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小坂正則の個人ブログ

カテゴリ:小坂農園 薪ストーブ物語( 168 )

薪作りも終盤です。今年もいい薪が出来ました。

今年の冬用の薪作りも終わりに近づきつつあります
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積み上げた薪はこれからゆっくり乾燥させるだけです

今日はほとんど最後に近づいた薪作りを行いました。天気にも恵まれて、山と積まれていた広葉樹はほとんど薪作業が終わりました。あと少し残っている太い材はテーブルなどに加工する予定です。さて、今年の冬の薪はゆっくり乾燥させるだけです。薪を積み上げたストックヤードは広葉樹の心地いい香りを醸し出しています。薪ストーブオーナーの皆さまへこの冬はいい薪をお届けできる予定です。
by nonukes | 2013-04-26 22:23 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

311を経験した私たちは、今こそ松下竜一の「暗闇の思想」を!

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今こそ松下竜一の「暗闇の思想」を

野菜工場の続編です。
私が野菜工場批判を書いて考えたのですが、この私の考えの根拠は松下竜一の「暗闇の思想」だと思ったのです。なぜならば、彼こそ311の事故をいみじくも予言したかのようなエネルギーのとめどもない消費社会を痛烈に批判していましたし、たたかう農民や漁民の抵抗のエネルギーを「当たり前の生活を守りたい」という、その当たり前を思想として結実化させたのが松下竜一だったのです。同じ時間を共有して同じ空気を吸った、こんな幸運な人生を送ることができた私が、この遺産をどう、現代につなげることができるかを考えたら、私は、はばかることなく「今こそ暗闇の思想を」と皆さんに訴えかけたいと思ったのです。これは私の使命だと自分勝手に思っています。本当は松下さんの親友の梶原得三郎さんがもっとも適任者なのですが、私の心の中には私の松下竜一が生き続けているのですから仕方ありませんよね。

2400円で当方でも販売しています。
影書房2400円+税

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いまこそ「暗闇の思想」を  
                                  松下竜一

 あえて大げさにいえば、「暗闇の思想」ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。きっかけは電力である。原子力を含めて、発電所の公害は今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。もともと、発電所建設反対運動は公害問題に発しているのだが、しかしそのような技術論争を突き抜けて、これが現代の文化を問いつめる思想性をも帯び始めていることに、運動に深くかかわる者ならすでに気づいている。

 かつて佐藤前首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所に反対するのはけしからぬ」と発言した。この発言を正しいとする良識派市民が実に多い。必然として、「反対運動などする家の電気を止めてしまえ」という感情論がはびこる。「よろしい、止めてもらいましょう」と、きっぱりと答えるためには、もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ。電力文化を拒否出来る思想が。

 今、私には深々と思い起こしてなつかしい暗闇がある。10年前に死んだ友と共有した暗闇である。友は極貧のため電気料を滞納した果てに送電を止められていた。私は夜ごとこの病友を訪ねて、暗闇の枕元で語り合った。電気を失って、本当の星空の美しさがわかるようになった、と友は語った。暗闇の底で、私たちの語らいはいかに虚飾なく青春の思いを深めたことか。暗闇にひそむということは、何か思惟を根源的な方向へと鎮めていく気がする。それは、私たちが青春のさなかにいたからというだけのことではあるまい。皮肉にも、友は電気のともった親戚の離れに移されて、明るさの下で死んだ。友の死とともに、私は暗闇の思惟を遠ざかってしまったが、本当は私たちの生活の中で、暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないかと、この頃考え始めている。

 電力が絶対不足になるのだという。九州管内だけでも、このままいけば毎年出力50万キロワットの工場をひとつずつ造っていかねばならぬという。だがここで、このままいけばというのは、田中内閣の列島改造政策遂行を意味している。

 年10%の高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲な電力需要は必然不可欠であろう。しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効率の枠内で解消し難い。そこで電力会社や良識派と称する人びとは、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で、公害を免罪しようとする。

 国民すべての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理が出てくる。本当はこういわねばならぬのに――誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。じゃあチョンマゲ時代に帰れというのかと反論が出る。必ず出る短絡的反論である。現代を生きる以上、私とて電力の全面否定という極論をいいはしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。日本列島改造などという貪欲な電力需要をやめて、しばらく鎮静の時を持とうというのである。(中略)

