われ続けていたことでしょう。お二人と彼らを支えた弁護団の3年間の長いたたかいと、膨大な時間を費やして闘った結果が、私たち国民の側に大きく「表現も自由」の権利を引き戻してくれたのです。
ただ全てのヤジの自由が認められたわけではありません。右翼がよくやる街宣車で共産党や立憲野党の選挙カーの選挙演説を妨害するような「公職選挙法」で禁止されている大音響で演説者の声が聞こえないような大音量のヤジは憲法でも保障されてはいません。今回の安倍首相への批判の声はたった一人で声を出しただけの若者の叫びだったのですから、それを排除するなど社会通念上過剰警備のことは札幌警察署でもよくわかっていたはずです。

国民の基本的人権を奪う自民党の憲法改悪を阻止しよう

このような素晴らしい裁判長がいたから、私たちの自由や権利はギリギリの土俵際で守ることができました。しかし、この判決の基礎となる「日本国憲法」が瀕死の重傷です。憲法9条を改悪しようとする安倍晋三元首相の自民党から維新や国民民主党など憲法改正派が国会議員の2/3以上いるのです。そんな改憲派が今どのような改正案を出してきているのかを監視する必要があります。
現行憲法13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、「公共の福祉」に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。それが自民党改憲案では「公共の福祉」のそこだけが「公益及び公の秩序」と置き換わっているのです。それでは「公共の福祉」と「公益・公の秩序」とでは、どこがどう違うのでしょうか。これは大違いなのです。
私たちにとっては「公共の福祉」と言われてもピンときませんよね。これは「他人の人権侵害をしない範囲」と思えばいいでしょう。私の自由は他人の人権やプライバシーの侵害などを行わない範囲で自由が認められているのです。しかし自民党の「公益及び公の秩序」は全く別物です。
「公益」は国の利益です。「公の秩序」とは国家の安全のためです。つまり、このような改憲案ができてしまえば、「一国のトップである首相が演説をしているのにヤジを飛ばすとは何事か。そんな不遜な人間は日本国にとって不心得者であるから奴の自由など与える必要はない」と警察官によって逮捕されるでしょう。国益や秩序という国家権力の恣意的な運用ができる概念ではどうでも変えられるのです。自民党の改憲案が通れば日本人のこれまであった自由は奪われてしまい、結局は中国やロシアのような独裁国家になり下がってしまうでしょう。今回の「表現の自由」が守られたのは日本国憲法が国家を縛る法律だからです。日本国憲法だけが国家を縛る国民と国家との約束事なのです。ところが自民党の危険法案はことごとく国民を縛る法律に変えようとしているのです。

ロシアや中国はなぜデモや政権批判すれば逮捕されるのか

ロシアでも中国でも憲法には「表現の自由」や「基本的人権」などが認められているでしょう。しかし、一番違うのが「国家反逆罪」や「国家転覆罪」という国家権力が恣意的に理由付けて逮捕される曖昧な法律があるから、独裁者が「お前は反国家的は発言をした」と言えば逮捕できるのです。憲法にいくら自由や人権が謳われていたとしても、それを否定する「国家反逆罪」などがあればすべてを打ち消すことができるのです。自民党の「緊急事態条項」の新設案がありますが、これはドイツのワイマール憲法にもあったもので、それを悪用してナチス・ヒットラーが共産党など野党を国会から排除して次々と与党だけで法律を通して独裁国家を作り上げたのです。しかし、独裁国家はいつかは自滅するでしょう。民主主義が最高の統治機能であるかはわかりませんが、人間には内面の自由は持って生まれた普遍的な権利だと私は思います。
私たちは日本国憲法という、世界に自慢できる憲法があるのです。米国の進駐軍が日本に押し付けた憲法であったとしても、自民党の安倍晋三など反知性主義者の唱える、大日本帝国憲法のような復古主義憲法に、現行憲法を書き換えを許してはなりません。
私たちは何としても世界に誇れる日本国憲法を守りましょう。


判決要旨

 街頭演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした男女2人を排除した北海道警の行為が表現の自由を侵害したなどとして、道に賠償を命じた25日の札幌地裁判決の要旨は次の通り。

