2016年 03月 10日
なぜ表現の自由が基本的人権の中で最も優越的な地位なのか
なぜ表現の自由が基本的人権の中で最も優越的な地位なのか
小坂正則
http://www.videonews.com/commentary/160220-01/
この動画は私の推薦する動画です。なぜ安倍政権が放送に手を突っ込みたがるのか理由がよく分かります。
https://youtu.be/uhhoY7KkYt4
この動画の中では16分過ぎくらいからこの議論がはじまります。
憲法の意味をしらない首相を持った国民が最大の不幸だ
言論の自由が憲法の保障する基本的人権の中で、なぜ最も大切な権利なのかが実によく分かる一コマが国会で繰り広げられていました。私も漠然として言論の自由や思想信条の自由や表現の自由など精神的なもの「内的自由」が経済的な自由にまして重要なのかということは「心の自由の方が、物質的な自由よりも優先する」というように抽象的な意味では感じていたのですが、法的に説明することは出来ませんでした。
しかし、法律というものは文学とは違って法的論拠で証明されなければならないので、そこにはハッキリとした意味があったのです。
残念ながら、安倍首相は憲法の基本の基である、「内的自由の優越性」を法的に論証することは出来ませんでした。もちろん私も初めて知ったのですから、安倍晋三をバカだとは批判しません。ただ、私は一国民ですから何ら知らなくても問題はありませんが、一国の首相で、最高権力者がその程度ではこの国の行く末が実に心許ないではありませんか。だって、彼は「立憲主義」も、「私は大学で憲法を専攻していませんからよくは知りません」というような答弁をしているのです。
なぜ「表現の自由が優先するのか」中学校で教えるべきだ
安倍首相と民主党の論客の山尾志桜里議員の論争は実に胸のすくような、さすが元検察官だけあって、山尾議員の論理的な攻撃にタジタジな安倍首相でした。この論争はぜひ中学生や高校生の憲法の学習教材として活用してほしいです。
ここから中継です
山尾:『総理、このまえ、大串議員に、「表現の自由の優越的地位ってなんですか?」と問われました。この時、総理の答弁は、「表現の自由は最も大切な権利であり、民主主義を担保するものであり、自由の証。」という、かみ合わない、謎の答弁をされました。法律の話をしていて、『自由の証』という言葉を私は、聴いたことありません。』
と質問したのに対し(自由の証 笑)、安倍首相は事務方の官僚に教えてもらって
安倍:「ま、これは、あの、ま、いわば、法的に 正確にお答えをすればですね、経済的自由、そして、えー、精神的自由より優越をするという意味においてですね、えー、この表現の自由が重視をされている、ということでございます。」
正確にお答えすれば、って言いながら、経済的自由が表現の自由が含まれる精神的自由より優越する、って真逆のことを答えてしまっています(笑)。
「ま、いわば、表現の自由がですね、この優越的な地位であるということについてはですね、これは、まさにですね、えー、経済的な自由よりもですね、精神的自由がですね、優越をされるということであり、いわば、表現の自由が優越をしているということでありますが。いずれにせよ、ですね、それをですね、そうしたことを今、この予算委員会でですね、私にクイズのように聴くということ自体が、意味がないじゃあないですか。」
山尾:「総理、もう一度お伺いします。精神的自由が経済的自由より優越される理由、総理は今、優越されるから、優越されるんだ、といま、おっしゃいました。これは、理由になっておりません。これがわからないと、大変心配です。もう一度お答えください。どうぞ。」
と問い詰めると、安倍首相は
「内心の自由、これはですね、いわば、思想、考え方の自由を我々は もっているわけでございます。」と支離滅裂なことを言ってしまいました。
内心の自由というのは、思想良心の自由や信仰の自由のように、人の内心にとどまる自由のことですから、自分の意見を外部に言う表現の自由とは違います。
というわけで、安倍首相を散々やり込めた山尾議員は、やっと答えを教えてくれました。
山尾:・・総理は、知らないんですね。
なぜ、内心の自由や、それを発露する表現の自由が、経済的自由よりも、優越的地位にあるのか。憲法の最初に習う、基本の「き」です。経済的自由は、たいへん重要な権利ですけれども、国がおかしいことをすれば、選挙を通じて、これは直すことができるんです。
でも、精神的自由とくに表現の自由は、そもそも選挙の前提となる、国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができないから、優越的な地位にある。