 たちまち反論の声があがるであろう。経済構造を一片も知らぬ無名文士のたわけた精神論として一笑に付されるであろう。だが、無知で素朴ゆえに聞きたいのだが、いったいそんなに生産した物は、どうなるのだろう。タイの日本製品不買運動はかりそめごとではあるまい。公害による人身被害精神荒廃、国土破壊に目をつぶり、ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。

 「いったい、物をそげえ造っちから、どげえすんのか」という素朴な疑問は、開発を拒否する風成で、志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。反開発の健康な出発点であり、そしてこれを突きつめれば「暗闇の思想」にも行き着くはずなのだ。

 いわば発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝されるなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、「暗闇の思想」があらねばなるまい。まず、電力がとめどなく必要なのだという現代神話から打ち破らねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省でそれは可能となろう。

 冗談でなくいいたいのだが、「停電の日」をもうけていい。勤労にもレジャーにも加熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でもテレビ離れした「暗闇の思想」に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。私には、暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている。

(1974年3月刊 朝日新聞社「暗闇の思想を」から抜粋)(題は小坂が作りました)
by nonukes | 2013-03-19 17:04 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

松下竜一の思想を私は今につなげたい

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横浜のスターダスト計画の失敗

前回のブログの続きです。
私の考えを「小坂はよくいる自然回帰論者だね」といってくれるかもしれませんね。それとも「お前は江戸時代に帰れというのか」と。「お前がいかにノスタルジアに慕っていても現実は大量生産大量消費の現実があり、そこで労働者は賃金を稼いでいるのだ」と。私はその現状の全てを事実として認めます。しかし、それなら何でもいいのでしょうか。そこには何の矛盾もないのでしょうか。私は「現実にいま出来る最良の方法を見つけ出す努力を行うべきだ」といいたいのです。そして、「そんなに性急にことを急がなくてもいいのではないか。もっと慎重に検討して、みんなが合意できるまで十分議論を尽くしてから物事は進めるべきではないか」と思うのです。
 私が横浜市に住んでいた30年前、横浜市がゴミから資源回収を行うための事業として「スターダスト計画」という事業を実施しました。しかし、この計画は見事に失敗してしまいました。どんな計画だったかというと、当時の横浜市は家庭ゴミは可燃物も不燃物も資源ゴミも何でもかでも一緒に回収していたと思います。そこで全てのゴミを細かく粉砕して磁石や風で飛ばすなどして、資源ゴミを回収する仕組みを実施したのです。しかし、これには莫大な経費がかかり、数年で中止しました。その後、今では全国で実施されている「排出者が先に分けてゴミを出す」という、シンプルな資源ゴミの分別収集方法にとって代わったのです。今であれば当たり前ですよね。つまり、野菜工場などは太陽を遮断して電気で照明と空調をするのですから、このスターダスト計画と同じで愚かなことです。

マイカップ・マイボトルのお茶が一番環境にやさしいしおいしい

このようなエネルギーを無駄にして使うことをエネルギーのトータルコストを比較するといったり、ライフサイクルアセスメントなどと言って、リサイクルする方がコストがかかる場合もあるのです。何でもリサイクル(資源として回収する)やリユース(繰り返して使う容器など)よりもリデュース(消費抑制)の方が必要だと言われています。ペットボトルを回収して資源としてリサイクルするからペットボトルの利用は悪くないという言い方に対して、ドイツではペットボトルをリユースしています。それ以上にペットボトルを使わずにマイボトルを使う方がお金も環境負荷もかけない。このような方法をリデュース(消費抑制)というのです。だから私は皆さんにマイボトルを使うような暮らしがシンプルな暮らしだと思い提案したいのです。だって、自分で入れたお茶はおいしいし、安全ですよね。ましてやカップについだお茶を飲むというのは人生を楽しむ貴重な時間です。これが私たちの人生の中のゆとりだと思います。ペットボトルのお茶で愛ははぐくめませんよ。

自然エネルギーなら何でもいいのか

太陽光発電がブームですね。だからといって山を切り開いたり、畑を潰してメガソーラーを設置することに私は反対です。原発の代替エネルギーを太陽光で賄えばいいのでしょうか。私はそうは思いません。これまで私たちが無駄に消費していたエネルギーの使い方を見直せば原発の電気の量くらいは省エネできると私は思っています。(天然ガスコンバインド発電に既存の火力発電を順次変えて行くなども必要です)
暖房などは電気でするべきではありません。ましてやオール電化などはもってのほかです。原発の電気は不要な照明や暖房などエネルギーの種類を替えることや省エネや照明を少し暗くすることで賄えると思います。そして、残りの70%の電気を30年かけて徐々に自然エネルギーに替えるべきだと私は思います。
by nonukes | 2013-03-19 14:59 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(1)