 【原告らを排除した道警の行為は違法か】

警察官らは、街頭演説中に「安倍辞めろ」「増税反対」などと声を上げた原告らの肩や腕をつかみ、演説場所から移動させるなどした。
警察官職務執行法は、警察官は人の生命もしくは身体に危険を及ぼすおそれがあり、特に急を要する場合には、必要な限度で危害を受けるおそれのある者を引き留めたり避難させたりできると定める。
被告の警察官は、「聴衆から原告男性への怒号が上がるなどしていたため、危害を受けるおそれがあった男性を安全な場所まで避難させたのだ」と主張する。しかし、当時の動画を見ても、男性への「うるさい」などの発言は全く録音されていない。男性が声を上げてから警察官が男性の肩などをつかむまでは10秒程度で、そのわずかな間に小競り合いがあったようにはうかがえない。原告女性を移動させた行為についても、当時の動画を見ても、女性が声を上げた時点で聴衆が騒然とした状況にあるようには見えない。
警察官らによる原告らへの行使は警職法に反する違法なものだと言わざるを得ない。

【道警の行為が原告らの表現の自由を侵害したか】

「安倍辞めろ」「増税反対」などと声を上げていた原告は、いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為である。それに対して警察官は原告の表現の自由を制限したというべきである。表現の自由は無制限に保障されるものではないが、原告の表現行為は差別意識や憎悪を誘発するような違法性のあるものではなく、選挙演説自体を事実上不可能にさせるものでもない。原告らの受けた警官による制限がやむを得ないものであったと解することは困難だ。

【道警の行為が移動・行動の自由などを侵害したか】

そして警察官らは徒歩で移動していた原告女性に対して長時間のつきまといに及び、移動の自由を侵害した。こうした行為は通行人らに女性が不審者であるとの印象を与えるもので、女性の社会的評価を低下させ、名誉権を侵害した行為である。


京都大学の毛利透教授(憲法学)にる判決の特徴
以下は朝日新聞引用

――判決をどう見るか

 「当時の現場が危険な状況だったか、という事実関係が争点だった。原告側の主張通り、具体的な危険がなかったと認めた。動画が撮影され、客観的な証拠が残っていることが大きかった」

 ――広瀬孝裁判長は「原告2人の表現の自由が侵害された」と明言した

 「警察官の排除が違法だとしても、憲法判断をせずに賠償を命じることもできた。裁判長は、あえて表現の自由に触れた」

 「2人の表現活動が除外されたことに訴訟の本質があり、社会的に重要な問題だと考えたからだろう。2人が被った損害の大きさを示すために表現の自由に触れたとみることもできる。ヤジが『公共的な表現行為』だと明言したことにも意義がある」

 ――女性については、警察官に長時間つきまとわれ、移動・行動の自由や名誉権、プライバシー権を侵害されたと認めた

 「不審者のような印象を通行人に与えたとして名誉権の侵害を認めた点については、かなり踏み込んだ判断といえる。また、訴訟では争点になっていないが、そもそも警察官による2人の排除自体が移動・行動の自由を侵害しているといえるのではないか」

 ――判決が社会に与える影響は

 「危険な状況がないのに排除はできない。そんな当たり前の前提が時の首相の演説の場合に覆される危惧があった。どんな場合でも警察は法に基づいて職務を遂行すべきだと確認できた。市民運動よりも警察官の職務に影響を与える判決だ」



専修大学の内藤光博教授による判決の特徴

 ――判決をどう評価するか

 「憲法学の立場から、極めて高く評価できる判決だ。表現の自由について適切に理解した判決になっている。政治に関する表現の自由は、民主主義社会において『特に重要』とした上で、ヤジを政権批判とみなし、『公共的な表現行為』だと明言した」

 ――訴訟では、警察官の排除が警察官職務執行法に基づき適法といえるかで議論が終始した

 「それにもかかわらず、表現の自由の問題だと明言している。裁判長の問題意識がうかがえる。判決は警察官による排除が適法かどうか、場面ごとに詳細に検討している。社会的に重大な問題だと認識したからだろう」

 「訴訟では争点になっていないのに、『念のため検討して』原告2人のヤジが公職選挙法上の自由妨害罪やヘイトスピーチ、犯罪行為の扇動にあたらないと指摘している。これは2人のヤジが公共の福祉に反していないと示すもので、抜かりがない」

 ――その上で、排除が表現の自由を侵害したと結論づけた

 「判決は、政権批判の意見を封じ込めたと推認せざるを得ない、という趣旨のことを述べている。妥当な判断だ」

 「多数派の表現の自由は、憲法が保障しなくても認められることが多いだろう。表現の自由というのは、少数者の意見表明を保障することが最大の目的だ。それを封じ込めた排除に、判決が待ったをかけたといえる」

