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小坂正則の個人ブログ

カテゴリ:小坂農園 薪ストーブ物語( 178 )

神田古本屋街を徘徊して見つけた1冊の写真集「アンドレ・ケルテス」

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神田古本屋街を徘徊して見つけた1冊の写真集
小坂正則

私は東京に行くたびに寄る所がある。それは神田古本屋街だ。昨年も7月の終わりに行ったついでに古本屋街で写真集をたくさん買い求めた。
今回の東京行きも写真集などでいいのがあれば買って帰ろうと思って、フラフラと寄ってみた。そこで毎年行くたびに驚くことがある。何だか神田古本屋街が行くたびに見つからなくなってくるのだ。確か中央線水道橋駅から降りて靖国通りまで下がったら、両方の通りに古本屋が軒を連ねていたように思うのだが、行くたびに古本屋が減っているような気がするのだ。
今回は時間が余りなかったので、2、3軒しか覗かなかった。その中で、美術専門店に入ったら、マグリットやダリの洋書が並んでいた。洋書でも作品を見るのは英語やフランス語がほとんど理解できなくても、そんなに苦にはならないが、専門書は別だ。そして、写真集の棚を眺めていたら、アンドレ・ケルテス写真集が目に止まった。岩波書店1986年出版の写真集だ。「岩波が写真集を出すなんて珍しいじゃないかなあ」と思いながらペラペラとページをめくって見ていたら、やはりほしくなった。定価は18000円で売値は6500円だ。安い。「程度も実にいいし、この写真集を買わずには帰れない」と思ってしまった。
私が学生のころ指導教官が確か見せてくれた写真がケルテスだ。私はエドワード・ウエストンやエドワード・スタイケンなどのアメリカの近代写真家やケルテスのようなフランス写真家の作品が好きなのだ。もちろん現代の写真家の代表である土門拳を初めとして藤原新也氏や細江英公氏なども好きなのだが。そうそう、エロティシズムぷんぷんの荒木経推の濡れたようなエロさも耐えられないほど好きだが。いやらしさは不純で非芸術的だという偏見は古い。アラキーのラジカルな女性の表現は素直にいいと思う。
話しはケルテスなのだ。ケルテスがなぜいいかというと、それは1920年代の記録写真から芸術的な表現へと写真の世界を開花させた彼の功績は大きい。今見ても彼の写真は新鮮で胸がときめく作品が多い。そんなどっしりと重い写真集を引っさげて大分に帰ってきた。もう一つだけ買った作品は細江英公氏の人間写真集「死の灰」という写真集だ。
私がもし、写真家だったら、福島を撮らなければならないという衝動に駆られるだろうと思った。幸か不幸か、私は写真家ではない。
時代を切り取った表現しか現代人の心を打つことは出来ないと思うからだが。昨日NHK日曜美術館で石田徹也氏の作品をやっていた。彼の作品も現代社会の苦悩の中でしか表現できないだろうと思った。彼は自分の作品を作ることでますます追い込まれていってやがて死を選択するしかなかったのだろうと思った。見れば見るほど重く苦しいが心にひっかかる作家だ。数年前私はNHKで見て、すぐに作品集を買った。いま全国で遺作展を開催しているという。九州に来たらぜひ実物を観たいと思った。
by nonukes | 2013-10-07 18:06 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

仲間意識の熱さの違いに悩む私はおかしい?

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仲間意識の熱さの違いに悩む私はおかしい?
小坂正則

私は先月の28日、29日の2日に東京で開催された緑の党の総会に昨年の結成総会に次いで2回目の会議に参加しました。そこでは、久しぶりに会った多くの知り合いがいました。私は厳しい闘いだった参院選は負けるし、これからの再建の道は険しくてどのようにすれば緑の党が大きくなれるのかという課題に対しても、なかなか回答は見いだせないだろうと思うし、これからも今まで以上に茨の道が続くことを想像すれば、この総会は厳しい総会になるだろうことを察していました。しかし、だからこそ、同じ価値観を持った仲間と会うことがうれしくて、熱いものを感じながら総会に参加したのです。
しかし、久しぶりに会った方々は、私の熱い思いで挨拶する言葉に対して、醒めた目つきで、何の感動もないように事務的な挨拶を皆さん返してきました。
私は「アレッ何か変だなあ」と思いました。感動している私だけが1人浮き上がっているのがバカらしく見えたからです。「何で皆さんはそんなに醒めているのだろう」と私は、彼らの気持ちを理解できなかったのです。私は見ず知らずの方々にも「皆さんはじめまして。参院選は残念ですが、これに懲りずに頑張りましょうね」と言って握手をして回りたいくらいに、仲間に会えるのがうれしかったのに…。だって、200人以上の仲間が一同に会しているのですから。
しかし、そんなにうれしい人だけではないんだなと改めて思い直しました。私事ですが、電力会社のロビーに座り込んだり、道路に座り込んで機動隊と対峙する場面などの時に、隣に座っている見ず知らずの人に対して、私は同志的な連帯感を感じて、何の違和感もなく仲間意識が芽生えることがありました。それはごく自然な感情であって、それが何かおかしなことなんかではないのです。私が山手線に乗って、隣に座った女性に親しく話しかけるなどということは決してしありませんが、隣にいる方と同じ思いで時間と空間を共有しているということだけで、うれしくなるではないでしょうか。だって、そのことが「私は生きている」という実感を感じることが出来る瞬間だからです。「何で私の周りの方々はそんな時空を感じないのだろう」と私はどうしても理解できなかったです。
確かに私は喜怒哀楽が人よりも大きいのかもしれないし、躁と鬱の時の幅が大きいのかもしれない。整理整頓が出来ない性格や、注意散漫な性格などから発達障害なのではないかと考えたりすることもあります。私は総会の第1日目の夜の交流会に参加したのですが、この交流会が大の苦手なのです。立食パーティーなどでは孤立してしまって、自然に見知らぬ人と交流できません。交流していても話題が途切れたり、私と話している相手が気まずい思いをしているのではないかと悩むことがあります。なかなか周りの人のように気楽に楽しそうに交流ができません。だから最初の30分くらいの時間を持てあましていました。そして何とか交流会が終わって、私はホッとしました。
こんなことで悩む人はいないのだろうかと思ったりします。こんなことを悩むのは私だけなのだでしょうか。親しそうに会話してパーティーを楽しんでいる人を見ると、私はうらやましい。

