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小坂正則の個人ブログ

マイナス経済社会を楽しく生き抜くその2「無限の経済成長などあり得ない」

マイナス経済社会を楽しく生き抜くその2
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無限の経済成長などあり得ない小坂正則

 私たちの国の負債は1000兆円を越えて、毎年50兆円以上の赤字国債を発行し続けているそうです。その借金はいずれ私たちか次の世代の子どもたちが返さなければなりません。しかし、政府が返さなくていい方法は1つだけあります。急激なハイパーインフレにして貨幣価値が1/10から1/100になった第二次世界大戦後の日本やドイツはお金が紙切れ同然になったので実質的にほとんど返す必要がなくなりました。しかしそれは国民の預貯金が紙切れ同然になるのですから、結局は国民に膨大なツケが回って来るのです。日本政府が国家破綻状態になれば1000兆円が100兆円にも10兆円にもなるので実質的にはほとんど返す必要がなくなりますが、そうなると国内の企業は軒並み倒産し、街は失業者で溢れ世界恐慌に陥ることになるでしょう。現在ギリシャやスペインが債務超過に陥ってEUの厳しい管理下で財政再建を行っていますが、ギリシャでさえ、GDP比158%の債務に対して、日本は238%の債務(借金)を抱えているのです。それでも日本の国債が値崩れしないのは、赤字国債以上の預貯金を日本人が持っているからだと言われています。しかし、自民党安倍政権はブレーキの壊れた暴走車が坂道を転がり落ちるかのように赤字国債を垂れ流し続けていて大丈夫なのでしょうか。

少子高齢化社会で、ものはますます売れない

安倍首相がどのように経済成長をさせようとしても、急激な人口減少が訪れた日本では、このまま右肩上がりの経済成長を続けることは不可能です。不況になればリストラや、それに伴う社会不安や所得格差がますます拡大するでしょう。今日の不況の原因の1つには、私たち消費者がそんなに「もの」を消費しなくなったからだとも言われています。つまりは非正規雇用の若者は買いたくても「もの」は買えないし、少しくらいの収入が増えたとしても、いつ会社を首になるか分からないので消費は控えます。また、子どもや若者がどんどん減って、購買意欲の大きな層が減った結果、ものが売れなくなったのです。おまけに高齢者はお金があっても、後先短い人生にそんなにほしいものなどありませんし、高齢者は年金の減額や医療費の負担増などから出来るけお金は使わずに貯蓄に回します。だから日本経済は今後ますます消費が減っていくしかありません。安倍首相がいくら頑張ったところで、このような先進国に共通したデフレスパイラル現象から抜け出す方法などは簡単には見つけられないでしょう。だって、人口減少に歯止めがかけられなければ根本的にデフレスパイラルからは抜け出せないからです。

つまり「経済とは消費だ」ということが分かっていただけたかと思います。うまくみんなが消費してはじめて経済がうまく回るのです。しかし、強引に消費を作り出す方法があります。それは戦争です。戦争は莫大な消費だと言われています。戦後、アメリカは朝鮮戦争とベトナム戦争を行いましたが、それによりアメリカ国内はもとより世界中が好景気に沸きました。特に日本は朝鮮戦争で戦後復興の足がかりを掴み、ベトナム戦争で高度経済成長を遂げたのです。 アメリカはベトナム戦争で使った赤字国債が返せなくて、1971年にニクソン大統領は米国ドルの兌換紙幣制度(ドルを金とを交換する制度)を一方的に破棄して、今日の変動相場制市場になりました。いわゆるニクソンショックというやつです。その後、1973年の第四次中東戦争で石油の供給が不足して第一次オイルショックが起こり、日本の高度成長もこの辺で終わったようです。アメリカはその後もアフガニスタンからイラクへと戦争を常に繰り返し行いました。なぜアメリカは戦争をするのか。その理由の1つは軍需産業を儲けさせるためには戦争をして莫大な消費をしなければ軍需産業が儲からないからです。もちろんアメリカは常に自分のいいなりにならない国を武力で脅して、世界を我が物顔で支配したいからですが。
戦争をしなければ経済成長しない世界なんて異常です。戦争で大量の爆撃を受けるのは女性や子どもなど罪のない一般市民だからです。人類とは無限の経済成長という幻想のために戦争を繰り返す麻薬中毒患者のように私は思えてなりません。
だから、「経済は消費」だといっても、無法者が他人の家に押し入って、ものを破壊したり強奪したりするような戦争経済は長続きはしません。私たちの「幸せな暮らし」を維持するためには平和な社会は必数条件なのは当然です。

