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小坂正則の個人ブログ

脱原発大分ネットワークの貴重な仲間をまた亡くしました

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岸田佳宣氏の不慮の死亡事故

12月9日夕方に杵築市の市内の側溝に自転車と一緒に転落した岸田さんは、誰からも発見されることなく、翌日早朝に凍死した状態で地元の方に発見されました。当年62歳でした。あまりにも早い死です。岸田さんは昨年の4月から「脱原発大分ネットワーク」の代表になっていただいていました。
岸田さんは10年前に大阪から大分県杵築市にIターンして、8年前に米軍のイラク攻撃に抗議するデモに参加したときに、20年ぶりに大阪で一緒にエスペラントをやっていた大原さんと偶然に再会して、その後、私たち脱原発大分ネットワークのメンバーに加わってもらい、仲間として一緒に活動していただきました。
岸田さんは2ヶ月に1回発行する脱原発大分ネットワークの機関誌「つゆくさ通信」の印刷担当として黙々と輪転機を回し続けてくれました。彼の几帳面さを表すように、きちんと寸法を合わせてきれいな誌面をいつも印刷してくれていました。そのほか彼は自由業でしたので、祝島での緊急行動などには進んで参加してくれていました。祝島や上関原発現地の田の浦へ、また多名埠頭へも何度となく足を運んでくれていました。彼のもっぱらの移動手段は自転車でした。上関まで国見からフェリーを使って自転車で行くようなこともあったそうです。私の農園の手伝いもしてもらったことが何度かあるのですが、杵築から大分まで30キロはある距離を毎日自転車で往復していました。彼の体力には誰もかなわなかったのです。頑強な身体のどこも悪いところはなく、体力は誰にも負けない岸田さんも12月9日の冷たい夜の冷え込みにはかなわなかったのでしょうか。側溝に自転車と一緒に落ちた岸田さんは意識を失ったまま凍死したのでしょう。あの日は皆既月食が見られた透き通った冬空の下で、誰にも発見されることなく一人、満点の星と共にあの世へ度立ったのでしょう。
何と無情なことでしょうか。彼の一番好きな自転車に乗って天国へ旅立ったのですから。大原さんによると岸田さんが自転車をこいでいる姿を見た時、実にうれしそうに笑顔で風を切って走っていたそうです。そんな爽快な自転車男は私たちの前から自転車に乗って旅立って行ったのです。今頃はどこら辺を自転車で旅しているのでしょうか。写真の自転車に乗っている岸田さんを見かけたら皆さん声をかけてやってください。「岸田さん。どこまでお出かけですか」と。天国へ行ってらっしゃい岸田さん。

私たちにできるだけのお別れ会をしました

写真のようにお兄様の了解をいただいて、彼が一番望んだであろう写真を遺影に選んで、脱原発大分ネットワークののぼりと、祝島の旗を会場に飾って、池田さんの追悼コンサートで彼を送りました。みんなの別れの言葉とエスペラントの本と歎異抄も添えて、ご遺体には祝島の「原発絶対反対」のはちまきを締めて旅立たれました。もうすぐ私たちも会いに行くからそれまでの間、あの世で私たちや上関原発を建てさせないために天国から見守ってくださいね。岸田さん。合掌
Commented at 2012-01-09 00:12 x
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by nonukes | 2011-12-13 22:13 | 脱原発大分ネットワーク | Comments(1)

  小坂正則