皆さんそれぞれに小さな障害や人と違う個性を持っているんだ

私のブログにいつかこんなコメントがありました。「私の付き合っている彼氏は警察官ですがアスペルガー障害を持っています。どのように付き合えばいいのでしょうか」という秘密のコメントが書き込まれていました。私は何と答えたらいいのか見当もつかないので回答はできませんでした。だって、私の助言が彼女の人生を左右することになったら私は責任を負えないからです。私が何らかの助言をするならば2つの助言しかありません。「別れた方がいいのではないですか」と「あなたが頑張って彼を支えてやることがあなたの幸せになるのではないですか」という相反する2つの助言です。ただ、あなたの人生に誰も責任を持てないことだけは確かなことです。最後はあなたが決めるしかないのです。
私には私の個性や障害があって、それぞれ皆さんには1人1人、弱さや人には見せたくない寂しさなどがあり、それを皆さん胸の中にしまい込んで生きているのです。だから、そんな弱い自分をさらけ出して生きていくことが、実は生きづらいこの世の中を生きて行く秘訣なのではないかと思います。だから少しくらい人と違っていても何てことはないのです。心配する必要もないのです。でも、相手のことを気遣って心配することは、それは私の優しさなんだと私は思うようにしています。
だから私が熱い気持ちで接した方々に対して、私が悪いのでもなければ、相手の方が悪いのでもない。それぞれの違いを認め合って生きていくことが多様性の尊重なのだと私は思うことにしたのです。ところでアスペルガーの彼氏のいる女性は、その後どうしたのだろうか。
by nonukes | 2013-10-07 15:33 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

今は亡き痴呆の母に教えてもらった「私の幸せ」

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今は亡き痴呆の母に教えてもらった「私の幸せ」
小坂正則

私はほとんど仕事らしいことはしていないが、人間何もしないわけにはいかないようで、何んらかの暇つぶしでもしないことには時間が経たない。まあ、暇で死んだという話しは聞いたことがないから、「暇すぎて死にそうだ」というのはきっとウソだろうが。そんなことを言うと「おまえはなんと贅沢な悩みなんだ」と怒られそうだが。
私とて仕事をしたくないわけではない。汗を流せば頭脳は明晰になり、生きてるという実感が持てるし、何よりも酒も飯もうまいし、時間があっという間に過ぎていて精神的には実に心地よい。だから、仕事があればいくらでも応じる気はあるのだが、仕事がないだけだなのだ。一応、薪の販売やペレットストーブの設置などを注文があれば行うのだが、このような品物はおいそれと売れるようなものではないから、営業に行くといっても行く当てがない。だから、こうしてじっと部屋にこもって毎日書物を読みながら、注文が来るのをただただ待っているのだ。それでも私は何らかの社会的な貢献や、社会的な意義ある行動をしたいと思う。それが生きている証だからかどうだかはよくは分からない。無意識にそんな風に思うのだ。

痴呆の母が教えてくれた「人のために生きることの大切さ」

私の叔母が特養のホームに入っていて、上げ膳据え膳で何の心配もなく生活しているのだが、私には「何の不自由もない暮らしほど自由のないものはない」と思ってしまうのだ。私の痴呆の母が生きていた頃、家で私と一緒に暮らしていて、ホームヘルパーが介護に来てくれていた。母は洗濯物をたたむ仕事など、しなくてもいいけど、させていたし、自分からしていた。それが彼女の生き甲斐の創出だったからだ。「人間は何もしなくていい」といわれるのは「早く死ね」といわれるのと同じなんだ。他者が私を必要とすると思うことが、生きることの励みになり生きなければならないという確証を自分に与えるのだろう。私には子どもがいるが、出来の悪い子ほどかわいい。私に迷惑をかける子ほど、「いい加減にしろよ」と怒りながら、私は笑っている。
そんな母が死ぬ1年半前のこと、母が入院してベッドに縛られるように寝かされてしまっては、ただ生きる屍のごとく目はうつろで生気が失われて行った。私は母が入院してからは出来るだけ面会に行っていたのだが、話すことなど何もないので、ただ黙ってパイプ椅子に座って沈黙の時間が過ぎていた。小1時間もしたら、「もうそろそろ帰ろうかな」と言うと、母は「もう帰るのか」と寂しそうに言い、「まだ帰らなくてもいいじゃないか」と目で訴えていた。そんな生活が1年半くらい続いたが、その後、枯れるように息を引き取ってしまった。私は夜遅くなったときなど、「また病院に行かなければならない」とか、忙しいときは「今日は行くのをやめよう」と、何度も思ったことか。そして実際に行かなかったことも何度もある。「早く死ねばいい」と、思ったことはさすがにないが、めんどくさいという思いは心のどこかにあったことだけは間違いないだろう。
それが突然病院に行かなくて良くなった。母が亡くなって、1週間は葬式やお寺への挨拶や職場への挨拶などであっという間に時間が過ぎたが、1週間の休んだあとに職場に出て、仕事が終わって自宅に向かう車のハンドルを握っていて、国道10号線を大分から別府に向かっていたら、いつものように無意識に別府の病院に向かう私が居た。私の家がある高崎山の信号を曲がる直前に、「今日は病院に行かなくてもいいんだ」ということが頭に浮かんで、急に左折したのだが、そのまま直進して別府の病院に行きそうになった。
そしたら何だか涙が出そうになってしまった。「もう別府の病院には行かなくてもいいんだ」と。「私は母に生かされていた」ということが初めて分かったのだ。「私が居なければ痴呆の母は1人では生きていけない」だから、「私は母を守るためにしっかりしなければならない。痴呆の母を持った子の宿命だ」と、母を恨んでいたのかもしれない。「母がもっとしっかりしていたら、いろんなところに連れて行ってあげられたのに。何で痴呆になったのか」と恨んだことさえもあった。しかし、私は母を守らなければならないという責任感が私の生きる支えとなっていたのだということが、母が死んで初めて分かったのだ。「母を支えて生きなければ」と思っていたことが、実は「母に支えられて私は生きていたのだ」ということを。人が私を頼りにしているということは、私はあなたに生かされているということなんだと。

「人のためは自分のため」

「人は人のために生きている」とは誰が言った言葉かは忘れたが、私は死んだ母や親父のために生きていくことはもうないのだから、誰かほかの人もために生きていこうと考えた。それは家族でなくてもいいのだ。私はシリアの内戦で逃げ惑う子どもたちや、母親たち、何の罪もない人びとが政治や戦争の犠牲になって逃げ惑う人々。見たこともないそんな人びとのために、ほんの小さな手助けでもすることができたら私はきっと幸せになれるだろう。そのことで、私も生きているという実感を持たせてもらおうと思ったのだ。それはシリアでなくてもいい。福島から逃げ出したくても様々な事情で逃げ出せない母子でもいい。誰のためでもいい。人のために役にたたさせてもらうことが結局は私が生きていることの実感となるのだから、こんなありがたいことはない。「人のためは自分のため」という私の幸せを痴呆の母に私は教えられたのだ。
そんな母は本当に善人だった。私たち子どものために一生懸命に生きて、父に最後まで尽くした。そして、他人のためにも精一杯に世話を尽くして死んでいった。しかし、それが結局は彼女の幸せだったのだろう。もっと私は母へ生前に親孝行をしておけば良かったが、死んでしまってはもうどうしようもない。人のために生きるという幸せの実感を、私は大いに味わせていただこうと思っている。


母の葬儀の挨拶   2009/02/13

本日はお忙し中、亡き母、小坂 マツ子の通夜にご弔問いただきまして、誠にありがとうございました。生前母とお付き合いしていただいた方やお世話になった大勢の皆様にご弔問頂いて故人もさぞかし感謝している事と思います。

