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小坂正則の個人ブログ

私たちはポピュリズムと反知性主義をどうやって乗り越えることができるか

ポピュリズムと反知性主義をどう乗り越えることができるか
小坂正則
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出版業界が大きく変わる時代の流れ

『七つ森書館』という良心的な小さい出版社が東京にあります。そこが出す「七つ森通信」にこんなことが載っていました。
…一昨年取次会社の栗田出版販売が倒産し、今年は大洋社が倒産しました。つい先日には岩波ブックセンター信山社が倒産しました。まだ高校生の頃でしたが、神保町の書店を歩き回って岩波ブックセンターに行き着いて、碩学の労作が並ぶ書棚から『理化学事典』や『定量分析の実験と計算』という本を手にした時のことをよく覚えています。こうした書店が立ちゆかなくなるのは身に堪えます。
書店様での小社の本の売れ行きをみると、七つ森書館が得意とした、脱原発などの社会問題をテーマとした本の売れ行きは、昨年(2015年)4月頃から減り始めてきています。参院選へのリベラルの側からの準備が着々と進んでいた頃からです。売り上げ半減どころか、半分を下回ってきております。戦争反対の国会前の盛り上がりがあっても、減少傾向に歯止めがかかっていませんでした。参院選の結果や小池百合子の登場、トランプ大統領、安倍政権の長期化……、世の中が悪くなる方へ進むのと同じです。
この大きく変わる時代の変化を「何かが壊れ始めた」と表現した方がいました。われわれの世代の運動の甘さが跳ね返ってきています。これが、モロに売り上げ減として現れているので、大変な痛みをもって実感している次第です。(ここまで引用)
私も中央線のJR御茶ノ水駅で下りて坂を下って、明治大学神田校舎を過ぎ、靖国道りへ出たところにある神田神保町界隈の古本屋を巡るのが東京へ行った時の楽しみの1つでした。そして最後には岩波ブックセンターに行き着いていたものです。ところが、この大きな書店が昨年の11月23日に店主の急逝により店を畳んだそうです。ちなみに岩波書店とは何の資本関係はなく、ただ岩波の本が日本一揃っている書店だったたそうです。
私が毎年のように通った古本屋が連なっていた神田古本屋街も行く度に古書店が減っていき、今では靖国通りには古書店を探すのが難しいほどに減ってきていました。

活字を読む生活から情報を見る生活に変わった

ネット通販書籍の中で最大がアマゾン。古本屋の最大はブックオフ。それに雑誌の売り上げ1番がコンビニです。このように書店を取り巻く状況は実に厳しい環境に晒されているのです。しかし、既存の本屋が潰れたとしても、アマゾンやブックオフやコンビニがあれば出版業界自体は、そんなに大きな影響はないはずですが、出版業界自体も大きな出版不況の波に襲われているのです。1996年に書籍と雑誌合計で2兆6500億円だった売り上げが20年後の2015年には1兆5200億円と実にピーク時から1兆円以上も売り上げが減っているのです。
雑誌が売れなくなった大きな理由は、ネットが雑誌に取って変わったからでしょう。週刊誌などは1昨年は対前年比13.4%もの大幅売り上げ減だったそうです。それに雑誌以外の本を読まなくなった理由は様々あるでしょうが、これもネットの影響が大きいのでしょう。それに本を買えるような生活に余裕がなくなったことも大きな理由かもしれません。ことは出版業界だけの問題でもないようです。新聞業界でも著しく購読者が減っているそうなのです。
この現象は新聞業界でも顕著です。いまの若者で新聞を定期購読している方が珍しいのではないでしょうか。若者だけではありません。サラリーマン世代の中でも新聞を取っていない方がどんどん増えているのです。給料が減っていることなどもあるでしょうが、「新聞紙をゴミに出すのが面倒だ」という理由などもあるそうです。
日本の新聞業界の特徴は全国紙の発行部数世界で最も多いことです。読売が900万部、朝日が650万部で毎日が300万部です。しかし、ここでも激しい新聞離れが進んでいるのです。2016年には対前年度比で読売が▲1.3%、朝日が▲1.9%、毎日に至っては▲4.2%と大幅に落ち込んでいるそうです。新聞離れが進むのは世界の流れです。世界の報道界をリードするワシントンポスト(66万部)やユーヨークタイムズ(103万部)なども電子新聞が利益をカバーしているそうです。ただ、世界中で読まれるこれらの新聞に比べたら、日本の新聞社のニュースは世界中で読まれることはなりませんのでこれら2紙の真似はできません。
このように世界中で活字離れが起こっているようです。