不労所得は人の道義に反する

ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデ氏は配当や金利が社会の元凶だと説いていました。そして河邑厚徳氏が書いた「エンデの警告」という著書の中に、このように書いているのです。
「ちょっと意表をついたたとえ話をさせてください。ある人、ヨセフが、西暦元年に1マルク貯金したとして、それを年利5%の複利で計算すると、その人は現在、太陽と同じ大きさの金塊を4個も所有することになります。1方、別の人が西暦元年から毎日8時間働き続けてきたとしましょう。彼の財産はいくらになるのでしょう。驚いたことにわずか1.5メートルの金の延べ棒1本に過ぎません。」
世界の三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教では100年ほど前までは金利は不当であるという理由でお金に利子を付けることを禁じていました。中世ヨーロッパでは富を追いかけること自体が貧欲の罪を犯すことで悪だと教えられていたのです。不労所得は人の道義に反すると考えられていたからです。もちろん現代社会が過去の倫理的世界に帰ることは困難だと思います。しかし、私には人間の煩悩を抑制してきた宗教を古い価値観と捨て去り、現代の“経済”と“科学”を絶対のものとする思想を単純に肯定することはできません。富を追求し高利を得ることを自由とする根拠は、欲望を経済活動のエンジンとして推進して行こうとする産業革命以後の資本主義経済の成立と深く関わっているのです。
21世紀の今日、資本主義の矛盾が頂点に達したような時代の私たちは、「経済とは道義を守ること」という先人の教えから何かを学ばなければならないのではないでしょうか。

日本の商店街がなぜシャッター通りになったのか

つまり、金利や投資による配当などというものは本来無限に増殖をするものではなく、労働者から労働対価を奪い取って得た不当な利益だとも言えるのです。
日本は不況で投資しようとしても、なかなか高額配当を得られるような投資先が見つかりません。だから投資家は資金を使わずに貯め込んでいるので、ますます不況になり失業者が増えるのです。しかし、労働者は働きたくても働くための生産手段をたいていの人は持っていないので失業したまま多くの若者は街に溢れています。しかし、失業者でも腹が減ったら何か食べなくてはなりません。だから10人の失業者が集まれば、そこには必ず何らかの需要が生れるのです。生産する仕組みをちょっと作ってやれば地域に新たな雇用が生まれます。
「TPPで関税を取っ払って安い輸入農産物を買うことが出来たら、私たちの生活は潤い、経済は発展する」とよく政府やマスコミは言いますが、本当にそうなのでしょうか。国内の商品流通を見ればよく分かります。街の小さな商店は軒並みシャッターを降ろして閉店し、大手のショッピングセンターと24時間営業のコンビニしか残っていません。私たちは確かに安い食料品を買うことが出来るようになったのかもしれませんが、その代価として遠くから運ばれてくる防腐剤入りの食べ物しか手に入らなくなり、新鮮でおいしい食材がそろっていた個性あるお総菜屋さんや魚屋さんなどの商店は高齢者の買い物難民を残して姿を消して行ったのです。このようにTPPで関税を撤廃したら、商店が姿を消して多くの中小零細企業で働いていた人びとは職を失い、人びとの暮らしはますます貧しくなるでしょう。
だから1%の人たちの莫大な利益のために、99%の人びとは非正規雇用か失業者で貧しい暮らししか待っていないのです。フィリピンなどの大規模プランテーションでバナナやアブラヤシなどの輸出作物を作る小作人の村人たちの生活は昔に比べてますます窮乏化しているのです。