さて、母は1年半前から入院をしていましたが、昨日急に様態が悪化し、12日の10時30分に帰らぬ人となってしましました。当年89歳でした。
 母は10年ほど前から認知症の症状が表れ、自宅でホームヘルパーさんの介護を受けながら父と2人で暮らしておりました。4年前に親父が先立ちまして、その後は私と二人で暮らしておりました。その間、ヘルパーさんや○○病院の皆さんなど大勢の方のお世話になりましたことを、改めてお礼申し上げます。

世間では、戦後はとっくに終わったような風潮で、戦争の苦しみは忘れ去れれていますが、私の母にとっては戦争はまだ終わっていません。
母は20歳そこそこで満州の開拓団の農業指導員として働いていた父と写真による見合いにより父に嫁いできました。
戦争が激しくなって、父は戦争に行ってしまい、昭和21年8月15日から、母は3歳の長男と1歳の次男を抱えて、開拓団に残された年老いた男性と女性や子どもたちの集団は中国大陸をそれこそさまよいながら、日本をめざしたそうです。その苦労は言葉には言い表せないほどのものだったと思います。日本へ帰国する間に多くの方が餓えや病気で亡くなり、女性や子どもたちの多くは中国に残り、中国残留日本人や孤児となったそうです。母は最後まで2人の子どもを抱えて帰ろうとしましたが、途中で栄養失調や病気で二人とも亡くしてしまいました。中国残留孤児のニュースに、母は我が子が帰ってくるかのように食い入るようにテレビの画面を見入っていました。
昨日、母と一緒に満州から引き上げてこられた方に弔辞を読んでいただきたいと思いまして多くの方に連絡を取ったのですが、皆さんお亡くなりになったかご高齢で葬儀にも出ることが不可能な方ばかりでした。このようにして母たちの歴史はロウソクの火が1本1本消えるように、戦争の苦しみや悲しい想い出が消えていくのかと思います。
母は戦後、満州から着の身着のままで引き上げて来まして、親父と現在の地で、私たち子どもを育てるために、それこそ一生懸命に夜遅くまで働きどうしでした。歳を取ってやっとこれから楽になるという時期に認知症と足腰を悪くして、自宅に籠もったままでした。母は何の趣味もなく、旅行にもほとんど行くこともない日々を過ごして来ました。
母は人一倍優しい人でした。私たち子どもや周りの方々へも暖かい思いやりに満ちた母でした。母の優しさをいつまでも忘れることのないように、残された私たちはこれからも精一杯、生きて行きたいと思っております。
私は満足な親孝行も出来ないまま、母を見送ることになってしまいました。
今となっては、あれもしてやればよかった、これもしてやればよかったと悔やまれますが、苦しむこともなく、安らかな美しい顔で眠るように息を引き取ったとことがせめてもの救いかと思います。
これからは、あの世で、親父や満州で幼くして亡くした息子たちや母親の両親などと再会して楽しく安らかに過ごしてくれることだけを願っております。
by nonukes | 2013-09-25 22:24 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

マイナス経済社会を楽しく生き抜くその2「無限の経済成長などあり得ない」

マイナス経済社会を楽しく生き抜くその2
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無限の経済成長などあり得ない小坂正則

 私たちの国の負債は1000兆円を越えて、毎年50兆円以上の赤字国債を発行し続けているそうです。その借金はいずれ私たちか次の世代の子どもたちが返さなければなりません。しかし、政府が返さなくていい方法は1つだけあります。急激なハイパーインフレにして貨幣価値が1/10から1/100になった第二次世界大戦後の日本やドイツはお金が紙切れ同然になったので実質的にほとんど返す必要がなくなりました。しかしそれは国民の預貯金が紙切れ同然になるのですから、結局は国民に膨大なツケが回って来るのです。日本政府が国家破綻状態になれば1000兆円が100兆円にも10兆円にもなるので実質的にはほとんど返す必要がなくなりますが、そうなると国内の企業は軒並み倒産し、街は失業者で溢れ世界恐慌に陥ることになるでしょう。現在ギリシャやスペインが債務超過に陥ってEUの厳しい管理下で財政再建を行っていますが、ギリシャでさえ、GDP比158%の債務に対して、日本は238%の債務(借金)を抱えているのです。それでも日本の国債が値崩れしないのは、赤字国債以上の預貯金を日本人が持っているからだと言われています。しかし、自民党安倍政権はブレーキの壊れた暴走車が坂道を転がり落ちるかのように赤字国債を垂れ流し続けていて大丈夫なのでしょうか。

少子高齢化社会で、ものはますます売れない

安倍首相がどのように経済成長をさせようとしても、急激な人口減少が訪れた日本では、このまま右肩上がりの経済成長を続けることは不可能です。不況になればリストラや、それに伴う社会不安や所得格差がますます拡大するでしょう。今日の不況の原因の1つには、私たち消費者がそんなに「もの」を消費しなくなったからだとも言われています。つまりは非正規雇用の若者は買いたくても「もの」は買えないし、少しくらいの収入が増えたとしても、いつ会社を首になるか分からないので消費は控えます。また、子どもや若者がどんどん減って、購買意欲の大きな層が減った結果、ものが売れなくなったのです。おまけに高齢者はお金があっても、後先短い人生にそんなにほしいものなどありませんし、高齢者は年金の減額や医療費の負担増などから出来るけお金は使わずに貯蓄に回します。だから日本経済は今後ますます消費が減っていくしかありません。安倍首相がいくら頑張ったところで、このような先進国に共通したデフレスパイラル現象から抜け出す方法などは簡単には見つけられないでしょう。だって、人口減少に歯止めがかけられなければ根本的にデフレスパイラルからは抜け出せないからです。

つまり「経済とは消費だ」ということが分かっていただけたかと思います。うまくみんなが消費してはじめて経済がうまく回るのです。しかし、強引に消費を作り出す方法があります。それは戦争です。戦争は莫大な消費だと言われています。戦後、アメリカは朝鮮戦争とベトナム戦争を行いましたが、それによりアメリカ国内はもとより世界中が好景気に沸きました。特に日本は朝鮮戦争で戦後復興の足がかりを掴み、ベトナム戦争で高度経済成長を遂げたのです。 アメリカはベトナム戦争で使った赤字国債が返せなくて、1971年にニクソン大統領は米国ドルの兌換紙幣制度(ドルを金とを交換する制度)を一方的に破棄して、今日の変動相場制市場になりました。いわゆるニクソンショックというやつです。その後、1973年の第四次中東戦争で石油の供給が不足して第一次オイルショックが起こり、日本の高度成長もこの辺で終わったようです。アメリカはその後もアフガニスタンからイラクへと戦争を常に繰り返し行いました。なぜアメリカは戦争をするのか。その理由の1つは軍需産業を儲けさせるためには戦争をして莫大な消費をしなければ軍需産業が儲からないからです。もちろんアメリカは常に自分のいいなりにならない国を武力で脅して、世界を我が物顔で支配したいからですが。
戦争をしなければ経済成長しない世界なんて異常です。戦争で大量の爆撃を受けるのは女性や子どもなど罪のない一般市民だからです。人類とは無限の経済成長という幻想のために戦争を繰り返す麻薬中毒患者のように私は思えてなりません。
だから、「経済は消費」だといっても、無法者が他人の家に押し入って、ものを破壊したり強奪したりするような戦争経済は長続きはしません。私たちの「幸せな暮らし」を維持するためには平和な社会は必数条件なのは当然です。