野菜工場議論の先にあるものは松下竜一の思想を引き継ぐこと

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「野菜工場」論争の先には松下竜一の思想がある

野菜工場議論の中で、「ビニールハウスは善くて野菜工場はダメなのか」と問われたら、何ともその境界線は微妙ですが、私が言いたいのは、そういった個々の問題ではなく、原理的に農業は大地で水と空気と太陽の恵みを受けて作るという自然の営みであって、その原則を逸脱するような工業製品を作るような化石エネルギーを投下する生産方法はどんどん非自然的な生産方法へと進んでしまうということを言いたいのです。だから、ビニールハウスだとか加温栽培など、現実には化石エネルギー漬けの農業が横行しているし、有機農業や自然栽培の農業だとしても、現状では化石エネルギー抜きには考えられないわけですから、そのことを持ち出して、野菜工場もいいとはならないと思います。
要するに農業のあるべき姿をどのような方向に持って行くべきであるかとか、地域の自立のために今後の農業はどうあるべきかを議論できたらいいと私は思います。私がバリに行って感じとことですが、バリでは日本の40年以上前の農業が日常的に行われていました。牛が田んぼを耕していたり、アヒルや鶏が庭先を駆け回っていたりして、農家の皆さんはみんな笑顔で日本の私たちよりも幸せそうでした。シューマッハーの言うように、「生産方法の自動化が進めば進んだだけ、人びとの余暇はそれに反比例してなくなってくる」とはその通りだと思います。この話はミヒャエルエンデも書いています。モモの時間泥棒のお話の中にありますね。
私たちは科学の発展や成長神話や「早いこと。大きいことはいいことだ」という誤った一方的な価値観に囚われてしまって、そこから抜け出せない生産方法や産業構造やはたまた文化や教育までもが、この「もっと早く、もっとたくさん」という「上昇志向」や「拡大思想」の価値観に縛られているのだと思います。
そこからどうやって抜け出せるのか。私にはまだその明確な方法を見つけ出せていませんが、シューマッハーやミヒャエルエンデさんの中に解決策のヒントが隠されているように思います。

科学の発展を盲信して破滅に突き進むのか、シンプルに慎ましく楽しく生きるのか

実は松下竜一氏が生前言っていましたが、「たたかう農民や漁民が農地や海を守るという思想は自分たちがこれまで続けてきたあたり前の今の生活を今後も続けたいという、ただそれだけの慎ましい要求なのだ」というのです。ところが、世間は農業も漁業もこのままでは世界の競争に打ち勝てない。これからは科学を取り入れて、もっと新しい技術で農業や漁業も行わなければならない。はたまた、「もう農業も漁業も衰退の一途を辿る産業でしかなく、これからは工業でふるさとを栄えさせなければならない」と。祝い島の漁民に対して中電の幹部は船の上からこう言ったそうです。「このままではあなた方には明日はありません。もう漁業でも農業でも食えないのです。ここに原発を建てて、工業誘致で町を発展させるしかあなた方がこれから生きてく方法はないのです」と。「電気で野菜をつくることが出来る」という考えの方はこの中電の思想と同じです。それだったら、「電気や科学でイワシをアジをサンマを作れるのですか。電気で米を作れるのですか。電気で私たちの命を支える食料をつくれるのですか」と、私は問いたい。世間から「古い考えは間違っている。新し考えを持たなければならない」と多くの農民や漁民は批判されてきたのですが、はたしてどちらが正しいのでしょうか。

彼らは毎日自然と向き合って、そこには先祖を敬い、自然の怖さにおののき、畏敬の念を抱きながら、自然の恵みをいただきながら生きてきたのです。その生き方こそいうならば科学的で歴史的な裏付けと普遍性があります。現代の私たちは「科学によって自然を征服できる」というおごりを持って、歴史的な認識も科学的な根拠もないままに、自然をあたかも征服したかのような錯覚に陥っていたのでしょう。
松下竜一は、闘う漁民や農民に寄り添って、彼らから学び、彼らの思いを文字にし続けたのです。
さて、私たちは何をどうすべきなのでしょうか。私たちは再度昔の人たちが培ってきた文化や伝統というものの中に潜んでいる普遍の真実を学ぶ必要があるでしょう。
私たちが学ぶべきものは現代の科学の限界だと思います。わずか1000年前に起こった地震と同じ地震が来ることさえも忘れていたのですから、いかに歴史をないがしろにしていたことでしょうか。それは3.11の東日本大震災で一気に表面化しました。1兆円もかけて作られたウルトラ防潮堤は木っ端微塵になぎ倒されて、福島原発は爆発してしまいました。「科学技術が核を制御できる」ということは神話でしかありませんでした。そして、「自然というものは人間には制御できないものなのだ」ということが分かりました。私たちは防災ではなく、減災という思想で、できるだけ被害を最小限にすることを考えた都市計画を行うべきなのです。そしていつ地震や津波が襲ってきても逃げられるような生き方とは、よりシンプルに、より慎ましく生きることだと思います。
by nonukes | 2013-03-19 11:05 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(1)