これが、憲法で最初に習うことです。それも知らずに、言論の自由を最も大切にする安倍政権だと胸を張るのは、やめていただきたいと思います。」(国会論戦はここまでです)
(ここからは解説です)
もう少し解説しますと、報道機関が自由に取材や報道が出来て、国民が自由に情報を取得し、自分の意見も言える自由が表現の自由です。
この表現の自由が保障されることによって、国民は自分の政治的な意見を持つことができ、自分たちの代表者である国会議員を選ぶことができます。
逆に言うと、表現の自由が憲法違反の法律や行政処分で違憲状態にまで制限されると、国民の政治的意見が損なわれてしまい、国会議員の構成まで本来と違うメンバーが選ばれてしまうことになります。
このような違憲状態で選ばれた国会議員は憲法違反の法律を改めようとは絶対にしないでしょう。なぜならそういう違憲な法律でこそ、自分は選ばれたんですから。
「精神的自由とくに表現の自由は、そもそも選挙の前提となる、国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができない」と言った意味です。(この中継の解説はEveryone says I love you !ブログより転載させて頂きました)
放送法を盾にして自民党がマスコミを脅すことがいかに憲法違反かがよくわかる
このようなスッキリした表現の自由が政治的に最も重要なのだという意味を国民に教えてくれた山尾議員に民主党の党首を岡田さんから山尾議員に代わってもらえば民主党の支持率は一気に安倍を抜くと私は思いました。今からでも遅くはありません。高市などのネオコン議員や安倍のような憲法知らない議員に比べて、山尾議員はこの国の進路を確実に安全な方向に進めてくれるだろうと私は確信しました。
マスコミの報道の自由がいかに大切なのか。それも政権政党はそこに手を突っ込んではならない理由が、この山尾議員の説明にあるのです。その意味で安倍政権がこれまで行って来た一連の報道に介入して来た行動が、自由主義国家であれば民主主義を守るためには、報道に対して国家権力が絶対に介入してはならない理由がよく分かるのです。
新聞や週刊誌に対しては放送法のような締め付けの条文はありません。放送法の第4条は憲法21条違反の可能性が高いのです。しかし、この法律は戦後のどさくさのなかで、当時の政府によってコッソリ入れられたそうです。GHQは戦後すぐに電波管理委員会という第三者機関が電波を管理していたのですが、当時の吉田首相が電波管理委員会の権限を剥奪したそうです。現在は総務省に電波の許認可権を与えているのです。放送法はもともと、戦前のNHKが戦争に荷担したことを二度と繰り返してはならないという意味で国家の介入から放送の独立や言論の自由を守るために出来た法律なのです。ですから、第4条は「放送事業者のモラルや精神的な心構えだ」という解釈が大半の法律家の意見だそうです。
安倍政権にこのままこの国を任せていたらとんでもないことになる
報道の自由の議論が一昨年の暮れ頃から活発に行われるようになっています。一昨年の年末の衆院選で、安倍首相がTBSのニュース23の番組に生出演したとき、「アベノミクスの恩恵を私は受けていません」という街頭インタビューの声に反論して、「アベノミクスの恩恵を私は受けていますということをテレビに向かっていう人はいませんよ」とか「アベノミクスの恩恵を受けている方の声も拾ってください」というような反論をしたことから始まったのです。そして、そのニュースの前後に自民党が東京のテレビ各局に「衆院選の報道には公平な報道を行うように」という要請文を出していたのです。それが「報道の自由への侵害に当たるのではないか」という批判が上がったきっかけだったのです。
その後、放送法第4条2項の「政治的に公平であること」や4項の「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という条項があることから、高市総務大臣が「放送局が著しく放送法の第4条に違反を繰り返すようなことを行えば電波停止を行使することもあり得る」と答弁したのです。
為政者は自分への批判は国家への反逆だと思ってしまいます。中国では国家権力や習政権を批判すれば国家反逆罪の罪に問われます。北朝鮮では金政権を批判したら生命がなくなります。そのように「国家権力を持った者は自分だけが正しくて私を批判する者はみな間違っている」と思いたくなるのです。そして、反対派への批判が暴力的な実力行使に発展して行くのです。自由主義国家では、だから表現の自由がそれを止める大きな歯止めの役目を担っているのです。しかし、その歯止めを壊しそうとしている、安倍政権がこのまま続けばやがて日本も歯止めが利かなくなり、中国や北朝鮮のように息苦しい国になることでしょう。
小坂正則