不労所得は人の道義に反する

ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデ氏は配当や金利が社会の元凶だと説いていました。そして河邑厚徳氏が書いた「エンデの警告」という著書の中に、このように書いているのです。
「ちょっと意表をついたたとえ話をさせてください。ある人、ヨセフが、西暦元年に1マルク貯金したとして、それを年利5%の複利で計算すると、その人は現在、太陽と同じ大きさの金塊を4個も所有することになります。1方、別の人が西暦元年から毎日8時間働き続けてきたとしましょう。彼の財産はいくらになるのでしょう。驚いたことにわずか1.5メートルの金の延べ棒1本に過ぎません。」
世界の三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教では100年ほど前までは金利は不当であるという理由でお金に利子を付けることを禁じていました。中世ヨーロッパでは富を追いかけること自体が貧欲の罪を犯すことで悪だと教えられていたのです。不労所得は人の道義に反すると考えられていたからです。もちろん現代社会が過去の倫理的世界に帰ることは困難だと思います。しかし、私には人間の煩悩を抑制してきた宗教を古い価値観と捨て去り、現代の“経済”と“科学”を絶対のものとする思想を単純に肯定することはできません。富を追求し高利を得ることを自由とする根拠は、欲望を経済活動のエンジンとして推進して行こうとする産業革命以後の資本主義経済の成立と深く関わっているのです。
21世紀の今日、資本主義の矛盾が頂点に達したような時代の私たちは、「経済とは道義を守ること」という先人の教えから何かを学ばなければならないのではないでしょうか。

日本の商店街がなぜシャッター通りになったのか

つまり、金利や投資による配当などというものは本来無限に増殖をするものではなく、労働者から労働対価を奪い取って得た不当な利益だとも言えるのです。
日本は不況で投資しようとしても、なかなか高額配当を得られるような投資先が見つかりません。だから投資家は資金を使わずに貯め込んでいるので、ますます不況になり失業者が増えるのです。しかし、労働者は働きたくても働くための生産手段をたいていの人は持っていないので失業したまま多くの若者は街に溢れています。しかし、失業者でも腹が減ったら何か食べなくてはなりません。だから10人の失業者が集まれば、そこには必ず何らかの需要が生れるのです。生産する仕組みをちょっと作ってやれば地域に新たな雇用が生まれます。
「TPPで関税を取っ払って安い輸入農産物を買うことが出来たら、私たちの生活は潤い、経済は発展する」とよく政府やマスコミは言いますが、本当にそうなのでしょうか。国内の商品流通を見ればよく分かります。街の小さな商店は軒並みシャッターを降ろして閉店し、大手のショッピングセンターと24時間営業のコンビニしか残っていません。私たちは確かに安い食料品を買うことが出来るようになったのかもしれませんが、その代価として遠くから運ばれてくる防腐剤入りの食べ物しか手に入らなくなり、新鮮でおいしい食材がそろっていた個性あるお総菜屋さんや魚屋さんなどの商店は高齢者の買い物難民を残して姿を消して行ったのです。このようにTPPで関税を撤廃したら、商店が姿を消して多くの中小零細企業で働いていた人びとは職を失い、人びとの暮らしはますます貧しくなるでしょう。
だから1%の人たちの莫大な利益のために、99%の人びとは非正規雇用か失業者で貧しい暮らししか待っていないのです。フィリピンなどの大規模プランテーションでバナナやアブラヤシなどの輸出作物を作る小作人の村人たちの生活は昔に比べてますます窮乏化しているのです。

日本人が失ったものを私はバリで発見した

ところで私は日本の街とは対極の街をバリで見つけました。2月の終わりに私はバリに行ったのですが、そこで発見したことが2つあります。1つは、ここでは人びとが皆さん笑顔で楽しく暮らしているように見えました。ちょうど日本の40年前の暮らしがそこにはありました。農家の牛小屋には牛が寝そべっていて、鶏が庭をかけていました。そして、人びとは家の前の縁台に座って話し込んだり、昼寝をしたりしてみんな幸せそうに暮らしているのです。(もちろん私の勝手な思い込みかもしれませんが)2つ目に、バリには小さな商店が至る所にあるのです。なぜそんな小さな商店が成り立つのか、私には不思議でなりませんでしたが、みなさん生活が貧しくて、仕事がないから道ばたに店を出したり、自転車やバイクでものを売り歩く人が多いのでしょう。(写真の上)それは地域で仕事を作り、富を分かち合う社会だとも言えるのです。例えばペットボトルに入ったガソリンが道路沿いの至る所に1リットル50円で売ってます。ガソリンスタンドでは1リットル40~45円なのですが、わずか5円の違いなら、みなさん50円でペットボトルのガソリンを買ってバイクに乗るのです。また、ここではバリヒンズー教の独特の教えなのでしょうか、花や食べ物を入れた小さなかごを朝からそこかしこにお供えしているのです。(写真の下)そして、そのかごは椰子の葉でおられたもので、椰子の葉はそこらにいくらでもあります。それを1日に何度も交換するというのです。そのお供えは小鳥の餌にもなっていましたが、そんな信心深い彼らは、このような仕事を狭い地域に作って、経済を成り立たせているのです。

私たちの「暮らし」と「文化」を守るために

日本では流通革命によって卸問屋が姿を消してしまって、それに伴い小さな商店がことごとくなくなりました。残ったのはコンビニと大手スーパーしかない非常に個性のない街になってしまいましたが、それによって失ったものは商店だけではなく、地域の文化やコミュニティーまでもをなくしてしまったのではないかと思います。それにバリの皆さんがみんな笑顔で楽しそうに暮らしている理由は、シューマッハー氏の「スモールイズビューティフル」という本を読ん初めて理解できました。「ある社会が享受する余暇の量は、その社会が使っている省力機械の量に反比例する」という一節があるのですが、つまりバリではまだ省力化が日本ほど進んでいないので、皆さん余暇があって、楽しく暮らしているのだろうと思いました。だから商店に陳列している商品が大手スーパーに比べたら少しくらい割高でも、その価格の中には地域の人びとの労働対価が詰まっていて、それで私たちの街と人びとの暮らしが成り立っているのだと考えたら決して高くはないのです。
私たちの社会もこれからバリの人びとに負けないくらいに貧しくなってくるのですから、知恵を出し合って、小さな商店やソーシャルビジネスを地域に作り出して行くしか、私たちの雇用を守り、自立的な暮らしを取り戻す方法はないのではないかと私は思います。そのような地域で仕事を分かち合う暮らしが地域の文化とコミュニティーを守ることになるのですから、地域で賄えるものは地域で賄うという社会的合意が日本の地方でも必要なのではないかと私は思います。その真逆がTPPだといってもいいでのではないでしょうか。
分かりやすい例を紹介しましょう。ブラック企業とよくわれている、ユニクロの1980円のジーパンがどのようにして店に並ぶか考えてみてください。国内メーカーの仕事を奪い、バングラディシュで1ヵ月わずか5千円以下の低賃金の女工さんが、不衛生な窓もない工場で12時間以上働かされて、女工さんの身体をボロボロにし日本にジーパンはやって来ます。そしてユニクロの非正規労働者が時間に追われ血眼になって陳列したジーパンは、私たちの「安い」からという衝動によって買い求めるのです。
このような、「経済とは道義を守ること」という先人の教えを忘れて、自分に都合のいい“経済”や“科学”による商売などに突走るのではなく、フェアトレードな輸入など他国の人びとの暮らしを守ることにより、自分たちの真っ当な「暮らし」と「文化」、つまりは「コミュニティー」を守ることが出来るのだと私は思います。(つづく:この原稿は「食と農おおいた」への連載原稿です)
 
by nonukes | 2013-09-18 10:56 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