シューマッハーの「スモールイズビューティフル」をお店番をしながら読みました

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昨日はヤマドリの里でお店番をしました

昨日、私は久しぶりに「ヤマドリの里」の店番をしました。お客様は大変少なくて、車3台で4人の方でした。売り上げは5850円です。でも、このお店は無農薬の野菜やオーガニックな食べ物などと自然エネルギーの展示などによる、環境にやさしい生活を提案するアンテナショップですから、利益ガでなくてもいいのですが、それにしてもお客様がもっと来てくれたらいいなとは思いますが。

4月は7日と21日の日曜日の12時から16時まで
場所は別府狭間線の鳥越峠の近く


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シューマッハーの「中間技術」を緑の運動に生かそう

先日来、緑の党のMLで「野菜工場」議論をしましたが、もう、終わってしまいました。私としては大変不満なのですが、これは緑の党の限界だと思います。だって、緑の党は政策を練り上げるチームもほとんどないし、農業や再生可能エネルギーを実践している会員もほとんどいないのだろうと思うからです。それに選挙などの日常活動に追われて、理論的なことや実践的なことがおろそかになっているのかもしれません。私としては緑の理念を持って農業やエネルギー問題を議論し実践することで組織化を行うことが最も大切だと思います。
そこで私が昨日読んだ「スモールイズビューティ」についての感想を書こうと思ったのですが、残念ながら私の稚拙な頭ではほとんど理解できませんでした。そこで、感動した小節を転記します。
人類の経済生活の中に永続性を確保することなしに平和を達成することはできない。
消費を適正規模に抑える生活様式を取るには、最大限の消費への欲求を満たす場合よりはるかに少ない努力で足りる。また、「仏教経済学」では、適正規模の消費は、比較的に低い消費量で高い満足感を与え、これによって人びとは圧迫感や緊張感なしに暮らし、「すべて悪しきことはぜず、善いことを実践し」という仏教の第一の戒律を守ることができる。
最後に「人間の顔を持った技術」の章では、ガンジーが語ったように、世界中の貧しい人を救うのは、大量生産ではなく、大衆生産である。大量生産の体制のよって立つ技術は、非常に資本集約的であり、大量のエネルギーを食い、しかも労働節約型である。(省略)大衆による生産においては誰もが持っている尊い資源、すなわちよく働く頭と器用な手が活用され、これを第一級の道具が助ける。大量生産の技術は、本質的に暴力的で、生態系を破壊し、再生不能資源を浪費し、人間性を蝕む。大衆による生産の技術は、現代の知識、経験の最良のものを活用し、分散化を促進し、エコロジーの法則にそむかず、希少な資源を乱費せず、人間を機械に奉仕させるのではなく、人間に役立つように作られている。私はこれを「中間技術」とよぶ。
この中間技術を私たち緑の党の基本理念に据えて、これから農業やエネルギー分野などに生かして実践しようと私は思います。皆さんご一緒にシューマッハーの勉強をしませんか。
by nonukes | 2013-03-18 18:53 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(2)

