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小坂正則の個人ブログ

中立を装った電力会社の御用「文化人」中西寛の「時代の風」

中立を装った電力会社の御用「文化人」中西寛の「時代の風」
小坂正則
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今朝の毎日新聞の「時代の風」という各著名人による政治論評で、今回は京大教授の政治学者の中西寛氏が書いていました。テーマは「動き始めた原発政策」です。下にその記事をコピーしていますので、時間のある方は読んでください。
前半では福島原発事故から4年が過ぎて、原子力規制委員会は「ほとぼりが冷めるのを待つかのように原発を再稼働させようとしている」と、批判しています。そして日本人の国民性の曖昧さと同じように「原発推進派と反対派が真正面からぶつかって議論をしようとしないことに問題の本質がある」かのように指摘しているのです。
つまり、「双方が自分の主張だけを訴えて、相手の批判をまともに答えようとしない」というのです。その結果、不毛な二項対立が生じてしまって今日まで来たといいたいのでしょう。

ステレオタイプ化された中西寛の原発推進派と反対派「二項対立」論にウンザリ

中西寛は言う「原発反対派は地球温暖化問題に適応したエネルギー供給の問題に十分答えていない。自然再生エネルギーによる代替を訴えてきたが、その可能性を楽観しすぎてきたことは否定できない。太陽光発電を偏重した固定価格買い取り制度は見直しを迫られている。風力発電も技術的な壁を乗り越えられていない。また、原発を止めることで生じる放射性廃棄物の処理問題についても答えようとしない。原発を直ちに廃止するなら廃棄物の処理費用を誰がどう捻出するかは即時に答えを出さねばならない。原発反対派はこの問題の解決策を提示しなければ支持を広げることはできないだろう。」(ここまで引用)
そして最後の結論として「不幸な事故を経験した日本人には世界に恥じない議論をした上で原発の未来を決める責任があると思う」と言うのです。

原発推進派と反対派はゾウとアリのたたかい

中西寛氏は原発に関しては大きな二つの勢力があって、1つは原発推進派であり、もう1つが原発反対派だという論理立てています。しかし、これがまず間違っています。原発推進と反対は純粋な学問的な論争でもなければトヨタと日産の企業間競争でもありません。原発反対運動とは「国家の政策に反対し続けた」反権力闘争なのです。なぜなら原発は国家による強固なエネルギー政策の中心として日本政府は進めてきたのです。それに対して反対派の中身は、原発建設計画地の農民や漁民に一部の学者と都市の少数の市民がすべてです。言うならばゾウとアリの闘いなのですから、互角に戦えるわけもなければ、対等な立場などでは決してありません。それをさも対等な力関係と対等な純粋学問的な論争であるかのような論理立てて批判することにこそ無理があるのです。
水俣病の患者に寄り添って、水俣病の原因究明や患者の支援に尽力してきた原田正純医師は、仲間の医師から「あなたは患者側に近すぎるのではないか。学者はもっと中立の立場であるべだ」という忠告に対して、原田医師は生前このように話していたそうです。「強大な資本と政府に対してまずしい漁民たちの中立とは真ん中ではない。患者側により近くにいて初めて中立の立場になり得る」と。実に素晴らしい学者の良心に裏打ちされた言葉ではないでしょうか。単なる第三者的な立場の人は「双方に均等な距離」が中立であるかのようにいいますが、原田正純氏に言わせると「中立とは力関係が均等に保てる位置」なのです。水俣病裁判を訴えた原告の患者たちは「チッソが海に垂れ流した有機水銀が原因である」という因果関係を裁判で証明しなければ勝てないのです。原告の漁民たちにそんな金も力もないのに、国家や資本は、それをいいことに知らぬ振りを決め込んできたのです。だから学者や医師の患者への支援がなければ対等に裁判を闘えなかったのです。原田医師や弁護士が患者を支えた結果、初めて対等に近い形で国やチッソとたたかえたのです。そのような状態を原田医師は中立的な状態と言ったのです。
このような論理から考えれば、原発反対派とはこれまで、一切の利益もなしに身銭を切ってたたかって来た「わがふるさとの海や山を守りたい」という無欲で無力な人の群れなのです。私たちとて例外ではありません。30年間、何の利益になるでもなしに「反原発」を訴えてきたのです。国家権力に楯突いて人生の大半を生きることは「奇人・変人」以外に出来ることではありません。片や電力会社や御用学者は潤沢なお金と地位と名誉とが与えれれて、福島原発事故という史上最悪の事故を起こしておいても、その責任さえ一切取っていないのです。そんな金のために生きてきた人間と、片や「ふるさとを守るためにたたかった」人を同じ土俵で比較すべきではないでしょう。

