ブログトップ

小坂正則の個人ブログ

エリート大学生による集団レイプ事件の裏に潜んだ歪んだ動機(2)

選民意識はどこから生まれてきたのか
小坂正則
d0174710_15453056.jpg

我が家の山に咲いていた山椿の花です

戦後の国民が貧しかった頃は国民には1つの目標がありました。それは廃墟からの復興です。「アメリカに追いつき追い越せ」という目標でした。また、みんなが貧しかったので、自分が貧しくても、心まで貧しくはなりませんでした。その後の高度経済成長時代までは1億総中流ともいわれていたように、格差が小さな社会だったのです。しかし、バブル崩壊から失われた20年とも30年ともいわれる1980年代後半の低成長時代に入ってから、不況や格差が拡大した社会では、それと共に利己主義的な社会意識へと大きく変化して来たのでしょう。
1980年代後半までは格差はあっても、貧しくても「昨日よりも今日の方が豊かになっていた」のです。しかし、バブル崩壊以降、今日のように「昨日よりも今日の方が貧しくる」社会では夢も希望も失ってしまう人びとが増えてしまったのでしょう。
そんな社会では連帯意識は醸成しません。他人は全て敵とみなして、競争社会を生き抜かなければ自分が競争に脱落してしまいかねない社会に突入したのです。1985年に労働者派遣法が成立して2003年の小泉政権で完全に自由化されたのです。そんな社会情勢の中で、教育現場は偏差値教育が進み、点を取る競争が激化して行ったのです。学校現場でもその頃からイジメが大きな問題化してきました。「他人は自分の競争相手でしかない」という価値観が一層純化していったのです。「共に助け合って生きる」という類としての人間存在が希薄になってきたのです。

全共闘世代にはまだ若者にエネルギー発散の機会があった

60年安保世代の学生や68年全共闘世代から70年代安保世代の学生たちには、大人への反発や「止めようのない自らの中からわき出るエネルギーを爆発させる機会があった」のです。それは学生運動だったり、異性への興味だったり、遊びだったり、それぞれ異なっていましたが、社会が若者の自由を許容するゆとりがあったのです。全共闘世代の人びとが若かった頃には、当時の経営者などがよく言っていたことがあります。「学生は少しぐらい暴れるくらいが元気があってちょうどいい」と。今そんなことをいう経営者は見あたりませんね。
しかし、コンピューターの発達で、がちがちの管理社会になってしまった現在は、そのようなゆとりさえも失われてしまったのです。ですから、人びとの中に溜まったストレスや不満のはけ口が見つかりにくくなって、それが弱者への攻撃としてはき出されるようになって来たのです。このような社会現象が「集団レイプ事件」を起こす若者の背景に潜んでいるのではないかと、私は考えるのです。

子どもたちを自由にさせることは社会が豊かになる可能性が大きい

管理教育を元大阪市長の橋下は積極的にやらせようとしていました。大阪市の子どもたちの全国一斉模試の平均点が大阪市が最低ラインだったときのことだと思います。しかし、結果は一向に向上したとは聞いていません。教師を処分の連発で強権的にロボットのような人間を作って子どもたちに自由な教育などができるわけはありません。結果はイジメで自殺者が出たという高校生の話は聞きましたが。橋下の強権的な教育行政は完全に失敗でした。教師に自由がなければ子どもたちをのびのびと自由に教えることなどできるわけはないのです。
詰め込み教育は一時的にはテストの点は上がるかもしれませんが、長い目で見たら結果は真逆です。詰め込み教育は学ぶことの楽しさを子どもたちから奪い取ってしまい、学ぶことが嫌いになってしまうだけなのです。
経営の神様と言われるピータードラッガー氏の著書にこんなことが書いています。ある教師が次のような実験を行ったそうです。1つのクラスの子どもたちには野鳥の名前を図鑑で教え込み毎回野鳥の名前のテストをやったそうです。もう1つのクラスでは双眼鏡と図鑑を持って屋外に出て野鳥観察を行わせたそうです。そして20年近く経ってから、その生徒たちの元クラスの仲間が集まる機会があったので、「君たちの中で野鳥が好きな者はいるか」と、聞いたら、前者のクラスでは誰もいなくて、後者のクラスでは3割ほどが「野鳥が今でも大好きだ」と答えたというのです。このように学習させるということは、子どもたちに無理矢理たたき込むのではなく、興味を持たせるように誘い込むことが最も大切なことだということが裏付けられたのです。デンマークが子どもの学習能力が世界一だといわれていますが、デンマークは子どもが自由に複数の学校の中から、自分の好きな学校を選んで行くことができるそうなのです。芸術を主体に教える学校や技術専門に教える学校などに、父母が自分たちで学校を作ることだってできるのです。日本の子どもたちが偏向しているのは、自由が子どもたちに与えられていないからです。それは教師に自由がないからでもあります。日本の義務教育も自由化など大きな見直しが必要でしょう。
by nonukes | 2016-12-21 15:47 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

  小坂正則