http://www.videonews.com/commentary/160220-01/
この動画は私の推薦する動画です。なぜ安倍政権が放送に手を突っ込みたがるのか理由がよく分かります。
https://youtu.be/uhhoY7KkYt4
この動画の中では16分過ぎくらいからこの議論がはじまります。
憲法の意味をしらない首相を持った国民が最大の不幸だ
言論の自由が憲法の保障する基本的人権の中で、なぜ最も大切な権利なのかが実によく分かる一コマが国会で繰り広げられていました。私も漠然として言論の自由や思想信条の自由や表現の自由など精神的なもの「内的自由」が経済的な自由にまして重要なのかということは「心の自由の方が、物質的な自由よりも優先する」というように抽象的な意味では感じていたのですが、法的に説明することは出来ませんでした。
しかし、法律というものは文学とは違って法的論拠で証明されなければならないので、そこにはハッキリとした意味があったのです。
残念ながら、安倍首相は憲法の基本の基である、「内的自由の優越性」を法的に論証することは出来ませんでした。もちろん私も初めて知ったのですから、安倍晋三をバカだとは批判しません。ただ、私は一国民ですから何ら知らなくても問題はありませんが、一国の首相で、最高権力者がその程度ではこの国の行く末が実に心許ないではありませんか。だって、彼は「立憲主義」も、「私は大学で憲法を専攻していませんからよくは知りません」というような答弁をしているのです。
なぜ「表現の自由が優先するのか」中学校で教えるべきだ
安倍首相と民主党の論客の山尾志桜里議員の論争は実に胸のすくような、さすが元検察官だけあって、山尾議員の論理的な攻撃にタジタジな安倍首相でした。この論争はぜひ中学生や高校生の憲法の学習教材として活用してほしいです。
ここから中継です
山尾:『総理、このまえ、大串議員に、「表現の自由の優越的地位ってなんですか?」と問われました。この時、総理の答弁は、「表現の自由は最も大切な権利であり、民主主義を担保するものであり、自由の証。」という、かみ合わない、謎の答弁をされました。法律の話をしていて、『自由の証』という言葉を私は、聴いたことありません。』
と質問したのに対し(自由の証 笑)、安倍首相は事務方の官僚に教えてもらって
安倍:「ま、これは、あの、ま、いわば、法的に 正確にお答えをすればですね、経済的自由、そして、えー、精神的自由より優越をするという意味においてですね、えー、この表現の自由が重視をされている、ということでございます。」
正確にお答えすれば、って言いながら、経済的自由が表現の自由が含まれる精神的自由より優越する、って真逆のことを答えてしまっています(笑)。
「ま、いわば、表現の自由がですね、この優越的な地位であるということについてはですね、これは、まさにですね、えー、経済的な自由よりもですね、精神的自由がですね、優越をされるということであり、いわば、表現の自由が優越をしているということでありますが。いずれにせよ、ですね、それをですね、そうしたことを今、この予算委員会でですね、私にクイズのように聴くということ自体が、意味がないじゃあないですか。」
山尾:「総理、もう一度お伺いします。精神的自由が経済的自由より優越される理由、総理は今、優越されるから、優越されるんだ、といま、おっしゃいました。これは、理由になっておりません。これがわからないと、大変心配です。もう一度お答えください。どうぞ。」
と問い詰めると、安倍首相は
「内心の自由、これはですね、いわば、思想、考え方の自由を我々は もっているわけでございます。」と支離滅裂なことを言ってしまいました。
内心の自由というのは、思想良心の自由や信仰の自由のように、人の内心にとどまる自由のことですから、自分の意見を外部に言う表現の自由とは違います。
というわけで、安倍首相を散々やり込めた山尾議員は、やっと答えを教えてくれました。
山尾:・・総理は、知らないんですね。
なぜ、内心の自由や、それを発露する表現の自由が、経済的自由よりも、優越的地位にあるのか。憲法の最初に習う、基本の「き」です。経済的自由は、たいへん重要な権利ですけれども、国がおかしいことをすれば、選挙を通じて、これは直すことができるんです。
でも、精神的自由とくに表現の自由は、そもそも選挙の前提となる、国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができないから、優越的な地位にある。
これが、憲法で最初に習うことです。それも知らずに、言論の自由を最も大切にする安倍政権だと胸を張るのは、やめていただきたいと思います。」(国会論戦はここまでです)
(ここからは解説です)