ポピュリズム政治と活字離れには何らかの相関関係はあるか?

トランプ米大統領の登場などを「反知性主義」という表現で使われていますが、本来の意味の「反知性主義」とは「知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想」のことを言い、権威主義批判の意味で使われていたようですが、今では「知的な思考を無視した感情的な思考や言動」のことを「反知性主義」と言っているようです。
そう言った意味ではポピュリズム政治(大衆迎合政治)の思考回路を現在使われている意味での「反知性主義」というのでしょう。
これまで、EUなどは各国の利害を超えたEU全体の平和や自由など人びとの人間的尊厳を実現するための「共通の価値観」を実現しようとしてきました。ところが、移民や難民の流入で、労働者の仕事が奪われるという現実やテロなどの横行で、隣人をいたわる共通の価値観が壊れてしまい、「自分が貧しいのは奴らが仕事を奪った結果だ」と、隣人に対する憎しみや増悪にまみれた感情的な言動がEUや米国の白人たちに間で広がってきたのです。その結果が英国のEU離脱やトランプ大統領の登場なのでしょう。
しかし、このような傾向は日本でもとっくに起こっていました。90年代以降、失われた20年とか25年と言われる不況や非正規雇用の増大、それによる格差の拡大で人びとの不満のはけ口を「在日の人びと」など弱い者や労働者の権利が保障されている公務員へのバッシングという形で広がって行ったのです。
このような「反知性主義」的な現象と活字離れに何らかの因果関係があるのかどうかは私には分かりませんが、活字離れ現象とポピュリズム政治の台頭が21世紀初頭に世界中で起こっていることだけは事実のようです。ただ、理性的な思考や行動から感情的な思考へと人びとの行動様式が変化することに「活字離れ現象」が何らかの形で影響しているのではないかと私は感じるのですが、その辺を誰か研究してもらえないでしょうか。

小泉政権から安倍晋三・橋下維新へと続く「反知性主義」

小泉元首相の政治手法を日本では「劇場型政治」と言って、選挙区に死客を送り込むことにより、国民がさも演劇を楽しむようにして拍手喝采を政治指導者へ送ってきました。しかし、冷静に考えたら、何の脈略もないことに多くの有権者や民衆は踊らされていたのです。橋下元大阪市町が「大阪が不況なのは大阪市職員がサボっているからだ」という何の脈略もないことに踊らされて橋下の意のままに、いまだに大阪市民や大阪府民は踊らされているのです。
残念ながら、多くの有権者や民衆は「小難しことよりも分かりやすい言葉を求める」ものなのです。小泉純一郎首相が2001年5月27日、東京・両国国技館での大相撲夏場所千秋楽の表彰式で、けがをおして優勝した貴乃花に「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう」という短い言葉で国民を魅了させました。小泉元首相は正に言葉の魔術師だったのです。
橋下徹も「関電は霊感商法と同じだ」など、小泉純一郎氏を真似て、短いフレーズで関西人を魅了し続けていました。しかし、中身は誰が考えても橋下が霊感商法と同じなのですが。
米国大統領トランプが天才的な人間だとは思いませんが、彼を演出した立役者は見事に「劇場型選挙」を演出し続けたのです。これまでの政治家の演出といえばスーツの柄やネクタイの色など写真写りをよく見せるなどの演出が主だったものが、社会心理学者や脳科学者の研究などが進んだり、ビッグデータの分析で大衆を操作することが容易になって来つつあるのでしょう。それにヒットラーが合法的に独裁政権を樹立したように、ヒットラーを橋下や安倍は真似ているのでしょう。