今日はヤギのララの搾乳に挑戦してみましたが…

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コサカ・ハウスのイベント今日の搾乳は失敗に終わりました

ところで、我がコサカ・ハウスには2家族と居候1人から2人、それに私を入れたら、合計10人から11人くらいの人びとがシェアハウスしています。今月の終わりにはもう一家族が仲間に入る予定です。それぞれの部屋はありますが、台所は一緒です。私は違いますが。そして不定期にですが、みんな一緒に食事をしたり、ちょっとケンカをしたり、仲直りをしたり。そんなコサカ・ハウスの楽しみはヤギと一緒に遊んだり、ヤギを追いかけたり、追いかけられたり…。この母子は時々逃亡して、ご近所に迷惑をかけるので、私は謝りに行ったりで大変です。
私はヤギの母子に餌を与えるための散歩をするのが日課です。これがなかなか大変なのですが。
今日は天気もいいし、子ヤギが生まれて今日でちょうど2ヶ月経ったので、そろそろ搾乳してもいいだろうと思って、搾乳に挑戦してみましたが、残念ながらほとんどもらえませんでした。
その理由として、2匹の子ヤギが親の乳を飲み干してしまっていたのか、はたまた、ララは乳の出が悪いのか、それとも私の絞り方が下手くそだったのか、以上3点のどれかでしょう。それとも、その中のどれかが複合しているのかもしれません。
まあ、そんなに焦ることもありませんので、のんびりと小春日和の我が、コサカ・ハウスの小さなイベントでした。

コサカ・ハウスの住人の知恵でで共同農作業を行っています

実は当農園の農作物である、ハッサク、伊予柑、甘夏、びわ、レモン、梅などなどはこれまではコサカ農園のボランティアスタッフや私小坂農園主が農作業をやっていましたが、昨年の春から某生協への出荷を一方的に切られたため、主な出荷先を失ってしまいました。そのため、生産しても売るあてがなく、農作物を腐れせてしまうなどの問題が生じてしまい、農園主の私は途方に暮れていました。
そこで、今年からは一時的に農園を休園しようと考えていたのですが、コサカ・ハウスの第一号の住民のランちゃんからの提案で再開することになりました。「私たちが手伝うから仕事をやらせてくれる?その代わり売り上げはみんなで分けるのよ」と。私はもともと休園する予定だったので、「いいよどうぞやってください」と。そしたら、これまで生協中心で、そのほか無農薬の卸問屋さんへの販売から大幅に販路を増やす積極的な戦略を取るようになりました。いろんなイベントへの出店やら、有機農作物の販売所への出店や、はたまた別府毎日マラソンの当日は別大国道でのゲリラ販売などなど、我がコサカ・ハウスの女性たちは怖い者なしのセールスウーマンです。
ただ、そんなに皆さん頑張って売ってはいますが、日本の農業の困難さをしみじみと感じているようで、ほとんどお遊びにちょっと毛の生えた程度の売り上げにしかなっていません。

びわのレンタルやびわの直販などこれからがお楽しみです

当農園主は反原発や自然エネルギーなどに熱を入れて、農園の手入れを親父ほどには熱を入れていなかったり、小心者でほとんど営業などしてこなかったので、毎年売り上げが減少してしまって、びわの小坂農園と言えば知る人ぞ知る大分では最高のびわを作っていた農園でしたが、親父が死んで、息子の代になってからはすっかり影を潜めていました。そんな罰が当たったのか、売り上げの減少と赤字続きで見るも無惨な農園になりつつありました。その園を救おうと現れたのがコサカ・ハウスの住民です。さて、どうなるかは皆さんお楽しみに。今年1年間はやってみると皆さん意気軒昂です。

小坂農園は域内流通の復権(物々交換や地域通貨)をめざす、新たな実験を始めます

小坂農園は生産者と消費者が顔の見える関係性を一番大事にしたいと考えています。それは直接当農園にお越しになってもらって果物などを購入してもらったりするのが一番だからです。また、円を使わずに、物々交換や地域通貨を発行して、消費税など払わずに、日本国政府の悪戯に荷担しない、健全な地域経済の復活をめざしています。ボランティア学生や失業者などなど大歓迎です。宿泊も可能です。皆さんぜひ、小坂農園へ遊びに来てください。小坂農園を訪れたら、ワクワクする感動や新しい仲間との出逢いがあるかもしれませんよ。
びわ、甘夏の販売も間近です。詳しくは下記のHPをご覧下さい。