引きこもり状態の私は1日一冊のペースで読書してます

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引きこもり状態の私は1日一冊のペースで読書してます
小坂正則

この夏は異常なほど暑かった。だから毎日起きてから、今日はどうしようと考えても、明日に出来ることは明日しようと先延ばしをして、毎日過ごしてきた。まともな仕事などしていない。もちろんそんなにやらなければならない仕事などないのだけど。
「そんなにのんきな毎日を過ごして優雅なもんだ」と言われたら、その通りなのだが、ただ、貧困生活だが暇なのだ。それでも7月中旬までは請負仕事などがパラパラあったので、結構真面目に仕事はしていた。
ところがここに来てピタッと仕事が無くなってしまったのだ。私は自営業みたいなものだから、お客様からのご依頼があれば仕事をしなければならない。どんな仕事があるかと言えば、まずは薪の注文。これは今からが本番だから10月からフル回転で忙しくなる予定だ。次にペレットストーブの工事や相談。今年はまだ1件もない。次が講演の依頼だ。これはパラパラとあるのだが、でも講演原稿とプレゼンテーションを作るのは部屋にこもって書くだけだから仕事をしているという実感がない。だって趣味の延長線のようなものだからだ。もちろん月に1回から3回くらいの講演に行くときは頑張って仕事をしたという実感は持てるんですが。でも、これはほとんどお金にはならない。交通費プラス1万円くらいだ。その原稿を作るのに3日から下手をするともっとかかる。先日は福岡のアウトドア-ショップのパタゴニアに呼ばれて行ったんだけど、パワーツーザピーピルという映画の後に講演するというので楽しかったのです。だから私のようなプラプラしている半失業者にとってはたまに講演の仕事があるというのは恵まれた失業者だと思う。
一番嫌な仕事は報告ものだ。環境省や県やNEDOなどへ様々な報告ものが私を毎月のように追っかけてくる。これと会議だ。会議だけは行かないわけにはいかないから。

引こもり状態の私でも悩みはいろいろあるんです

そんな自由な生き方をしているわたしなのですが、ちょっとこの夏は本当に暑かったから本を読むことにしたのです。何とこの10日ほどは毎日1冊のペースで本を読んでいるのです。もともと出不精だし、ほとんど私は引きこもりか独居老人状態なので本が一番私に取っては暇つぶしに最適なのです。それから毎日の日課はヤギの餌やりと散歩です。これが本当は一番の私の仕事のような気がします。毎日朝夕の散歩のついでの餌やりなのです。ヤギというやつは気まぐれで、大好きな餌でも食べ過ぎたら見向きもしない。今度は別の餌を欲しがるのです。
先週から今週にかけて読んだ本の一部を紹介しますと、「年収150万円で僕らは自由に生きていく」イケダハヤト著、 「格差と貧困のないデンマーク」「世界一幸福なデンマークの暮らし方」千葉忠夫、「裸でも生きる」「裸でも生きる2」山口理恵子、「年収100万円の豊かな節約術」山崎寿人、「独立国家の作り方」坂口恭平、「アメリカに潰された政治家たち」孫崎亨、そして今読んでいるのが 「里山資本主義経済は安心の原理で動く」藻谷浩介とNHK取材班だ。今日はこの本で2冊目突入だ。さっき読み上げた孫崎さんの本は実におもしろかった。こんなおもしろい本は久しぶりに読んだ。彼は日本の政治家や官僚やマスコミはアメリカのCIAに乗っ取られているという。そしてアメリカの言いなりにならない人間は必ず陥れられると。その代表的な人間が田中角栄であり、小沢一郎であり、鳩山由紀夫だという。官僚や政治家の中にも米国追従派と日本独立派がいるという、親中国派で反米派の人間は必ず米国の息のかかった政治家や検察庁や官僚から攻撃されて陥れられてきたと。私もそう思う。小沢は自民党幹事長のころアフガニスタン・イラク攻撃のころは親米派だったので130億ドルの肩代わりや自衛隊海外派兵などを積極的にやったが、民主党党首になって、反米路線に切り替えたことろで、政治資金規正法違反で失脚させられたのだと。私もその通りだとおもう。原発再稼動も米国に意志だと。米国追従の首相しか日本では続けられないのだと。石原某元都知事はCIAのエージェントだと孫崎はいう。は私もそい思っていた。石原の売国奴め!奴がアメリカの意の元に尖閣列島の買収などという日中関係をこじらせる問題を持ち込んだのだから。石原のバカがもと青嵐会とかいって右翼のような愛国者のような振りをしていて、何てことはない。金のためかアメリカCIAのために行動する売国奴だったのだ。本人はそれでもアメリカのために動くことが天皇制を守るための最善の方法とでも思っているのだろうか?バカな奴だ。天皇を守るなら米国の言いなりにならないで、日中・日韓友好のアジア外交を優先しろ。それとも中国と戦争でもする気なのか。とまあ、1人怒っている。私のような公安が付けまとってた「過激派」の方がよっぽど石原よりも右翼だ。だって天皇に放射能被曝させるわけにはいかんだろう!放射能に汚染した食べ物を天皇にも子どもたちにも食べさせたくはない!日本のふるさとを守るのも鎮守の森を守るのも日本の海を守るのも「過激派」の私の方だ。天皇のために命を賭けてるような振りをしている「右翼」たちしっかりしろ!といつも怒ってる。だから毎晩酒の量が増えてならない。明後日とその次の日は講演なので、そのために本でもあるんだけどね。
13日は福岡で、私は生まれて初めての3回講演だ。おまけに真ん中はワークショップだからただ話せばいいだけではない。ワークショップのテーマは「幸せに生きる」か「マイナス経済社会を楽しく生きる方法」か「地域を元気にする方法」などなど。皆さんが決めるというから、これは行き当たりばったりの真剣勝負です。でも、講演は、一応のストーリーはあるんだけど、ほとんどその場の真剣勝負なのです。皆さんの反応を見ながらストオーリーを変更するんです。だって、おもしろくなかったらもう私を二度と呼んでくれませんから。だから近頃はめっきり講演の依頼が減ってきたのですかねえ?それとも311から2年半も過ぎると、皆さんの意識からエネルギー問題や原発のことなどかまってはいられないのか?さあ仕事仕事。
こんな自堕落な引きこもりの自由人なのですが、それでも苦労は少しはあるんです……。
by nonukes | 2013-09-10 21:33 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