これまで一方的に話し合いを拒否し続けたのは紛れもなく原発推進派

中立派を装う中西氏は言います「互いが自らの主張だけを叫び相手の批判に答えようとしない」と。批判に答えないのは電力会社であり政府です。反対派はこれまで電力会社や政府など推進派との話し合いを拒否したことはありません。拒否し続けてきたのは電力会社と政府です。私たちは30年以上前から、「原発はトイレのないマンション」と批判してきましたし、様々な矛盾を指摘しても推進派はまともに答えることもなく、はぐらかしたり、経済的だなどというウソでごまかして逃げてきたのです。それもそのはず、権力者は真実がばれることが怖いから情報を出さないし、話し合いを拒否し続けるのです。それを互いの責任と言って、私たちにも責任があるかのように繕う中西氏は結局は原田正純氏の論理から見たら、「中立を装った推進派」でしかないのです。今日原発推進派を名乗る学者はほとんどいません。いま原発推進派を名乗る勇気のある学者の方が、自分は中立だと言ってウソをつく学者よりも、ウソをつかないだけ私は信用します。そして反対派の数少ない学者もほとんどいませんが、彼らは孤軍奮闘してたたかい、それこそ一生冷や飯を味わって来たのです。だから、推進派の人も何も考えていないどうでもいい派の人もみな「私は中立」というのです。自分から原発反対派を名乗る数少ない学者たちは経済的にも地位にも不利益覚悟の「確信犯」であり、原田正純氏のような尊敬できる学者なのです。
中西氏は言います。原発反対派に自然エネルギーの不安定さやFITの責任も押しつけようとしています。ましてや「原発を止めることで生じる放射性廃棄物の処理問題についても答えようとしない」と。核のゴミの適正処分という方法の答えがないから原発に反対しているのに。またこうも言います「原発を直ちに廃止するなら廃棄物の処理費用を誰がどう捻出するかは即時に答えを出さねばならない」と。なぜ私たちが答えなければならないのですか。原発は一番安いんじゃなかったのですか。安いなら処理費用だって捻出できるはずでしょう。こんなアホな質問はそっくり中西さん、あなたへお返しいたしますよ。答えてください。答えられないでしょう。だから私たちは原発を一刻も早くやめるべきだと訴えているのです。

原発反対派の私たちも原発を作った人類の責任を取る用意がある

原発推進派の電力会社や国は、これまで国民を騙して「原発は安価で安全」というウソをお付き続けてきました。そして挙げ句の果てに「莫大な借金」と「死の灰」を残して、そのツケを国民に押しつけようとしています。もちろん私たち反対派も含めた国民全員にです。しかし、推進派の電力会社や国は、それでも原発をやめようとはしていません。国民に原発のツケを押しつけておいて、その上でまだまだ原発を動かそうとしているのですから。高レベル廃棄物地下処分シンポジウムで、科技庁の役人がこういいました「高レベル放射性廃棄物は国民皆さんが享受してきた電気が作ったゴミです。その処理は国民全員に責任があるのです」と。私はこう反論しました。「死の灰は処分が出来ないから私たちは原発に反対してきたのです。それでもあなた方は一方的に原発を運転してきた。今になって国民全員の責任というのは水道の蛇口を開けっ放しで、水漏れ対策を立てようとするようなものだ。議論のテーブルに私たちが着く条件は、まず蛇口を止めて、これ以上の死の灰を増やすのをやめればいつでもテーブルに着く用意はある」と。本当は「俺たちには知ったことじゃない」と言って突っぱねてもいいものですが、私たちは「原発による死の灰をこれほど作ってしまった」ことで子や孫など次の世代の人々に対して責任があるので、原発をやめた後は死の灰の後始末の議論を受けて、その責任を果たすために知恵も金も出す覚悟があるのです。
全ての知恵と力で一刻も早く原発を止めて、死の灰の適正な管理をどうすれば出来るかの議論を始めよう。