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ようこそ小坂農園へ


私の本が売れなくて書店に迷惑をかけているのではないか…

昨日から「野菜工場」批判の文章を緑の党のメーリングリストに書いているのですが、いろんな意見が返ってきます。その中に、福岡の足立力也さんからのメールでシューマッハーの「スモールイズビューティフル」をぜひ皆さん読んでください。中間技術の必要性を理解してください。という内容がありました。私はシューマッハーの「スモールイズビューティフル」を読まなければならないと思っていたところなので、ということはまだ読んでいないということなのですが、さっそく今日の夕方に西大分の明林堂へ立ち寄ってみました。そこで店員さんに、検索してもらったら本があったので購入したのですが、実にやさしそうな店員さんだったので勇気を出して、私が常日頃から心配していたことを聞いてみました。
「実はちょっとそこにある本のことで伺いたいのですが」と、平積みにしている本を指さして聞きました。「どの本ですか」と、店員さん。「実はここに飾ってある「市民電力会社をつくろう」という本は私が書いた本なのですが売れてますか」と。「そうですね。売れてますよ」と。「いつ売れたか分かるのですか」と、聞くと。「このコンピュータで分かります。直近が昨年の8月です」と。私は「ええっ。昨年の8月から売れてないのに平積みにしてくれているのですか。そんなに売れてないのですか。申し訳ありません」と、消え入るような声で謝りました。すると店員さんは「このような本は店の良心ですから、そんなに売れなくても私たちは皆さんにぜひ読んでほしいと思っているのですよ。ご心配しないで下さい。3月は原発やエネルギー特集を組んで宣伝しています」と。
皆さんよろしかったら、ぜひ西大分の明林堂で原発関連書籍をお買い求め願います。確かにここには原発関連の書籍がたくさんそろっています。これは書店の心意気です。ついでに私の本をまだ読んでなくて読んでみたいという方はここにあと2冊あります。貴重な2冊です。お買い求め願います。
by nonukes | 2013-03-16 00:59 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(1)

農薬・化学肥料不使用のはっさくミカンを格安で販売中!

小坂農園自慢の農薬・化学肥料不使用のはっさくミカンを10kg2000円で販売します。
小坂正則

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はっさくミカンは長年農薬不使用で作った小坂農園自慢のびわとミカンの中でも今年最初に出荷が始まったはっさくです。本当は伊予柑もあるのですが、猿に取られて、残り少ないので販売はしません。はっさくミカンは高崎山のふもとで別府湾の温暖な土地と太陽をいっぱい浴びて育った、おいしいミカンです。見た目は少々傷などがありますが、農薬や防腐剤なども一切使用していませんので、安心して食べて下さい。

価格:10kgが2000円

送料:全国一律1000円です(20kgまで1000円で送れます)

申し込み方法:電話097-529-5030 ファックス097-532-3772

メールでの申し込み nonukes@able.ocn.ne.jp

価格の例:10kgは送料込み3000円、20kgは送料込み5000円です

送金方法:振り込み用紙で後払いも可能です。


問い合わせ先

大分市田の浦12組
小坂農園 小坂正則
電話:097-532-3772
by nonukes | 2013-02-03 19:15 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

子ヤギが生まれました。メス2匹です。名前を募集します

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1月15日に子ヤギが2匹生まれました

ヤギのララのお腹が大きくなっていて、もうすぐ子どもが生まれるのではないかと思っていました。そして14日に、ララのおっぱいがやたらと大きくなっていたので、そんな不安が頭をよぎったのです。でも「こんな真冬に生んだら大変だからもう少し暖かくなって生まれたらいいのになあ」と1人で考えていました。ところが15日に大分市議選の事前説明会と選対会議で4時頃自宅に向かっていたら、携帯が鳴って、お隣さんからでした。「ヤギが子どもを生んでいますよ」と。私は帰路についていたので、それから5分そこそこで自宅に帰り着きました。ララは血だらけで胎盤も地面に落ちていました。私は「ララ、大変だったなあ」とねぎらいの言葉をかけてやり、さっそく子ヤギのねぐらの毛布を用意したり、栄養のありそうなえさをたくさん与えてやりました。その夜は心配で何度も子ヤギを見に行きました。翌日、疎開者のTさんに小屋の修理を手伝ってもらい、運動場付きのヤギ小屋に子どもたちを移してやりました。暮れに私の孫が遊びに来たのですが、ここだけの話、孫よりも子ヤギの方がかわいい気がしました。次男の奥さんに怒られそうですが…。

メスの子ヤギ2匹の名前を募集します

かわいい小ヤギの名前を募集します。ただ問題があります。2匹は顔がそっくいりですので名前を付けたとしてもどっちがどっちか区別が付かない気がします。名前を付けてくれた方には、ララの乳を飲ませてあげます。ご応募多数の場合は素敵な名前の方にいたします。
by nonukes | 2013-01-18 21:21 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