 ――女性への排除については、警察官が長時間つきまとったことが移動・行動の自由などの侵害にあたると認めた

 「ヤジやデモなどの政治的表現は、現場まで移動しなければできない。その意味で移動・行動の自由は表現の自由の基礎をなす。それを制限された女性の損害は、男性より大きいと判断している」

 ――判決の影響をどう考えるか

 「東京・秋葉原で演説中だった安倍晋三首相(当時)が、政権批判の声を上げた市民らに『こんな人たちに負けるわけにはいかない』と発言したように、近年は政権批判を封じ込める傾向にあった。その中で判決は言論の自由の重要性を再評価した。規制へ歯止めをかけ、少数者の市民運動の力になるだろう」(聞き手・平岡春人)



# by nonukes | 2022-03-27 16:35 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

私たちはロシア市民と真逆のプロパガンダに洗脳されてはいないだろうか?

歴史の真実は1つではない。自分の立ち位置で真逆になると私は知った
小坂正則
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独立運動家・安重根の義挙112年で記念式典 ひ孫も出席 (聯合ニュース)


私が韓国独立記念館で体験したこと

1994年のノーニュークスアジアフォーラム「核も原発もいらないアジアフォーラム」韓国第2回大会に私は参加しました。第1回目の総会は東京で開催されたのですが、それは1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて、日本でも韓国でも台湾でも反原発運動が盛んになっていくころに、東アジアの各国の市民が連帯して一緒に反原発をたたかおうという、全く市民だけの運動でした。現在でもこの動きは続いています。
そこで、第2回目の韓国集会は主催者による韓国周回ツアーが企画されていました。私はソウルから釜山までの4日くらいの参加でした。
初日のコースはソウルでは総会が開催されました。私たち英語がほとんど話せない参加者は途中で逃げ出してソウル見学などした楽しい思い出があります。そして総会が終わって韓国一周ツアーが始まったのですが、そこで最初に訪問したのが、韓国独立記念館でした。この記念館の展示は古代、近代、現代のような展示だったと思います。古代は朝鮮民族の歴史です。近代だと思うのですが、そこの展示の最初に大きな人物の写真が飾られていたのです。その人物は自由民権運動の父と言われる伊藤博文氏を銃撃した殺人者案重根(アンジュンコン)と私たちが歴史の教科書で習った「殺人犯」でした。その人物が韓国の英雄なのです。壁いっぱいに彼の写真が飾られていたのです。それは日本が朝鮮半島を植民地にして、朝鮮半島の人々を支配した日本帝国主義国家に対して独立運動の代表的な英雄だったのです。
私はこれまでの日本人として当たり前に考えていた歴史的真実が韓国では真さかさまになっていることを知ったのです。これは大変ショッキングなことでした。私は自分の子どもたちに「いつか韓国に旅行に行くことがあったら独立記念館には行ってみればいいよ歴史教科書がさかさまなのを学べるよ」と話しています。もちろん日本の教科書、あるいは韓国の教科書が間違っているなんて言いたいのではないのです。それぞれの立場によって歴史は真逆にも中間にも見えるのだということを学べればいいのです。

9.11テロ事件でも同じことを感じた

それから7年後の2001年9月11日の米国貿易センタービルへのビンラディン一味によると言われているテロ事件が起きた時に経験したことです。私はこの事件を連日のようにテレビを通じて見入っていました。なぜこんな酷いことを行うんだろうと。過激派への怒りに震えていました。ところが中東のアルジャジーラ放送局の映像が民放のニュースで流れたのです。その時映像はパレスチナの市民やこどもたちが万歳、万歳と両手を上げて歓喜に沸いていたのです。この映像をみて私はハタと我に返りました。そうだ。パレスチナの市民はイスラエルによって何の罪もない市民が連日のように攻撃されていて、天井のない監獄といわれるように閉じ込められているのです。そのイスラエルという小さな国の武力は米国が湯水のように与えているのです。彼らにとって敵はイスラエルですが、その黒幕は米国なのですかあら、彼らにとってはこの事件は「日頃の恨みやつらみへの復讐劇」だったのだと知ったのです。
特に日本の報道の自由度ランキングは世界67位で、先進国最低です。私たちが普通に見ているNHKや民放などに全国紙の朝日新聞だって、大したことはありません。日本のマスメディアに共通のタブーがあります。「米国や日米安保に対する批判はしない」という原則です。これまでよく言われている、裁判所が絶対に触れてはならない裁判所の常識として「原発と安全保障や憲法9条」には裁判所は介入しないという原則です。なぜなら日米安保は日本の憲法の上にあるからです。原発は国策だから触れたくはないのです。しかし、2011年の福島原発事故以後、原発に関しては最高裁以外は結構自由になりましたは、日米安保に関係する裁判には裁判所もマスコミも一切立ち入りません。