総合商社と化した大規模生協が流通合理化のために生産者を切り捨てる

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大きいことはいいことか 小坂正則

2010年の暮れに某生協職員で青果担当のEが私の自宅にやって来た。私のオヤジは農家で、びわを中心にして甘夏などのミカンも作っていた。そして某生協が大分で活動をはじめた27年くらい前から生協にびわなどを出荷するという関係が出来ていた。
私のオヤジがなくなってからは私が後を継ぎ、兼業農業でびわなどを作っていたが、私も忙しくて、農作業の大半は有償ボランティアの仲間に手伝ってもらっていた。それでも年間には数十万円の売り上げになり、市場に出荷することを考えたら遙かに高収入の農業が出来ていた。とはいっても、労賃などで利益はほとんどなかったが、オヤジの残してくれた果樹を守ることが息子の出来るせめてもの親孝行だと思っていたのだ。そこへ突然やって来たEは「小坂さんの農業に対する姿勢に熱意が感じられない」と話し始めた。というのも、農薬を使っていないという証明のために耕作日誌を書いて提出するように求められていたのだが、毎年、年度の終わり頃にペーパー1枚にメモ程度の日誌を提出していたことを追求されたのだ。私の日誌は2月寒肥やし、4月びわの袋かけ、6月びわの収穫、7月お礼肥やしと剪定、以上だからだ。でもそれ以外に農薬をやったりしていないのだから書くことはない。それを根拠に熱意を感じられないというようなことを話していたが、そしてEは「あなたは反原発運動などで忙しそうだし生協への出荷を辞退してはどうか」と問われた。私は「生協への安定供給があるから今の農業が成り立っているので、生協に出荷をやめることは農業をやめることになるから、それは考えられない」と反論した。Eも大変困った様子で沈黙が続いたので、私が最後にこう喋った。「私から生協への出荷をやめることはない。生協が私を切るなら切るとハッキリ言いなさい」と。後日Eがやって来て「生協の理事会で小坂の農作物は今後一切取り扱わないことを決めた」と通告してきた。私は少し腹が立ったし、生協の組合員から「なぜ小坂さんは生協への出荷をやめたのあなたのびわを楽しみにしていたのに」と残念がられる方から声がかかることもあったが、生協の組合員と一緒に脱原発運動などもやっているので、この問題は私の腹に収めておこうと決めていた。
ところが、それから3年経った今年の7月に私は緑の党の事務局長として活動する中で、私たちの仲間になってくれた農家の方との会話の中で、このもやもやに再び火が付いてしまったのだ。「私は事務局長の小坂ですが緑の党に加入していただいてありがとうございます」と電話したら、相手の方が「小坂さんといえば某生協に出荷していたびわの小坂さんじゃないでしょうね」という。私は「びわの小坂です」と話すと、「私も出荷してるのです」という。私は「出荷を切られてしまったのです」と話すと、「そうなんです。あのとき私以外の生産者は全員首を切られてしまったのです」というのだ。私は「それでは臼杵のKさんも切られたのですか。あの方は週に3回も葉物野菜などを丁寧に集荷センターに持って来ていて、大切に仕分けをしていて大変熱心に農業をやっていた方だったのですがねえ」と。「そうです。大分で仕分けしていたシステムから福岡や熊本で大規模の戸別仕分け作業に変わったので、葉物などの痛みやすい作物は日持ちがしないので大分から福岡に送って、それをまた大分に逆輸送する間に痛んでしまうということで取引をやめたのでしょう」というのだ。
私の農業に対する熱意がないから切ったのではないことが分かった。総合商社と化した大規模生協が流通合理化のために生産者を切り捨てる手段として私に「農業に対する熱意がない」とうそぶいたのだ。
某生協も「安心安全な食べ物を消費者に」や「地域の農業を守り、生産者と消費者が顔の見える関係を」などというスローガンを掲げていたように覚えている。そんな生協が総合商社と同じように流通合理化のために地域の小さな農家を潰して大規模農家の大量生産作物だけを取り扱って、大量のガソリンを使って無駄な輸送を行う。これが地域生協の現実だった。だって、大分で作った作物をわざわざ福岡や熊本まで運んで、また大分に持って帰って、私の隣の家に配達するという無駄なことをするのだ。その理由は人件費の節約だけだ。大分で仕分けをしなくなったことで首になったパートの人もいただろうと私は察した。

私たちがめざすべき社会が鮮明になった

後日談だが、私は細々とびわなどの出荷を続けている。近頃、とあるオーガニック商店から「小坂びわを取り扱いたい」という声が届くようになった。私がもっと積極的に営業すれば良かったのだが、いまだに小坂びわのファンの方がいることに涙が出そうなくらいうれしい。
私は「生協は利益第1主義の添加物だらけの大手スーパーに比べたら少しはマシだ」と思うので生協がなくなったら困る。でも、一番大切なのは地域にある小さなスーパーや小売店だ。このような商店が一番新鮮な野菜や果物を消費者に直接届けることが出来るし、地域の文化やコミニュティーを守る役割を担っているのだと思う。大量生産・大量消費に支えられて大きくなるばかりの生協に対して、私たちのような小さな社会をめざす文化や価値観こそが、私たちのコミニュティー社会を支えて地域を元気にする基本理念だと私は確信した。それにしてもKさんはどこかほかほかに販路を見つけただろうかと私は心配でならない。
by nonukes | 2013-07-05 09:06 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

今年も我が家の裏山にホタルが2匹いました

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今年もホタルが2匹いました

10年前からホタルが我が家の近くの小川にも生息していることを知った 私は、毎年今頃はホタルチェックをやっているのですが、数年前の台風で小川が氾濫してタニシが流されたのか、その翌年からはホタルの数が激減してしまいました。10年前に実家に帰ってきた私は、夜遅く自宅に戻る車の前を薄緑に輝く小さな物体が横切ったような気がしたのです。「あれ何だろう」と思った私は「まさかホタルじゃないかなあ…」と思って、車のライトを消して真っ暗な周辺を見回したのですが、空高く小さなホタルが点滅しながら山の方に消えていったのです。「ひょっとするとホタルが水源地に行ったらたくさんいるかもしれない」と思って、さっそく家に帰って懐中電灯を取ってきてホタルを探しに行きました。私の家の裏山といえば高崎山なのですが、そこを源流とした小さな小川があり、その水源地が我が家の簡易水道なのですが、その周辺には10匹から20匹のホタルが舞っていたのです。私は40年かぶりでホタルを見て、涙が出そうな程感動したことを覚えています。
 随分昔のことですが、50年ほど前の私が子どもの頃は、夏の夜空には辺り一面にホタルの光が輝いていたものです。竹ぼうきを夜空に振り回してよくホタルをたくさん捕獲して、タマネギのさやに入れて遊んだものです。今年は昨夜、はじめて観察に行ってみました。すると、案の定、ホタルはいません。昨年から我が家の裏山の小さな谷は砂防ダムの工事でズタズタです。だから居なくなっただろうとは予想していたのですが、がっかりです。でも、ヘイケボタルは藪の中にもいるので周辺のびわ畑を探し回って見ました。すると小さな光を発見しました。たった1匹のホタルが寂しそうに輝いていたのです。そしてもう1匹いました。私は昨夜2匹のホタルを見つけました。「よかった。よかった。しっかり卵を生んで来年もまたホタルの輝きをみせてくれよ」と2匹のホタルにお願いして真っ暗なびわ畑を後にしました。何の代わり映えもしない私の人生に小さな感動を与えてくれるホタルに感謝です。一番上の写真は小さなホタル君をストロボで光らせたので輝きは映っていません。真ん中の写真に黄色いシミのようなのがホタルの輝きです。ご堪能下さい。一番下の写真は猿に襲われる我が家のびわ畑です。