脱成長社会をめざそう2

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脱成長社会をめざそう2
小坂 正則

今日の日本や先進国と言われる世界の国々は出口のない不況と財政赤字にあえいでいる。これまでアメリカを中心に戦争による破壊と建設という恐慌策で経済成長と戦後世界経済は成り立って来た。しかし、今日では出口の見いだせない世界恐慌が静かに続いている状態のようだ。なぜなのだろうか。それは1つは貨幣の2つの側面の1つである投資の側面にルールがないからだ。交換手段としての貨幣には一定の社会的なルールはあるが、投資としての貨幣には信用売買が横行し、実態のないマネーゲームが繰り広げられている。それに債務の保証もなくてサラ金からお金をジャブジャブ借りてきて返さないと居直っている債務国がたくさんいるから金融資産の信用が保てず出口のない不況になるのだろう。
要は実態に即した金融取引だけを行ういおうな厳しルールを作れば金融資産の信用は保てる。ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデは金利のない銀行を提唱してマネーゲームのような投資を厳しく規制すべきだと訴えていた。
むしろ資本主義社会の限界に達したと言っても言い過ぎではない。資本主義経済では投資家は利益が見込めなければいくら資産があろうが投資はしない。だから資本を持たない零細企業は事業を存続出来なくなる。富の一極集中と格差の拡大が不況の原因だ。しかし、このような出口の見いだせない不況は決して悪いことばかりではない。無駄な開発や投資が抑えられることで環境破壊から免れるというプラスの側面もある。

出口の見えない不況を逆手にとって経済と文化の再生をめざそう

仏思想家のセルジュ・ラトゥーシュ氏は「脱成長のために重要なのは、グローバル経済から距離を置き、地域の経済や文化を再生する再ローカル化が必要だ」という。また「再生可能エネルギーの導入などを大胆に進める転換も欠かせない。労働時間の大幅な短縮も進めるべきだろう。脱成長という発想は、石油危機が起きた1970年代からあった。一つの潮流はローマ・クラブの「成長の限界」だ。地球は有限だというエコロジーの視点から、資源の枯渇や人口問題を警告した。もう一つは大量消費をあおる社会が文化を壊すという批判だった。その二つが今、調和してきている。様々な国や地域で同時多発的に動きが出てきているが、統一する必要はない。多様性こそが脱成長運動の力なのだ」という。(朝日新聞1月1日号より)
つまりは今日のような経済成長が望めない出口の見えない不況や経済縮小の社会では、地域の個性や特徴を活かして、地域の文化の多様性を育てるようなローカルな取組こそがグローバルに対抗する地域経済を再生できるのだ。そのような地域密着型の産業が地域の人びとのニーズもくみ上げることが出来るし、国内の所得格差も解消出来るのだ。グローバル企業は国と国の格差や国内においては中央と地方の格差を拡大させてきた。
現在、多くの国で若者を中心にして本当の豊かさを求めて立ち上がっている。それは空き家のアパートを占拠してホームレスに開放する運動や自給自足の生活をめざすエコビレッジやパーマカルチャー運動など。そのほかにも物々交換を進めるNGO活動などもある。価値観の多様性を認め合い、みんなが生き生きとしてくらせる社会を作るためには、1人1人の能力と知恵を最大限活かして、仕事がないなら自分たちで仕事を作ればいい。失業者は雇用の場がないから仕事が出来ないのだが、ミツバチには失業も失業者もいないではないか。それなら私たち人間も自然を相手に労働を働きかければいい。仕事がないのは仕事を見つけ出せないからだ。探せばいくらでも仕事はある。みんで地域にも自分にも有意義な仕事を見つけ出して、地域経済も文化も再生させよう。
by nonukes | 2013-01-01 16:41 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