私たちは「反知性主義」とどうたたかえばいいのか

民衆や有権者が「劇場型政治」や「劇場型選挙」に拍手喝采をあびせることを、私たちが「瞞される有権者が悪い」と責めても仕方ありません。それは単なる負け犬の遠吠えでしかありません。もちろん同じ土俵で権力者と闘っても勝ち目はないかもしれませんが。私たちはこれまでやって来たことをただ漫然と繰り返すのではなく、持てる力を最も有効に発揮できるための戦略と戦術を練って、効果的な戦いを繰り広げることが求められているのでしょう。私たちがポピュリズム政治を負かすには小手先の技術では勝ち目はないでしょう。多くの有権者に共感と連帯感を生み出せなかったら勝ち目はありません。しかも私たちの武器は「感情的に他人を攻撃する」ことで得られる「不満の代償行為」ではなく、共感と連帯で未来への展望を有権者に持ってもらうことができるかが勝敗の決め手です。それに「平和や自由」という普遍的価値の想像性を共有することも必要です。
もっと具体的に言えば、「他人の幸せを自分の幸せ」と思える関係性を実現できるかどうかです。学校の先生が「イジメはいけません」とか「差別をしてはいけません」と、生徒に一方的に覚えさせただけではこのような感情は人びとの中には生まれません。感情は教えるものではなく体験するものです。心と心のつながりで生まれる感情体験が必要なのです。つまり私の周りの他人と心を通じ合い、友情や共感を互いに感じ合う中でしか「他人の幸福を自分の幸福と感じる」感情は醸成されないのです。それは教えられてできるものではありません。現実に他者との信頼関係を築くことでしか生まれません。韓国や中国の人びとと親しくなって初めて「民族差別をしてはならない」という感情が生まれるのです。
安倍や橋下の訴える「憎悪」に対しては「他者への愛」で跳ね返すのです。このような互いをいたわりあう関係性を1人でも多くの仲間と共有することが結果として地域社会を作り上げ、その延長上に政治を変えることができるのかもしれないと私は思います。私と同じ考えではない他人と議論を交わす中で、共通の一致点や同意点が生まれ、それが少しずつ大きく育つことが社会を作ることだと私は思います。今の若者が同じ仲間としか関係性を作らないと言われていますが、それを越える関係性を地域社会に広げていって、蔓延しつつある「反知性主義」政治の誕生をみんなで阻止しよう。
Commented by kappa man at 2017-01-05 18:30 x
雑誌についていいますと、dマガジンの影響が大きいのです。
dマガジンは月額400円で驚くほど多くの雑誌が読み放題(ただしすべての記事を公開していない媒体が多いですが、逆に言えばそれでもぜんぜん問題ありません)、かつ複数のデバイスがOKです。事実上の無料モデルといえます。

このdマガジンから入ってくるカネが媒体社にとっては非常に大きなウェイトを占めつつあり、干天の慈雨となっています。
現状では発行部数、広告収入とも減少しているにもかかわらず、近年、まったく黒字化の見込みがなかった媒体が、dマガジンのおかげで黒字転換したというケースもあります。

昨年、週刊誌はずいぶんと電通叩きに加担しましたが、これはカネの切れ目は縁の切れ目的な部分もあり、逆にdマガジンを運営するdocomoは、かつてのキオスクのごとく完全なタブーとなっています。

ただ、ではdマガジンは本当に紙媒体としての雑誌にとっていいのもなのかはわからず、業界には「シャブである可能性が高い」という見方もあります。

ちなみに若い層での雑誌離れは本当に著しく、わずか7、8年前まで実売70万部、広告収入においても我が世の春を謳歌していたCanCam(20代前後の女性を読者ターゲットにしたファッション誌)は、いまや実売7万部を切っています(ABC調査)。同じ層をターゲットとるす競合誌も枕を並べて討ち死に状態です。
by nonukes | 2017-01-03 17:49 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(1)

  小坂正則

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