追伸)ひょっとすると最近は雨が全く降らないのでホタルがまだ出ていないのかもしれません。ホタル鑑賞を希望の方はご連絡下さい。これから毎夜ホタル探しに出かける予定です。
by nonukes | 2013-06-08 20:03 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

マイナス経済社会を楽しく生き抜く  その1

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マイナス経済社会を楽しく生き抜く 1.プロローグ

小坂正則

なぜ書くのか、どのように書くのか

私は昨年の4月に影書房という東京の小さな出版社から「市民電力会社をつくろう」という本を出しましたが売れ行きは芳しくないようです。だから私はこの企画が持ち上がった時、編集者に「私のような無名の者が書いても決して売れませんよ」と忠告したのですが…。
ところで私は27年前から大分で「反原発」のミニコミ誌を出し続けています。私は小学校のころから作文など苦手で文章を書くことは好きではありませんでした。ところが反原発運動の通信を出す必要に迫られて、文章を書いている内にだんだんと書くことが楽しくて好きになったのです。
私と一緒に反原発運動をたたかった仲間であり、私の人生の師でもある、故松下竜一という人は一生中津という田舎にとどまって売れない本を書き続けた作家でした。彼の書く本はユーモアたっぷりで、暖かな優しい言葉を紡ぐ天才でした。しかし、松下センセを師と仰ぐ私は、いまだにのたうち回るような文章しか書けません。そんな私ですが文章を書くときに心がけていることがあります。①「自分が何を言いたいのかを常に意識して単刀直入に書く」②「形容詞を多く使わず、オーバーな表現はしない」③「出来るだけ文章は易しく書く」の3つを常に意識して書いています。

橋下徹大阪市長に学ぶ

私もつたないブログを書いています。なぜブログを書くかというと、文章を書く訓練だと思っているからです。私が書いたブログで1番人気は「東電は深夜電力を11.77円に値上げ!今すぐオール電化はやめよう」で、2番目が「大分市小学5年生のレントゲン検診をやめさせたたたかいの記録」です。1番目はなぜオール電化が悪いのかを簡潔に書いたものです。2番目は、事実を淡々と書いたものですが、ドキュメンタリーが皆さんを引きつけているのだと思います。しかし、ブログというものは怖いものです。何人が読んでくれたかが瞬時に分かるのですが、そのためにもっとたくさんの方に読んでもらいたくなって、数字だけを追いかけるようになっていくのです。そのために表現がオーバーになったり、だんだん過激なことを書くようになってくるのだと思います。このような人を「ブログ中毒」や「ネット人間」というのでしょう。そこでマスコミとネットを使った政治戦略を巧みに使ってきた橋下徹大阪市長を検証してみましょう。橋下徹という人間はしたたかにマスコミを利用してのし上がってきた政治家ですが、彼は常にマスコミに注目されないと存在価値のない「ネット人間」です。「従軍慰安婦発言」や「在日沖縄米軍の風俗業の活用提案」などで一気に橋下徹と維新の会の人気は陰り始めましたが、そんなに国民を長い間騙し続けることなどできっこありません。いつかはマスコミによって作られた虚像も消えてしまうでしょう。いえ、あのような迷惑な虚像は早く消えもらわなければ迷惑千万です。しかし、橋下人気にあやかろうとして集まった維新の会の議員連中の右往左往している様子をテレビなどで見るに付け、連中の橋下以下の軽さには愛想が尽きてしまいます。維新の会の国会議員はどの顔も軽薄で醜い連中ばかりです。民主や自民の人気に陰りが出始めたからと、サッサと逃げ込んで来た議員連中が、今度はどこに逃げて行くつもりなのでしょうか。だからあんな人間として最低な連中のようなことにならないためにも「コツコツと地道に自らの考えをぶれずに実践していく」しかないと、私は肝に銘じています。

経済縮小社会はなぜ生まれるのか

私が書く文章は、私でなければ書けないことを書くことに価値があるのだと思います。二番煎じのようなことを私が書いたとしても、誰も感動しないからです。私が書くことの意義とは、「より具体的な事例の中に本質的なことが現れている」ことや「大分ではどんなことが出来るか」や「こんなことを取り組めばいいのでは」というような、「少しでも役に立つ提案」でなければ意味がないと思うからです。
そこで今回の「マイナス経済社会を楽しく生き抜く」のテーマに入る前に、今の私たちを取り巻く現状分析からはじめます。
まず最初に私たちの国では著しい高齢化と少子化という人口減少が進んでいます。その前提でこれからの時代をどのようにして生き抜くべきかを考えなければ、これから事業を行おうとしても、それを支えてくれる地域社会が崩壊してしまったのでは元も子もないからです。
政府の人口予測によれば2050年の日本の人口は約3割り減少。2100年には7割減少するという予測です。2100年には4000万人の人口で、現在どんどん建設が進んでいる高速道路やマンションや高層ビルを誰が利用するのでしょうか。2100年にはそれらの建物や地方都市がゴーストタウンと化しているかもしれないのです。
今後起こるであろう人口減少と経済縮小社会では国や地方自治体に入る税収はどんどん減っていきます。その上に高齢者ばかりの社会ですから、労働人口は少なく、老人福祉や介護などの社会保障費用は増大するのです。そのような社会に突入する私たちが今やっておかなければならないことは、この橋は20年後には解体するとか、不要なものと必要なものを取捨選択した将来設計を立てておくことです。米国のデトロイトで、既にそのような都市再生を実施しているそうです。60年代に作られたニュータウンの建物を壊して農園や公園に作り替えているそうです。また、昨年暮れに中央高速道路のトンネルで天井崩落事故がありましたが、日本の新幹線や高速道路が出来て50年が過ぎましたが、これからは高速道路など公共施設の寿命が次々に来ます。それらの抜本的な立て替えや維持・管理費に莫大な税金が必要になります。公共施設の維持管理費に国税のほとんど全てを費やす時代がやってくるのです。そんな時代に第二東名高速やリニアモータカーなど作っている余裕はこの国にはないのです。
安倍政権は「女性手帳」を女子高生に交付して女性の妊娠率の変化を周知し「早く子どもを生ませる」という計画があるそうです。このように縮小社会の原因である少子化対策を国はいろいろと考えているようですが効果は疑わしいでしょう。少子化対策の柱といわれる待機児童の解消策や子育ての社会化などはもっと進めるべきですが、それは少子化に歯止めをかける抜本的な対策にはらないでしょう。なぜなら、先進国では、女性が自分の意志で子どもを産む生まないを決めるのであり、国が子どもを生むことを強制することなど出来ないからです。女性の社会進出の結果、結婚と子どもを産むことだけが女性の幸せではなくなり、現代は結婚以外にも様々な生き方を自由に選択する時代なのです。だから今日の晩婚化と非婚化は先進国といわれる国の必然的な時代現象なのです。だから少子化の社会では数少ない子どもたちを社会全体で大切に育てていけばいいのです。自分の子どもも人の子もみな私たちの明日の社会を作ってくれる大切な「私たちの子どもたち」なのですから。