ニュートラルになることは難しい

私は自分の住んでいる地域の皆さんから「小坂は共産党だからねえ」と陰で日向でよく言われます。私が「脱原発」や原発裁判をやっていたり、田舎に住んでいるにしては自由に自分の思っていることを発言するからです。田舎では多くの人は同調圧力が強くてみんなの前では黙っています。影ではいろんな不満などは言いますが。私がある大分の地方で脱原発の講演会に呼ばれた時のことでした。「皆んさん電力自由化になったんですから、九電から自由に新電力に代えてもいいんですよ」と話したら、私を呼んでくれた主催者の1人の方が、「私も電気を変えたいとは思うんですけどね。この村は周りの人と変わったことをするとうるさいからねえ」という発言がありました。その方は反原発派の私たちの仲間なんですが。そんな同調圧力の中で私たちは暮しているんです。
人と変わったことをすることは許されないという空気が、この国には蔓延しています。だから自民党などの保守政権が維持できているんです。
私も含めて日本人と言われる多くの人は進駐軍からもらった色眼鏡(サングラス)をかけていて、それで世間を見ています。NHKも朝日新聞も全てが色眼鏡を通して私たちは見ているんです。それを外せばいいんですが、実はその色眼鏡は透明で誰にも見えないしさわれないんです。だから私はこう考えることにしました。進駐軍にもらった色眼鏡は私の力では外せないので、「えいっい!もう外すことは諦めて、色眼鏡をかけているんだということを忘れずに見ることにしよう」と。そしたら随分楽になりました。

人はいろんな色眼鏡をかけていることを認め合えばいい

韓国の人は韓国の色眼鏡をかけていて、私の眼鏡とは色がすくし違います。だから私と意見が少し違うでしょう。北朝鮮の人はもっと濃い眼鏡です。ロシアの市民はプーチン色の強い色眼鏡です。さてそれだったら、ウクライナの方とロシアの方の眼鏡の色が違うんだから簡単には理解しあえないかもしれませんね。でももしかして「多様性の尊重」というもう1つの色眼鏡をかけたら、ひょっとして共通の色が見えるかもしれません。そして解決策を話し合えるかもしれません。そうです。眼鏡は外せないんです。だから「ダイバシティー」という眼鏡をかけることで話し合いや解決策を見つけることができるかもしれないのです。







# by nonukes | 2022-03-23 12:48 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

戦争やりたかったらプーチンとゼレンスキーと2人で死ぬまでやればいい

ゼレンスキー大統領はプーチン以上の独裁者だ!ウクライナに残った市民は武器を捨てて逃げて
小坂正則


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ゼレンスキー大統領はコロモイスキーの操り人形

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コロモイスキーとピンチュークの2人は
ウクライナの2,3番目の大富豪で彼らが戦争を仕掛けた


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2014年のウクライナオレンジ革命でネオナチや私兵のスポンサーがコロモイスキー

独裁者に平和憲法の国会を汚させてはならない

私は昨日から国会でウクライナのゼレンスキー大統領の演説について鮫島浩氏の「サメジマタイムズ」やIWJの岩上安身氏の「ウクライナのゼレンスキー大統領とは何者か」の動画を見て考えました。ぜひ皆さんも見てください。ゼレンスキー大統領はウクライナのネオナチのスポンサーであり、コロモイスキー氏の代理人なのです。コロモイスキーという人物はウクライナの3番目の富豪で、ピンチュークは2番目の富豪。この両者によってこの政権は支えられているのです。しかもこの2人はユダヤ人だがネオナチのスポンサーで民族主義の反ロシア派の人物なのです。2014年のオレンジ革命で親ロ派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領をオレンジ革命の平和的なデモをネオナチなどの介入でデモ隊を暴徒化させて暴力的に大統領を失脚させたのです。
こんな連中が役者を使って、自身の経営するテレビ局で一介の教師が大統領になって次々と汚職を暴いてくと言うテレビ番組の人気スターとして名前を売って本物の大統領に仕立て上げたのがゼレンスキー大統領なのです。