「脱成長社会をめざそう」私の今年1年の抱負です。

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脱成長社会をめざそう
小坂 正則

私たちはこれまで「社会は成長するものだ」と思い込んでいた。そして給料も毎年上がるものだと思い込んでいた。確かに私が会社に入ってから33年間、ほとんど毎年定期昇給と僅でも毎年のようにベースアップもあった。しかし、ここに来てベースダウンと定期昇給がストップするという状況が突然訪れた。私はそれと同時に途中退職したので、そんなに大きなダメージはなかったが。大分県の職員は退職金400万円カットなどと同時に賃金の数パーセントカットが毎年のように繰り広げられている。それでも民間企業の平均的なサラリーマンよりも給料が高いので文句は出ていないようだ。
私たちの周りの物価や給与所得者の生活実態を調べれば、現代の日本社会は大きな変貌を遂げていることが見えてくる。それは凄まじいほどの不況とデフレと賃下げによる経済縮小社会だ。それには様々な要因があるのだろうけど、大きく言って、3つあるように思う。1つは産業の空洞化だ。物作りからサービス中心の社会へ変貌して、国内から労働集約産業が衰退していった。重厚長大産業は中国など周辺国へ撤退していった。そこで国内に残った携帯ゲームなどの産業はソフトを作ってしまえばほとんど人件費を必要としなくてモノを消費しなくなったのだ。つまりそこではソフト開発や投資など以外には人の手を使わなくても商売が成り立つ社会へとシフトしつつある。2つ目は人口減少だ。これは凄まじいほどの急速に日本を襲っている。昨年1年間に生まれた赤ちゃんに対して死亡した人が21万2千人多いという。人口減少は少子化が原因だが、それに伴って子ども対象の産業が縮小している。3つ目が不況による税収不足とそれに伴って起きている赤字国債の発行だ。その赤字国債発行のもう一つの要因が社会保障の負担増による膨大な財政支出の増大だ。今年度の税収が40兆円で支出が90兆円。利子10兆円を引けば実質税収は僅か30兆円だ。現在赤字国債の発行による利子負担が毎年10兆円必要というが、現在は超低金利だから何とかなっているが、これが高金利になれば日本はギリシャの二の舞になって利子さえ支払えなくなってしまう。

これからの日本は不況と人口減少と増税の負のスパイラル社会が襲って来る

昨年政権復帰した自民党安倍政権はインフレ政策を取り入れて強引にデフレ脱却をめざしているが、日銀が恐れているインフレ不況が確実に日本を襲うことは間違いなだろう。これまでは不況で給料は下がるが、それに伴って物価も下がるから何とかなってきた。しかし、インフレが襲ってきて物価は上がっても給料はそう簡単には経営者は上げない。なぜならインフレと不況は別だからだ。自分の会社は相変わらず景気が悪いのに給料を上げる経営者がどこにいるだろうか。
そのような景気状況が今年いっぱいは続くだろう。一時的に投資家はアベノミクスに期待して株価は上昇したが、これは株価の値上がりを見越したマネーゲームであって実体が伴った株価上昇では決してない。まあ、今年7月に予定されている参院選時にはインフレ不況が同時に襲って自民党を大敗させてくれればちょうどいいのだが。
これからの日本社会は消費税の税収負担による景気後退と高速道路や橋などの公共インフラ保守と撤去の費用負担で社会保障費用などへ回せる予算は年々縮小するだろう。
消費税20%の社会はもう目前だ。私たちは増税と社会保障の削減というダブルパンチを覚悟しなければならないのだ。だからそのような社会では高齢者への介護などは老老介護が当たり前になる。動けない高齢者を元気な高齢者が介護する社会だ。これは決して暗くて夢のない社会なんかではない。生き生きと元気に生きる老人が自らの手で作る、参加型の老人主体社会なのだ。老人がみんなゲートボールをする方が異常だ。ゲートボールしかすることがないからみんなゲートボールに昂じるのだ。老人や障がい者にも社会の主人公として主体的に参加しする社会が21世紀の日本だ。

みんなが夢と希望を持てる脱成長社会をつくろう

以上のような日本を取り巻く社会状況の中で、私たちは高負担低サービスの社会保障を享受せざるを得ない。そんな社会で明るく希望を持って生きて行くにはどんな生き方とそのための覚悟が必要なのだろうか。
私たちはもうモノをほしがっても得られないのなら、モノにこだわらない生き方をめざすしかない。給料が下がっても下がった給料で楽しく暮らせる仕組みを考えればいい。みんなが自家用車を持たなければならないのか。シェアハウスで仲間と一緒に暮らせば冷蔵庫などの家電製品は1そろいあれば十分だ。1人がすべての家電を持つ必要はない。スローで無理をしない生き方をめざすしかないのだ。不況で仕事がないのなら、私たちで仕事を作り出せばいい。資本主義社会は投資家と資本があって成り立つ社会だが、非営利企業は事業資金だけあれば配当などなくても成り立つ。投資家がお金を市場に流さないのなら、自分たちで資金を出し合って事業を始めればいいだけだ。そして、そんな企業は環境にも人にもやさしい経営をおこなって、地域貢献を達成すれば労働者は労働疎外になることもなく、地方自治体が供給してきた福祉やサービスの代行などの地域貢献もできるだろう。それが21世紀型の「新しい公共」のあり方になるかもしれないのだ。
もうちょとゆっくりと歩いて、たまには立ち止まって考える。そんな地域社会を、この国にも作ろうではありませんか。
by nonukes | 2013-01-01 14:32 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

  小坂正則