日本人が失ったものを私はバリで発見した

ところで私は日本の街とは対極の街をバリで見つけました。2月の終わりに私はバリに行ったのですが、そこで発見したことが2つあります。1つは、ここでは人びとが皆さん笑顔で楽しく暮らしているように見えました。ちょうど日本の40年前の暮らしがそこにはありました。農家の牛小屋には牛が寝そべっていて、鶏が庭をかけていました。そして、人びとは家の前の縁台に座って話し込んだり、昼寝をしたりしてみんな幸せそうに暮らしているのです。(もちろん私の勝手な思い込みかもしれませんが)2つ目に、バリには小さな商店が至る所にあるのです。なぜそんな小さな商店が成り立つのか、私には不思議でなりませんでしたが、みなさん生活が貧しくて、仕事がないから道ばたに店を出したり、自転車やバイクでものを売り歩く人が多いのでしょう。(写真の上)それは地域で仕事を作り、富を分かち合う社会だとも言えるのです。例えばペットボトルに入ったガソリンが道路沿いの至る所に1リットル50円で売ってます。ガソリンスタンドでは1リットル40~45円なのですが、わずか5円の違いなら、みなさん50円でペットボトルのガソリンを買ってバイクに乗るのです。また、ここではバリヒンズー教の独特の教えなのでしょうか、花や食べ物を入れた小さなかごを朝からそこかしこにお供えしているのです。(写真の下)そして、そのかごは椰子の葉でおられたもので、椰子の葉はそこらにいくらでもあります。それを1日に何度も交換するというのです。そのお供えは小鳥の餌にもなっていましたが、そんな信心深い彼らは、このような仕事を狭い地域に作って、経済を成り立たせているのです。

私たちの「暮らし」と「文化」を守るために

日本では流通革命によって卸問屋が姿を消してしまって、それに伴い小さな商店がことごとくなくなりました。残ったのはコンビニと大手スーパーしかない非常に個性のない街になってしまいましたが、それによって失ったものは商店だけではなく、地域の文化やコミュニティーまでもをなくしてしまったのではないかと思います。それにバリの皆さんがみんな笑顔で楽しそうに暮らしている理由は、シューマッハー氏の「スモールイズビューティフル」という本を読ん初めて理解できました。「ある社会が享受する余暇の量は、その社会が使っている省力機械の量に反比例する」という一節があるのですが、つまりバリではまだ省力化が日本ほど進んでいないので、皆さん余暇があって、楽しく暮らしているのだろうと思いました。だから商店に陳列している商品が大手スーパーに比べたら少しくらい割高でも、その価格の中には地域の人びとの労働対価が詰まっていて、それで私たちの街と人びとの暮らしが成り立っているのだと考えたら決して高くはないのです。
私たちの社会もこれからバリの人びとに負けないくらいに貧しくなってくるのですから、知恵を出し合って、小さな商店やソーシャルビジネスを地域に作り出して行くしか、私たちの雇用を守り、自立的な暮らしを取り戻す方法はないのではないかと私は思います。そのような地域で仕事を分かち合う暮らしが地域の文化とコミュニティーを守ることになるのですから、地域で賄えるものは地域で賄うという社会的合意が日本の地方でも必要なのではないかと私は思います。その真逆がTPPだといってもいいでのではないでしょうか。
分かりやすい例を紹介しましょう。ブラック企業とよくわれている、ユニクロの1980円のジーパンがどのようにして店に並ぶか考えてみてください。国内メーカーの仕事を奪い、バングラディシュで1ヵ月わずか5千円以下の低賃金の女工さんが、不衛生な窓もない工場で12時間以上働かされて、女工さんの身体をボロボロにし日本にジーパンはやって来ます。そしてユニクロの非正規労働者が時間に追われ血眼になって陳列したジーパンは、私たちの「安い」からという衝動によって買い求めるのです。
このような、「経済とは道義を守ること」という先人の教えを忘れて、自分に都合のいい“経済”や“科学”による商売などに突走るのではなく、フェアトレードな輸入など他国の人びとの暮らしを守ることにより、自分たちの真っ当な「暮らし」と「文化」、つまりは「コミュニティー」を守ることが出来るのだと私は思います。(つづく:この原稿は「食と農おおいた」への連載原稿です)
 
by nonukes | 2013-09-18 10:56 | 小坂農園 薪ストーブ物語 | Comments(0)

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