ゼレンスキー大統領は若者を戦場に無理やり送り込むな

ゼレンスキー大統領の背後の資金源や組織などは専門家に任せます。これから次々と人脈などが出てくるでしょう。214年のオレンジ革命にはヒラリー・クリントン氏や当時のバイデン副大統領も関与していたそうです。
私はゼレンスキーのもっとわかりやすい悪事を指摘します。それは「国民総動員令」のことです。戦前の日本軍国主義国家にもおなじような法律がありました。「国民総動員法」という法律があったそうです。これによって赤紙(召集令状)が来たら日本の健康な若者の男性はみな戦場に駆り出されて、多くが死んでいったのです。ロシアも徴兵制があり、今回無理やり戦場に送り込まれて死んでいる若者がいるそうですが、多くの若者やロシアの知識人など、国外に逃げ出すだけの金のある家族は国外脱出をしているそうです。しかし、ウクライナの家族には、これまで幸せな家庭を破壊されて、夫は国に残り戦争に駆り出されるのです。逃げることが許されるのは女性と17歳以下の子供たちと高齢者の男性だけです。
なぜこんな独裁的な非道が許されるのでしょうか。独裁者の国家だったイラクのフセイン大統領でも、こんな若者たちを強制的に戦争に無理やり送り込むことなどしていません。私に言わせれば、人類の長い歴史の中でもきっと日本の軍国主義とウクライナのゼレンスキー政権くらいではないのではないかと思います。
よく考えたら、プーチンよりもゼレンスキーの方が自国民からしたら悪人なんっじゃないでしょうか。
こんな極悪人になぜ日本の国権の最高決議機関の国会で演説をさせるのでしょうか。私は断固としてこんな独裁者に平和憲法の国会の自由の空間を汚させたくはありません。

ロシア・ウクライナの兵士は武器を捨てて逃げて

誰でも死にたくはありません。それも自分から国のために死んでもいいという人はいるかもしれませんが、私は臆病な人間ですから日本を仮想敵国が攻めてきたら、真っ先に家族で安全な国に逃げ出します。生命さえあればまたいつか祖国に帰って、1からやり直すことだってできるかもしれません。かっこよく死ぬのはまっぴらです。
恋人と別れ離れになって、戦場でひとり涙に暮れている若者がいるかもしれません。幼子の手を引いて国外に脱出した妻はどんなに心細いでしょうか。高がNATOに加盟するかどうかなどどうでもいい対立で戦争して、家族の幸せを大統領といえども破壊する自由はありません。
武器を捨てて若者は今すぐにキエフからウクライナから彼女を連れて逃げ出してくれ。生き延びてくれ。ゼレンスキー大統領に騙されるな。
ロシアの兵士たちも武器を置いて逃げてくれ。戦争なんかしたいならプーチンとゼレンスキーの2人で殴り合いのけんかでもしてかたをつければいいぞ。


「2022.3.3 【切り抜き】ウクライナのゼレンスキー大統領とは何者か!? ~岩上安身による元外務省国際情報局長 孫崎享氏インタビュー」https://www.youtube.com/watch?v=ATV2AesXyKI


コロモイスキーとは
コロモイスキー氏はユダヤ人です。アメリカで、詐欺や資金洗浄の疑いで捜査対象になっている人物。
コロモイスキーは、ウクライナの実業家、政治活動家。 2014年3月から2015年3月までドニプロペトロウシク州知事。 リナト・アフメトフ、ヴィクトル・ピンチュークらと並ぶウクライナ有数の富豪の一人。 フォーブス誌の2019年版長者番付では世界第1941位にランク付けされた。 ウクライナ内の3番目の富豪で、2番めのピンチュック氏もゼレンスキー大統領のスポンサー。ウクライナの2番と3番の富豪がバックにいる。しかもネオナチの民族主義者のスポンサーでもある



# by nonukes | 2022-03-21 20:25 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

国会議事堂内でウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説を行わせるべきではない

日本国憲法9条は一切の武力の行使も戦力の保持も交戦権も認めていないから
小坂正則

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私たち日本国民は憲法9条によって抗戦する権利は認められていない

