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小坂正則の個人ブログ

坂本龍馬は現代のNGO・NPOだった!!

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NHKの龍馬伝にはまっている私


 いま、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が人気だという。私も毎週首を長くして待って「龍馬伝」を時には涙を浮かべながら見ている。
 私は長州藩の高杉晋作が以前から好きだった。あの過激な青年の奇抜なアイデアでできた奇兵隊(農民や町民や武士がみな対等で組織されたゲリラ部隊)が長州最強の部隊となり、敵を攪乱していく様は、1808年から13年までナポレオンのスペイン侵略への抵抗運動『パルチザン』を感じさせるからである。その後、中国の抗日運動やベトナム戦争やゲバラまで、このゲリラ戦は引き継がれている。  
 幕末の動乱期に現れた志士たち、高杉晋作や西郷隆盛や桂小五郎などの英雄の一人として、これまで私は坂本龍馬を考えていた。しかし、どうも少し違うようなのである。彼ら、藩のために、幕府を倒して日本統一を夢見た志士に対して、龍馬はずっと先の世界を考えていたようなのだ。

龍馬の偉大さとは

 坂本龍馬は勝海舟に師事して海軍の必要性を痛感し、幕府を倒すだけではなく、欧米などの支配を受けずに列強国と対等に付き合える方法を考えていた。また、彼は薩長同盟を結ばせたり大政奉還を実現させたりする大役を担ったが、その発想の底流に流れる思想は、あの時代の歴史的な限界を超えて、現在でも全く遜色なく通用する民主主義の思想が息づいているように感じる。それは平等主義であり平和主義であり議会制民主主義である。また、大日本帝国憲法の原型となった「船中八策」を彼は作った。
 龍馬は徹底した現実的な実利にかなった戦略と戦術で人々を説得した。それが亀山社中という貿易会社の設立や海援隊による私設軍隊の設立などに現れている。明治維新が薩長と幕府の軍事的な衝突となっていたら多くの藩を巻き込んだ内乱になったであろうが、大政奉還という形で無血革命が実現したことなども歴史的な坂本龍馬の偉業だ。
 私は司馬遼太郎作の『竜馬がゆく』全8巻を今回買い込んで読んだら、ますます龍馬のすばらしさに感動した。ただし「竜馬がゆく」という題名の龍をあえて竜にしたことで、司馬遼太郎は「これはフィクションだ」といいたかったらしいので、小説の中の竜馬を歴史上の龍馬と錯覚する危険はあるのだ。その証拠に龍馬はグラバーの手下だったという説があるという。そして、龍馬を暗殺したのは当のグラバーだったという説。グラバーにとっては幕府と薩長の戦争がなければ武器は売れず儲からない。しかし、龍馬は大政奉還を唱えて、円満に幕藩体制を終わらせようと試みた。それに激怒したグラバーが暗殺者を龍馬の元へ送ったという説だ。
 そのように考えると、ますます謎は深まるばかりだ。「龍馬が福井藩主や熊本藩主などに簡単に面会できたのは、グラバーの後ろ盾があったからで、亀山社中の資金もグラバーから出ていた」という説もあるという。龍馬はグラバーの手下を装いながら、明治維新をやり遂げようとしたという考えが浮かんで来る。
 歴史上の人物も片方の側から見れば善人で、見方を変えれば悪人に見える。いい例が「新撰組」だ。NHK大河ドラマの「新撰組」では英雄だった彼らが「龍馬伝」では最高の悪人集団に変身する。

龍馬は今でいうNPOの走りだった

 自らの理念や使命を実現させるために社会的な起業を行う人々を「NPO=非営利活動法人」というが、まさに、亀山社中や海援隊を組織した龍馬こそ、現代のNPOだったのだ。現代でも、NPOの組織が大きくなったり、利益を求めることに対して、「彼はNPOの名前を使って金儲けをしている」などと言って、後ろ指を指されることがある。
 僧侶や牧師などの宗教事業や慈善事業に清掃ボランティア活動がNGOやNPOの活動で、「利益を上げる活動はNPOではない」と批判する人がいるが、どんな活動にも活動に伴うお金が必要で、社会を動かすのはお金だといっても言い過ぎではない。お金のために生きるのか、自らが目指す目的のためにお金を使うのかの違いだけだ。要は「意識してお金を使う」ことが重要なのだ。
 株式会社もP・Fドラッガーに言わせれば「企業の理念や目的を実現させるための社会的使命を帯びた組織だ」という。だから企業も社会貢献をしなければ企業としての社会的存在価値はないとドラッガーはいう。
 そのような使命や理想の実現を目指した事業を口にする私にとっては、「自らの理想を実現させるために生きた」龍馬は理想とする人物なのが、理念や使命も相対立するそれぞれの理念や使命があり、後の歴史が証明するまではだれもどちらが正しいかわからない。今、正しいと思って行ったことが歴史的には誤ったことだったなどということはよくある。そのような誤りに陥らないようにするためには「100年後に通用するか」と、常に自問自答する必要がある。

私の存在価値とは

 大政奉還がいよいよ現実となりつつあるとき、龍馬が西郷へ言った言葉として「日本が統一したらわしは政府の役人など退屈な職には就かず海援隊で世界を目指す」と言ったという。龍馬は討幕運動に立ち向かっていく維新の志士でありながら、実に限りなく夢を追い求めるロマンチストだったのだ。
 私たちには目の前にある現実の問題にしか取り組むことはできない。しかし、その問題の中には必ず普遍的な課題の解決策が潜んでいる。100年先に通用する解決策を探し出し、普遍的な課題に取り組む。将来の人々のために貢献することで、私は初めて人類としての存在価値を認識できるのではないか。
 そのためには自らの中に未来を見越した夢と普遍的な世界観(問題解決の手段や方法論と目的)を身につけなければならないのだが、その世界観は周りの人から学ぶ謙虚さや優しさなどの『柔軟な発想と好奇心と豊かな感受性』。これこそが坂本龍馬の坂本龍馬たるゆえんではないかと思うのだ。
 残された人生の中で、現実的な問題の解決(エネルギー問題と温暖化対策)を行いながら、私の中の『坂本龍馬』を目指したい。
 どんなに困難であっても諦めずに立ち向かって行った坂本龍馬のような強い意志を私が持つことなど到底無理に決まっているが、私なりに龍馬へ一歩でも近づくことができれば、こんな幸せなことはない。
by nonukes | 2010-07-02 10:33 | その他 | Comments(0)

  小坂正則

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