マイナス経済成長は貧困層を真っ先に襲う

ドイツはこの20年間に電力消費はわずか5%しか上昇していなくて、GDPは27%アップしたそうです。日本は電力消費が30%アップしたのにGDPはわずか16%しかアップしていないのです。この違いから分かることは、「エネルギー消費とDGPは決して比例するわけではない」ということです。例えば日本中の照明器具をLEDに変えただけで原発13基分の電力が削減できるそうですからエネルギーが減っても省エネ産業は栄えます。(財団法人日本エネルギー経済研究所による試算)人口減少社会ではエネルギー消費はもちろんですが「もの」の購買力も減ってきます。ですから全体のGDPは減ってくるかもしれませんが、国民1人あたりのGDPは逆に増える可能性もあるのです。日本は世界3位のGDPといわれていますが、国民1人あたりのGDPは世界17位です。12位のシンガポールよりも下位です。
ただここで考えなければならない問題があります。「好景気でどんどん工場やビルが出来るよりも少しくらい不況の方が環境破壊が起きなくていい」と私もよく思うのですが、このような数字があります。相対的貧困率です。国民の可処分所得の平均の半分以下の人口の割合をいうそうですが、日本はOECD加盟国内(OECD加盟国の平均は10.6%)でメキシコの18.4%、トルコの17.5%、米国の17.1%に次いで4番目に相対的貧困率が高い15.7%だそうです。貧困と格差が拡大しているのです。
不況になると真っ先に非正規労働者や母子家庭などワーキングプアーといわれる人びとが首切りや賃下げなどの犠牲となり経済の調整弁の役割を担わされるのです。セーフティーネットの充実や格差是正の対策をどう作っていくかが経済縮小社会を迎える私たちが真っ先に取り組まなければならない課題だと私は思います。(つづく)
by nonukes | 2013-06-07 14:51 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

今日も薪割作業に追われています。来冬用の薪作りです

アベノミクスや橋下大阪市長のハレンチ発言などで巷は騒がしいようですが…
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今シーズン用の薪は4月初めには完成して、今はストックヤードで乾燥中です。しかし、これからは来シーズン用の薪作りがすでに始まりました。1年以内の乾燥でも充分乾く薪もあるのですが、カシやクヌギなどの堅い材は完全乾燥までには1年では十分ではありません。そこで2年間の乾燥が必要になるのです。昨年の暮れに大型の薪材をもらってほとんど作業は終わったのですが、ここに来て来シーズン用の薪材も確保できました。それにカシやクヌギにミズナラなど堅い木が大半の材です。こんな材を確保できたのは初めてのことです。建設業者が廃棄物処分費を浮かせるために持って来てくれたものですが、これもアベノミクス効果などでなければいいのですが。写真のように見渡す限りの広葉樹です。この夏までにはかたづけてしまいたいと思っています。

とうとう維新の会も化けの皮を現してきたのか

橋下大阪市長がいきなり記者会見で在日沖縄米軍の司令官へ「米兵に日本の風俗業をもっと活用してはどうですか」と提案した。という話しや、「戦前の従軍慰安婦は日本だけではなく、各国もやっていたことで、日本だけが追求されるのはおかしい」「私はきれい事並べるのではなく、人が言わないことも言うのだ」とか何とか、過激な発言の暴走が続いています。橋下は「何であんな過激派発言をするのか」その理由として「支持率がじり貧の維新の会の人気挽回のために行った」という説もあります。しかし、今回の発言だけは橋下の目論みに反してとんでもないことになったようです。まず、アメリカのしっぽを踏んでしまったのです。彼ら政治家にとってアメリカは決して批判してはならない存在だからです。橋下タレント市長も国会議員を20人以上有する政党の党首なのですから、彼の発言は世界中に配信されて「日本人がこんな時代錯誤の暴言を言っている」と取られてしまうのです。あんな橋下や石原なんか、私は日本人として一緒にされたら困ります。もありません。
でもこの失態で少しは維新の会の支持率が落ちることを私は最大限期待しているのですが、その支持者がアベノミクスへ行ったのでは元も子もありませんが…。

みどりの風と未来の阿部知子さんが合流

「みどり連合」構想という話しをみなさんご存じですか。加藤登紀子さんや良心的な学者や文化人たちがみどりの風と未来に社民党、生活の党、緑の党へ一緒に参院選をたたかうように提案しているものです。これまで水面下でみどりの風と未来と緑の党の3者は話し合いを行ってきたそうです。しかし、昨日未来の党の阿部知子さんがみどりの風に合流すると記者会見を行ったそうです。
そこで、阿部さんとみどりの風の谷岡さんの連名で緑の党へ合流への要請文が届けられたそうです。
私は「みどり連合」をつくることに積極的に賛成です。ただ、小沢さんが作った未来の党が衆院選が終わったと同時に分裂したようなドタバタ劇は決してやってはなりません。だから国会議員が選挙で通るために集まる政党ではダメだということです。維新やみんなの党などに参加している議員や候補者は選挙に通りたいがために民主へ行ったり、維新に行ったり、維新の人気にかげりが見え始めたら、維新の参院選候補予定者はこんどはどこに流れていくのでしょうか。
そんな政治屋とは緑の党は一緒にはやれません。しかし、合流のために議論は進めなければなりません。脱原発勢力の一大合流のためにも、まずはみどり派の一大結集が有権者の期待していることだからです。次は憲法9条を守る政党の緩やかな連帯や連合をめざすべきです。
by nonukes | 2013-05-18 21:59 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(1)

今日は別府公園で「アースデーおおいた」に行ってきました

小坂農園のみなさんが頑張って農産物を販売しました小坂正則

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本日、アースデーおおいたのイベントが別府公園で開催されました。晴天に恵まれた連休2日めの4月28日の今別府公園にはアースデーへの参加者で大変な人だかりでした。小坂農園のスタッフの皆さんがびわ茶や甘夏にフキなどなどの農作物や加工作物を持ってアースデーの会場で販売しました。私は応援がてら後から参加しただけですが、脱原発のアンケートをするKさんやお手伝いに来てくれたSさんなどたくさんの方々が私たちのブースに応援に駆けつけてくれました。会場では久住で手作り風車の工房を開いている王さんも風車を展示していました。出店者の大半の方が友人や知り合いで、久しぶりに会う方や懐かしい方などと楽しいひとときを過ごすことができました。小坂農園の売り上げも相当あったようです。甘夏もハッサクも完売。園主はプラプラしているのに…。コサカハウスの皆さんは一生懸命に販売していました。アースデー実行委員会のみなさんご苦労様でした。何も準備に参加しなくてごめんなさい。
by nonukes | 2013-04-28 17:13 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

  小坂正則