ウクライナ市民とウクライナのゼレンスキー政権とは別ものです。
私はゼレンスキー政権が18歳から60歳までの男性の出国を許していないことに随分違和感を感じていました。ただ自分ではそれを論理的には説明できなかったのです。シリアの市民やイラクの市民には独裁政権といえども強制はしなかったのに、ウクライナ政権は戦わない自由は与えられないのです。これって私たちには戦わない自由がない国でいいのでしょうか?
私は絶対にいやです。もし、岸田政権の元で日本がロシアや中国が攻めてきたら、私は武器を持って戦わないで逃げ出します。周りから非国民と罵られても、腰抜け野郎とバカにされても戦争はしません。
なぜなら私には日本国憲法があるからです。
日本国憲法9条は、日本国は一切の武力の行使は永久に放棄する。戦力は保持しない。国の交戦権は認めない。私にはこのような憲法9条に違反する行為はできません。だから戦争が起こらないような努力と戦争が起こった国の市民の安全や避難の手助けは積極的に行いますが、武器を持って一緒に戦うことは、日本国憲法に則っとて出来ないのです。戦争装備品のウクライナ供与は積極的に戦争を支持する行為ですし、国会でゼレンスキー大統領が演説をして日本国の国会議員がゼレンスキー大統領と一緒に戦うという意思表示をすることは国会議員が日本国憲法違反になるのです。ですから大統領による国会演説は止めるべきです。
このゼレンスキー政権の裏にはネオナチ集団が関わっているのです。
このサメジマタイムズの動画を見て目が覚めました。
このゼレンスキー政権は国民総動員でロシアと戦おうとしています。それって、戦前の日本軍国主義国家が取った1億総玉砕と同じではないですか。戦いたい人は戦ってもいいでしょうが、戦いたくない人には戦わない自由はなくてはなりません。 
それが民主主義と自由主義国家のあるべき姿です。
ただし、日本国民には戦争する権利はありませんが。皆さん。今こそ憲法前文と憲法9条を読み返してください。
そして、交戦的な発言を繰り返す改憲派の戦争に前のめりな輩や政治家に騙されないようにしましょう。
77年前の敗戦時に私たちの先人たちは多くの同胞の血の犠牲の上に日本国憲法を手に入れたのです。現代の私たちは日本国憲法の平和精神を受け継ぎましょう。そして平和憲法を世界中に広げていくことこそが日本国民の義務であり、私たち日本国民の世界への平和貢献なのではないでしょうか。

それで戦争が止められるのか?腰抜け野郎に平和が実現できるのか?

と批判されるでしょう。私は腰抜けとか非国民とののしられるのは平気ですが、ウクライナで罪もない無抵抗の女性や子どもがプーチンの率いるロシア軍に殺されているのをお前は黙って見ているだけなのか?と批判されるかもしれません。確かにそうです。でも、私はそういうあなたに逆に質問します。では、あなたが武器を取ってプーチンのロシア軍と戦って勝てるのですかと。勝つためにはもっと強力な武器が必要になって来るでしょう。そしたらプーチンはもっと、もっと強力な武器で反撃してくるのです。結局は暴力の連鎖が加速されるだけなのです。
インド独立の父ガンジーのように暴力には非暴力で抵抗するしかないのです。私たちは武器を捨てて、プーチンに話し合いによる停戦を呼び掛けて敵軍の前に座り込むしかないのです。それが非暴力抵抗運動です。
憲法9条の精神はまさにガンシーの非暴力抵抗運動の精神であり、私はキリストはよくは知りませんが、イエス・キリストの教えではないでしょうか。またブッダや親鸞聖人の教えではないでしょうか。世界中の宗教者が立ち上がることを期待します。私も「今すぐ戦争をやめろ」とプラカードを持って座り込みを始めようと考えています。



日本国憲法 前文

日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。


憲法9条
(1) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない


サメジマタイムズのアドレスです。

https://samejimahiroshi.com/politics-war-20220318/?fbclid=IwAR1ACA5SrGCoCq7wBDd13kC_8ZyAn8a6avjGoq8mh8xQOK8NBUxTJnM-0A4

私のブログにも少し書いています。

小坂正則の個人ブログ

https://nonukes.exblog.jp/29126186/



# by nonukes | 2022-03-20 23:27 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(3)