「時代の風」
動き始めた原発政策=京都大教授・中西寛

毎日新聞 2015年3月29日
 ◇世論に向き合った議論を 中西寛(ひろし)

 東日本大震災から4年が過ぎ、東京電力福島第1原発事故後に停止されていた原発に関して動きが見え始めている。一部の原発について原子力規制委員会は安全性を認める見通しとなっているし、また、他の一部の原発については廃炉の申請がなされた。

 しかしこれらの動きは、ソ連時代のチェルノブイリ事故に比肩しうる巨大な原発事故を総括し、国民の間に一定のコンセンサスが作られた上で起きているわけではなく、時がたち、事故の記憶が薄れる中で、俗な言葉で言えば、ほとぼりが冷めるのを待って進められているのが実態であろう。現状は、日本人の弱点の一つ、抽象的かつ相反する利害が絡んだ局面で合理的な判断を下すこと、言い換えれば戦略的意思決定を行う能力の弱さを示している点で残念と言わざるを得ない。

 ここで「日本人」という言葉を使ったが、この問題について最も冷静な判断を下してきたのは一般国民である。世論調査は、質問のされ方である程度差はあるものの、原発事故直後からほぼ一貫して、原発再稼働反対の意見が賛成の意見を20ポイントほど上回る状況が続いている。他方で、これまでの国政ないし地方選挙で原発廃止を掲げた候補者は、東京都知事選での細川護熙元首相を代表として、ほとんど当選していない。総体として世論は、原発を放棄する政策に対しては消極的でありつつも、原発再稼働に対する疑念を示し続けているのである。

 私は、こうした国民の「迷い」は原発の現状をかなり正確に捉えていると思う。問題は原発政策の選択に具体的な関わりを持つ人々、原発推進派と反対派双方の政治家や利害関係者、専門家がこうした世論に示された問題に正面から向き合わず、自分に都合のよい議論のみを語り、相手の非合理性を非難することを繰り返している点にある。

 原発推進派はエネルギー安全保障や温暖化対策の点から原発の必要性を説き、原発反対派は事故対策の不十分さや核廃棄物処理の問題を挙げて原発の廃止を説く。しかし相手の議論には共に小声でしか答えない。これでは双方の主張に耳を傾ける誠意ある国民は戸惑い続けるばかりである。

 原発反対派は地球温暖化問題に適応したエネルギー供給の問題に十分答えていない。自然再生エネルギーによる代替を訴えてきたが、その可能性を楽観しすぎてきたことは否定できない。太陽光発電を偏重した固定価格買い取り制度は見直しを迫られている。風力発電も技術的な壁を乗り越えられていない。また、原発を止めることで生じる放射性廃棄物の処理問題についても答えようとしない。原発を直ちに廃止するなら廃棄物の処理費用を誰がどう捻出するかは即時に答えを出さねばならない。原発反対派はこの問題の解決策を提示しなければ支持を広げることはできないだろう。

 原発推進派の問題は更に大きい。事故後に東電、政府、国会、民間でそれぞれ事故調査報告が出されたが、東電のものを除いて、津波に対する想定不足だけでなく、従来の安全管理体制に重大な欠陥があったことを指摘した。しかしこの指摘に対してこれまでとられた具体的対策として国民の目に見えるのは、原子力規制委員会を発足させたことにとどまる。その原子力規制委員会が行う安全審査に対しても、電力会社と政府の姿勢は不明瞭である。電力会社は安全審査を急ぐよう要求するばかりで、トップが会社の命運を懸けて原発の安全を守ると宣言するのを聞いたことがない。政府は事故時の避難計画に責任を負わねばならないが、福島事故のような状況に対し十分な放射線防護服を自衛隊や警察が準備しているかすら明らかでない。

 事故対応と並んで重要なのはいわゆる核燃料サイクルの再検討である。国民の中で原発への不信がぬぐい去れないのは、どう見ても抜本的な見直しが必要な核燃料サイクル政策に関係者が固執していることが大きいであろう。サイクルの出口と期待された「もんじゅ」で不祥事が止まらないのは、現場の職員が自らの仕事の意義を信じることができない士気低下が根本にあるのではないだろうか。

 不幸な事故を経験した日本人には世界に恥じない議論をした上で原発の未来を決める責任があると思う。=毎週日曜日に掲載
by nonukes | 2015-03-29 23:24 | 脱原発大分ネットワーク | Comments(0)

  小坂正則