もう少し解説しますと、報道機関が自由に取材や報道が出来て、国民が自由に情報を取得し、自分の意見も言える自由が表現の自由です。
この表現の自由が保障されることによって、国民は自分の政治的な意見を持つことができ、自分たちの代表者である国会議員を選ぶことができます。
逆に言うと、表現の自由が憲法違反の法律や行政処分で違憲状態にまで制限されると、国民の政治的意見が損なわれてしまい、国会議員の構成まで本来と違うメンバーが選ばれてしまうことになります。
このような違憲状態で選ばれた国会議員は憲法違反の法律を改めようとは絶対にしないでしょう。なぜならそういう違憲な法律でこそ、自分は選ばれたんですから。
「精神的自由とくに表現の自由は、そもそも選挙の前提となる、国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができない」と言った意味です。(この中継の解説はEveryone says I love you !ブログより転載させて頂きました)
放送法を盾にして自民党がマスコミを脅すことがいかに憲法違反かがよくわかる
このようなスッキリした表現の自由が政治的に最も重要なのだという意味を国民に教えてくれた山尾議員に民主党の党首を岡田さんから山尾議員に代わってもらえば民主党の支持率は一気に安倍を抜くと私は思いました。今からでも遅くはありません。高市などのネオコン議員や安倍のような憲法知らない議員に比べて、山尾議員はこの国の進路を確実に安全な方向に進めてくれるだろうと私は確信しました。
マスコミの報道の自由がいかに大切なのか。それも政権政党はそこに手を突っ込んではならない理由が、この山尾議員の説明にあるのです。その意味で安倍政権がこれまで行って来た一連の報道に介入して来た行動が、自由主義国家であれば民主主義を守るためには、報道に対して国家権力が絶対に介入してはならない理由がよく分かるのです。
新聞や週刊誌に対しては放送法のような締め付けの条文はありません。放送法の第4条は憲法21条違反の可能性が高いのです。しかし、この法律は戦後のどさくさのなかで、当時の政府によってコッソリ入れられたそうです。GHQは戦後すぐに電波管理委員会という第三者機関が電波を管理していたのですが、当時の吉田首相が電波管理委員会の権限を剥奪したそうです。現在は総務省に電波の許認可権を与えているのです。放送法はもともと、戦前のNHKが戦争に荷担したことを二度と繰り返してはならないという意味で国家の介入から放送の独立や言論の自由を守るために出来た法律なのです。ですから、第4条は「放送事業者のモラルや精神的な心構えだ」という解釈が大半の法律家の意見だそうです。
安倍政権にこのままこの国を任せていたらとんでもないことになる
報道の自由の議論が一昨年の暮れ頃から活発に行われるようになっています。一昨年の年末の衆院選で、安倍首相がTBSのニュース23の番組に生出演したとき、「アベノミクスの恩恵を私は受けていません」という街頭インタビューの声に反論して、「アベノミクスの恩恵を私は受けていますということをテレビに向かっていう人はいませんよ」とか「アベノミクスの恩恵を受けている方の声も拾ってください」というような反論をしたことから始まったのです。そして、そのニュースの前後に自民党が東京のテレビ各局に「衆院選の報道には公平な報道を行うように」という要請文を出していたのです。それが「報道の自由への侵害に当たるのではないか」という批判が上がったきっかけだったのです。
その後、放送法第4条2項の「政治的に公平であること」や4項の「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という条項があることから、高市総務大臣が「放送局が著しく放送法の第4条に違反を繰り返すようなことを行えば電波停止を行使することもあり得る」と答弁したのです。
為政者は自分への批判は国家への反逆だと思ってしまいます。中国では国家権力や習政権を批判すれば国家反逆罪の罪に問われます。北朝鮮では金政権を批判したら生命がなくなります。そのように「国家権力を持った者は自分だけが正しくて私を批判する者はみな間違っている」と思いたくなるのです。そして、反対派への批判が暴力的な実力行使に発展して行くのです。自由主義国家では、だから表現の自由がそれを止める大きな歯止めの役目を担っているのです。しかし、その歯止めを壊しそうとしている、安倍政権がこのまま続けばやがて日本も歯止めが利かなくなり、中国や北朝鮮のように息苦しい国になることでしょう。
by nonukes
| 2016-03-10 11:25
| 小坂農園 薪ストーブ物語
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